第十一章 アルケミスト

 ヘルメスがここは、材料が揃っているからと病院内のものを漁る。町の人に聞いてみれば、建物があるだけで医者はいないから勝手に使って良いとのこと。そこでヘルメスはマリアに何やらガラスの筒やら何やら器具を見せる。


「これが錬金術につかう道具です。これは液体の量をはかるためのもの、これは薬品を入れるもの」


 マリアは、ふんふんと器具を見て頷く。どれも目新しい物ばかりだ。レイヴァンとレジーもマリアの後ろで聞いている。


「さらにこの道具を使えばアルコールの抽出を行うことが出来ます」


「アルコール、というとお酒に入ってる?」


「はい。錬金術の創始者と言われている婦人マリアが、蒸溜器を開発したことにより、人類はアルコールの蒸留が出来るようになったとも言えます」


 マリアがため息にも似た声を漏らす。


「すごいな、錬金術とは」


「はい、何でもするのが錬金術師です。ですが、逆に言えばその分、危険が伴います。錬金術師は探求者です。何でも知ろうとしてしまうゆえに野蛮と言われたりします。現に未踏の土地でも土足で上がり込みますから」


 マリアの目がまるまると見開かれる。けど、輝いているように見えた。


「未踏の土地か、行ってみたいな」


 という表現が正しい表情をマリアがしていると、ヘルメスもまた楽しそうに笑う。


「ええ、錬金術とはとても楽しいのです。研究すればするほど、自分の知らなかった世界が開けてゆく。こんな楽しい学問が他にありますか」


 先生と生徒というよりも、同じくらいの子どもみたいにレイヴァン達には見えてくる。


(錬金術師とは、恐れられ迫害されることが多いというのに。この者は、なんと子どものような目で笑うのだろう)


 レイヴァンがそんなことを考えているとはつゆ知らず、ヘルメスは楽しそうにマリアに錬金術の基礎を教え始めた。机の上に分厚い本をぼんと置く。そこには「錬金術」と簡素な題名が記されているだけであったが、マリアは興味深そうに本を開く。使い古された本は、開くだけで時の流れを感じるほどにつんとしたニオイが鼻についた。けれど、マリアは気にならないのか楽しげに本に目を通していた。


「これを読めばわたしもお主のように薬を作ることも出来るのか?」


「そうです。けど、その前にマリアは植物や石、動物などについて学ぶべきです」


「石も?」


「石も錬金術の材料となります。錬金術は自然の物を余すことなく利用しますし」


「面白そう!」


 マリアは目を輝かせてヘルメスの話を聞く。その後ろでふとレジーは、レイヴァンに話しかける。


「レイヴァン、バートも錬金術師だったんだよな?」


「そういうことではないか」


 レジーが顎に手を当てて考え出す。それから、考えていたことレイヴァンに言った。


「もしかすると、王妃様はオブシディアン共和国に産まれて錬金術を行っていたのではないか?」


「まさか、そんなこと」


「だけど、あり得なくはないだろう。バートと王妃様が知り合いだったことも、そうだとしたら説明が付く。正騎士長がなぜ知り合いだったのかはわからないが」


 レジーの考えにレイヴァンは、小さく頷く。


「そうだな。可能性としてはあり得なくはない」


 マリアが楽しげに錬金術の話を聞いている。それを眺めながら、レイヴァンは心の中でレジーの考えが的を射ていると思わざるを得なかった。


(マリア様はこんなにも錬金術に対して楽しそうにしている。もしかしたら、王妃様も錬金術を行っていた? 確かに、我が国では錬金術を禁じてはいないし)


「しかし、ここ病院であるはずなのに錬金術の本が多いな」


 ヘルメスが言えば、町の一人がマリア達のいる部屋に入ってくる。それは、レイヴァンと弓の勝負をした男だった。


「ああ、それはここは元々、病院じゃなくて錬金術師の工房だったんだよ」


「すみません。試合を途中で放り出したような形になってしまって」


 レイヴァンが申し訳なさそうにそう言うと男は、がはがはと笑う。


「かまわんさ、緊急事態だったのだろう。そこにいる王子を助けるためだったのだろう」


 マリアが目を見開く。


「わたしが王子だと気づいていたのか」


「ああ、おれはこれでも王都にいたからな。戦場を何とかかいくぐって生き延びたは良いものの食べ物もなく死にかけていたところをこの町の人が救ってくれた」


「では王都にいたのか?」


 ますます驚いてマリアとレイヴァンは目を見開いた。そこでレイヴァンが声を上げる。


「そういえば正騎士長が前に話していましたね。自由奔放な正騎士がいると」


「レイヴァンは、面識なかったの?」


「ええ、俺はマリア様専属護衛に命じられていたので、他の騎士とはあまり交流がなかったもので」


「そういうものなの?」


 マリアが首を傾げれば男はニイと笑う。


「ああ、規律というものがあるんだよ。しかし、レイヴァン。王子を女性名で呼ぶとは。それでは、王子が女の子みたいに聞こえるぞ」


 そこで気がついてレイヴァンは思わず、「あ」と声を上げる。普段、レイヴァンは他の人がいる前では王子か男性名であるクリスと呼んでいた。しかし、この時ばかりが気を抜いていてマリアと呼んでしまった。

 すると、レジーが追い打ちをかけるようにこういった。


「マリアって女の子だよね?」


 男が固まる。そして、大声で叫んだ。


「ええっ! 王子って、女でもなれるのか!?」


 おかしな発言をする男にレイヴァンが頭を抱えた。そして、男にマリアが実は女の子であること。それから、男装して男として育てられたことを話した。


「そうだったのか。確かに、おかしいとは思っていたんだ。王子なのに武器も持たせるどころか触らせない王や王妃。しかも、専属護衛まで付けるなんて。だけど、そうか。ううむ」


 男はひとしきり悩んだ後、パン!と足を叩いてマリアをまっすぐ見据えた。


「よし、おれも王子を守るために旅に同行しよう!」


 マリアが驚いて目を見開く。


「おれは正騎士、エイドリアン。よろしく頼むぜ」


 差し出された手をマリアは取り、握手を交わす。けれど、マリアの口から思いがけない言葉が飛び出した。


「すまないが、エイドリアン。お主には別のことをやってもらいたい」


「はい、何でしょう」


「コーラル国を追い出すための戦力をわたしは探している。だから、お主には支城がまだ乗っ取られてはいないか、偵察して欲しい」


「かしこまりました。王子は?」


「わたしは、この国をもっとよく見たい。この国を巡りながら戦力となってくれる人探すから、時間がかかると思う。だから、お主に先回りしてもらいたいんだ」


 男ことエイドリアンは、うやうやしく跪く。


「わかりました。では、明日にでも出発いたします」


「ありがとう。面倒をかけてしまうな」


「いいえ、かまいませんとも。あなたにこうして巡り会えたのも何かの縁。ここであなたの命を聞かぬものなら、天罰が下されましょう」


「そうだ、エイドリアン。コーラル国の兵がこんなにも早く、王都までついた理由を知らないか?」


 エイドリアンは、悩むように顔を少し伏せた後、顔を上げる。


「それが、わからないのです。知らないうちに仲間は皆、やられてしまいましたし。正騎士長に言われ、なんとか戦場から離脱しましたから」


「やはり分からないことだらけだな」


 目を伏せたマリアにレイヴァンがそっと近寄る。


「クリフォードに会うことが出来れば、いちばん手っ取り早いのだがな。コーラル国と本当に通じていたのか確かめる術もあるというのに」


 マリアの言葉にエイドリアンが目を見開き、同じことをつぶやく。


「ああ、わたしを追ってきていたコーラル国の兵が言っていた。しかし、根拠はない。それにあのクリフォードが国を裏切ったと思えないんだ。もしそうであるならば、何か理由があるんじゃないかと思っている」


 頭を悩ませるマリアのお腹がふと鳴る。その音で張り詰めていた空気が一気に壊された。思わず声を漏らして顔を真っ赤に染めた。そんなマリアを見てエイドリアンは立ち上がるとお腹をさする。


「腹が減っては戦はできぬ、良い考えも浮かばぬ。よし、飯にしよう」


「ああ!」


 恥ずかしそうであるけれど、嬉しそうにマリアが微笑めばレイヴァンの頬も緩む。ヘルメスにギルのことを頼むとマリア達は病院を後にして外へ出た。エイドリアンは「狩ってくる」といって山の中へ入っていった。レジーがつりに行こうとしたがエイドリアンに止められマリア達と一緒にいる。町の人が用意してくれた簡易的な椅子に座っていると、マリアは錬金術の本を開いて読み始める。


「どのようなことが書かれているのですか」


 レイヴァンが問いかければマリアは満面の笑みで答える。


「まだ最初の部分しか読んでいないが、器具の名称や使い方を書いてある。それから、錬金術がどんなものであるか。材料についても書かれている」


 マリアがあまりに楽しそうに答えるものだから、レイヴァンもつられて笑顔になってしまう。そして、「そうですか」とだけ答えて静かにマリアが本を読む様子を眺めることにした。

 しばらく経つとエイドリアンがイノシシを抱えて戻ってくる。それを見てマリアは驚いて目を見開いた。


「すごいな」


 ふふん、とエイドリアンが鼻を鳴らす。それから、豪快な手つきでイノシシをさばいてゆく。それをマリア達が眺めているとさばいた肉を起こした火で焼き上げてマリア達に「出来ましたぞ」と言った。豪快であるが辺りには肉の良い香りが漂っている。我慢できなくなり、マリアは王族らしからぬ大口を開けて肉にかぶりついた。


「おいしい」


 ただ一言、告げればレイヴァンとレジーも我慢できないのか肉にかぶりつく。大量の肉汁があふれ出して地面の上に零れてゆくが、それには気にとめずかぶりついてゆく。やがて、マリアはお腹がすぐにいっぱいになって口元を拭くとレイヴァンとレジー、エイドリアンが食べている様を眺める。すると、町人の一人がマリアに声をかけた。まだ年若いその男は、マリアの隣に腰を下ろす。


「あんた、旅人なんだって?」


「はい」


 答えたマリアの肩に手を回した。思わずマリアの肩がびくんとはねる。男は何やら瓶を見せて「飲んでみないかい」と問いかけた。


「これは、何なのですか」


 丁寧にマリアが問いかければ男は、この町の名産である飲み物だと答える。それから、グラスに瓶の中身を注いだ。その液体は淡いピンクの色をしており、甘い香りが漂いだした。


「桃ですか?」


「そうだよ。この地域にしか無いものだから稀少なんだよ」


 マリアは注がれたグラスを手で持ち上げる。すると、桃の匂いの他に何か別の香りがする。その香りに思わず顔をしかめる。確かに嗅いだことのある匂いであるはずなのに匂いがそこまできつくないせいか、思い出せない。マリアが首をひねっていると男は飲んでくれと言わんばかりにマリアを見つめる。仕方なく、マリアはグラスに口を付けて中の飲み物をごくん、と飲んだ。すると、急に頭がぐるぐると回る感覚に襲われる。それと共に訪れるふわふわとした感覚。そうなってから、気づいた。これがお酒であることに。


「美味しいでしょ。飲みやすいし、アルコール度数もそんなに高くないから女性に人気で……って、あれ。お嬢さん?」


 マリアの意識が、どこかふわふわとしていて目線も虚空を映している。


「はれ? なんだか、ふわふわします」


 定まっていない視線に男は、一気に冷や汗をかいた。それから、レイヴァン達がこちらの様子に気づいてマリアに駆け寄る。


「マリア様、どうかなさいましたか」


「あ、れいう゛ぁん、なんらかね、ほわほわしてるの」


 呂律の回っていない舌足らずな状態でマリアが言えば、レイヴァンが僅かに目を開く。それから、近くにある瓶のラベルを見た。


「これは、お酒!?」


 男の方をと向くと男は、怯えたようにレイヴァン達を見る。


「いや、このお酒は子どもでも飲めるような酒なんだ。まさか、この酒で酔う人がいるなんて思わなくて」


 一秒後に男はレイヴァンから大目玉をくらったのは言うまでもない。それから、レイヴァンはマリアを抱き上げてヘルメスの元へ向かっていた。頬を真っ赤に染めたマリアの目は、やはりぼんやりとしていて何を見ているのかわからない。レイヴァンもただマリアを早く寝かせることしか考えてはいなかった。


「れいう゛ぁん? なんらか、おこってる」


「ええ、怒ってますよ。あなたが勝手に知らない人からの物を口にするから」


「ごめんなしゃい、いつも、めいわくかけて」


 呂律の回らない口で謝ればレイヴァンが僅かに眉を寄せる。当然の如く、マリアは気づかない。マリアの頬を優しい風が撫でる。すると、レジーが草笛を吹いていた。その草笛の音にマリアが安心してすうと眠りに落ちる。


「何かしたのか」


「オレ達、守人はそれぞれの力を使うことが出来るから、といっても、大層なことは出来ないけどね」


 病院につくとギルがすでに目を覚まして屈伸運動をしていた。ベッドが空いているのを確認するとマリアを寝かせる。ギルは驚いたようにレイヴァンを見た。


「おい、レイヴァン。いくら何でも、酔わせてから襲おうなんて男として失格だぞ」


「違う! なぜ、そうとるんだ」


「お前が酒を飲ませて姫様を襲おうとしているんじゃないのかと」


「だから! なんで、そうなるんだ。この町、名産の酒を勧められて飲んだんだよ」


 誤解をしているギルにレイヴァンが説明する。ギルは、なるほどと呟いて顎に手を当ててレイヴァンを見つめる。それから、理性が持つかなと悪戯っぽく笑えばレイヴァンの鉄拳が飛ぶ。ギルは赤くなった鼻をさすりつつ、面白そうににやにやと笑う。


「何だ」


「別にぃ、あんたがどれほど我慢できるのかなーと」


 今度は、裸締めを食らわされる。少しして解放されれば大きく咳き込む。すると、マリアがうっすらと目を開き、とても小さな声でレイヴァンの名を呼んだ。かすかな消え入りそうな声すらも、レイヴァンは聞き逃さない。


「マリア様、目覚められましたか」


「少し、頭がほわほわしているんだけど」


 目を覚ましたと言っても、あまり体調は良くないようだ。けれど、呂律は先ほどよりしっかりしている。


「それに、何だか気持ちいいし。あ、でもあついかな」


 言ってマリアが服を脱ごうとすれば慌ててレイヴァンとギルがマリアの手をおさえる。まだ酔っているようで何で止めるのかわからない、というような顔をする。


「マリア様。あまり、服を脱ぐのは止めた方がよろしいかと」


「でもあつい」


 マリアのしなやかな手が服を脱ごうと手にかけた。その手をギルがぎゅと握り締めれば、マリアが小首を傾げて名を呼んだ。


「お姫様、男の前で服を脱ぐなど襲ってくれと言っているようなものですぞ」


「襲う?」


 マリアが首を傾げれば両者が口を噤んだ。尚も、首を傾げるマリアに何も返せずにいると、そこにヘルメスがやってきてマリアの頭元に匂いのする袋を置いた。その匂いでマリアの頭がぐらついたと思ったら意識を失って寝息を立て始める。


「まったく、答えられないことを口にするな」


 ヘルメスの一言にギルが申し訳なさそうにと笑う。それを見てヘルメスはため息を吐き出す。すまないとレイヴァンが言えば、もう少しマリアを気にかけてやれと告げて去っていった。


「錬金術師というのは、すごいんだな」


 しみじみとギルが言えば、レイヴァンも無言で頷く。そして、傍らに落ちていた本をマリアの枕元に置いた。


「姫様が錬金術を習得したら、どんな人になるんでしょうかね」


「マリア様はマリア様だ、たとえ変わってしまっても」


 少し悲しげな声がギルの耳に届いた。その声を聞いてギルは、わずかに目を伏せた。


「恐いか、姫様が変わられるのが」


「少し、いやかなり恐い。だが、自ら武器を持ち何か分からぬ学問を学ぼうとする姫君を見てみたいと思う。足掻く、その姿をこの目に焼き付けたいと思う」


 レイヴァンの答えにギルが驚いたのか目を少し見開いた。それから、ふっと小さく息を漏らす。


「俺も見てみたいね。この姫様がこれからどのような道を選ぶのか」


 何も知らず眠っているマリアの寝顔を二人して眺める。太陽が傾いて夜に近づいた時間のことだった。



 夜になり、マリアは目を覚ますと背中に汗をとかいていた。


「レイヴァン、わたし全く記憶が無いのだけれど」


冷や汗を浮かべるマリアに、ギルが下手くそな口笛をふく。レイヴァンも背中に汗を多量にかいており、口を閉ざしていた。そんな二人にかわってヘルメスが説明する。


「マリア、お酒飲んで倒れちゃったんだよ」


「そうなのか。それは皆に迷惑をかけてしまった。すまない」


 マリアが素直に言って頭を下げると、レイヴァンとギルが慌てる。気にしないでくださいと言ったのはレイヴァンで、迷惑なんて思ってないですからと言ったのはギルだ。同時に言ったが為にマリアは少々、面食らう。けれど、そうかと答えるだけにとどめる。レジーが入ってきて町の人が、何やら催し物をするそうですよと言った。


「催し物?」


「ええ、何でも明日には旅立つエイドリアンを送り出すための会とか。軽い食事とこの町、伝統の踊りが催されるとか」


「へえ、行ってみたい」


 行きましょう、とレジーが言ってマリアの手を引いた。その後ろにレイヴァンたちも続く。それから、少し歩くと酒を滝のように飲んでいたエイドリアンがいた。


「エイドリアン!」


 マリアが声をかければエイドリアンは、マリアの方を向く。その顔は真っ赤であった。しかも息がとてつもなく酒臭い。すでに何合も酒を飲んでいるらしかった。そこらじゅうに空いた瓶が転がっている。


「王子、お体の方は大丈夫なのですか」


「ああ。迷惑をかけてすまなかった」


 すると、エイドリアンは首を横に振る。それから、マリアにぐいと顔を近づける。


「ああ~、こうしてみると王子ってかわいらしいお顔をしてらしたんですねえ~、ひっく」


 酒のきつい匂いがマリアの鼻をくすぐる。マリアは戸惑いながらから笑いをする。ちょうど、その時踊り子の女性がエイドリアンの相手を始めたのでそっとその場を離れた。すると、辺りを見回せば皆、各々に過ごしている。至る所に火が焚きしめられ夜であるというのに明るい。簡単な食事といえどそこそこ豪勢な食事が並んでいた。腕の立つ調理人でもいるのだろうか。マリアは皆が楽しんでいるところを気づかれないようにその場を離れると町外れの弓道場まできた。試合があった頃は、ずいぶんと賑わいを見せていたが今は誰もおらず静かなものだ。そこでマリアは、弓をかまえる。ここにまでは、先ほどの火の光は届かない。だが、マリアの目はすでに夜に慣らされていた。的の位置がマリアにはわかる。

 目を細め的を見つめる。矢を放てば矢は、空を切り的へと一直線に向かっていく。が、途中で落ちてしまった。どうやら、的まで届かなかったようだ。負けじと次の矢を放つ。すると今度は、しゅぱーんという音と共に的に矢が突き刺さった。けれど、霞的の端の方だ。中心にはとどまっていない。悔しくなる衝動を抑えて矢をかまえた。ギ、と弓が音を立てる。マリアが思わず唇を噛めば手から矢が離れて空を切る。その矢は、まっすぐに空を切り込んで霞的の真ん中へ吸い込まれていった。たちまち、しゅぱーんという大きな音が夜空に響き渡る。思わずやった、と笑みを零せば暗い闇の中から手を叩く音が聞こえてくる。驚いてそちらの方に目をやれば、ヘルメスがいた。


「食事を楽しんでいたのではないのか」


「ええ、レジーとレイヴァンは食事と酒を楽しみ、ギルは女性をたぶらかしておりましたよ」


「ギル、そんなことをしていたのか」


「マリアは、こんな時でも弓の練習ですか。今日くらいは休めばよろしいのに」


 いや、とマリアは首を横に振る。


「わたしはまだ皆に守られてばかりだ。もっと、強くならなくてはならない」


「根気詰め無くてもいいでしょうに。見てください、今日はきれいな星空ですよ。」


 あの星、ひとつひとつもすべて俺たちのいるこの星と同じで、太陽の光を受けて初めて美しく輝くのです、ひとりで輝くことは出来ませんと紡いでヘルメスは、「ですから」と続けた。何も一人でがんばらなくてもいいんですよ、と。

 さらさらと風がながれて、二人の髪と衣服をなびかせた。



 満天の星空の下、レイヴァンがふとマリアがいないことに気づきレジーとギルに問いかけた。しかし、二人ともがそろって知らないと答える。焦燥に駆られてレイヴァンが宴の席を離れてマリアを捜すために暗い闇の中へと駆けだした。それから、町外れの弓道場でマリアとヘルメスの声がわずかに聞こえてきた。思わず眉を潜めたレイヴァンは、マリアの元へ駆け寄ろうとして足を止めた。


「ありがとう。ヘルメスのお陰で少し心が軽くなった」


「それは、よかったですよ」


「だけど、やはりわたしは強くならないといけない。ずっと皆に守られてきたのだ。いつまでも、甘えてばかりもいられないし」


「甘えたら、あの騎士は喜びそうですけど」


「いや、レイヴァンは心配性なだけだ。それにいつまでもわたしの側に置いておくわけにはいかないだろう。いつかレイヴァンには自由を返したいと思う」


「マリアは王様になるのですか?」


「わからない。わたしは、王族の血を引いていると言っても素質は無いと思うから。玉座には着かないと思う」


 何故そのようなことを仰るのか、とレイヴァンはマリアに詰め寄りたかったがぐっとこらえて物陰に身を潜める。そして、二人の会話をじっと聞いていた。


「そうですか。あなたが玉座に着かなかったとしても、王政以外のこの国のあり方をあなたは指し示すかもしれませんね」


 わたしに出来るだろうか、とマリアが呟けばヘルメスは頷いて出来ますとも、と答える。そして、あなたは俺の一番弟子ですからと言葉を紡いだ。


「弟子か。じゃあ、ヘルメスのことは師匠と呼ばねばならぬな」


「いいえ、師匠だなんて大層なものではございませんから。それに錬金術は自分の手で修めるもの。俺が教えるのは基礎とこれまでに解明されていることぐらいです」


「十分だ。それだけでも、わたしは嬉しい」


 小さく息を吐き出すとヘルメスは、ではと言ってマリアに言葉を紡ぐ。


「俺はあなたに俺の持ってる知識を渡すことが出来たら、俺はあなたの元を旅立ちます。先に言っておきますね」


「ああ、かまわない。お主は錬金術を世に広めるのであろう?」


「それもございますが、もう一つ。エメラルド・タブレットを探しに行きます」


 オウム返しにマリアが呟き、首を傾げた。すると、ヘルメスは「ええ」と言って小さく頷く。


「エメラルド・タブレットは錬金術師の創始者が書いたとされる碑石です。俺の父バートは、これをもってあなたが持っているその石を錬金術で作り上げたのですが、その碑石が何者かに盗まれたのでそれを探しに行きます」


「そうか。しかし、何故エメラルド・タブレットという名なんだ?」


「ああ、それはエメラルドの板に錬金術のことが文字で記されているため、そう呼ばれています。これにはある伝説の石の錬金法が記されているとか」


 マリアが伝説の石、と呟いて何か分からないという表情をする。それを見てヘルメスは小さく笑う。


「鉛を金に変えるという“賢者の石”ですよ」


マリアの目が見開かれる。それから、どういうものなのかと問いかけた。


「人に叡智を与えるとか不老不死とか、色々と言われていますが結局の所、分からないことが多いものです。俺はそれを自らの手で錬金しどんな物であるか調べてみたい」


 マリアが小さく笑った。


「それは、錬金術師であるがゆえんか」


「そうですね、俺は罪深い錬金術師ですから。どう足掻いても、好奇心から逃れられない」


 言い切ったヘルメスの目は、やはり子どものように無慈悲で優しい笑みを浮かべていた。そこでレイヴァンが闇の中から姿を現す。


「マリア様、このような場所にいたのですか。勝手にいなくなられては困ります。いいですね?」


「レイヴァン、宴にいたんじゃないのか」


「マリア様がいなかったから、探していたんですよ。行きますよ」


 レイヴァンに手を引かれマリアは、強引に宴が催されている方へ連れて行かれる。後ろからヘルメスも来た。二人が宴が催されている場所まで来てみると皆が皆、盛り上がり酒を飲んで騒いでいた。マリアの表情からも笑みがこぼれる。そんなマリアの手を引いてレイヴァンが宴の席へ飛び込んだ。やがて皆が踊り疲れると、闇の中で眠りに落ちていった。



 日が開けて、エイドリアンが出発したのは昼を回ってからだった。


「王子、ご武運を」


 短く告げるとエイドリアンは、マリア達に背を向けて馬を走らせてゆく。見届けてから、マリア達も旅立つ。いつまでも手を振り続ける町人達に感謝の気持ちを贈りながら。

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