第二十五章 寂寞

 マリアにソロモンが、小さく頷いて微笑んで見せた。


「これからのことはまた後で。今日も稽古をなさるのでしょう」


 ソロモンが言えば、レイヴァンが頷いてマリアと共に外へ出た。それから、クライドはマリアのあとを追うように出て行き、エイドリアンは凝り固まった肩をほぐすように回しながら部屋を出て行く。

 ギルとソロモンだけが部屋に残っていた。他の皆が部屋を出て行ったことを確認するとギルが口を開いた。


「なあ、姫様が王子として育てられ始めた理由。前に知っているとか言ってなかったか? それにレイヴァンに『仕える覚悟』がどうのって話してはいなかったか」


 ソロモンは小さくを口角をあげたあと、小さく笑った。


「残念ながら、それは知らない。だが、知っているか。姫様の戸籍はあっても、片割れの戸籍は無いんだ」


「それってどういうことだ」


「それで、俺は考えたんだ。もしかすると、双子の片割れではなく人造人間ではないか、と」


 これはあくまで憶測だ、と告げてソロモンが口を開く。

 王妃は自分の子がブラッドリーによって誘拐されるのではないかと考えた。そこで、ホムンクルス(人造人間)を産みだし、身代わりとした。すると、案の定ブラッドリーは現れて“そのどちらかを誘拐した”。


「ちょっと待ってくれ。それだと、まるで姫様がホムンクルスかもしれないと言っているようなものではないか」


 ソロモンが小さく頷いた。


「可能性が無いわけではないだろう。人造人間を王妃様が生み出せると仮定しての話であるから確証はない。だが、戸籍がないのはおかしい」


 確かにとギルも頷いて考え込んだ。二人の間に沈黙が降りる。ふとギルがソロモンにレイヴァンにも言ったのかと問いかける。

 すると、ソロモンが小さく頷いて肯定の意を示した。


「まあ、これは仮説の域を出ないからな。レイヴァンも信じている様子ではなかった。俺も正直言って姫様が人造人間とは思えない。もし、王妃様が人造人間を作っていたのなら誘拐されたのは人造人間の方だろうな」


 それを聞いてギルは、どこかほっとしたような表情を浮かべる。それを見てソロモンが自嘲気味に笑う。


「王も王妃も何も仰ってはくださらないから、どれも仮説だ。もしかしたら、もっととんでもないことをお二人が隠している可能性だってある」


 にやり、とソロモンが意地の悪い笑みを浮かべてギルを見つめた。その視線に思わずギルが息を飲む。次にソロモンの唇から紡がれた言葉は、どこかぞっとした。


「なんといっても、守人達が『王』と呼ぶ人間なのだからな」


 守人の一人であるギルが寒気を覚えるほどにその言葉は深く心にのしかかる。

 『我らが王』逃れられない運命。いにしえの盟約と呼ばれるものが、〈眷属〉と呼ばれるものと守人達を縛り付ける。何者かも知らない『王』という存在。だが今、自分が守るべき主であるマリアはただの弱い少女で何者でもなかった。


「『王』ね」


 ギルがぼそりと呟く。運命の大きさに時折、溜息を出してしまいそうだ。けれど、マリアは気丈に振るまい笑顔で自分たちを迎えてくれる。時折、ハッとさせられるほど強い意志を見せる。そんな彼女に惹かれるのは守人だからなのか、彼女の持つ何かがそうさせるのか。

 思わずギルが笑みを零した。ソロモンが不思議そうに視線を投げる。


「姫様は、ただのか弱い女の子ですよ」


 いってギルは部屋を出て行った。ひとり残されたソロモンは、くつくつと笑った。


「ただの女の子か。守人は皆、そう言うんだな」


 実はレイヴァン以外にも守人達に今の話をしたことがある。すると、レジーもエリスもクレアも同じように返したのだ。ただレイヴァンだけは違っていた。


『マリア様は俺にとって大切な人だ。何者であろうとも』


 もはや忠誠心など超えている答えであった。マリアが聞いたら、言葉に出来ないくらい喜ぶことだろう。


「まったく皆、気持ちは決まっているんだな」


 呟いたソロモンの言葉は宙に溶けた。



 マリアはレイヴァンと剣を交えていた。剣を握るマリアの手は日に日に鋭さを増しており、レイヴァンも気圧されるほどであった。けれど、技術はまだまだ半人前なのでマリアの剣を受け止めるのは容易かった。

 弾かれたマリアの剣は鈍い音を立てて地面に落ちる。すると、マリアは「またか」と思って剣を拾うと鞘へ戻した。


「レイヴァンみたいには出来ないな」


 ぼそりと呟いたマリアの言葉は、レイヴァンにも聞こえて思わず小さく笑う。それから、「もちろん」と言ってからマリアに近づいた。


「あなたが俺を超える事なんて出来ませんよ」


 むっとしてマリアがレイヴァンを睨み付けたけれど、その様子すら可愛らしくて堪らないという表情で愛おしげにマリアを見つめていた。


「やってみないとわからないではないか」


「いいえ、あなたは俺を超えられません。俺が保証します」


「保証するな!」


 マリアが思わずそう返すとレイヴァンがマリアの顎に自らの指を絡め、自分方へ向かせた。その手つきは柔らかく優しい。

 思わず頬を染めてマリアは視線を少しずらした。そんなマリアの耳元に唇を寄せて――


「あなたが俺を超えられないことを証明しますよ」


 甘い声で囁かれればマリアは頬を真っ赤に染めたけれど、不機嫌そうに唇を尖らせて「いじわる」と呟いた。声はすでに少女のそれであったが、レイヴァンは嬉しいのか頬を染めて頬に口づけを落とすと体を離した。

 そのとき、エリスとクライドが二人の元へ来た。


「エリスにクライド、どうかしたのか」


 マリアが問いかけると二人は、スッとマリアに跪く。マリアは、ぎょっとして辺りを見回した。やはり辺りにはこの支城の騎士がぐるりと囲んでこちらの様子を見ていた。


「潮時だと、ソロモンが申しております」


 呆然としたマリアにエリスが告げる。


「あなた様がこの国の王子であることを告げるときが来たのです」


 刹那に、騎士達の間で動揺が起こる。けれどマリアはそれに気づかないふりをして頷いて見せた。


「わかった」


 それから、エリスとクライドに案内されるままに謁見の間へと向かう。レイヴァンもマリアの後ろを歩く。

 すると、そこにはこの支城で勤めている貴族の姿が見えた。その貴族達は赤い絨毯を避けて両側にずらりと並んで控えている。そんな貴族達はマリアをいぶかしそうに見つめる。その先にある赤い絨毯の上に置かれた主が座るべき椅子が空席になっており、その隣にバルナバスとカミラが立っていた。

 マリアはためらうことなく真っ直ぐに椅子の方へ向かう。レイヴァンはそっと足を止めてそれから、階段の下にいたソロモンの隣に控える。

 マリアは椅子の前まで来るとくるりと貴族達の方を向いた。


「わたしはクリストファー・M・アイドクレーズと申します」


 マリアが名乗れば貴族の間に動揺が走る。すると、生きておられたのかという言葉や亡くなったのではなかったのかという言葉が飛び交う。その台詞達にムチを打つようにバルナバスが持っていた錫杖で床を叩いた。たちまち、謁見の間に強い音が響き渡る。すると、水を打ったように静まりかえった。

 ソロモンが一歩前に出て貴族達を眺めて言葉を紡いだ。


「今まで隠していたことはお詫び申し上げます。しかしながら、コーラル国にこちらの勢力を見せないためにも隠す必要があったのでございます」


「しかしなぜ、我々にまでかくしておったのだ。我々は王子が亡くなったと聞き、国を救うことが難しくなったと嘆いておったのだぞ」


 ヒゲを生やした初老ぐらいの貴族がそう言えば、ソロモンは素直に頷いて見せた。


「確かにそうです。ですが、向こうはこちらに潜り込むことに関しては長けている。それを恐れての事です。皆様を疑っていたわけではございません」


 さて、と呟いてソロモンがいたずらっ子のような笑みを携えて貴族達を眺めた。思わず貴族達はソロモンを見つめて背筋を伸ばす。


「エイドス支城とザンサイト要塞に文書を送りました。王都へ向かうため、準備を行うためあなた方にも王子の存在を明かしました」


「それで、我々にどうしろと」


 貴族の一人が問いかければ、ソロモンが真剣なまなざしで貴族達を見回した。


「もちろん、国を取り戻すために力を貸してもらいたいのです」


 マリアも大きく頷いた。ソロモンはマリアの方を見た後、また貴族達の方を振り向く。

 ソロモンはにやりと口角を上げて、まるで楽しいことがこれから起こるような表情を浮かべていた。その表情に貴族達は思わず寒気を覚える。


「詳しい内容は後で話すことにいたしましょう。王子、作戦の内容を話したいのであとで応接間に来ていただけますか」


「わかった」


 それだけ言ってソロモンは貴族達の方へ向かうと何やら話し始める。エリスはマリアを連れて部屋の外へ出て庭へと出るとそこには騎士長の命令で集められた騎士達がいた。その中にはラルスもいた。

 マリアは極力、威厳を保つようにしながら言葉を紡ぎ自ら王子であることを告げた。動揺が走る中、ラルスだけはどこか納得したような表情を浮かべていた。


「皆の力をわたしに貸して欲しい。いいだろうか」


 マリアの言葉に騎士達は沸き上がり、快く受け入れた。それがどこか嬉しくて、マリアが笑みを零す。


「ありがとう、みんな。これから、大変だと思うけれどわたしについてきて欲しい」


 歓声が沸き上がった後、少し経って散り散りになる。けれど、ラルスだけはその場にとどまって騎士達がいなくなったのを見届けるとマリアに近づいた。


「お前いや、王子様。やはり王族だったのか」


「今まで隠していてすまない。だけど、わたしが生きていることはあまり広く知られるべきではなかった。向こうは何としてでもこの国全土を支配したいだろうから」


 マリアの言葉にラルスが頷いて見せた。


「でしょうね。向こうは焦っています。これは好機ですよ」


 小さく笑ってマリアがラルスを見つめる。ラルスはマリアの笑顔に見とれるように頬を少しだけ赤く染めて見つめ返した。


「ラルス、もしや策士の才能でもあるのではないか」


「とんでもございません。あのソロモン様にはとても敵いませんよ」


 苦笑しながら答えるラルスの手をマリアが握る。思わずラルスが驚いてマリアを凝視してしまう。


「ラルス、どうかわたしについてきてくれないか」


 すると、ラルスが微笑みを浮かべる。


「ええ、もちろん。こんなわたくしめを気にかけてくれる方を誰が見放しましょうか。ここに忠義を誓います」


 告げてラルスはマリアに跪く。レイヴァンほどではないにしても慣れた動きであった。それを見てマリアは嬉しくも思うし、逆に自分が背負っている物の大きさをまた実感する。

 そこへ、ソロモンの元を離れたレイヴァンが来た。マリアに忠義を誓うラルスの姿にレイヴァンはどこか複雑そうな面白く無さそうな表情を浮かべている。そのことに気づいてエリスがレイヴァンに近寄った。


「守人でなくとも、皆王子に惹かれるのですね」


「そうだな。だが、またクリス様が遠い存在になってしまった」


 寂しげに答えたレイヴァンの言葉はエリスの耳にも届いていたが、どう声をかければよいのかわからず口を噤む。


「何も知らずただ俺に守られていた頃のマリア様ではない、か」


 呟いたレイヴァンの言葉に、エリスが顔を上げる。それから、凛とした瞳で黒い騎士を見つめた。


「強くあろうとしておられる。それは、良いことなのではないですか」


 エリスがレイヴァンの様子を伺いながら言うと、レイヴァンが小さく笑い口角を上げる。急に雰囲気そのものが変わったからエリスは驚いてしまう。


「そうだな、そうでなくてはおもしろみもない」


 ソロモンのように悪戯な笑みを浮かべるレイヴァンに、エリスが「友というものは似通っているのだな」と思ってしまう。そんなエリスを余所にレイヴァンは心のどこかでどうマリアを手に入れようかと考えていた。

 すると、そこへソロモンも来た。どうやら、貴族達への話が終わったらしい。


「どうだ」


「なかなか好感触なるぞ」


 レイヴァンの問いかけにソロモンが面白そうに答えれば、レイヴァンもまた小さく笑う。それから、マリアの方へ視線を戻した。ソロモンもマリアの方に視線を向ける。すると、マリアはラルスからレイヴァン達の方へ視線を向けたと思えばこちらに駆け寄ってくる。


「もう話は終わったのか」


「ええ。しかし、王子様。ずいぶんとそちらの騎士殿と仲良くなられたのですね」


「ああ!」


 無邪気に笑うマリアにソロモンが釘を刺すように言葉を紡いだ。


「信頼を築くことは大切です。ですが、あなた様には一人の兵ではなく全体を見ていただきたい。言っている意味はわかりますよね?」


「ああ、わかっているよ。だけど、全体を見るばかりでは見えてこないものもあるのではないだろうか」


 マリアの言葉にソロモンが僅かに息を飲んで、口角を上げたと思ったらくつくつと嗤い始めた。


「そうですね。あなたの言葉ももっともです。けれど、どうかお忘れ無きよう」


 それだけ言うとソロモンは、立ち去った。背中を眺めてからマリアがレイヴァンの方を見つめる。


「来ているのなら、声をかけてくれれば良かったのに」


「いえ、俺が入れる様子ではなかったので」


 言ってマリアの後ろにいるラルスに、視線を投げかけた。思わずラルスは背筋をただして、レイヴァンの方を向き直り、軽く自己紹介をする。

 レイヴァンはラルスに自らも名乗り、これからよろしく頼むと言った。

 それだけで嬉しいのかラルスは嬉しそうに頬を綻ばせる。やはり、レイヴァンは騎士達にしてみればあこがれの存在なのだろう。あの何に対しても興味の無さそうなラルスがレイヴァンに対して憧れのまなざしで見ているほどなのだ。

 マリアは詳しい事情は知らないけれど、レイヴァンが正騎士の中でも特異な存在であることは認識していた。

 城にいた頃はレイヴァンの方からマリアの部屋へ来ていたし、城を追われてからは少数人で旅をしていたから気づかなかったがレイヴァンは騎士からこんなにも敬われている。正騎士というだけでなく、レイヴァンが特別なのだ。

 マリアがそう認識するのに数秒とかからなかった。どこか遠い存在に感じてマリアがどこか寂しげに顔を伏せる。すると、そんなマリアの後ろからギルが現れて問いかけてきた。


「どうかしましたか」


「わかっていたことだけれど、レイヴァンはやっぱり遠い存在なんだなって思って」


 マリアの言葉にギルがふむふむと頷いて心の中で「嫉妬か」と呟く。口に出してみても面白いけれど、今は口には出さずに心の中だけにとどめておく。

 マリアをからかうのも面白いけれど、それ以上にレイヴァンを嫉妬させる方が容易いし面白い。そう結論づけたギルがニヤリとどこかいやらしい笑みを携えてマリアの手を取った。


「王子、もうここには用がないのなら俺と遊びましょうよ」


「でも、わたしは」


 言いよどむマリアの手をギルが強引に引っ張る。


「だって、王子。ずっと休んでおられないでしょう? たまに息抜きしたぐらい、誰も咎めやしませんよ」


 尚もマリアが言いよどんでいるとギルの後ろからクレアが現れて今度はクレアがマリアの腕を取ってきた。


「王子! ギルが嫌なら、私とどこか出かけましょう。むさ苦しい男なんかよりも女の私の方がいいでしょう? それに男なんて汚らわしいんですから」


 後半はただの男をけなす言葉になってしまっているクレアであるが、彼女なりにマリアに気を遣っているのだろう。それに“汚らわしい”とかいいながら、何だかんだと世話焼きなクレアなのだ。一番、ギルや周りのみんなを気遣っている様子もよくマリアは見かけていた。


「ひどいな~、クレアちゃん。あんなにあの時は、俺のこと心配していたのに」


 軽い口調のギルをクレアがギッと睨み付けたけれどギルには効果がないようで相変わらずの不敵な笑みを浮かべていた。

 それから、なにやら二人は言い合いを始める。といっても、ギルは変わらない不敵な笑みを浮かべたままであるしクレアは反論しながらも心を許しているかのようなただの照れ隠しであるような言葉をぶつけるばかりだ。


(いつの間にこんなに仲良くなったんだろう)


 マリアが二人を眺めてどこかほほえましそうにしていると左隣にレイヴァンとラルスが来た。


「まったく、あの二人は仲が良いのか悪いのか」


 溜息混じりのレイヴァンの言葉にマリアが苦笑を浮かべる。そんなマリアの右隣にソロモンとエリスが来た。


「仲が良くなくてはきっとケンカも出来ぬだろうよ」


 ソロモンの言葉にマリアが頷く。それから、よかったと呟けば四人がマリアの方を見つめて小さく笑みを零した。それから、四人が二人の方へ視線を戻せば相変わらず言い合っている。それを眺めてマリアがぽつりと呟いた。その表情は羨望にも似ていた。


「いいなあ。わたしも、あんなふうに言い合える人が欲しいなあ」


 四人はマリアの様子を伺うように横目で眺める。それから、ギルとクレアは言い合うのを止めてマリアの方を向き直った。


「いいことなんてないですよ、王子!」


「いつか出来ますよ王子にも」


 前者がクレアで後者がギルだ。相変わらず真逆のことを言う二人だとマリアは苦笑する。


「そうだな。いつか、気兼ねなくわたしにも皆が言ってくれるようにがんばらないとな」


 笑顔で言ったマリアの言葉に皆が目を瞬かせた。けれど、ギルは笑みを零してマリアを小さな子どもにするように頭を乱暴に撫でた。


「そうですね~、王子はまだこんなに小さいですもんね」


「気にしてるのに」


 思わず恨めしそうにマリアが言えばギルは笑顔を浮かべた。


「そのままでいいですよ、王子。あなたにしか出来ないことが今、ここに山ほど積み重なっているのですから。みんなの王子でいてください」


 ギルの言葉は優しい。けれど、マリアはそれが何だか悔しくてふて腐れて唇を尖らせた。


「ギルって本当、わたしが欲しい言葉をくれるけれど何だかむかつく」


 そう言ったマリアの隣でレイヴァンがどこか不機嫌だ。それを眺めてからギルはニヤリと笑うとマリアの肩をがっちり掴んだ。


「じゃあ、俺だけの王子になってくれますか」


「え?」


 呆然とマリアが呟いた後、レイヴァンがますます不機嫌になって今にもギルに掴みかかる勢いだ。だが、ソロモンから「マリアを縛るようなことは出来るだけするな」という言葉が効いているからか手を剣の柄にかけるだけでとどめている。それにギルの言葉が本気ではないことはわかっているので何とかとどめているのだろう。

 もしギルがマリアを押し倒したことを知ったらギルはこの世から抹消されることであろう。ただでさえ、ギルはマリアをかまうからレイヴァンから怒りの矛先を向けられることが多いのだ。

 命の危険を感じつつギルは、それでもマリアをかまう。それは彼なりの優しさであることをソロモンはちゃんと見抜いていた。

 ふとギルがラルスの方を見るとラルスはどこか青ざめた顔でギルを見ている。そこでハッとした。


(そういえば、こいつは姫様が女だって知らないんだったな。絶対、俺のこと勘違いされてる)


 ギルは思わずパッとマリアを離した。小首を傾げたマリアだったけれど、ラルスの様子に気づいてギルと同様ハッとして青ざめる。


「じゃあ、これで」


 言ってギルは逃げるようにその場を去っていった。そのあとをクレアが追う。そんな二人を見てレイヴァンが溜息を零した。


「まったく、何のためにここへ来たやら」


「おそらく王子が心配で元気づけてやろうと思ったんだろうな。今まで皆に黙っていたことに王子が後ろめたさを感じているのではないかとか、思って。二人とも、よく似ていてとても心配性だからな」


 いったあとで、レイヴァンとエリスは過保護だがと付け加えた。するとレイヴァンとエリスが心外そうな表情を浮かべる。

 そのとき、空からふわふわと白い雪が降ってきた。それにともなって、冷たい風が吹く。その風はマリアの脇をすり抜けて、たちまちマリアの体温を奪ってしまう。思わずマリアが身震いすると、エリスはマリアに近寄り手に持っていたベルベッティーンの上着を掛けた。


「そろそろ、寒いでしょう。これを」


「ありがとう、エリス」


 マリアが微笑んでエリスを見ればエリスは頬をほんのりと染めて僅かに視線をずらす。


「いえ、お体に悪いですから」


 年相応の少年らしい反応にソロモンがほほえましそうに微笑んだ。エリスはマリアと年も近いのもあってマリアはすぐにエリスに馴染んでいたなあと思い起こす。守人であるというのも一理あるかも知れないが。

 前にエリスが言うには、主をどうしても悪く思えないらしくひいき目で見てしまうとのことだった。守人という役目がそうさせているのか自分自身が彼女に惹かれているのかどうかもわからないらしい。


(守人というものは、一体なんなのだろうな)


 ふいにそんな疑問が浮かぶ。

 守人とは、神話によると『王』に仕えた者のことで『眷属』を守る者のことをいうようだが、これでは『眷属』の守人と言うよりも『王』の臣下に近い。

 神話がどこまで本当かもわからないが、守人という存在がある以上、嘘だとも言い切れないのも事実である。 しかも、昔は守人というだけで“まつりごと”を行う権限があったぐらいだ。そのせいもあってか、昔は守人と偽る人間も大勢いたとか。けれど実際の守人は表舞台に出ることをよしとせず、ただ主のために尽くしているような忠実な人間が多いように見受けられる。

 今の守人達がそんな人間と言うだけかも知れないが。そのとき、ふと守人探しを陛下から命じられ最初にあった守人のことを思い返す。彼はひどく何かに怯えているようにこちらを威嚇してきた。


「なんだって、守人何ぞを探している。その陛下とやらは守人の力を使ってこの世を支配でもしようとお考えか」


 彼の考え方ももっともだ。けれど、陛下がそんなつもりではないことはわかっていたから彼に正直に考えを述べた。すると、ギルとほぼ同じような答えを返してきた。


「そんなのただの迷惑だ。放っておいてくれ」


 言って彼は去ってしまった。けれど、もしかしたらマリアと一緒にいれば彼とまた会うことになるかも知れない。

 ソロモンは小さく笑うとマリアを見つめた。柔らかい笑みを携えたマリアは『王』と守人から呼ばれていながら気取らず、むしろ臣下であるはずの周りの人間の顔色をうかがい皆の役に立とうとしている。それが、守人でなくとも彼女に惹かれる理由のひとつであろう。

 隣にいるレイヴァンもマリアをじっと見つめていた。レイヴァンが異常なことはわかっているが、彼の気持ちもやはりわかってしまうのだ。彼女から目が離せない。武器すら持ったことのない少女に過ぎない彼女は、自ら武器を持つことを決めた。それがたくましくもあり、危なっかしい所でもあるのだ。けど、それがレイヴァンからすれば愛おしいところでもあるのだろう。

 ソロモンはくつくつと笑ってマリアを見つめた。


(本当にこの方は、どうしようもなく我らを魅了する)


 マリアは不思議そうにソロモンを見ていたけれど、すぐに笑みを浮かべてにっこりと微笑んで見せた。


***


 王都ベスビアスの城下町にいるバルビナは、王妃アイリーンと共に荷物をまとめていた。


「王妃様、本当に一緒に行かれるのですか」


「ええ、もちろん。この国を救いたいのは私も同じだもの。マリアだけに危ないことをさせられないわ」


 答えたアイリーンは分厚く布を纏い、カバンいっぱいにランプやら日持ちする瓶詰めやらを詰め込んだ。


「さあ、行くわよバルビナ。シプリン支城へ」


 決意を固めたアイリーンを止める術をバルビナは、残念ながら持ち合わせていない。思わず嘆息しかけるのをグッとこらえ、荷物を持ち上げた。

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