第二十四章 金蘭の契り

 ブラッドリーを追っていたレイヴァンが剣を鞘に収めながら戻ってきた。それから、ソロモンの方を見て首を横に振る。どうやら、見失ったらしい。

 ソロモンは少しばかり落胆の色を見せた後、マリアの方を振り返り青い瞳を見つめ返した。


「あなた様に話さなければならないことがございます」


 ソロモンに言われ部屋に皆が通される。そこでヘルメスがエリスの処置を終えるとやっとソロモンが口を開いた。


「実は姫様が産まれたとき、もうひとり産まれていたのでございます」


 王妃が身ごもっていたのは男女の双子であったという。そしてバートの研究データを子どもに隠していると勘違いしたブラッドリーは片割れの男の子をさらった。


「なぜそんな勘違いを」


「わたくしにもわかりませんが、ブラッドリー殿は勝手に勘違いして思いこむことが多々あったそうです」


 マリアが少しばかり顔を伏せる。その感情はソロモンには読み取れなかったが、マリアなりに何か思うことがあるのだろう。特に何も言わなかった。


「それで陛下はブラッドリーをベスビアナイト国から追放し、姫様……あなたを周りから過保護だと思われるほどに城の外へは一切出さないようになったのです」


 親であるならば当然のことなのかもしれない。自分の我が子が一人、誘拐されて戻ってきてすらいないのだ。残ったもう一人の子を手放したくはないだろう。それが国王がマリアに対して過保護になった一番の理由であるとソロモンは告げる。


「だが、わたしが王子として育てられ始めたのは六歳からだ。もしブラッドリーの言うとおり、わたしの片割れが誘拐されて父上がわたしを王子として育てることにしたのなら、初めからそうするのではないか」


 ソロモンが頷いて言葉を紡ぎ出した。マリアを王子として育てることにしたのは、別の理由からであるらしい。だが、理由を知らないと答えた。


「残念ですが、陛下も王妃様も答えては下さいませんでした」


「そうか」


 マリアは呟いて肩を落とす。すると、エリスがそっとマリアに跪いた。


「姫様、どうか我々がいることを忘れないでください。一人で何でも抱え込もうとなさらないでください」


 言われ皆を見回せば温かくこちらを見つめてくれていた。その視線にどれほど心が救われたであろうか。その手に、その言葉に、一生かけても返せない恩が自分にはあるとマリアは自覚している。


「ありがとう、みんな」


 月並みな言葉しか出ないけれど、皆にはマリアがどれほど仲間のことを大切に思っているのか十分に通じていた。そして、マリアもまた自分が仲間にどれほど救われているのかがわかってしまう。

 少し沈黙が降りた後、ソロモンがヘルメスに問いかけた。


「ヘルメス、バートが行っていた研究が何か知っているか」


「さあ。詳しくは知らないが、マリアの持っている石とレイヴァンに渡した石はバートが自らの研究とエメラルド・タブレットを使って生み出したと聞いた」


 マリアは思わず服の下にある石を取りだした。石は青い光を放っており、皆の姿を優しく照らし出していた。その石をマリアが握り締めれば共鳴するようにレイヴァンの石も輝きを放つ。


「この石は本当になんなのだろうか」


 レイヴァンが何気なく呟けばヘルメスはそっとレイヴァンが首から提げている石を手に取る。すると、石は藍色へと変化した。


「この石は、もう一つの石の持ち主と通じている。つまり、親父はブラッドリーがマリアとマリアの母親に対して何かすることを見越していたんだろう。それでもし何かあれば助けに行けと親父は言っていた」


 悲しげなヘルメスの声は静かな部屋によく響いた。そんなヘルメスにマリアが近寄り、そっとヘルメスの手と自らの手を重ね合わせた。


「きっと全てを見通していたのだろうな。現にブラッドリーはわたしに接触してきたのだから。でも、ヘルメスがいなければ何もかもがわからないままだった。ヘルメスがわたしについてきてくれてよかった」


 ヘルメスは柔らかく目を細めると、その瞳に涙をうっすらとためた。それから、「久しぶりだ」と呟けば涙を一筋、流した。


「人に求められたのは久しぶりだ。マリアと一緒に来て良かった」


 マリアにもたれかかるように、ヘルメスが肩に顔を寄せた。すると、マリアの耳に嗚咽が聞こえてくる。今までため込んできた悲しみを全て吐き出すように泣くヘルメスは闇夜を裂くような泣き声を響き渡らせる。

 皆は驚いていたけれど、何も言わずその声を聞いていた。マリアも驚いては、いたもののそれ以上にヘルメスの心を少しでもいやすことが出来るのならと、黙って彼の体を支えていた。



「すまない、みっともないところを」


 泣きやんで落ち着いたヘルメスが皆に言えば、皆は柔らかい笑みを携えて首を横に振る。マリアはそっとヘルメスと自分の手を重ね合わせた。


「かまわないよ。ヘルメスにだって感情はあるだろう。悲しいときやつらいとき、いつでも言って欲しい。きっと力になるから」


 それはマリアの本心であった。それに皆もそれに異存はないようで頷いている。それをみてヘルメスは、「ああ」と呟いてから自分がどれほど恵まれているかを実感した。

 疎まれさげすまれ、それでも自らの夢を追い続ける父親を好きにはなれなかったけれど、その父親が自分をここへ導いてくれたのではないかと思えて仕方がない。ただの偶然が運命に変わる――それは、バートの口癖であった。

 こんなときにまだバートの顔も声も言葉も鮮明に思い出せる。

 バートの言ったとおりだとヘルメスが呟けば、マリアが「え」と声を上げる。すると、ヘルメスが目を細めてマリアを見つめた。エメラルドを閉じこめた瞳が、ブルーダイヤモンドの瞳を掴んで離さない。


「親父が『出会うのは偶然だけど、運命に変えるのは自分次第』だとよく言っていた」


「いい言葉だな」


 朗らかに微笑んでマリアが答えればヘルメスもまた微笑んでマリアを見つめていた。すると、ごほんとソロモンが咳払いをしてふたりの間の空気を壊す。二人してソロモンの方を振り向けば、ソロモンの隣にいるレイヴァンの方へ思わず視線がいってしまう。

 それもそのはず、レイヴァンが明らかに様子がおかしいのだ。不機嫌そうにこちらを見ているレイヴァンにヘルメスがハッとした表情になって一気に顔が青ざめた。

 ソロモンがレイヴァンを小突けばレイヴァンは慌てていつものように表情を引き締めた。それを横目で眺めてからソロモンがマリアの方を向き直る。


「姫君は王妃様から何も聞いてはいなかったのですよね?」


 マリアは頷いてみせれば、ソロモンが考え込んで顎に手を当てた。それから、まだ残っている疑問を口にした。


「姫君の双子の片割れは一体、今どこにいるというのか。おそらく陛下も王妃もご存じないのだろうが」


 レイヴァンもふと考え込むように眉間に僅かにシワを寄せる。けれど、それも一瞬でソロモンに頷いて見せた。ソロモンはそれを見て取り頷き返す。


「グレンと名乗った男のことも、何か引っかかる」


「ああ、あの男。なんだかコーラル国の人間ではないな。かといって玻璃国の者でもない。おそらくは、この国の者だ」


 レイヴァンの言葉にマリアが驚いたように瞬きを繰り返してオウム返しに呟く。ソロモンはそれに答えるように頷いて見せた。


「ベスビアナイト国西方の独特の言葉尻でした。それにあの黒髪はこの国特有の黒色です。レイヴァンは特殊ですがグレンは、この国特有のアッシュカラーです」


 言われマリアはグレンの髪色を思い出す。グレンは、レイヴァンのような闇で塗りつぶしたような黒髪はなく寒色系の黒であった。


「だが、あの顔立ちはこの地のものではないのではないか」


 レジーがそういうとソロモンが顔を上げて「ああ」と呟いた後、顎に手を当てて何やら考え込んだ。それから、「確かに」と呟いた後、自分もそれが気がかりであることを告げた。


「あの顔立ちは玻璃国のものでもない。ましてや、我が国のものでもない。それが、どうもひっかかっているのです」


 マリアは驚いて目を見開く。言われてみれば確かにこの国の人たちの顔立ちに似てはいるけれど、どこか骨張っている印象があった。

 マリアがふと声を上げて部屋を出て行った。それから、自分の部屋に戻ると「錬金術」と書かれた本を開いて何やら懸命に読み始めた。

 すると、開きっぱなしだった扉からレイヴァンを筆頭に皆が部屋に入ってくる。


「マリア様、いかがなさいましたか」


「どこかで見た気がするんだが――これ!」


 いって開いたページ。そこに書いている事実に皆が驚いて目を見開いた。


「だが、まさか」


 ヘルメスが額に汗を浮かべて呟けば、ソロモンがありえなくはないと言い切る。マリアも真剣な表情で頷いた。


「しかし、そんなの成功した例なんて見たことがないぞ」


「けれどパラケルススは成功させている」


 凛とした瞳で言い放つマリアの言葉には不思議と根拠がなくとも、そうなのではいかと思ってしまう。けれどヘルメスはありえないと断言した。


「パラケルススだって、本当に成功していたか」


「だけど、わたしはこれ以外には考えられない。実物は見たことがないから自信はないけれど」


 言ったマリアが開いたページ。そこには、挿絵と共に“ホムンクルス”と記されていた。


「ですが、それも可能性の一つとして捉えておきましょう」


 ソロモンが言えば、マリアは小さく頷いた。クレアは本をのぞき込んで、文面に目を通し始めた。


「ええっと作り方は、せ――」


 刹那にクレアが頬を真っ赤に染めて文面から目を離すと本から数歩、後ずさった。ヘルメスとマリア以外は、不思議そうに本をのぞき込み文面を見て一斉に顔が青ざめた。


「おい、ヘルメス。本当にこれが材料なのか?」


「まあ、成功例なんてパラケルスス以外は知らないしな。そのパラケルススも成功したかどうかは実際にはわからないし」


 レイヴァンの問いかけにヘルメスが当たり障りのない返答を返す。ソロモンも疲れたと呟いた後、今日は寝ようと言い部屋へ戻っていった。

 それにつられるように皆も部屋を出て行く。その中でレイヴァンだけが足を止めてその場にとどまっていた。

 皆が出て行ったのを確認するとレイヴァンがマリアの方を向き直る。


「グレンと名乗った男、もしかしたらホムンクルスかもしれませんね」


「うん、だけどヘルメスが言ったとおり、成功例というものはない。それに本では“フラスコ内でしか生きられない”という説もあるからか違うかもしれないけれど」


 レイヴァンがブルーダイヤモンドの瞳を柔らかく見つめて、暖かな笑みを浮かべた。


「たとえ、違ったとしてもこれは一つの仮説ですから。俺は錬金術のことはわかりかねますので、気づいたことがあれば仰ってください。もしかしたら、それがきっかけで何かわかるかもしれませんし」


 レイヴァンの言葉にマリアが頷いて見せた。それから、本を閉じてから小さく微笑んでレイヴァンの手を握る。


「うん、レイヴァンも何か気づいたことがあれば言ってね」


「ええ、もちろん。あなた様のためならば何でもいたしますゆえ。何でも俺にご命じ下さい」


 ありがとう、と呟いたマリアの表情は軟らかい。

 声がすでに少女のそれであったが、二人きりであるからか完全に気が抜けていて言葉遣いすらもただの少女になっていた。そんなマリアを見てレイヴァンは思わず優越感に浸ってしまう。マリアの中の特別に自分がいることに。

 じっと見つめられてマリアが頬を染めた時だった。強い風が吹いて、まるで誰かが窓を叩いているかのように強い音が響いてくる。

 二人して窓の方へ目を向けたが、窓の向こうには闇ばかりが広がっておりバルコニーしか見えない。


「今夜は風が強いな」


 何気なく呟いたマリアの言葉は、どこか切なそうであった。そんなマリアに思わず手を伸ばして抱きしめる。


「レイヴァン?」


 高鳴る鼓動に気づかないふりをしてマリアが問いかければ、レイヴァンがそっと耳元で囁いた。その囁きはどこか切なげで甘ったるい声だった。


「あなたがどこかへ消えてしまいそうで」


 レイヴァンは前にもそのようなことを言っていたな、とマリアが思う。もちろん、マリアはレイヴァンの側を離れるつもりはないのだけれど、自分が側にいて良いのかという疑問がもたげる。

 望んでくれるのは嬉しい。けれど、このままでは好いている人と一緒になれないではないかと考えてしまう。

 瞬刻、酒を呑んだレイヴァンが突然、口づけしてきたことを思い出す。刹那にマリアは頬を一気に紅潮させてレイヴァンの胸の中に顔をうずめた。


(あんなのレイヴァンが覚えているはずがない)


 レイヴァンが素面で口づけしたとは知らないマリアは、自分に言い聞かせた。反して胸の高鳴りは、止むどころか激しくなっていくばかりだ。


(だめだ。レイヴァンに聞かれちゃう)


 思わずマリアがレイヴァンの服を握り締めた。レイヴァンはそのことに気づきつつも何も言わずただ愛おしげにマリアを抱きしめていた。


「マリア様……」


 甘くとろけてしまいそうな声がマリアの耳に届けば、思わず耳まで赤く染めて息を飲んだ。それから掴んでいた服を離してレイヴァンの鍛えられた胸板を手で押した。けれど、それはぴくりともせずにむしろマリアを逃がすまいと強く抱きしめてくる。

 マリアが焦っているとレイヴァンはやはり甘い声でマリアの耳元で囁いた。


「逃げないでください、マリア」


 本来ならば敬称を付けるべきだが、マリアを主ではなく一人の人間として扱っていることを示すために敬称を付けずにただ“マリア”と呼んだ。

 マリアはただ困惑して表情の見えないレイヴァンの感情を読み取ることは出来なかった。


「レイヴァン?」


 そっと名を呼べばレイヴァンがやはり頬をほんのりと染めて少し体を離すとマリアと自らの唇を重ねようとしたが、その寸前でぴたりと止めて体を離した。

 小首を傾げるマリアにレイヴァンは切なげに微笑んで「もう寝ましょう」と言っておやすみとだけ呟いた後、マリアの部屋を出て行った。

 部屋に残されたマリアは力が抜けたように床に座り込んだ。



 部屋を出たレイヴァンは、自らの部屋へ戻るとベッドの上に座り込んだ。


(だめだとわかっているのに)


 いくら戒めてもマリアに触れることを止められない。誰かがあの体に触れようとするだけで嫉妬してしまうけれど、それ以上に自らの心の狭さに呆れてしまうし、何より自分の浅ましさに苛立ちが募る。


(側にいられるだけで我慢していればいいものを)


 けれど理屈と感情は釣り合わないものだ。どんなに望んでも手に入らないものを望んで、その上マリアを困らせてしまった。


(優しいマリア様に甘えて。俺は、どうしたいんだ)


 自分自身に問いかければ答えはやはり初めから決まっていて、その答えがレイヴァン自身を苦しめる。その答えが醜い自らの欲望であることはとうの昔から知っていた。


(マリア様が欲しいなんて、思い上がりにもほどがある)


 自分自身の感情を押し込めようとするけれど、思いはふくらむばかりであった。


***


 王都ベスビアスの王城で若い兵士が慌てた様子でコーラル国、国王バルドルの部屋へ向かった。兵が部屋へ入れば、バルドルは不機嫌そうに兵を眺める。


「どうした」


「それが、兵達が次から次へと病で体調を崩しているようなのです」


「なんだと? ここ近辺で流行り病でも起こっているのか」


「いいえ、病で倒れているのは我が軍だけでこの国の人間はなんともないのです」


 バルドルは話を聞いて険しい顔をさらに険しくさせた。それだけで兵は体を硬直させて背筋をピッと伸ばす。


「医務官はなんと言っている?」


「それがビタミンD欠乏症ではないかと」


「なんだって、そんなことに」


 医務官が言うには、コーラル国は熱い国であるから我々は肌が浅黒いこと。肌が浅黒いと言うことは日光を浴びてもあまり吸収されにくい。だが、ベスビアナイト国は比較的に寒い国で日光がそこまで強くない。そのため、日光を浴びることによって生成するビタミンDが不足し骨密度が減るとのことだと兵は告げた。


「しかし、いまさら本国に戻るにも資金が必要だ。何か方法がないか医務官に尋ねてこい」


 兵は「はい」と返事すると部屋を出て行った。部屋に取り残されたバルドルは顔を歪めた。


(シプリン支城で何があったか確認するために軍を集めて行きたいが、数日ほど前から屈強な戦士どもが体の調子を崩しているし)


 バルドルの言うとおり、体調を崩しているのは主に屈強な戦士達であった。おそらく、兵達と同じくビタミンDが不足しているのだろう。骨がもろくなっていてはいくら元が強くとも、呆気なくやられてしまう。なにより、ベスビアナイト国にも屈強な騎士がいると言うではないか。

 騎士の強さがどれほどのものかバルドルは知らないが、大陸に名を轟かすほどの騎士がベスビアナイト国にはいるのだ。相手の戦力がわからない以上、こちらの動きを見せるわけにはいかなかった。


(さて、これからどうすべきか)


 バルドルが思案顔で策を巡らせていたが、ふと何かが思い立ったかのように目を見開いた。


(まさか、ベスビアナイト国に頭の切れる者でもいるのか)


 ありえなくはない、とバルドルは結論づける。この国の参謀はすでに引退しているが別に亡くなっているわけではないのだ。あの人物がもしシプリン支城を偶然にも訪れて知恵を貸しているのだとしたら。


(もしそうであれば、シプリン支城から進軍してきてもおかしくはない。だが、向こうは何もしてこない。油断を誘っているのか? それとも、もっと別の理由か。時期を見計らっているのか)


 バルドルがそんな風に思っていると扉が叩かれた。その音に返事を返すとグレンが現れる。


(こいつも、何を考えているかわかったものではないな)


 元々、コーラル国の人間ではないグレンを疑わしそうにバルドルが眺める。その視線を感じ取ってグレンは小さく肩をすくめて見せた。


「そんなにわたくしめが信用なりませんか」


 何も企んではいないと訴えるかのようにグレンがバルドルを見つめて答えた。すると、バルドルは視線を外して溜息を吐き出した。


「お前はこの国に恨みがあったのだったか」


「ええ。そのためにあなた方と共に来たのです」


 当たり前の当然のようにグレンが答えたけれど、バルドルは腑に落ちない表情だ。

 いくらベスビアナイト国の国王に恨みがあっても、コーラル国を裏切らない理由には成り得ないのだ。バルドルがグレンを疑うのも納得できる。

 まあいい、と呟いた後でバルドルはグレンにどうしたのかと問いかける。


「実はコーラル国の兵力が半分以下になってしまっていますがいかがいたしますか」


 そのことか、とバルドルは心の中で溜息を吐いた。そのことで今まさに頭を悩ませているというのにとグレンを思わず恨みがましく見つめればグレンが小さく笑った。


「そのことで今、悩まれておいでだったのですか」


 心が見透かされた気がしてバルドルはいい気がしない。思わず顔を歪めた。


「なあに、シプリン支城もエイドス支城も身動きできないでしょう。クラシス要塞が崩れた今、彼らの戦力はだいぶ減っているでしょうから」


 あくまで客観的に告げるグレンに一理あるなと思わずバルドルも思ってしまう。それに行方知れずの王妃を除いて国王は地下牢につないであるし、一人息子はラースが崖から落としたという。脅威になるとすれば王妃が挙兵してここへ攻め込んでこないかであるが、そこまで重要視しなくても良いだろう。王妃といえど、たかが女だ。そこまでの度胸を備えているとは到底思えない。


「それもそうだな。もう出て行ってもよいぞ」


 バルドルがそう言えばグレンは不敵に嗤ってから部屋を出て行った。その背を眺めながらバルドルは、不気味で何を考えているのかわからない彼に少しばかり戦慄を覚える。それがなぜなのか、バルドル自身もわかってはいなかった。



 部屋を出たグレンは「これからどうしようか」ということを考えていた。バルドルにはああいったが、正直言って攻め込んで来ない確証はない。

 こちらの戦力を向こうに見せないためにも何か策を講じる必要がありそうだと考えていた。そんなグレンに背後から一人の男が声をかけた。


「あれ、グレン。陛下に何かご用でもあったのか」


 グレンが振り返るとそこには、グレンと共に客将として招かれた玻璃国の将軍・ヒデがいた。


「なんだ、ヒデか」


「なんだとはなんだ。で、陛下に何を言いにいっていたんだ」


 そう言われグレンはコーラル国の兵達が体調を次から次へと崩していっていることを告げた。それを聞いてヒデは「ああ」とぼやいて天井を仰ぐ。


「これからだって時に体調を崩していっているものな。国王はどうこのピンチを乗り切るつもりなのやら」


 ヒデの言葉にグレンも頷いて見せた。それから、別の栄養の供給源を見つけるつもりだろうと告げる。ヒデも賛同して頷けば小さく笑ってグレンを見つめた。


「お前がコーラル国の王に進言するとはな。少しなりとも、情が芽生えたのか」


 グレンは顔を歪め難しそうな表情を浮かべる。


「俺にはわからぬ。前にも言ったが、俺には“何かが”足りない。お主等の言う感情というものも」


「だが、お前いってたよな。自分が何者なのか知りたいと。それはもう立派な感情ではないか」


 ヒデが柔らかく微笑んで言えばグレンが驚いたように目を見開き、嬉しそうに少しだけ頬を綻ばせた。表情の変化は微々たる者であるが、ヒデには手に取るようにわかる。

 ヒデはまだ幼いときからグレンと一緒にいたのだ。ほぼ表情のないグレンの感情を出会った当初はわからかったが、ずっと側にいれば微々たる変化しか表に出ないがわかるようになったのだ。


「なんだ」


 にこにこと微笑みを浮かべるヒデを怪訝に思いグレンがそう声をかけるとヒデは「いや」と呟いた後にグレンの肩をぽんと叩いた。


「あんたが一体何者であるか、俺も知りたい」


 それだけ言うとヒデはその場を去っていった。その場に取り残されたグレンは、ヒデの背中をじっと眺めたあと、ふっと息をもらした。


「お前もとんだ物好きだな」


 言葉は誰に届くこともなく宙に消えた。


***


 数日後、ギルとクライド、それからエイドリアンがほぼ同時にシプリン支城へ戻ってきた。


「皆、無事でよかった」


 広間に通された三人を迎えたのは安堵の表情を浮かべたマリアであった。その表情を見ると三人は同様にほっと息を吐き出して「もちろんですとも」と答えて恭しくマリアに頭を下げた。マリアの隣に控えているレイヴァンとソロモンもどこか柔らかい表情を浮かべている。

 あとから、部屋に大柄の男と筋肉質な男が部屋へ入ってきた。その男二人はマリアに跪いた。


「クラシス要塞から何とか脱出して参りました。領主オットーの嫡男ディルクと申します」


 大柄な男ことディルクがそう言った後、筋肉質な男も口を開いた。


「エイドリアン様からの知らせ受け、ザンサイト要塞より領主である父に代わり参りました。ドミニクと申します」


 二人にマリアが王族らしく微笑んで見せた。


「遠くから来てくれてありがとう。この国を取り戻すために力を貸して欲しい」


 マリアの言葉に二人はもちろんと答えてくれた。けれど、その言葉は薄っぺらな言葉にマリアは感じたのだった。


(初めてあったのだし、仕方ないのかもしれない。これから、信頼関係を築けることが出来れば)


 そんな風に思いつつマリアは二人を下がらせる。二人が部屋を出て行ってからギルとクライド、エイドリアンの方を向いた。


「エイドリアン、向こうでの話を聞かせていただきたい」


「わかりました。クラシス要塞のことは聞いているとは思いますがすでに落とされ、コーラル国の兵が略奪行為を行っていました。なので、途中であったディルクと共にザンサイトへ向かいました。ザンサイト要塞の主であるアルノルトは快く受け入れてくださり、王子に力を貸すとのことでした。領地を離れるわけにはいかないので嫡子であるドミニクをこちらに寄越してきました」


 マリアはそれを聞いて小さく頷く。それから、ギルとクライドの方へ向けばギルが口を開いた。

 そして、王都が随分と荒れていること。またそこでバルビナという女性に会ったこと。王妃に出会い、マリアの話を聞いたことを告げた。すると、ソロモンも三人がいない間にマリアに話したことを話した。

 すると、ギルが考えるように顎の手を添える。


「へえ、じゃあ姫様には兄弟がいたってことか。王妃が隠していたことはそれだったのか」


「ええ、そうでしょう。ですが、それだけではない。姫様が王子として育てられた理由が男に渡したくないなんて理由だけではないだろう。それも一理あるとは思うが」


 陛下ならありえるとソロモンが付け足す。だが、それ以上の何かがあるとも付け加える。その言葉に皆が賛同の意を示した。理由はわからないが、マリアを男として育てられた理由は別にあると皆が考えているらしかった。

 それはあとにして、とソロモンが空気に切れ目を入れて流れを変えた。


「姫様、動き出すのなら今です」


「なぜ、そうわかるんだ」


 ギルが何気なく問いかけるとソロモンが不敵に嗤って答える。


「今日、通りかかった行商人から聞いた話だが、コーラル国の兵達が体の調子を崩しているらしい」


 ソロモンの見解はこうだった。コーラル国は暑い国なので寒い国であるベスビアナイト国の気候が体に合わないこと。また日光浴不足でビタミンDが足りていないことを告げた。


「おそらく、それらが原因で体調を崩している兵士が多い。これは好機です」


 マリアも頷いて見せた。それから皆の顔を見回して力強く告げた。


「国を取り戻すために今すぐにでも準備を」


 凛とした青い瞳は、強い意志をそこに宿していた。

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