第35話「うるさい男の子」
最初は、うるさい男の子だなと思った。
病気がちだった子供の頃、隣の家から窓越しに聞こえてくる男の子の声。
体が弱くてあまり外で遊べなかった私は、そんな声を聞いて「羨ましい」というよりも、「静かにして欲しい」という気持ちでいっぱいだった。
だって私は、外に出られないことを悲しいと思ったことは一度も無いから。
本があればそれで良かった。
一冊の本があれば、私の世界はどこまでだって広がる。海も、山も、魔法の世界だって。
だから、むしろ私はいつまでも、この小さな世界に閉じこもったまま生きていければいいなと思っていた。
それが私にとって、幸せだと信じていたから。
けど、そんな生活は長く続かなくて。
嬉しいのか、それとも悲しいのか。五歳になる頃、私の体は随分と良くなった。もうベッドの上で生活しなくてもいいくらいに。
「良かったわね柚希。これで幼稚園に通えるわ」
なんて、お母さんの言葉を聞いて喜んだ記憶は無い。
それよりも「今日から外に出なくちゃいけない」って気持ちでいっぱい。どちらかというと、知らない場所が怖いって思いしかなかった。
性格が正反対なお姉ちゃんとは、あの頃さほど仲は良くなかったし、まるで知らない世界に一人で急に投げ出された。気分的にはそんな感じだった。
「今日から星組に、新しいお友達が増えます!」
そうして、私は幼稚園に入園した。
人数はそれほど多くなかったから、みんなと同じ星組。お姉ちゃんも、それから──。
「あー、お前美桜の妹だろ!」
そう、優斗君も。
「そ、そうだけど……」
「よし、美桜の妹なら俺の友達だ。今日からよろしくな!」
隣の家に住む、うるさい男の子。
双子の姉で、性格が正反対の女の子。
それが、二人に対する私の印象だった。
──だけど。
「じゃ、外で遊ぼうぜ!」
「駄目よ優斗。柚希はあんまり外で遊んじゃいけないんだから」
「なんだ、そうなのか?」
「そうよ。ね、柚希?」
「……う、うん」
「しょうがねえな! じゃあ部屋の中で遊ぶとすっか! けど、何する?」
「んー、おままごとでもしましょうか」
「げっ、俺苦手なんだよなぁー。けどまあ、柚希もいるから仕方ないか」
変な二人。今日、新しくそんなイメージが加わった。
だって、今までずっと仲良くなんかしてなかったのに。いきなりこうやって遊びに誘って。
最初は正直、放っておいて欲しい気持ちのほうが強かった。
幼稚園でも、隅っこで静かに本を読んで過ごしていたいと思っていたから。
けど、次の日も。その次の日も。
二人は私を見つけるたびにどこかへ連れ出して。お姉ちゃんも、私の体が元気になったんだって知って、今度は外にも出て行くようになって。
そうして、徐々に気がつくようになった。
「外の世界って、こんなにも楽しいんだ」
って。
私にとって、本の中の世界が全てだった。
それ以外に、楽しい場所なんて存在しないとすら思っていたくらい。
知らないことに挑戦するのは誰だって怖い。慣れ親しんだこの部屋の中で、静かに生きてる方が絶対に楽しいんだろうなってずっと信じていたんだけど。
毎日優斗君とお姉ちゃんに連れられて、色んな場所に行って、色々なことを経験して……。
「二人とも、今日はどこに行く?」
「そうね。今日は近くの山に探検に……」
「──私、あそこの公園に行ってみたい!」
「「え?」」
そうして分かった。
私の世界は、この小さな部屋の中だけじゃないんだって。
優斗君とお姉ちゃん。三人一緒ならどこだって楽しい場所になるんだって。
「みんなで旅行ってのも、いいな!」
「うんっ! 優斗君と、お姉ちゃんと、それからお母さんたちと……みんなで遊ぶの、すっごく楽しい!」
そして気づいたら私は、二人のことが大好きになっていた。
子供って、なんて単純なんだろうなって思う。
大人になった今だからこそ分かるけど、たったこれだけの積み重ねで、まるで生まれ変わったように私の人生は大きく変わったの。
──でもね。
「ねえ優斗君」
「ん? 何だ?」
「大人になったら、優斗君と結婚したいな」
「結婚……? なんだそれ、美味いのか?」
「うん、とっても美味しいんだよ。多分、きっとね」
「そっか、それなら別にいいぞ。俺も美味いもん大好きだからな」
「あー、柚希ズルい! 私だって───」
ほんのちょっとだけ、優斗君への気持ちの方が強くなっちゃったんだ。
私を新しい世界に連れて行ってくれた、隣の家に住む、うるさい男の子。
そんな彼と、これからもずっと一緒にいたくて。
『せいやくしょ
ぼく、たちばなゆうとは、おおきくなったら
みおとゆずき、どちらかとけっこんします。
ほしぐみ たちばなゆうと』
この約束を、したんだっけ。
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