第二十二章 はかりごと

 マリアはレイヴァン、エリスと共にソロモンの元を訪れた。すると、待っていたとばかりにソロモンが口元に含み笑いを浮かべる。それを見てレイヴァンが疲れたような表情をした。


「お前、さては初めから知っていたな」


「はて、何のことだろうか」


 とぼけたように言うソロモンにレイヴァンが僅かに眉を寄せた。隣にいるマリアは、はらはらとしているのに対し怒りの矛先を向けられている本人は笑い出しそうな表情を浮かべていた。


「まあ、そう怒るな。なあに、向こうは早くこの国全土を支配したいだろうからな。守らざる所は、まだ多くある」


 もったいぶるように言うソロモンに、レイヴァンがやはり「早く言え」と視線を投げかける。それを受けながらも自分のペースを崩さないソロモンは大物だなあとマリアがふと思った。

 すると、ソロモンが椅子から立ち上がりマリアに近寄る。


「王子、あなたはどうか慌てなさらぬよう。君主であるあなたが憔悴しては軍のまとまりも付かぬ。とにもかくにも、現状を把握することが先決です」


 ソロモンの言葉にマリアも険しい表情で頷いた。それを見てソロモンがフッと表情を和らげる。


「伝令兵から直接話を伺ってみましょう」


 マリアも頷き医務室にいると聞いて医務室へ向かった。医務室には、体中にけがを受けた中年ぐらいの兵がいた。マリアはその兵に近寄る。


「これは王子様。よくぞご無事で」


「ああ、お主もよく無事であった。それでクラシス要塞で何があった」


 マリアが問いかければ兵は、まっすぐにマリアを見つめて話し出した。

 兵が言うにはコーラル国の何十もの兵が押し寄せてきて一気にたたきのめされたという。

 自分は何とか主の命を受け、伝令するためにここへ来たので生き延びることが出来たが、他の仲間はどうなったのかわからないという。


「そうだな、城の主は捕らえられたか、その場で殺されたか」


 マリアが僅かに顔を伏せる。それから、感情を押し殺すと兵を見つめて言葉を発する。


「ありがとう。危険を冒してまで教えてくれて」


 告げるとマリアは医務室を出て行く。その後ろをレイヴァンが追った。残された兵とソロモン、エリスの間にはしばしの沈黙が訪れた。それを破るようにソロモンが問いかける。


「相手はどれほどの兵力であった?」


「歩兵が四百といったところでしょうか。騎馬兵は五騎ぐらいでした」


 ずいぶん舐められたものだ、とソロモンが独りごちればエリスが険しい表情をしてソロモンを見る。それから、ソロモンに問いかけた。


「いかがいたしますか」


「おそらく、この支城を落とせなかったことにより向こうも何か動き出すだろう。我らから妙な動きをするわけにもいかぬからな。こちらの戦力を向こうは知らないだろうから、こちらの戦力を隠すのがよいだろう」


 エリスは答えるように小さく頷く。それを見やりつつソロモンはどうしようか、と考えていた。そんな彼の頭の中ではいくつか謀が思い浮かんでいたのかもしれない。



 医務室を出たマリアは中庭へ出ていた。どこか悲しげなその瞳には、すっかり夜になった闇色の空が映り込む。刹那に冷たい風がマリアの体を吹き抜けて、足下の冬に咲く花の花弁を散らして上空へと舞い上がらせる。その花弁を青い瞳に映して切なげな表情を浮かべれば後ろから後を追っていたレイヴァンが声をかける。


「マリア様、お部屋に戻られませんとお体に悪うございます」


「ああ、わかってる。ここも落とされていたのかもしれないんだな」


「ええ、そうですね。コーラル国は一刻も早くこの国全土を支配したいでしょうから。ですが、マリア様。向こうはマリア様が生きていることを知りません。これはこちらとしての切り札なのです」


「うん、わかってる。だけど、わたしはやはり弱いから」


 呟いたマリアの言葉は風にさらわれてしまいそうなほど小さい。けれど、レイヴァンは聞き逃すことはなかった。


「いいえ、あなた様はお強い」


 マリアの背後から凛とした声が空気に触れ、大地を揺るがすが如く強く響いた。導かれるようにマリアが振り向けば、レイヴァンが恭しく跪いた。


「我らのため、民のため剣を持ち戦おうとするあなたを誰が弱いなどと申しますか。あなたを弱いなどという輩がいれば、誰であろうと俺が切り捨てます」


 後半は冗談で言う彼にマリアが小さく笑って「それは止めて」と言った。それから、ありがとうと呟くと空に舞い上がる花弁を見つめる。花弁は闇の空へと舞い上がり、闇夜を守るように輝く月の元へと行った。


「マリア様、そろそろ戻りましょう」


 レイヴァンが声をかければ、マリアが「ああ」と呟いて月に背を向けて歩き出した。立ち上がりレイヴァンもマリアの少し後ろを行く。

 支城の中へ入るとそこには、クレアとクライドがいて何やら話をしていた。いつの間に仲良くなったのだろう、とマリアが思っているとクレアがマリアに気づいて二人して駆け寄ってくる。


「王子、こんなところにおられたのですか」


「どうかしたのか」


「いえ、先ほどから大地の声が聞こえるので。もしや、何かあったのではないかと」


 マリアが目を見開く。それから、少し不安そうな表情を浮かべた。そんなマリアを見てクレアが慌てたように手をぶんぶんと振った。


「いえ、何でもないのならいいのです。それでは」


 いってクレアは去っていく。クライドはマリアを静かに見つめて「警戒はした方がいいのかもしれません」と言った。刹那にマリアが表情を引き締める。それから、クライドはレイヴァンを見つめていった。


「何が起きるのか、わからない。出来るだけ、我々も王子の側にいようと思うのですが、あなた様が側にいた方がよろしいでしょう」


 レイヴァンがこくりと頷けばクライドは、小さく頷いてから去っていく。マリアとレイヴァンも王族が使う部屋へ足を向けた。部屋へ着くとレイヴァンも去るかと思っていたが、レイヴァンは頑なに首を縦には振らない。


「あなた様に何かあっては困りますから」


 その一点張りなのだ。レイヴァンにもきちんと休んで欲しいマリアは困ったような表情を浮かべる。現に困っていたのだが。


「レイヴァン、それではお主が休めないではないか」


 こんな会話を前にもしたような気がしながらマリアが言った。けれど、レイヴァンも引き下がらずお側にいるの一点張りだ。

 マリアが困り果てているとそこにエリスが現れた。


「どうかなされたのですか」


「ああ、エリス。レイヴァンがわたしの側を離れぬと言って聞かぬのだ。なんとか、言ってくれ」


 納得したように頷くとエリスはレイヴァンに向き直った。


「ここは僕が引き受けますゆえ、レイヴァン様はお休み下さい。それに王子にお酒の匂いでもついては困りますので」


 言われてレイヴァンは、葡萄酒を飲んでいたことを思い出して思わず頭を抱えかけた。それから、マリアの方を向き直ると


「どうか、お外には出られませんように。それから、何かあれば必ず俺を呼ぶか叫ぶかしてください」


「ああ、わかっているよ。エリスがついてくれるんだ。大事にはならないだろうよ」


 レイヴァンは後ろ髪を引かれる思いを抱えたまま、マリアの部屋を後にする。その後ろ姿が見えなくなるとマリアは大きく息を吐き出した。


「エリス、助かった」


「いえ、これしきのことなんてことございません」


 少しばかり会話をした後、二人は部屋へ入った。それから、エリスは「眠るまではお側にいます」と言えばマリアが微笑んでありがとうと呟いて水差しの水を飲む。冷たい水がどこか心地よく、マリアの乾いた喉に潤いをもたらした。それから、布団に潜ると疲れていたのか一気に睡魔がマリアを襲い、すぐに眠りに落ちた。

 エリスは軽くマリアの布団を直してやるとろうそくの火を消して部屋を出て行く。

 しばらくろうそくの明かりしかない薄暗い廊下を歩いていると闇の中からギルが現れた。壁にもたれかかってじっとしており、エリスも何も言わず通り過ぎようとすると声をかけられた。


「姫君は?」


「寝ています」


 静かに問いかけてきたので静かに答えを返した。すると、ギルはエリスに視線を投げかけて真剣なまなざしで言った。


「俺は姫様の側にいることにする。今夜は何だか騒がしいからな」


 エリスは「頼みます」と言って自分の部屋へ戻った。



 マリアはふと目を覚ました。辺りを見回せばまだ闇夜に包まれており、深夜であることがわかった。窓から零れる月の明かりが天蓋カーテンをすり抜けてマリアの体をくっきりと映し出す。

 のそり、と起き出してマリアは窓に近寄った。そこには、マリアが見たときよりも傾いている月が空に浮かんでいる。


(まだ遅い時間なのか)


 マリアがそんな風に思っているとガタガタと風がかすかに窓を揺らす。思わず驚いたものの風だとわかれば特に声を上げたりもせず、ただ眠れそうにないなと考えていた。


(剣の練習をと思ったけれど、あまり外を出歩くわけにはいかない。それにクレアやクライドの言葉もある。何かが起ころうとしているのかもしれない)


 城の中だけならば出歩いても大丈夫だろうか、とマリアは呟いてそっと扉を開ける。すると、暗闇の中から声が響いて思わず体を強ばらせた。


「姫様、部屋を抜け出してどこへ行くつもりですか」


 闇の中から姿を現したのはギルであった。その姿を認めると緊張を解いてほっと息を漏らす。


「眠れなくて」


 素直にマリアがそう言えばギルは、珍しくも硬い表情をしていた。いつもおどけたような顔でおどけたような口調の彼であるが、真面目な顔をしていた。


「ギル?」


 不思議に思ってマリアが首を傾げるとギルはため息でもつきそうな顔をして言葉を発した。


「姫様、どうかお部屋にいてください。もし何かあっては困りますので」


「大丈夫だよ。城の外には出ないようにするから」


 けれどギルは、腑に落ちない表情であった。困った表情をマリアが浮かべるとギルが少しだけですよと言ってマリアに付き合うこととした。するとマリアは表情をパッと輝かせて「ありがとう」と言った。

 この笑顔にやはり、負けてしまうとギルは思ってしまうのだった。

 マリアはギルに手を引かれながら、厨房へと赴く。そこならば、何か飲み物ぐらいはあるだろうとギルは考えたのだった。

 厨房につくとギルは、持っていたランプの火をろうそくに灯して部屋を明るく照らした。それから、片手鍋を見つけると木箱に詰められた牛乳の入った瓶を取りだした。その瓶のふたを開けて片手鍋に注ぐと鍋を火にかける。鍋の中の牛乳が温まるとコップに注いでマリアに渡した。


「ありがとう」


 言ってマリアは、受け取るとコップに口を付ける。すると舌に牛乳の甘い味が広がった。思わず嬉しそうに顔を綻ばせるとギルも少しだけ顔を綻ばせた。固まっていた心がほぐれたようであった。だが、ふと真顔に戻り、辺りを警戒するように見回す。


「ギル、やっぱり何かあるの?」


「いえ、“水”が騒がしいのです。警戒するに越したことはないでしょう」


 マリアが飲み終えると厨房を出る。マリアの部屋の前まで着くと、扉の前にエリスとクライドがいた。


「二人ともどうしたの?」


「王子、あまり出歩かないでください。何が起きるか分かったものじゃないのですから」


「ごめんなさい。だけど、ギルも一緒だったのだし平気だよ」


 レイヴァンの小言のようなエリスの言葉にマリアは苦笑いを浮かべつつそう答えた。 そのとき、ふとどこからかくぐもった声が聞こえてきた。

 夜であるからかその声はよく通り、声の主がソロモンであることがわかる。マリアは気になってギルやエリス、クライドと共にソロモンの部屋まで来ると扉に耳を押し当てた。すると、中からソロモンとレイヴァンの話し声が聞こえてきた。


『まったく、お前はとんだ阿呆だな』


『どういう意味だ』


『酒を呑んで姫君に会いに行くなど』


『な! それにあれはお前が進めてきただろう』


 二人で部屋にいるときもマリア達の前で見せるような軽口をたたき合っていた。盗み聞きするのも悪いし、マリアが立ち去ろうとした瞬間。


『ところで姫君のことをどう思う』


 ソロモンがレイヴァンに問いかけていた。マリアは思わず足を止めてまた扉に耳を当てた。


『どうって、何を唐突に』


『言っておくが“かわいい”などの意見は聞いていないからな』


『な!』


 ふとソロモンの声色が真剣に変わった。


『姫君の秘密を聞いてもお前は変わらず仕えていられるか、という話だ』


 盗み聞いているマリアを含め、皆が驚いたように息を飲んだ。扉の向こう側でレイヴァンも息を飲んだような息づかいを感じる。けれど、すぐにいつものような口調でソロモンに返した。


『当たり前だ。俺はマリア様、個人に忠義を尽くしている。他の誰でもないマリア様だけを』


 なら、とソロモンが口を開いた。


『姫君が産まれた年、ひどい飢饉に見舞われたのは知っているよな?』


 ああ、とレイヴァンが答えて先を促す。

 扉越しで聞きながらマリアの鼓動が早まっていくのを感じる。いつだったかソロモンは「作り話」と称してマリアが王子として育てられた理由を話した。けれど、ある程度は真実を織り交ぜているらしかった。


『その日の夜は、不思議なことに空に青い月が昇ったのだとか』


『で、それがマリア様とどのような関係が?』


 フッと息を吐き出してソロモンが言葉を紡ぎ出した。


『これは姫君の名前の由来であるが、王妃様の留学先であるオブシディアンでは、青い月は神聖な物として“MARIAメイリア”と呼ぶらしい。姫君が産まれたとき、青い月が昇ったことからマリアと名付けたのだそうだ』


 扉越しで聞きながら、息を飲んだ。マリアという名の意味を初めて知ったのだ。


『もう一つ、この名には意味があってな。“マリア”と言う名は実に一般的で珍しくない。王妃様は自分の娘を普通の子のように育てたかったという願いもあるんだ』


(母上……)


 マリアがそっと王都にいるであろう母親に思いを馳せた。思えば王妃は常にマリアには、誰もを平等に見るような目を養おうとしていた気がする。そして、王妃自身も普通の母親と大して変わらなかった。


『それから』


 ふとソロモンの足音がしたと思えば扉の前で足を止めた。それから、がちゃりと扉が開かれた。思わずマリア達は体制を崩してソロモンの部屋に団子のようになってなだれ込んだ。


「マリア様!?」


 驚いてレイヴァンがマリアの姿を見て声を上げた。しかし、ソロモンは知っていた様子でさして驚きもしなかった。


「やあ、レイヴァン」


 おどけたようにマリアが言って見せたけれど、レイヴァンはどこか複雑そうな表情をしていた。マリアの知らないところでマリアの秘密を知ろうとしていたのだ。臣下として負い目を感じているのかもしれない。

 けれど、ソロモンは小さく笑うだけにとどめる。


「姫君、わたくしが今話したことに関しては事実ですよ」


 マリアの瞳が、少しばかり嬉しげに細められた。


「そうか、母上がそんなことを考えてつけてくれた名なんだな」


 ええ、とゆるりとソロモンが頷く。

 ソロモンの言葉に胸が温かくなるのをマリアは感じていた。そんなマリアを嬉しそうに見つめた後、レイヴァンはマリアに手を差し伸べた。その手をマリアが取って少しだけ力を込めて握りかえした。


「言ったでしょう? 名前というのは願いが込められていると」


「うん!」


 嬉しそうに答えるマリアにレイヴァンも柔らかい笑みを浮かべて見せた。見つめ合う二人の空気を、かき消すようにソロモンが咳払いをした。


「さて、姫君。わたくしの考えたはかりごとをいくつか聞いてはいただけませんか」


 マリアは立ち上がりつつ真剣なまなざしで頷いて見せた。すると、ソロモンは緩やかに口を開いて言葉を紡ぎ出す。


「クラシス要塞が落とされましたが、ザンサイト要塞は無事だとエイドリアンから連絡が来ました。おそらく、一週間ほどで戻ってくるのではないかと」


「そうか、エイドリアンも無事のようでよかった」


 マリアの一言にソロモンが、驚いたように目を僅かに見開く。それから、小さく笑えばどうしたのかとマリアが小首を傾げる。


「いえ、あなた様が主でよかったと思っただけですよ。それでここからが本題なのですが、エイドリアンがこの支城へ戻ってくるということは本格的に国を取り戻すために動くことを意味します」


 マリアが力強く頷く。それを確認してからソロモンはまた言葉を紡ぎ出した。


「戦いを始める前に考えなくてはならないことがございます。自軍は絶対不敗の体制でなければ戦わない。以前、申しましたとおり勝算がなければ戦わないのです」


 レイヴァンもまた真剣な表情で聞いていた。エリスもレイヴァンと同様、真剣に聞いていたがギルは面倒そうな表情を浮かべ、クライドは何を考えているのかわからない表情を浮かべていた。


「戦を始めてから勝利を掴もうとするものは、敗北へと追いやられるのです」


 言ってからコップに入っている水を少しだけ飲んだ。それから、言葉を紡ぎ出す。


「前にもお話ししたことではございますが、ここベスビアナイト国はひとつの戦略に固執しすぎました。戦略は流るる水のようでなければならないのです」


 水は状況に応じて自在に形を変える。つまり、戦も常に同じやり方ではなく水のように変幻自在に形を変えることが良いのだとソロモンが告げた。

 マリアやレイヴァンも納得したようで頷いている。ギルもどこか惹かれたらしく、珍しくソロモンの方を見つめていた。


「しかし、これは戦に限らず言えることではございます。流るる水のように変幻自在な考え方を持てば何事にも動じないでしょう」


 確かに、とマリアが呟いた。それからとソロモンがマリアに説いて聞かせるように言った。


「ひとたび外へ出れば、至る所に敵がいるよう肝に銘じるべきです。あなたには確かに屈強な戦士がおりますが、常にあるものという考えは消してください。いつ何時、何が起きるのかわからないのだから」


 ソロモンの言葉の重みを実感し、マリアはその場にいる皆を見回した。皆の顔を見回した後、小さく「うん」と呟いて凛とした視線をソロモンへ向けた。


「わかった」


 答えてそっと笑みを浮かべればソロモンは、どこかほっとしたような表情を浮かべていた。そのとき、マリアの首から提げた石が赤く輝いた。それに共鳴するようにレイヴァンの石も赤く輝く。


「どうやらその石は持ち主の強い思いに反応するようですね」


 冷静にソロモンが分析すればマリアとレイヴァンが小さく頷いた。まだどういう理屈かはわからない、とマリアが答えるとソロモンは、「それは追々」と呟いた。


「今は向こうの戦力とこちら側の戦力を把握なさいませ」


 ソロモンが言うには向こう側の戦力は、戦争が始まったときの倍にはなっているであろうと憶測を立てているのだという。なんでも、本国から多くの兵がこちらに呼び寄せられているという。それは、戦が始まったときより倍の勢力であるそうだ。


「レイヴァン達、正騎士が向かった方に伏兵も含め5万ほどの戦力であったと思われます。城の方へ向かったのもおそらく、それぐらいでしょう。向こうの戦力はあまりなかったかのように思われます。コーラル国はどちらかと言えば、戦で勝つことよりもその後のことを主に考えていたようですから」


 そんなことがわかるのか、とマリアが呟けばソロモンが「向こうの行動でわかります」と答えた。ソロモンが言うには、戦が終わった後からの兵の増援が多いらしい。そのことより、コーラル国は大方の戦力を本国へ残して進軍してきたらしい。


「どうやら、コーラル国は勝利するという確信を持っていたようです。もしかしなくとも、戦のことを有る程度理解している人がいるみたいですね」


 半ば感心するように言うソロモンにレイヴァンはどこかあきれ顔で先を促した。ソロモンは一度、咳払いすると今度はマリアではなく守人達に視線を移す。


「それはさておき。一度、ベスビアスに偵察にいってもらいたい。ギル、クライドに頼みたいがいいだろうか」


 あくまで本人達の意志を尊重するようなので二人に問いかけた。クライドは「了解した」と即答し、ギルは「いいですよ」と答えた。その答えに満足そうに頷きながらソロモンが「頼んだ」と言ってマリアに視線を戻した。


「さて、今日はもう寝ましょう。随分と遅いですから」


 そう言われ、マリアは部屋へ戻るとベッドの中へ潜り込んだ。エリスにギル、クライドは寝付けないらしくマリアの扉の前にいた。

 レイヴァンは自分の部屋へ戻ろうとしたが、ソロモンがその背に声をかけた。


「お前は姫君に足枷をつけるようなことをあまり言うなよ。心配性なお前のことを理解しているつもりではあるが、あまりにお前は過剰すぎる」


「わかっている」


 それだけ答えると部屋を出て自分の部屋へ戻り、ベッドの上へ倒れ込んだ。

 翌日、ギルとクライドはバルナバスに旅に必要なものを整えてもらうと用意してくれた馬で早朝に旅立ち、王都・ベスビアスへと向かう。クレアはギルが行くことを反対していた物の結局は折れて渋々と頷いてギルを見送った。

 早めに帰ってこれるようギルとクライドは早馬で駆けていく。その間、二人の間には会話も特に無かった。


 支城に残ったマリア達は、各々に過ごしていた。

 ギルが行くことに反対していたクレアは意味もなく部屋の中をぐるぐる回り、エリスは厨房で料理長から新しいレシピを教えてもらい、レジーは木に登って稽古をしているマリアを見守っていた。

 もちろん、マリアに剣を教えているのはレイヴァンだ。この街にも騎士はいるのだが、騎士の中でもやはり階級があり、騎士のその上が正騎士である。騎士の中で歩兵と騎兵がおり実力を求められ国に貢献した者を特に正騎士と呼ぶ。クリフォードは、正騎士のさらに上の正騎士長であるからすべての軍の指揮者でもある。

 この場に正騎士はレイヴァンしかいないのもあって彼が剣を教えていた。そんな二人の稽古が気になるのかまだ二十前後の騎士達が二人の様子を眺めている。

 マリアの持っている剣とレイヴァンの持っている短剣がぶつかり合う。

 本当ならば今日は、剣の稽古は休むはずであったが本格的に国を取り戻すときが近づいていると言われればいてもたってもいられず、マリアはレイヴァンに頼み込んだ。渋っていたレイヴァンであったが、「少しだけなら」と承諾し剣を教えることとした。

 すると、どうだろう。剣を構えるだけで精一杯だったマリアが少しでも剣を扱えるほどまで成長しているのだ。日頃、弓で鍛えていることが効いているのだろう。剣を構えるだけならばなんてこと無いような顔で出来ている。けれど、次の撃を打ち込む前にレイヴァンによって落とされた剣は金切り声を上げた後、地面にぶつかって鈍い音を立てた。


「ああ、またか」


 どこか疲れたような声色でマリアが呟くとレイヴァンが短剣をしまいこんで剣を拾うとマリアに渡した。その剣を受け取って鞘にしまい込んだマリアの表情は優れない。相当、落ち込んでいるらしかった。


「随分と上達しておいでですよ」


「いや、まだだ。これでは、命を張って戦う兵達に申し訳がつかぬ」


 凛とした瞳で言い切るマリアが勇ましく、けれど独り占めしたいとレイヴァンは思ってしまう。そんな感情を押し殺してそっとマリアに手を伸ばした刹那。

 周りで見ていた騎士達が二人の周りに集まってきた。


「さすが、正騎士様! わたくしにも教えてください」


「わたくしも!」


「いえ、わたくしも」


 何人もの騎士達がレイヴァンに詰め寄った。マリアは筋肉質な男達の間を縫って抜け出した。

 マリアのことはバルナバスとカミラにしか、この支城では伝えていないため騎士には正体のわからない少年でしかないのだ。つまりはマリアの存在は隠しているのである。王族であるマリアの前でこんなことをしようものならば、首をはねられても文句は言えないのだ。しかし、マリアが王族であると告げるのは出兵するときだ。それまでは、隠した方がいいとソロモンが言ったのである。


(レイヴァンは大人気だな)


 苦笑いを浮かべながら心の中でそう零してその場を去った。すると、木の上に上っていたレジーが降りてきてマリアに「お供します」と言えば承諾して行く当てもなく足を進める。すると、何やら草をむしっているヘルメスが地面に這いつくばっていた。

 奇妙な彼にマリアは「手伝おうか」と言えばヘルメスは拒否してまた地面に這いつくばる。そんなヘルメスの元も去ってマリアは、支城の中を探索するように練り歩く。

 中庭に出ると一人で木刀を振る男がいた。その男は、マリアとレジーには目もくれず稽古に励んでいる。やがて、疲れたように息を吐き出したタイミングで男に声をかけた。


「こんなところで一人でしているのか」


 男は初めてマリアの存在に気づいたように、ちらりとマリアの方へ目をやるとまたすぐに視線を外した。


「ああ、ここの騎士どもはさぼってばかりだからな」


 少しばかり低い声がマリアの耳に届く。心地の良いその声は、レイヴァンとはまた違う良い響きを持っていた。


「そうか。だけど、さっきはレイヴァンに指南を皆が仰いでいたが」


「一時的な感情だ。またすぐ鍛錬すらもしなくなる」


 のこもった男の言葉にマリアは小さく笑みを浮かべた。そんなマリアが不思議なのか男は思わず見つめていたが、また鍛錬に入る。木刀の風を切る音が心地よく響いた。


「なあ、お主はいつもここでしているのか」


「まあ」


「明日も来ていいだろうか」


「見ても、面白いことなんて何もない」


 そんなことはない、とマリアが首を横に振る。けれど男は面倒そうにマリアを見つめた。その視線を受けつつマリアは男に名を問いかけた。すると、面倒そうではあるが答えてくれた。


「……ラルス」


「ラルスというのか」


 マリアが柔らかく微笑んだ時だった。マリアを呼ぶレイヴァンの声が響いたかと思えばマリアの元へ駆け寄ってくる。


「勝手にお側を離れないでください」


「すまぬ。けれど、レイヴァン。騎士達によくもてていたではないか」


 すると、レイヴァンが顔を引きつらせて少しだけ息を吐き出した。


「好かれたい相手に好かれないのに誰が喜びましょうか」


 ため息混じりなレイヴァンにマリアは苦笑いを浮かべてラルスの方を向き直ると「また」とだけいってラルスに背を向けて歩き出した。そんなマリアの隣ではレイヴァンが何やら小言を言っている。

 後ろをいくレジーは、ラルスが呟いた言葉を聞き逃さなかった。


「妙なやつだな」


 もちろん、マリアとレイヴァンの耳にはまったく届いてはいなかった。

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