第30話「全部、かな」

「確か美桜が財布忘れたとかで、一回家に帰ったんだよな」

「あー、そんなこともあったわね」

 優斗は知らない。

 あの日の、私たち姉妹の出来事を。

「そういえば、あの日から美桜の態度が急に柔らかくなった気がするんだが……」

「んー、そうかしら。私としては、そんなに変わったつもりは無いけど?」

 なんて、嘘。

 柚希に正直な気持ちを口にして、結局私は嘘を吐くことを止めた。

 柚希のために……なんて言いながら、妹を一番傷つけていたのは私だった。柚希にとって、私に嘘を吐かれることが一番悲しいんだと気づいたあの日から、私は自分に正直に生きることを心に誓って。


「ま、私が優斗のことを好きだって気持ちはずっと変わってないからね?」


「……ッ! お、おう……」

 こうして、優斗に好きだって気持ちを素直に伝えることに決めたのだ。



 花火が終わり、優斗と別れてすぐのことだった。

『美桜先輩、ちょっとだけ時間いいですか』

 胡桃からそんな連絡を受け、近くの公園へとやってきた。

 先ほど私たちを観察……もとい、尾行していた胡桃。この呼び出しは、それに関することで間違いないと思う。

「お待たせ」

 待ち合わせ場所で待っていた胡桃に声をかける。

「いえ、私こそ急に呼び出してすみません」

「で、話ってのは優斗のことでしょ?」

「そうです。けど、そうじゃないっていうか……」

 歯切れの悪い様子を見せる胡桃。

 てっきり今日のことだとばかり思っていたんだけど……どうも違う様子で。

 しばらく迷った表情を浮かべていた胡桃は、やがて何かを決意した顔つきを見せ。


「美桜先輩が水泳を辞めたのって、橘先輩のせいですか?」

 と、言葉を口にした。


「……水泳?」

「はい、水泳です。……私は、美桜先輩が高校に上がってもずっと水泳を続けるんだと思ってました。けど、美桜先輩は結局部活動には入部しなかったじゃないですか」

 確かに、私は中学まで続けていた水泳を、高校生になったタイミングで辞めていた。

「私、先輩の泳ぎが大好きでした。優雅で、どこか気品すら感じるような泳ぎで……それでいて周りを圧倒するようなスピードと、それから……」

「ああ、もう良いから。あんまり褒められると恥ずかしい」

「……そうですか。とにかく、私は美桜先輩の泳いでいるところをずっと見ていたかったんです。だから、高校も同じ峰高に進学しようと思ってて……。けど、先輩が、水泳部に入部していないってことに気づいて、それで」

「それで、原因を探ったら優斗に辿り着いたと」

「最初は、ありえないと思っていました。だって、中学時代は全然、そんな素振りすら見せなかったから……。けど、今日のお二人を見て、改めて思ったんです。先輩が水泳を辞めたのは、多分橘先輩の影響だろうなって」

 胡桃がここ最近私に執着していた理由が、ようやく分かった気がした。

 この子はただ、私が水泳を辞めたのがずっと気がかりで、それで……。

 ……そうね、私も真摯に向き合わなきゃいけないわね。


「まず最初に、ゴメンね」

「……え? 何で謝るんですか?」

「私と優斗が付き合ってるって話、あれ嘘だから」

「え……? え!?」

「あの日、優斗が『ただの幼馴染』だなんて言うからついムキになったというか……とにかく、私と優斗は、別に付き合ってなんかないわ」

「でも……それじゃ何で今日……」


「けどね、私が優斗のことを好きだって気持ちは、嘘じゃないの」


 優斗と話をしながら、一年前のことを思い出して気づいた。

 私は、また自分の嘘で誰かを傷つけそうになっていたんだって。

「だから、胡桃の言ってることもあながち間違いじゃない。だって、私が水泳を辞めたのは優斗が理由だから」

 だから、ここから先は全部正直に。

「高校生活はね、ずっと優斗の隣にいたいなって思うの。中学生の時までは、自分に嘘を吐いて我慢し続けていたから。それが私、花咲美桜が水泳を続けなかった理由」

 あの日、柚希と一緒に泣きながら約束を交わした。


 どちらが優斗と結ばれることになっても、絶対に後悔だけはしないようにしようって。


 だから私は、高校生活全部を優斗に捧げてもいいと思ってる。

 だって。

 そう思えるくらい、アイツのことが好きだから。


「……先輩は、橘先輩のどこが好きなんですか」

 それから程なくして、無言のまま立ち尽くしていた胡桃が、ようやく口を開いた。

 ……けど、そんなこと聞かれても答えなんて一つしかない。


「んー、全部? かな」



「お騒がせしてすみませんでした」

 花火大会の数日後、俺──橘優斗のもとに、七瀬胡桃がやってきた。

 さて今度は何を言われるのかとヒヤヒヤしたんだが……開口一番、彼女の言葉は謝罪から始まり。

「美桜先輩から話は全部聞きました。お二人が実は付き合っていなかったこと、それから……」

「美桜のやつ、話したのか。……で、それから?」

「いえ、何でもないです。はい、何でも」

「そ、そうか……」

 気になるじゃないか。美桜のやつ、一体何を喋ったんだ……?

「それで、先日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。一応、謝罪をしておいた方がいいかと思ってきたのですが」

「そうか、それは殊勝な心がけだ……と言いたい所だが、別に俺も気にしてないから謝られてもなぁ」

「それでも、私が失礼なことをしたのは事実ですから」

「……ま、そこまで言うなら気持ちは受け取っておくよ。こんなこと、これっきりに……」


「ですが」


 こんなことはこれっきりにしてくれ。

 そう七瀬に告げようとした瞬間、彼女は言葉を挟み。

「私は、諦めたわけじゃありません。美桜先輩が水泳部に戻ってくれるよう、これからもアプローチし続けますので」

「なっ……! お前、今失礼なことしたって謝りに……」

「それはお二人の尾行をしたことに関してです。今後は尾行なんてせず、正々堂々と先輩たちの間に割って入るので、宜しくお願いします」

「お、お前……」

 こうして、俺に新しく後輩女子が出来た。

 ただ、どうにもこの後輩は俺のことが嫌いらしく……。


「美桜先輩と橘先輩が──したら、また水泳部に戻ってくれるかなぁ……」


 今もブツブツと小さな声で、何かを呟きながらこちらを睨んでくるのであった。

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