第十三章 満月の夜に

 王都に戻っていたグレンが、怒りをあらわにしていた。周りにいるコーラル国の兵が、ちらちらと彼を見ている。そんな兵士達をグレンが鋭い眼光で一瞥すれば、腰抜けな兵達は怯え上がりその場を立ち去ってゆく。それを眺めながら、ドアを叩いた。中からは威厳に満ちた男の声が聞こえてくる。それを確認してから失礼しますといって中へ入る。中には、目が細くそこそこ年若い男がいた。

 コーラル国、国王バルドルであった。


「なんだ、グレン」


 威厳に満ちた低い声。それだけで精神の弱い人間ならばすぐに何でもありませんといって何も言えなくなってしまうことだろう。だが、グレンは怖じ気づく様子すらない。それどころか、バルドルを厳つい目で睨んでいる。


「ベスビアナイト国の王と正騎士長のゆくえをすでにみつけていたこと、なぜわたくしめにお話くださらなかったのですか。我々は仲間でしょう」


「ああ、そのことか。二人は我々の監視下に置いてある。彼らの処遇は我々に任せてもらおう。客将であるあなたの手を煩わせるわけにもいかぬ」


 グレンの視線を受け止めながらバルドルが答える。グレンが僅かに歯をかみしめたあと、軽く頭を下げて部屋を出て行った。それから、与えられていた部屋へ戻ると部屋にあった花瓶をたたき割った。たちまち、大きな音を立てて粉々に砕けた。

 グレンは、もともと二人を捕らえて真実を聞き出すためにわざわざ玻璃国からの客将としてコーラル国の戦争に荷担した。だが、どうだろう。国王バルドルは暗にお前は関係のない他人だと主張する。これでは真実を聞き出すことが出来なくなってしまう。バルドルが動き出す前に何か手を打たなければ、殺されてしまうかもしれない。それだけは、避けなくてはならないのだ。

 無意識の間にグレンは、自室をぐるぐると回っていた。そのとき、ふと城の門の所に豪華な馬車が入ってくるのが見えた。あの馬車は確か第一王子の馬車だ。おそらく、国王のいいつけを守らずここまで来たのだろう。そこでふとグレンは、何か思い立ったのか部屋を出て第一王子ラースの元へ向かった。すると、ラースがちょうど馬車から降りる所であった。


「これはこれはラース王子、いかがなされたのですか?」


 出来るだけ丁寧な言葉遣いでグレンはラースに問いかけた。すると、ラースが誰だというような顔をした。そのため、仕方なく名乗ると客将かと言った。いかにも、と言ったあとでグレンはすぐさま本題に入る。


「姫君を捜されているのですよね?」


「ああ、だが従者どもが逃がしたというのだ! まったく、役立たずどもが」


 それで王子が自ら、と問いかけるとラースは「ああ!」と半ば叫ぶように言って大きく頷いた。そして、拳を握り込んで自ら探すと宣言した。その言葉に自分の予想が当たったことをグレンはほくそ笑む。そして、ラースに「そこで提案があるのですが」と切り込んだ。


「なんだ?」


「わたくしめはその姫君に一度、会っております」


「本当か!?」


「はい。それにだいたいの場所も分かります。なので、このわたくしめが僭越ながら姫君の元へ連れて行って差し上げます。王子とて、このまま王と会っても国へ戻されるだけでございましょう。ならば、国へ戻るふりをしてわたくしめがご案内させていただきます」


 ラースも「まかせた」と言ってグレンに賛同する。そのあと、「この国の王と正騎士長の場所は存じておられますか」と問いかけた。すると、ラースは牢獄に閉じこめられていると聞いたとさらり答えてくれた。そのことに思わずグレンは、にやりと不気味な笑みを浮かべた。

 ラースはそのあと、王の元へ行き王にすっかり怒られてグレンがラースをコーラル国まで送り届けるのを買って出た。送り届けるのは明日にして今晩は、ここにいるようだ。

 グレンはこれ好機と見て浮かれた様子の兵達の目をかいくぐり地下牢へ赴いた。しばらく地下牢を彷徨っているとひときわ大きな牢が見えてきた。そこをランタンで照らす。そこには、鎖でつながれた正騎士長クリフォードがいた。ずいぶん、痛めつけられているようでぐったりとした様子だ。そのクリフォードに声をかける。すると、クリフォードは顔を上げた。顔が赤く腫れあがっている。


「お前は?」


「ブラッドリー、この名前に聞き覚えはないか?」


 クリフォードが目を見開く。そして、「まさか」と呟いた。グレンは、やはり知っているのかと呟く。クリフォードが明らかに目を泳がせた。


「知っているのならば、教えてくれ。俺の父が一体、何を犯したのか。それから、なぜ追放されたのか」


 静寂に満ちた地下牢に沈黙が満ちた。すると、グレンがため息を吐き出すときびすを返した。殺される前に聞き出さなければと決意を固めながら。その背にクリフォードが「すまない」とぼそりと零した。


***


 マリア達一行は、深い森の中を延々と彷徨っていた。森に詳しいであろうレジーすら森の出口がわからないのか首を傾げている状況であった。ほとほと困り果てていた。あたりはすっかり闇に包まれており、これ以上動き回るのは危険だと言うことでこの日は、ここまでとなった。

 皆は布にくるまって寝息を立て始めた時刻。マリアは眠れず弓の練習を始めた。この弓の練習も習慣のようになっていた。

 けれど、実践ではまだ弓を使ったことがない。何よりレイヴァンが戦場では使ってはいけないと言うのだ。使いたくても使えないのが現状である。それでも、こうして弓の練習をするのは役立ちたいという思いからであろう。けれど、いつになったら使っても良いと言ってくれるのだろうか。彼のことだからいつまでたっても良いと言ってくれない気がするが。

 そのとき、冷たい氷のような風が吹いた。それは草や木の葉を誘って空へと舞い上がってゆく。マリアの髪や外套も風に煽られる。

 思わず空を見上げた。すると、青い満月が夜空に浮かんでいる。弓張り月でも十六夜や薄月のように雲もかかっていないきれいな天満月であった。それを見て思わず笑みがこぼれる。すると、ひらひらと光り輝く何かが彷徨っているのが見えた。それをじっくりと見つめればそれは、蝶のようであった。あまりに不思議な色をしている蝶にマリアは目を奪われてしまう。弓をそのままに、その蝶を追いかけていった。すると、森の奧へ奧へと進んでしまう。けれど、それにはお構いなく足を進める。やがて、光り輝く野原に出た。

 そこは月の香りが漂い、風が心地よく吹いていた。周りに黒い木々はなく美しい。天満月がよく映えた。野原一面には、なにかがきらきらと輝いている。それは、花のようであった。月明かりを真っ直ぐに受けて輝くその姿は、まるで宝石のようだ。


「……きれい」


 月並みな言葉ではあるが、マリアが零した。

 そんなマリアの姿を誰かが見つけた。月明かりを受けて佇むマリアは、まるで月の妖精か精霊のように見えてしまうほどに儚げで美しい。

 絵画から切り取ったような景色に“少年”は目を奪われる。それから、マリアの方へ歩み寄った。


「あの」


 後ろから声をかけられてマリアは驚いて少年の方を振り返る。少年は、小脇に薪を持っていた。それと似ている栗毛色の髪、同色の瞳もまたどこか美しい。呆然とした様子の少年は、マリアの月光を背にして立つ姿に目を奪われていた。それから、はっとした顔になったと思ったら、森のどこからか火が上がる。

 こっちに、といって少年は薪を投げ捨ててマリアの手を取って駆けだした。この森で住んでいる少年からすれば、この森は自分の庭も当然だった。そのため、どこに何があるのか全て把握済みだ。


「あの!」


 マリアが焦った口調で言うと少年は、マリアの手を引きながら「もう少し我慢して」と答えた。煙がどんどん広がっている所を見ると、どうやら火の手がこの僅かな間で広がっていることを意味する。確かにこのままでは焼け死んでしまうが。


「違うの、旅の仲間達が」


 マリアがそう叫ぶと「大丈夫ですよ、〈眷属〉というものは主を守るためこういうのには敏感です」と答えて手を離さず駆けてゆく。少年の言葉にマリアは、レイヴァン達の無事を祈るしかなかった。



 僅かな違和感と胸騒ぎを感じてレイヴァンが目を覚ました。気づけば胸元にある石が赤く発光し何やら悪いことが起こりそうだと言うことを告げている。

 体を起こして少し森の奧へと踏み込むとマリアが弓の練習をしていたのだろう。木々に矢が数本、突き刺さっている。けれど、肝心のマリアの姿がない。口の中でマリア様と呟いた。そのとき、焦げた匂いが鼻をついた。どうやら、森の木に火が付いたらしい。刹那に、レジーやギル、クレアが起き出してヘルメスはレジーがたたき起こした。それから、多くはない荷物を持ち上げる。そこでレイヴァンとマリアの姿が無いことに気づき皆はレイヴァンがいるところに着いた。だが、マリアがいないことをレイヴァンから聞くと少しばかり汗をうかべる。けれど、火の手は迫りつつある。

 レジーがふと風の声に耳を澄ませた。かと思えば、口を開く。


「マリアは、〈眷属〉の守人が守ってくれているようです。なので、オレ達もこの森から脱出する方法を考えましょう」


 この一言で皆は頷き、逃げることとした。レイヴァンは、マリアの無事をただひたすらに願いながら。

 そのとき、後方から確かな殺気を感じる。思わず剣を引き抜いて斬撃すると背後にいたのであろう、コーラル国の兵が仰け反った。胸元には星を象ったメダルが結わえられている。レイヴァンが確かな殺気を孕ませれば、兵は少しばかり後ろに後ずさる。けれど、容赦なくレイヴァンは斬撃した。兵は力を失い地面へ倒れ込む。あとから、何人もの兵が沸いて出たがその兵達はレイヴァンの剣に斬られる前にレジーの弓で射られる。

 火はすでに森を包み込んでいた。あたりが煌々と燃える炎に包まれレイヴァン達も額に汗をかいて焦燥しているらしかった。とにかく、森を抜けるため駆けてゆく。けれど、兵達もどこからともなく沸いて出る。


「まったく、まるで虫のように沸いて出る奴らだな!」


 兵達を迎撃しつつギルが言った。その言葉に「ああ」とレイヴァンが答える。クレアはスカートの中に隠し持っていた短剣で兵達を迎撃していた。ふとギルとクレアの背中どうしがぶつかる。


「お嬢だから戦えないって言わないのか」


「誰が、あんたなんかに!」


 半ば怒ったようにクレアが言えばギルは鼻を鳴らす。刹那に二人に襲いかかった兵はギルとクレアに斬撃される。クレアの場合は怒り任せという感じが否めないが。すると、ひゅうとギルは口笛を吹いた。


「やりますな、お嬢」


「その呼び方、止めてよ」


 嫌みな言い方をするギルにクレアが突っかかる。兵達はその間も二人に襲いかかるが二人は、次々と兵を倒していく。その様子にレジーは、半ば呆れつつ感心したように息を漏らした。


「言い争いながら、あれだけ動けるなんてすごいですね」


 レイヴァンが「感心するな」と言いながら、ため息を零して斬撃する。あたりが兵の屍で埋め尽くされていた。追っ手がいないことを確認するとレイヴァン達は駆け出す。しかし、炎がすでに森を覆い尽くしている。レイヴァンが「まずい」と口の中で呟いた、刹那。澄んだ水の流れる音のような歌声が聞こえてきた。ギルの歌声だった。


『あの街に行くのかい?

 パセリ、セージ、ローズマリーにタイム

 そこに住むあの人によろしく言っておくれ

 彼女はかつて恋人だったから』


 紡ぎ出されたその歌声が大気に空気に触れて震えると空に涙を含んだ雨雲が現れる。それは実に一瞬で、辺りが闇に閉じこめられたと思ったら涙のような雨が降り注ぐ。まるで魔法のように雨が森の炎を消し去ったが、木々は随分と燃えてしまっていた。


(マリア様はご無事なのだろうか)


 降りしきる優しい雨に打たれながら、レイヴァンは雨雲を見上げた。



 少年に手を引かれマリアは、森を抜けて人里離れた場所にある小屋に招き入れられた。そこでは、少年とまだ年若い男が同居しているようだった。若い男は色素の薄い茶髪の髪と翡翠の原石のような瞳をしており、なかなか顔立ちも整っている男であった。背もたかくほどよい筋肉もついているが、マリアにはレイヴァンが見慣れていることもあって、それほど筋肉があるようにとらえなかった。

 そんな男のいる小屋のような家は、小さな部屋が一つあるだけであった。小屋の中央には、マリアが本で読んだことしかない火鉢が置いてある。近くにマリアはちょこんと座らされて、温かくぬくめられた水を出してくれた。その上、温かい毛布を肩にかけてくれる。見知らぬ人間にここまで出来るとは、驚きの連続だ。すると、若い男は「困っている人がいればどんな人間であろうと手を差し伸べてしまうものです」となんてこと無いようにマリアに言ってのける。マリアは感心しながら、コップに口を付ける。


「本当にありがとうございます。なんとお礼をすればよいか」


 困ったようにマリアが言えば若い男は、ふふと上品に笑う。すると、あなたのように何も持たぬ人に何も要求いたしませんよと答えた。ならば、何か持っている人ならば何か要求するのだろうか、とマリアは口を開きかけたがすぐに噤む。もし何か言ってとんでもない物でも要求されたら困る。本当にマリアが持っている物など無いに等しいのだ。返せる物など何もない、と思ったがふとカバンの中を漁る。中からセシリーから作り方を教えてもらった脅かし花火を取り出す。実は旅の途中でも作ったりしていたのだ。それを若い男と少年に渡す。


「これは?」


 少年は戸惑ったようにマリアを見つめる。そんな少年にセシリーがしたような説明をする。すると、若い男は興味深そうにマリアの話を聞いていた。なにやら、楽しげだ。


「ほう、面白い」


 若い男の眼光が鋭く光る。ときに、と若い男は切り出す。


「あなたは随分と知識に関してどん欲のようだ。学ぶことを楽しく感じられておる」


 言辞にマリアは驚きつつも頷いた。それからどうしてわかったのだ、と問いかければ若い男は小さく笑い微笑んで見せた。


「とても楽しそうに話しておられたから」


 マリアが頷いて嬉々として楽しげに「ああ」と答えた。すると、若い男は人差し指を立てて「あなたは本がお好きのようですが」と言ってマリアの懐におさまっている本を指さす。小さく頷くと若い男は微笑んだ。


「冒険小説がお好きなようですが、その小説の中で主人公はどうなさっていますか」


「仲間と協力して危機ピンチをくぐり抜けて、絆を深め合っている。最初は冷たかったキャラクターも、徐々に主人公と心を通わせている」


 そうです、と若い男は言った。大抵の物語の主人公は、誰であろうと心を通わせようとする。物語だからと言えばそれまでであるが、物語の主人公は無意識のうちにできるのにできないふりをしているんだ、と男は言った。その言葉にマリアが驚いたのは言うまでもない。


「できるのに、できないふり?」


「ええ、物語の主人公とはそういうものです。大抵の物語の主人公は、あらゆる面で優れておりますから。まあ、作者がそういうふうに位置づけるからそうなってしまうのですが」


 若い男はそういって、笑う。それから、コップに口を付けてすすった。それから、これは戦争の戦術においても言えることなんですよ、と面白そうに言う。マリアが考えるように少し顔をうつむかせた。


「その戦術というのは……」


「では、戦争とはなんですか」


 突然、問われマリアが言いよどむ。それから、色々考えて政治における最終手段ではないのか、と口にした。若い男は、「そうですね」と言って頷いてみせる。


「戦争はしょせん、だましあいなのです。能ある鷹は爪を隠すようにこちらの手を相手に知られてはならない」


 マリアが険しい顔で頷いた。若い男も頷き返し、それからと一息ついてこう言葉を紡いだ。


「今回のコーラル国のやり方は実に愚かしいやり方だ」


 と告げた。マリアが首を傾げれば若い男は、「戦わずして勝つことが一番よいのです」と答えた。尚も首を傾げるマリアに若い男が答えた。


「武力にうったえることなく、敵軍を降伏させ城攻めを行うことなく敵城を陥れる」


「そんなことが可能なのか」


 若い男は頷いた。これは頭脳で戦うのですとも言葉を紡ぐ。マリアの好奇心がくすぐられてしまう。若い男が立ち上がったと思ったら、本棚から一冊の本を取り出した。


「どうやら、今夜は止みそうにない。小さな小屋でございますが、雨が止むまでの間、その本をお供に過ごしてもよろしいでしょう」


 マリアが本を受け取り、表紙を見る。そこには、玻璃国の言葉で『兵法』と記されていた。思わず顔を上げれば若い男は頷いてみせる。


「東方の国、玻璃国へ向かったときに見つけた物です。今、お話しした内容もそこに載っています」


 ぱらぱらと本をめくれば、なるほど。確かに、男に言った言葉が記されている。面白い、と思わず呟けば若い男は満足そうに頷いた。隣で少年は、何やら糸を紡いでいた。そんな少年に若い男が笑いかける。


「なかなか、見所のある子を連れてきたな。だが、お前がこの子を招き入れたということは」


「はい、この方は『我らが王』なのです」


 二人の会話はマリアには、聞こえていない。すっかり本に夢中なのだ。


「つまり、この子は王族か」


「いえ、それはわかりかねます。僕は偶然、あの森で声が聞こえてあの方に導かれましたから。でも、あの仕立ての良い服にきれいな言葉遣い。もしかすると」


 若い男は「そうか」と呟いて顎に手を当て、マリアの方を見る。マリアは、無邪気な子どものように本に読みふけっていた。



 日が開けると、雨はすっかり止んでいた。マリアは、本を開いたまま眠ってしまっていた。それから、驚いて上半身を起こすと扉ががらりと開く。


「おや、起きられましたか」


 少年が何か動物を抱えて入ってきた。少年に駆け寄ると少年は、小さく微笑む。

 すごいな、と素直に感心してマリアが言えば、少年はそんなことはございませんと答えて土間で火を起こし始める。それから、捕ってきたであろう動物を調理すると鍋の中へ放り込んだ。それから、ぐつぐつと煮る。


「料理も出来るのか」


「ええ、まあ。ソロモン……一緒に暮らしている男性が生活力がゼロなものでして」


 どうやら、あの若い男性はソロモンというらしい。しかも、少年に生活力ゼロとまで言われている。それほどまでも、無いのだろうか。


「ふふ、そうか。そういえば、まだ名乗っていなかったな。わたしは、マリア」


「僕はエリス。〈木の眷属〉の守人です」


 マリアが思わず驚いて守人だったのか、と呟く。少年ことエリスは頷いて小さく口角を上げた。そして、調理を終えたのか器に調理した入れてマリアに渡す。器からは温かい湯気がゆらゆらと立ち上っていた。


「美味しそうだな」


「ありがとうございます」


 そのとき、ソロモンも家へ入ってきた。それから三人は食事を終えるとマリアは立ち上がり世話になった、とほほえみかけた。


「もういくのかい?」


 ソロモンの言葉にマリアが頷く。きっとみんながわたしをさがしているだろうから、とマリアが言えばソロモンとエリスは、せめて旅の仲間に会うまで送っていこうと言ってくれてマリアは一度は拒否したものの人の厚意は受け取る物だとソロモンに言われ送ってもらうこととなった。



 レイヴァン達は森の出入り口付近で一夜、明かすとマリアを捜すためにまた森の中へ足を踏み入れていた。しかし、マリアの姿はおろか人の姿すら見あたらない。レイヴァンの中で焦燥ばかりが木霊していた。そのとき、ふとヘルメスはレイヴァンに近寄る。


「その石でマリアの居場所、わからないか」


 はっとした表情になってレイヴァンが、そっとペンダントに手を当てる。けれど、何の反応もない。首を横に振ってみせれば、ヘルメス達は落胆の色を見せた。そこでギルが口を開く。


「もしかしたら、森を抜けて次の町へ向かっているかもしれない」


 レイヴァン達は、次の町へ向かうことにした。

 しばらく、そうして歩いて森を抜けると小さな町が見えてくる。そこもまた随分と荒らされている。この情景を見るとエイドス支城は、どれほど豊かで人も物も溢れかえっていたのかがわかる。

 マリアが見ればたちまち心を痛めていただろう。ここにはいないが、手に取るようにそれがわかった。

 ここに長居は無用だとギルが言った。確かにここに長居しても食べ物も何もない。ここでマリアを待つわけにもいかないだろう。もう少し豊かな場所へ行きマリアを待つべきだ。

 レイヴァン達は次の町を目指して進んでゆく。

 その間、レイヴァンはずっと無口であった。元々、口数の多い男ではなかったが今は拍車をかけて無口だ。

 クレアは、隣をいくギルにそっと声をかけた。


「ねえ、レイヴァンはやっぱり姫様のことを君主以上に思っているのね」


「まあ、ずっと一緒だったんだし仕方ないんじゃないか」


「そうよね、私たちで姫様の居場所がわかればよかったんだろうけど。生憎と私たちは、自然の声が聞こえるだけ。その声が答えてくれなければ、どうすることも出来ない」


 ギルは頷いたと同時に、わずかに目を見開いた。レジーも同じようで目を見開いて警戒している。クレアは眉根を寄せて地面に手をついた。


「この歩き方、軍人ね」


 クレアの一言にレイヴァンが足を止める。追っ手か、と問いかけると三人は頷く。気がつけば、コーラル国の兵に囲まれてしまう。襲いかかってくるコーラル国の兵を斬撃する。ヘルメスはというと追っ手がいると気づけば物陰に身を潜めていた。

 兵をある程度、倒すと自らの部下をかき分けて一人の男が姿を現す。初老の男はレイヴァンと同じ星の形が浮かんでいる紅玉ルビーの勲章を付けていた。


「お前は、城の護衛をしていた正騎士長、直属の部下ではなかったか。なぜ、この場にいる? 加勢に来たというわけではないのだろう」


「おお、正騎士長から聞いていたとおりしたたかな男だ。おれはクリフォードと共にコーラル国の密偵としてこの国へ来た正騎士アレックス」


 なんだと、とレイヴァンが驚きを隠せない。すると、アレックスはレイヴァンに向かってバスタードソードを振り下ろした。すかさずレイヴァンをそれを避ける。

 バスタードソード、それは片手剣と両手剣の間の剣で切ることも突くことも出来るという優れものだ。しかし、扱うためには専用の訓練を受けなくてはならない。つまり、扱いづらいのだ。だが、目の前にいる男はいとも容易く扱っている。慣れ親しんだ証拠だろう。

 昔は、多く取り入れるために講師を世界中から呼んだという。しかし、扱いづらいが故にあまり使いこなせる者はいなかった。そのため、現在ではあまり普及されていない。

 レイヴァンは、小さく歯を食いしばりながらアレックスをにらみ付ける。獅子のような瞳で睨まれればそこらにいる兵は、たじろいだ。けれど、アレックスは兵に言い放つ。


「何を怯えておるのだ! 多勢に無勢、こちらの勝利は確かなものなり!」


 そして、レイヴァンに襲いかかる。レイヴァンが斬撃すれば、幾人かの兵が血を流して倒れたがアレックスは、斬撃を避けていた。


「使えない部下どもよ。もういい! おれがやる」


 叫んだと思ったらレイヴァンに襲いかかった。金属のぶつかる音が響き渡り、あたりに火花が散る。レイヴァンが押されて歯を食いしばった。

 加勢しようとギルとレジーは、駆け寄ろうとしたが兵が前に立ちふさがり邪魔をしてくる。クレアも兵の相手で手一杯だ。ヘルメスは、物陰から様子を見守っていた。何か、使えるものがないかとカバンの中を漁っていたが、このところ特に調合をしていなかった。思わず舌打ちしたい気分になったが、武器を持っていない自分が出て行っても殺されるだけだ。ならば、ここにいる方が良い。そう結論づけてじっとしていた。すると、ふと少し高い立地の所からレイヴァンとアレックスの方向に向けて矢を射る影が見えた。

 夕闇の太陽を背に受けているが為に顔は見えない。だが、凛としたその立ち姿は見覚えがある。

 薄い金の髪がはらはらと風に煽られて揺らめいた。アレックスの背中が影の方へ向いた、刹那。きらり、と夕日を浴びて矢の切っ先がひらめいたと思えば、その矢は影の主の手から離れて空を切ってゆく。やがて、その矢はアレックスの背を打ち抜いた。

 アレックスは、たちまち力を失って地面に倒れ込む。驚いているレイヴァンの目に夕日に背を向けて弓を降ろした影が見えた。

 すると、今度は栗毛色の髪の少年が兵の背後から矢で打つ。たちまち、兵は思わぬところからの矢を受けて倒れた。赤い血が地面にしみこむ。僅かに生き残った兵は、戦いて焼けこげた森の中へと逃げていった。すると、少し高い所から影の主が降りてくる。そして、レイヴァンの耳に慣れ親しんだ声が聞こえてきた――マリアであった。


「レイヴァン、ケガはないか」


「マリアさま?」


 影の主が近寄り顔がハッキリ見えるとレイヴァンが驚いたような表情になる。それから、笑みを浮かべて無事で良かったと呟いた。


「それは、わたしの台詞だ。レイヴァンが無事で良かった」


 マリアが涙をぽろぽろと零す。それは、夕日を浴びてきらきらと煌めいた。その涙をレイヴァンの指が拭う。


「あなたに助けられてしまいました。俺はあなたの専属護衛ですのに」


「いいんだ。それにわたしは、お前を失いたくはない。だから、武器を取るんだ」


 答えたマリアの隣にのっぽの影が立つ。影の主を見てレイヴァンが驚いて声を上げた。


「ソロモン!?」


「おやおや、このような場所で旧友に会おうとは神も面白いことをしてくださる」


 二人を交互に見つめて、マリアが知り合いなのかと問いかけた。固まっているレイヴァンに変わってソロモンが「ええ」と答える。


「昔のことです、レイヴァンは女に飢えてついには娼婦にまで手を――」


「嘘をつくな! それにあれは……」


 マリアが目をまん丸にした。そして、レイヴァンをまじまじと見つめてしまう。本当なのかとマリアが呟けば、レイヴァンが苦虫を噛みつぶしたような顔になる。そして、はあと息を吐き出した。


「まったく、ソロモン。少しは変わったかと思えば変わらないな」


「旧友との再会をそんなに喜ぶとはい奴め」


「そういう意味じゃない!」


 うつむいたマリアに気づいてレイヴァンが慌てて取り繕うように「あれは嘘ですからね」と言った。けれど、マリアは小さく「うん」と呟いてなんてこと無いような顔をしてレイヴァンを見上げた。


「レイヴァンも男だものな、気づかなくてすまない。別に行ってもかまわないからな」


 レイヴァンが疲れたような表情をした。横でソロモンがと声を出して笑っている。

 ギル達も剣をおさめてマリアたちの元へ来た。それから、栗毛色の髪の少年、エリスも来た。

 ギルは先ほどの会話が聞こえていたらしくニヤニヤしている。クレアは下衆でも見るかの視線をレイヴァンに向けていた。レジーは相変わらずの無表情でヘルメスは、なんてこと無い表情をしている。


「いいですか、マリア様。ソロモンのいうことを聞いてはいけませんよ。こいつは、いつもこういって俺をからかってくるんです」


「からかうってことは、既成事実があるんじゃないの?」


 クレアが冷たい瞳でそう言えば、レイヴァンは汗をうっすらとうかべている。


「だから、違うと言っているだろう。昔、偶然助けた女性が娼婦だったと言うだけで特に何も」


「だが、その時に女性から『体で払います!』って言われたんですよ」


 くつくつ、と笑いながらソロモンが言えば、あれは断っただろう、とレイヴァンが反論する。狼狽するレイヴァンにマリアが小さく微笑んで見せた。


「あの、マリア様。ソロモンが言ったことは」


「大丈夫だ、わかってるよ。嘘つく必要もないのだし、本当にその人とは何にも無かったのだろう? それにレイヴァンが誰と恋愛しようとわたしには関係の無いことだし」


 言いながらマリアの胸が、ズキリと痛んだ。けれど、それは事実なのだ。どんなに親しい人であろうとも人の恋愛に口を出すべきではない。それは個人の自由なのだ。そこにレイヴァンを縛る権限は王族であろうと無い。けれど、レイヴァンの眉が明らかにつり上がり不機嫌になっていたのは言うまでもなかった。


「関係ない、ですか」


 明らかに不機嫌なレイヴァンにマリアが思わずたじろいだが、すぐになんてこと無いような顔を見せて「どうかした」と問いかけた。すると、レイヴァンがマリアの肩をきつく掴む。痛みで思わずマリアが顔を歪めた。

 感情を押し殺すような声がレイヴァンの口から漏れた。どうして、とレイヴァンの口から紡ぎ出される。その声は重くマリアの脳に響いた。

 小首を傾げるマリアに本気でそう思っているのだろうな、とレイヴァンは思ってしまう。レイヴァンが思わざるを得ないほどにマリアは他意のない表情をしていたのだ。確かにマリアに他意はない。だが、マリアが自分で言っておいてまさか傷ついているなんてレイヴァンは思いもしなかったのだった。


「おお、あついあつい。レイヴァン、あまり人前で口説くな。こちらが恥ずかしくなるだろう?」


 ソロモンが言えば、レイヴァンは感情を押し殺してマリアの体を突き放す。あまりにレイヴァンが冷たく突き放すものだからマリアが困ったように汗をうかべてオロオロと何か言おうと口を開いたけれど、そんなマリアの肩をギルが叩く。


「姫様、今はそっとしておいた方がいいですよ」


 言われ、しぶしぶと頷く。すると、ソロモンはこちらのことなんて気づいてないかのようにレイヴァンに話し掛けた。


「そうだ、レイヴァン。今夜はうちに泊まっていけ。もう夕方であるし、美味しい食事もエリスが用意してくれるぞ」


「お前じゃないのか」


 レイヴァンが思わず突っ込む。すると、エリスは弓矢を矢筒にしまいこみながら「はい」と答えてレイヴァン達を小屋の中へ招き入れる。結構な大人数であるがために小屋の中はいっぱいになってしまった。けれど、それでもレイヴァンとソロモンは旧友との再会が嬉しいからか話が弾んでいる。そんな二人にクレアは割り込んで二人はどういった仲なの、と問いかけた。すると、ソロモンが笑いながら答えた。


「なあに、俺が昔に城に勤めていたことがあって偶然、知り合って意気投合しただけさ」


 へえ、とクレアは興味津々に話を聞こうと身を乗り出した。すると、ソロモンが少々困ったようにレイヴァンに目を向けた。まったく、とレイヴァンが苦笑いを浮かべる。ソロモンが酒場で酔いつぶれて酒場の店主に頼まれてレイヴァンが介抱した話をした。それから、何となく話すようになったこと、何となく息があって一番話しやすいと言うことを話した。


「けれど、まさかこんなところにいるとは思わなかったぞ。陛下からの命令でどこかに行っているという話は聞いていたが」


「ああ、なんだ。陛下は俺に告げた任務をお前に話さなかったのか」


「任務だったのか」


 ソロモンが小さく頷いた。それから、陛下が言わなかったのなら俺も秘密にしておこうと言った。レイヴァンも小さく頷いた。王が黙っていることをわざわざ聞き出すことも出来まい。けれど、ソロモンはせっかくスローライフを楽しんでいたのに何でお前と再会せねばならぬのだ、と毒でも吐き付けるようにいった。しかし、その中には再会を喜んでいるかのような響きも含まれている。

 やれやれ、と呟いたレイヴァンの隣に本を持ってマリアがちょこんと座った。ソロモンがここにある本は何でも読んでいい、と言っていたのだった。

 古めかしい装丁の本を開いて、マリアはページをめくる。それを眺めてレイヴァンは、苦笑いを浮かべた。


「ソロモン、マリア様に妙なことを吹き込むなよ」


「なあに、戦術の基本をすこぉし話してやったぐらいだ」


 レイヴァンが明らかに疲れたように頭を抱えた。それを見てソロモンは、と鼻を鳴らす。それから、なかなか見所のある娘だと言った。レイヴァンの額に僅かに汗が浮かぶ。そんな気配に気づいてマリアが顔を上げた。無意識に上目遣いをしている。


「レイヴァン?」


 薄紅色の唇が開いてそう名前を呼んだ。気が抜けているのか甘えかかるような声であった。いくらレイヴァンの前であっても他に人がいればそんな声を出さないマリアであったが、完全に気が抜けているらしい。クレアやギルは、声に驚いて目を見開いていた。


「か、かわいい……」


「なるほど、これは放っておけないわけだ」


 先に言葉を発したのはクレアで後から言ったのがギルだ。反応は様々であるが、素直に驚いているようだった。

 クレアは頬を赤く染めてギルは、ふむふむと何か勝手に納得をしている。それを横目で眺めてレイヴァンは小さく息を吐き出した。

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