第十六章 眷属達の道しるべ

 まどろむような暖かな日差しが、木々の隙間から漏れて温かく世界を包み込んでいた。そんな日差しを浴びながらも一人の少年は、泣きながら森深くに足を進めている。前を見ずにうつむいて泣いてばかりいる少年は、草を踏みつけていく。やがて、足は一つの古びた小屋にたどり着いた。到底、人の住めそうな場所ではない所にぽつんと建っている。その上、人が住んでいるとは、思えないほどにツタが張り、至る所がボロボロで人のいる気配すら感じさせなかった。だが、少年は何のためらいもなく小屋の扉を開ける。


「ははうえ」


 弱々しく少年が、家の中に声をかければ、ふと気配がたち、小屋の奧から見目麗しい女性が姿を現した。こんな深い森の奧に住んでいるとは到底思えない女性だ。


「あらあら、どうしたの。こんなに真っ赤に泣きはらして」


「ははうえ、みんながぼくをウソツキだって、言うんだ。ぼくは本当のことを言っただけなのに、みんなウソツキだって」


 泣きながら言う少年の言葉を女性は、うんうんと頷きながら聞き漏らさないように聞いていた。そして、少年を柔らかく包み込むように抱きしめる。


「あなたはウソツキなんかじゃないわ。あなたはウソツキなんかじゃない。あなたは神に選ばれた子なんだから、胸を張ればいいのよ。けど、本当のウソツキにだけはならないでね。ずっと本当のことだけを言い続けなさい」


 女性が少年の髪を撫でれば、少年は恥ずかしそうにはにかんだ。女性は、そっと微笑んでただ静かにいい聞かせる。


「そうしたら、きっとあなたの言う『王』もあなたのことを信頼してくれるわ」


 本当かな、と少年が呟けば女性は「ええ」と呟いて少年の頭を優しく撫でる。少年は嬉しそうに笑顔を浮かべて見せた。それを見て女性もまた微笑んだ。


「でも、やっぱり会ったこともない人よりははうえの方が大事だな」


 少年がぼそりと呟けば女性は嬉しそうに微笑む。うれしいけれど、と女性が言葉を紡ぎ出す。


「あなたは確かに『王』に仕えるために産まれて来たけれど、そうね……この時代では『王』は現れないかもしれない。けれど、素直なまま生きていればきっといつか本当のあなたを愛してくれる人が現れるわ」


「本当に?」


 ええ、と女性は少年の頭を撫でた。少年が女性を見上げれば女性が聖女のように微笑んで言葉を紡ぎ出した。その言葉は確かに少年の心の奥。深淵に深く根ざした。


「きっと、あなたが嘘をつかない限り」



 はっとしてギルは、目を覚ました。見たことのない天井が目に入り驚いて体を起こせば、たちまち体中を痛みが駆け抜けた。思わず顔をしかめると、隣で華奢な体が目に入る。クレアであった。もしかして、ずっと自分の側にいてくれたのだろうか。そんな幸せなことを思い描いて自重する。うぬぼれるのもいい加減にした方が良さそうだ。

 とりあえず状況を確認すべく当たりを見回すと、クレアから少し離れたところでマリアが眠っている。ケガも特に無いようだ。よかった、と胸をなで下ろせば扉が開いて青年が入ってきた。青年が〈眷属〉の守人であることが自分にはわかる。これは、産まれもってのものだ。理屈はよくわからないが守人はお互いが守人であることがわかるのだ。何の守人であるかはわからないが。

 青年は起き上がっているこちらを見てああ、と息を漏らした。たちまち、その息が白く濁る。扉から零れた月明かりから今が夜であることはわかった。


「起きたのですか」


「あんたが助けてくれたのか」


 青年は考えるような素振りをしたが、小さく頷いて火鉢に火を灯した。それから、闇が語りかけてきたと呟いた。その言葉から青年が〈闇の眷属〉の守人であることがわかる。


「闇、か……」


 こくり、と青年は頷いてこちらをじいと見つめてきた。こちらが明かしたのだからお前も明かせと言っているのであろう。その意図を汲んでギルは、名前と〈水の眷属〉の守人であることを告げた。それから、〈闇の眷属〉の守人とはどのような力を使えるんだと問いかけた。すると、青年はうつむいたがすぐにギルと視線を合わせて答えた。


「闇はありとあらゆるところに存在する。ひとつは、自然にあるもの。また人の影、人の心――」


 つまりは多くのものが見えてしまうらしかった。形としてあるもの、水や風といったもの以外の眷属の守人がどのような力を持っているのかギルは気になっていた。けど、なるほど。〈闇の眷属〉とは人の心の奥底まで見透かしてしまうのか。

 青年がまたうつむいて「それゆえ」と呟く。


「あなたのことも見えてしまった」


 ああ、とギルは息を漏らす。久しぶりに幼い頃の夢をみてしまったが、どうやら青年にも見えてしまっていたらしい。お恥ずかしい、とギルがへらりと笑って言えば青年が首を横に振る。


「やつがれもそのようなことが多々あって、ここでひっそりと住んでいた」


 過去形であるからマリアに仕えることを決めたのであろう。眷属とは、そういうものだ。いくら抗おうとも逃れられはしない。『我らが王』――何度も聞いているこの言葉。果たしていにしえの盟約とは何なのだろうか。それは守人である本人達すら知らないことだ。ただ導かれてしまう。『我らが王』に、マリアに導かれてしまうのだ。人ならざるものが流れる血と力。そんなものはいらないから、どれほど普通の人間であることを望んだのだろう。だが、マリアと出会えたことは何よりも幸福だった。守人であるから、と言われればそうだとも言える。自分の意志で仕えているとも言える。果たしてどちらが正しいのか、まだ答えを見つけられてはいない。

 果てなく遠い旅路の中で見つけられるかどうかも怪しいところだ。


「お前は、なぜこのお方に仕えようと思った、主だからか?」


 単純にそう問えば青年が少し悩んだ。やがて、答えを見つけたのか唇から言葉を紡ぎ出した。


「〈眷属〉とはそういうものだろう?」


 ああ、やっぱり。皆、最初はそうなのだろうな。ただ決められた運命だから主に仕える。だが、果たしてこの青年もいつまでそう言ってられるだろうか。そう思うと思わず面白くなってほくそ笑んだ。青年は意味がわからないようで首を傾げる。


「いや、すまぬ。お前がいつまでそういっていられるのかと思っただけだ」


 青年が驚いて目を見開けば、ギルに問いかけた。


「あなたは、自分の意志で仕えているの?」


 さあな、とギルが答えれば青年はますます意味がわからなくて困ったように狼狽する。その様子も面白くてギルが思わず笑ってしまう。


「わからないさ。運命により定められたから仕えているのか姫様自身に仕えているのか、俺にすらわからぬ。だが、こんなお姫様は初めてだ。少なくとも、こんな人は――」


 そう初めてだ。彼女にとって安全なはずのレイヴァンの側に行くことを拒んで必死になって手を伸ばしてくれた。しかも「失うわけにはいかない」と断言してくれた。その上、ラース王子に向かって放った言葉。


『何も知らないで、勝手なことを言わないで!』


 はっきりと告げてくれた。必死になっていたからか言葉遣いが完全に少女のそれであるが、自分にとってその言葉は深く深淵に希望をもたらした。大国のコーラル国の第一王子相手に言い切ってくれたのだ。嬉しくないはずがない。

 すると、息を零してクレアが目を開けた。そんなクレアに少しだけ悪戯心を覚えてしまう。


「お目覚めですか、お嬢様」


 呟いたギルの方をクレアは、向いて目を瞬かせる。それから、とんでもない勢いで瞳から涙があふれ出した。そして、思いっきりギルに抱きついた。


「もう、莫迦ばか……無茶ばっかりして」


 いじるつもりで「お嬢様」と呼んだのに、まったく無視されて言われた。これは本気で心配されたようだ。今まで吟遊詩人としてあちこちを渡り歩いたが、こんなことは今まで無かった。確かに、甘い言葉を吐けば女性はすぐにすり寄ってくるし、人肌が恋しければ女性と夜を共にすることも厭うことはなかった。それが息を吐くように自然に出来ていたから。

 自分はレイヴァンのように、誰か一人のために何かを成し遂げることなど莫迦(ばか)らしいとさえ思えていたのだ。確かに母親に言われた言いつけは守ったつもりだ。『嘘はつかない』、これは今までずっと守ってきた。けれど、その前に自分は男なのだ。人肌が恋しい夜だってある。けれど、純粋にここまで自分を心配してくれた女性に対して、それはとても失礼なことのように思えた。そこでふと思わず自分を嘲笑する。自分が行ってきたことに対して今更、こんな感情を抱くなんて思わなかった。それほどまでも、クレアはどこまでも純粋で穢れた自分と同じ守人だと言うことが少しだけ切なくなった。


「ごめん」


 ギルが素直に謝ると、クレアは驚いて目を見開いたあと少し離れて顔色を伺う。そして、変なもの食べたと尋ねてくる。やれやれ、と嘆息してギルはそっとクレアの頬を両手で包み込む。


「俺が素直になったら駄目なのか」


「そ、そういう意味じゃなく……!」


 クレアは、頬を真っ赤に染めてギルから視線を外した。その様子に思わずとギルが笑みを浮かべて手を離した。名残惜しい、と思わず思ってしまったが、感情を押し殺す。自分は触れてはいけない。こんなにも純粋なこの子を、自分の手で堕としたらどんなに気持ちいいんだろう。けれど、それはいけないことだ。穢れた自分が触れてはいけない。

 今まで面倒と後腐れのない一夜限りの女ばかりを相手してきた自分にとって、どう扱って良いのかわからない相手だ。面倒だ、本当に。

 クレアがギルをじっと見つめて固まっている。それから、顔を近づけたと思ったらおでこを重ね合わせた。


「よかった、熱も引いてる」


 クレアは言って笑みを浮かべた。それを見ると自分の心が洗われるような感覚に襲われる。だが、やはり自分は穢れている。ほどほどの距離を保つ方が良い。

 ギルが結論付けて、そっとクレアから離れるると不思議げな表情を浮かべる。そんなクレアにギルが言葉を発した。


「俺よりも姫様の心配をした方がいいんじゃないのか」


「姫様はギルが守ってくれたから、ほとんどケガはしてないわ」


 何だかそれだと主よりギルの方を心配していたようだ。確かに、ギルは全身に痛ましい傷がある。包帯も体中にぐるぐる巻きであるし、傷口も塞がっておらずじんわり血が滲んでいる。

 思わずギルは、ぽんぽんとクレアの頭をたたく。すると、クレアは目を見開き頬を染めた。


「そうか、姫様とクレアが無事なら良かった」


 そのとき、窓から少し白んだ空が見えたと思ったら一気に溢れんばかりの朝の日差しが零れだした。それを見て朝が来たんだと感じる。

 すやすやと寝息を立てて寝ていたマリアがゆっくりと目を開いた。そして、ギルに気づくと良かったと満面の笑みを浮かべて呟いた。

 あとでギルはマリアから青年がクライドという名であることを聞いた。

 クライドは狩りをしてくるとその狩ってきた動物を調理した。そして、マリア達に振る舞う。あまり上手では無いが食べられないほどではない。

 エリスの料理があまりに上手すぎるのもあるかもしれないが。しかも、エリスはソロモンの元で栄養学も学んでいる。そのため、栄養面も考えて食事を作っているのだ。そう考えると何とも贅沢だ。タダでそれだけのことを奉仕されている。

 マリアはそう思うと思わず小さく笑う。

 自分は何も出来ないのに周りはこんなにも出来てしまう。しかも、『我らが王』というだけで。これでは、申し訳が立たない。けれど、今は悲しむ時ではないことが一番よくわかっていた。今はとにかくレイヴァン達と合流することが先決だ。

 食事を終えるとクライドに案内されながら道を進むことにした。

崖の上へ上ることは出来ないが、近くの街へ降りることは可能だという。そのため、クライドという仲間も加わって街へ向かう。落とした武器類は、全てクライドが拾ってくれていたのでそれぞれ武器も持って歩き出す。

 マリアが肩を落として最後尾を行っているとクレアが心配して声をかけてきた。


「姫様、大丈夫ですか」


「ああ、大丈夫だよ。どうかした?」


 元気がないように見えたので、とクレアが答えた。そんなふうに見えていたのかとマリアは思いながら何でもないと言葉を紡いだ。ただでさえ、気を遣わせているのにこれ以上、気を遣わせるわけにはいかない。

 すると、前方を行くギルが鼻で笑った。


「やれやれ、お姫様は我らに気を遣いすぎでは?」


 すべて見通しているかのような口ぶりに目を見開く。そんなマリアを眺めてギルが言葉を紡ぎ出した。


「主がそんな調子でどうします? あなたは『我らが王』なのですから、もっと胸を張ってみては」


 暗に気を遣わなくていいと伝えているようだ。けれど、それでマリアがよしとしないのはギル自身もわかっていたことだった。だからこそ、ひねくれたような言い方をしたのだがマリアはギルの言いたいことをきちんと理解した上で答えを返した。


「ギル、わたしは『王』などではないよ。それにわたしは皆にもらってばかりだ。このままじゃ、いけない」


 凛とした瞳でどこまでも遠くを見つめてマリアが言えば、ギルは小さく笑う。それから、守る奴の気が知れないよと呟いた。


「ギルもわたしにたくさん恩をくれた。だからこそ、わたしはお前に恩返しをしなくては」


 にっこりと微笑んでマリアが言うと、ギルが少し目を見開いた。だけど、それも一瞬ですぐに元の調子に戻る。それから、何かを誤魔化すように大声で歌い出した。それは、いつだったか聞いた悲しい恋の歌。


『できないというのなら、私はこう答える

 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 ああ、せめてやってみると言っておくれ

 でなければあなたは決して恋人ではない』


 瞬間、風の切る音がしたかと思えば、矢が飛んできた。マリアは追っ手かと思ったがどうやら盗賊らしい。

 ギル達はマリアを守るように周りに取り囲んだ。すると、今度は何十もの足音が響いてくる。ギルは下品な足音だな、と呟いた。

 やがて、四人はにやにやと品のない笑みを浮かべた男達数人に取り囲まれる。剣を抜き、マリア達に飛びかかってくる。その男達に向かってクライドが懐から出した何かを飛ばした。それは、円形のものでその円の周りに刃がついているらしかった。円形のそれを受けた男達は、次々に倒れていく。その隙にギルがマリアの手を引いて森の中を進んでいく。

 手を引かれながらマリアはまた落ち込んでしまう。またギルに借りが出来てしまった。ギルの背中を見つめてマリアは悲しげな視線を向ける。


「お姫様、いつかちゃんとこの貸しは返してもらいますからね」


 いたずらに微笑んでギルがマリアを振り向けば、マリアは喜んで笑みを浮かべて「ああ!」と元気よく答えた。それを聞いてギルはまた前を向く。

 マリアの後ろにいたクレアが足下を見ていなかったのか、木の根に躓いて地面の上へ倒れ込んだ。


「クレア!」


 マリアが慌ててクレアの方へ向かおうとした、刹那。マリアよりも先にギルが動いてクレアを庇うように覆い被さる。同時にギルの背に矢が突き刺さった。


「ギル!」


 ギルとクレアの方へ向かおうとすると、後ろに盗賊がいたらしくマリアを後ろから首根っこを掴んで刃をあてがう。マリアの顔は一気に青ざめて恐怖で震える。ギルはクレアの肩を借りてやっと立てる状態のようだ。ただでさえ、傷を負っているのだ。今まで動けていたことが不思議なくらいである。

 クレアが悔しそうに唇を噛んだ。ギルも恨めしげに男を睨んでいる。

 カバンの中になにか入っていただろうかとマリアは頭を巡らせる。脅かし花火をもし使ったとして、あやまって刺されたりしないだろうか。煙玉を使うべきだろうか。それでもギルとクレアが逃げるのが関の山だ。自分はこの男に捉えられている以上、何も出来ない。いや、それでいいのかもしれない。マリアが覚悟を決めて言葉を紡いだ。


「わたしのことは大丈夫だから、逃げて」


「何を言って……」


 にこり、とマリアが微笑めばギルが奥歯を噛みしめる。それから、自力で立ち上がると不敵な笑みを浮かべた。


「先ほど言ったことをお忘れですか」


 マリアが目を見開く。ギルはニヤリと口角を上げて弓を握りしめる。マリアを逃がさないようにまっすぐに見つめて。


「『貸しは返してもらいますから』、返してもらうまでは俺の側にいてくれないと困るんですよ!」


 矢をつがえ弓を引く。矢が離れ、空を切るのとほぼ同時に別の音も混じっていた。それは、剣の音であった。男の胸元と背から血が飛び散る。マリアが思わず目をつぶれば、聞き慣れた声が聞こえてきた。


「マリア様!」


 後ろを振り向いた。地面には、矢と剣を受けて倒れた男がいる。向こう側。

 夜の闇で塗りつぶされたような漆黒の髪をなびかせて、黒曜石のような黒の瞳に不安を孕ませて心配そうにこちらを見ていた。

 呆然とマリアが名を呼べば、その人物――レイヴァンが駆け寄ってきた。その後ろにソロモンとエリス。それから、レジーにヘルメスがいる。それを認めたとき、マリアは思わず崩れ落ちた。レイヴァンは、慌ててマリアに手を貸した。


「大丈夫ですか」


「ああ、よかった。お主達に会えて……本当に」


 涙をぽろぽろと零しながらマリアが言えば、レイヴァンがマリアの背に手を回してそっと抱き留める。それから、そっと涙を拭う。


「マリア様もご無事でよかった」


 心の底からほっとして告げるとレイヴァンはマリアの首筋に唇を寄せて、強く吸い込んだ。思わずマリアが顔を歪ませる。唇が離れれば、首筋にあざが出来ていた。ずいぶん前に消えてしまっていた跡をまた付けたのだ。


「これがないと、あなたはどこかに行ってしまいそうだから」


 レイヴァンは言ってマリアにほほえみかける。それを見ていたギルは、クレアの肩を借りてマリア達の所へ来る。


「俺たちがいるの忘れてるんじゃないか」


 ギルの言葉にレイヴァンが思わずどきりとする。そんなレイヴァンを知ってか知らずかマリアは至ってのほほんとしておりギルにそっと笑いかける。


「え、これってお守りじゃないの?」


 マリアの一言に場が固まった。やがて合点がいったらしく皆が皆うなづいて「ああー」と言った。マリアだけはわかっておらず困惑している。そんなマリアの元へクライドも来た。

 それを見てマリアは皆にクライドを紹介する。

 ソロモンは、「ほう」と感心したようにマリアを見つめる。そして、口を開いた。


「姫様、わたくしは陛下よりある命を承っていることをお話ししましたよね」


 マリアがこくりとうなづく。それを確認してから、言葉を紡ぎ出した。


「実は肩身の狭い思いをしている守人達を探し出すという命をいただいていたのです」


 驚いたのはマリアだけでなく、レイヴァンや守人達もだった。エリスもソロモンとずっと過ごしていたにもかかわらず聞かされていなかったようで目を見開いている。


「どうして、話す気になったんだ?」


 マリアが呟けばソロモンが微笑んで見せる。


「あなた様が陛下のようにお優しい方だから、ですよ」


 マリアが目を見開いてソロモンに話を詳しく聞こうとしたが、ソロモンが手当が先だと言ったので街へ行って簡素な宿で部屋を借りた。ギルはヘルメスに手当をしてもらったが、ずいぶんと傷口は塞がっておりヘルメスに「本当に崖から落ちたのか」とまで言われてしまった。

 夜になり、宿に泊まっている人も寝静まる時間になってやっとソロモンが口を開いた。皆が囲んでいる机の中心にはランプが辺りを照らしている。ソロモンは皆に注目されると恥ずかしいからと酒を呑みながら話し始める。


「陛下はあなたのようにお優しい方です。だからこそ、だまされやすく今回のような事が起こってしまった」


 レイヴァンがこくり、と頷き先を促した。すると、ソロモンが王というのは優しさでは成り立たず、けれど政治を軽んじるような王では何人もの民が傷つく。難しい問題だとソロモンが言った。


「まあ、それはとりあえず置いておきましょう。陛下は、守人達が社会的弱者であることに気づいていた。ゆえに守人達を守るためにわたくしに命じたのです」


「そうだったのか」


 マリアは呟いてうつむいてしまう。そんなマリアを見てソロモンが笑ってみせる。すると、ギルが口をはさんだ。


「俺にしてみれば、いい迷惑だけどな。俺としてはそっとして欲しいものだ」


「まあ、でしょうね。他の守人にそう言われたことがあります」


 他の守人に会ったのか、とマリアが問いかければ「ええ」と答えてソロモンが頷いて盃を傾ける。少し頬が赤くなっていた。


「ここにその彼はいませんが、彼に同じようなことをいわれました」


 そうか、とマリアが考えるように顔を少しだけ伏せる。すると、ソロモンが「そういうわけで」と言葉を紡いだ。


「守人探しは後回しにして森でのスローライフを楽しんでいたわけだ」


 水をうったように部屋が静まりかえる。外のふくろうの鳴き声が部屋まで聞こえてくるほどだった。静寂を破ったのはレイヴァンだった。


「お前は陛下の命をそっちのけで――」


「仕方なかろう、守人が拒むのだ」


「陛下にご報告ぐらいはしろ! 陛下がどれほど、心配をなさっていたか」


 一番国王の側で見ていたのは、レイヴァンであった。いつも頭を抱えてソロモンが戻ってこないと心を痛めていたのだ。


「すまん、すまん。だが、待たせている国王に申し訳ないと思い俺も心を痛めていたのだぞ」


 嘘をつけ、とレイヴァンが突っ込む。マリアが思わず二人を交互に見回した。そして、柔らかく微笑んで「仲がよいのだな」と呟けばレイヴァンが頭を抱えた。


「どこをどう見れば仲が良いように見えるのですか」


「姫様、このようにレイヴァンは素直じゃないですからなかなか口説き落とすには時間がかかるのですよ」


「お前な」


 恨めしそうにレイヴァンがソロモンを疲れたように見つめた。すると、マリアはソロモンのいった言葉に頷いて見せて「確かに」と呟いた。


「レイヴァンは、なかなか心を開いてくれそうにないものね」


 レイヴァンがマリアの方を思わず向いた。じっと見つめてくるレイヴァンの意図がわからなくてマリアが瞬きを繰り返した。それから、レイヴァンの顔をのぞき込む。


「ど、どうかなさいましたか」


 弱々しくレイヴァンが問いかければ、マリアは悲しげに目を伏せた。


ができてる」


 ぼそり、と呟いたその言葉にレイヴァンが「ああ」と呟いた。夜通しマリア達を探していたことがわかる。よく見ればソロモン達もができていた。こういうとき、マリアは痛感する。自分がどれほど無力で無能であると。

 このとき、レイヴァンがマリアに手を伸ばしていたことなどマリアは気づきもしなかった。

 瞬間、どこからか声が響いてきた。


「火事だー」


「火事!」


 あまりに大きな叫び声は、どこからともなく聞こえてくる。驚いてマリアが窓を開ければ、煙は泊まっている宿の一階から出ていた。皆にそれを伝えるとソロモンが冷静にマリアに向かって言った。


「待ってください、何かおかしくはありませんか」


「え?」


 ソロモンはこれも追っ手の仕業ではないか、と言った。すると、レイヴァンがそれに反論する。


「だが、マリア様が崖から落ちるところを見たコーラル国の王子が、マリア様が死んだと王に伝えるから追っ手はいなくなると言ったではないか」


 確かに、とソロモンが呟く。


「それはきちんと伝達が行われればの話だ。姫様が崖から落ちてそれほど経ってない。つまりは、まだ報せを知らない追っ手がいてもおかしくはない。それに火の手がそこまで回っていないのに、ここまでこんなにも早く広がるのはおかしい」


「だとしても、逃げないと」


 言ったマリアの肩をレジーが掴んだ。そして、マリアを険しい表情で見つめる。


「マリア、火なんてついてないよ」


「え、でも煙が――」


 見えた、と言いかけてとした。そして、ソロモンを見つめる。


「ええ、そうです。発煙筒です」


「だが、ソロモン。そうなると、追っ手はそこまで来ているわけだろう? どうやって、この宿から脱出する」


 レイヴァンが問いかけるとソロモンが意地悪く笑みを浮かべて見せた。


「なあに、混乱に乗じてここから出ればよい」


「だが、それでは」


 尚も意地悪そうな笑みを浮かべるソロモンがカバンからあるものを取りだした。それを見てマリアが目を見張る。


「これは……!」



 宿に泊まっていた人間が次々と宿から飛び出した。その中に煙を吸い込んだのかケホケホと咳き込んでいる“少女”がいる。薄い金の髪を少し下の方でツインテールに結んでいて青い空のような青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳をしていた。それから、この国では親しまれているディアンドルの服を身に纏っている。なんとも可愛らしい少女であった。けれど、宿主があんな少女いただろうかと小首を傾げた。

 そのとなりで二人の険しい表情をした男が少女をじっと見つめている。何かを品定めするような目であった。


「あの特徴、隊長から聞いたベスビアナイト国の王子と同じだよな?」


「ああ、だが。あれは女だろう」


「女装しているという可能性も」


 こそこそと男二人が話していると“少女”の元へ十八歳くらいの女性が近寄ってくる。そして、“マリア”と名を呼んで何やら話し掛けた。それを見て男二人は“マリア”は女性名であるから「違うな」と呟いてまた誰かを捜すように辺りを見回し始めた。

 それを見計らい女性ことクレアは、“少女”ことマリアを連れてそっとその場を離れた。やがて、街の郊外へ行くとそこでレイヴァン達が薪をして待っていた。


「はあー、恐かった」


 クレアがそう言って木にもたれかかった。すると、ソロモンがマリアとクレアに「ごくろうさま」と声をかける。レイヴァン達は混乱に乗じさっさと郊外へ出ていたのだった。そして、マリアには最後の方で宿から出るように言いわざと目立たせてコーラル国の兵達を欺いた。これにより、コーラル国の兵はマリアを見つけられず現状、マリアがどこにいるのかもわからなくしたのだ。それにマリアが崖から落ちたことを知ればマリアが本当に亡くなっていると思いこませることが出来るのだ。

 マリアがそっとレイヴァンの隣に座れば、わずかにレイヴァンが体を硬直させた。


「レイヴァン?」


 マリアが首を傾げれば、ソロモンがおかしそうに言った。


「姫様が女性の服を着ているのが珍しいのですよ」


 そう言われて、それもそうかと頷いた。それから、レイヴァンの方を見つめる。


「ねえ、わたし。少しは女性に見えるかな」


 マリアの問いかけがあまりに意外だったのか、レイヴァンが目を見開く。否、レイヴァンだけでなく皆が驚いていた。ここまでレイヴァンに執着されていながら気づいていないのか、と誰もが叫びたくなるのをぐっとこらえる。

 毒気のない顔で見つめられればレイヴァンは、何も言えなくなり少しだけ目をそらして答える。


「ええ、もちろんですとも」


 もとより、レイヴァンはマリアに欲情しているのだからそんなことを言ったりしたらレイヴァンが狼にでもなって襲われてしまうことだろう。ここは皆の目があるためもちろん、そんなことはしない。だが、うっかり二人っきりにでもさせてしまえばレイヴァンが抑えていられるのか怪しいところだ。

 ソロモンもマリアがそんな質問をするなんて思ってもいなくて、これは面白いがレイヴァンが押さえられなくなる前に何とかしなくては、なんて考えていた。

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