第十章 約束

 次の町へ着くとそこは、随分と荒らされていた。町には、飢えた人々が地を這い木造建築の家も随分と荒れていて窓は破壊されてほとんど原型はない。壁も剣でそこら中に切り込まれた跡がありボロボロだ。倒れて腐敗した屍の周りには、何か小さな虫が舞っている


「これは、一体?」


 呆然と呟くマリアにギルがコーラル国の兵達の仕業であること、またその兵達が国中を荒らし回っていることを説明した。その声はやはり彼らしく軽いがその中に静かな怒りを感じ取れる。いつも飄々とした彼であるが怒りが隠し通せていない。相当、彼も頭にきているらしかった。


「そんなことを?」


 マリアが静かに怒りを秘めて拳を握りしめる。その手は、震えていた。そんなマリアにレイヴァンが視線を向ける。そして、マリアを隠すようにして前へ踏み出した。それを合図にするように町の中へ足を踏み入れる。

 マリアはフードを深く被っていた。けれど、まっすぐに前を見据える。


(目をそらしてはいけない。これが今のこの国であるのだから)


 マリアの瞳には、今まで見たことが無い景色が広がっている。飢えた人々と枯れた大地に植物の影すらない。突然、うめき声が聞こえマリアはその方向へ思わず行く。すると、そこには地面に這いつくばる男がいた。


「大丈夫ですか?」


 マリアがかけより声をかければ男は、顔を上げる。その顔は泥だらけで随分とやせこけており筋肉も無くなっており、骨と皮だけで出来ているかのようにやせ細っている。けれど、わずかな体温とか細い脈が生きていることを告げていた。


「コーラル国の兵が突然やってきて、平和だった町を荒らしていったんだ。王様はいまどこにおられるのだろうか。昔、この町は随分、荒れていたが王様が荒廃したこの町を立て直してくれたというのに。また荒れてしまった。せっかく、人々が暮らせるまで取り戻したというのに」


 やせこけた手をマリアが握り締める。


「この土地の性質上、なかなか作物を育てることが難しかったそうでしたが、陛下がこの土地でも育てることが出来る作物の種をこの地へお与えになったそうです」


 レイヴァンがマリアに説明する。それを聞いてマリアは、自分が無知であると言うことを自覚せざるをえなかった。


「すまない、今のわたしでは何も出来ない」


 悲しげにマリアが言えば、男は小さく笑う。


「旅の人、どうかそのような顔をしないでくだされ。あなたのせいでは、ございませぬ。けれど、どうかあの輝かしい国を取り戻して欲しい」


「ああ、約束しよう。きっと、いつか国を取り戻すと」


 マリアがそう誓ったときだった。男は薄く笑い、そのまま魂が抜けたかのように手がだらり、と垂れた。青い瞳から涙がポタポタと落ちる。魂の抜けた男の体にあたたかい涙が伝った。


「ごめんなさい、わたしは、あまりに無知で無力だった。それを知ろうともしなかった。それはわたしの罪だ」


(この手で救える人には確かに限りがあるかもしれない。けれど、目の前にいる人すらも救えないなんて。なんて、愚かなことであろうか。なんて、無力なのだろう)


 レイヴァンがマリアに近寄り、座り込むと“あるじ”の涙を拭う。


「マリア様、あなたは何も悪くはございません。それに、あなたは今、強くなろうとしております。それを愚かだと俺は思いません。俺はあなたのような主を持てて誇りに思います」


 マリアは涙を拭いて男に祈りを捧げると立ち上がる。


「ありがとう、レイヴァン。それにみんなも。わたしは、みんなに会えてとても嬉しく思うよ」


 マリアが微笑んで見せれば、皆ホッと息をつく。それから、マリア達は町に背を向けて歩き出す。心の中でいつか必ず取り戻すと誓って。

 次の町につくとそこまた、随分と荒らされていた。先ほどの町ほどでは無いにしてもやはり、悲痛な思いは隠せない。マリアが悲しげにうつむけばレイヴァンは何か言いたげに名を呼んだ。


「大丈夫、わたしばかりが落ち込んでもいられない」


 マリアは決意にも似た言葉を発する。すると、マリアの首から提げた宝石が燃える炎のように赤くなる。まるで、マリアの心を映しているようだ。それに伴ってヘルメスの宝石も共鳴するように赤く輝く。


「ここは川もありますし、少しの間だけでもここで休憩しませんか?」


 レジーがマリア達に提案する。その言葉にマリアは、ふんわりと微笑んで「ああ」と答えた。そうして、レジーはやはり釣り竿を持って川へ行く。ギルは木の上へ昇りうたた寝を始めた。ヘルメスはカバンから何やら道具を取りだしてどこかで拾った草や花を入れてごりごりと押しつぶす。皆、思い思いに過ごす中、レイヴァンだけはマリアにひっついていた。


「レイヴァン、わたしに付き合わなくてもいいんだよ?」


「いいえ、もし目を離したすきに何かあっては困りますから。向こうにも我々の位置がだいたい把握されているでしょうし」


「まあ、そうだろうが。これでは、レイヴァンが休めないんじゃ」


「そもそも、俺はマリア様の命令がありますし」


 マリアが息をつまらせる。


「別にわたしは、そこまでしろと言った覚えはないんだが」


「俺はあなたの側を離れるわけにいかないです」


「いや、そういう意味で言ったのでは無くてだな。その、確かにお前にはわたしの側を離れないでもらいたいが。でも、ここまでくっつかなくてもいいというか」


 言いよどむマリアにレイヴァンが少し眉を潜めた。


「姫様、いいましたよね? 側を離れるなと。だから、俺はあなたのお側を離れません。それにまたコーラル国の兵が来たらどうします? もし誰かが襲われていたら、また庇おうとするでしょう?」


 レイヴァンの言葉にマリアは何も返せなくなってしまう。けれど、それは事実だった。


「だけど、レイヴァン。わたしは、水浴びをしたいのだが」


「お側にいます」


 それはさすがにとマリアが言いよどめば、「大丈夫です。影から見守りますから」とレイヴァンにはまったく通じない。

 マリアも今までであれば特にレイヴァンが共に来ることを気にもとめないであろう。だが、マリアは十三歳になったのだ。難しいお年頃と呼ばれるこの時期。レイヴァンが同性であればそこまで気にはしないだろう。だが、レイヴァンはれっきとした男だ。女であるマリアが気にしないはずもない。そのうえ、最近のマリアはレイヴァンを男として意識しているきらいがある。そんな年頃の娘が男でしかも意識している人物が一緒など意識しないはずがない。

 レイヴァンはマリアに対して恋慕に近い感情を持っているにもかかわらず、こういうところはわざとなのではないかと思ってしまうほどに鈍感だ。


「もっと嫌なんだが」


 マリアとレイヴァンが、しばらくそんな会話をしていればあくびをしながらギルが木の上から降りてくる。


「なに痴話げんかでもしてんの?」


「違う。水浴びをするというのに、レイヴァンが側にいるというのだ」


「当たり前でしょう。俺はあなたの専属護衛なのですから」


 二人の会話を聞いてギルは、ぽりぽりと頭をかいた。そして、唸ったあと言葉を発した。


「つまり、レイヴァンは姫様のしなやかで美しい体を拝見したいというのだな」


「な!」


 思わず声を上げてレイヴァンの頬が、真っ赤に染め上げられる。純度の高い酒でも一気に飲んだかのように染め上げられた赤い顔に少しばかり動揺が見えた。

 そのようなことは、とレイヴァンが言いよどむ。


「でも、そういうことだろう。明らかに姫様はレイヴァンのことを男として意識しているから、側を離れさせようとしているのにレイヴァンときたら……やれやれ」


 ギルの言葉に今度は、マリアの頬が真っ赤に染め上げられた。それを見てレイヴァンが少し嬉しそうな表情をする。それには気づかずマリアは、頭の中がぐるぐるとこんがらがっていた。そんな二人を眺めてギルは、半ば呆れたように息を吐き出す。


(どう見てもただの恋人同士のじゃれあいにしか見えないというのに。本人達は、自覚がないんだろうな)


 そんなことをギルは思いながら二人に提案する。


「では、こうしましょう」


 一拍おいてギルが息を吸い込んだ。


「レイヴァンは姫様がいいというまで背を向けて待機するというのは」


「まあ、それなら」


 答えたマリアの頬は、まだほんのりと赤い。レイヴァンもまた納得して二人して、川の方へ歩いてゆく。そこは、町の人々が使っている水浴びをする場所だ。ここへ来たとき、マリアが町人に聞いた。

 そこでマリアはレイヴァンが背を向けているのを確認すると外套を脱いで恐る恐るという調子で服を脱ぎ始めた。衣服のこすれる音ができるだけしないようにと気をつけているらしい。そんなマリアがリボンをほどいて上の服を脱いだときだった。暇であるからかレイヴァンが声をかける。


「もう脱ぎましたか」


「い、いや、まだだけど」


 声をかけられると思わなかったが為にマリアの肩がびくんと震えた。そして、そのまま靴を脱ぎ、ズボンも脱いだ。肌着とさらしも脱ぐと川の水に恐る恐ると浸かる。やはり、音を気にしているらしい。

 ちゃぷん、と川が音を立てればレイヴァンにも川に浸かったことが伝わる。レイヴァンはざわめく心に気づかないふりをしてじっと背を向けていた。

 しばらく川の音と草木のざわめき、それから小鳥たちの唄ばかりが辺りを支配していた。やがて、マリアの方からいいところだなと口を開く。それに対し、レイヴァンはそうですねと返した。

 マリアの緊張感が溶けてじゃぶじゃぶと川の水で汗を流し始めた。もう恥じらいも彼方へ消えたらしい。


「いつかここの人たちも、また平和に豊かに過ごせるようになるといいな」


「ええ、そのときは俺もあなた様のお側で仕えさせていただきます」


「うん」


 マリアが少し悲しげにうつむきがちで呟いた。


「ええ、それに俺は常にあなた様のよき理解者でもありたいのです」


「そんなにわたしの為にがんばらなくてもかまわないのに」


「いいえ、それは!」


 かえして思わずレイヴァンが振り返ってしまう。すると、マリアのしなやかでなめらかそうな体と艶めかしい四肢が目に入る。淡く白い肌が太陽の日差しを浴びて煌めいた。薄い金の髪から落ちた水の雫がその肌の上をまるで宝石のように煌めいて滑っている。背中を伝っていた雫はやがてまだ小さい臀部に到達してまた滑っていった。

 子どものまだ未発達で未熟な体であった。けれど、どこか艶めかしく後数年すれば間違いなく男を虜にしてしまうような肉の付き方をしている。今まで気づいていなかったが、まだ幼いながらも艶めかしい容姿へと変化していたのだった。思わずレイヴァンの中の劣情をそそられてしまう。

 そこまで考えて、レイヴァンは思わずドキリとする。後ろ姿しか見えていないが欲情している自分がいるのだ。そのことに気づいて慌ててマリアに背を向ける。


「俺はあなた様の側にずっといたいですから」


 マリアは水から上がり、手ぬぐいで体を拭くと服を手に取った。それからとマリアが笑う。そして、お前は変わらないと零した。レイヴァンの表情が少し陰る。


「いいえ、俺は変わりましたよ」


 マリアが素っ頓狂な声を上げれば、レイヴァンが少し嬉しそうだけれど、悲しげに微笑んだ。マリアは、もちろんそれには気づかない。


「俺は変わりました。あなたと出逢って夢も未来も世界も、全てが毎日が宝石のような輝きだしたのですから」


 マリアの青い瞳が見開かれる。そして、服を着替え終えると思わずレイヴァンに後ろから抱きついた。


「マリアさま?」


「ありがとう、レイヴァン。わたしは今でも覚えているよ、レイヴァンが父上に命じられてわたしの元へ来た日のこと。木登りしていたわたしが足を滑らせたときに颯爽と現れて、わたしを優しく抱き留めてくれた」


 レイヴァンの頬がほんのり赤い。マリアの頬もほんのりと赤かった。


「まるで物語に出てくる王子様みたいで、かっこよくて」


 マリアはレイヴァンの前に来た。そして、にっこりと微笑む。その頬は薄紅色でどこか色っぽい。


「あのときは、本当に王子様が現れたのかと思っちゃったよ」


「俺はあのとき、天使が空から降ってきたのかと思いましたよ」


 マリアがレイヴァンの手を握り締めれば、レイヴァンも悪い気はしないのか柔らかな笑みを零した。そのまま二人は、川をあとにして町へ戻る。すると、レジーは釣った魚を焼いては住民に分けていた。


「レジー、戻ってたんだ」


「はい。それから、住民達に魚の釣り方を教えました。どうやら、この地では魚を食べる習慣が無いようなので」


「そうか、わたしも焼けた魚を配ろう」


 町人は随分と少なかったが、レジーの周りに集まっている。皆、レジーに釣り方を教えてもらい生きる希望を少しは見いだせたようだ。


(わたしもレジーのように何か出来ることは無いだろうか)


 配るのを終えるとマリア達も焼き魚を食べ始める。ヘルメスは作業を止めてギルは、昼寝を終えて食べ始めた。ギルの目は、まだぼんやりとしており眠そうだ。


「眠たいのか?」


 マリアが問いかければギルは、眠そうに答える。


「そうですね、こんなに良い天気の日は眠くなります。姫様も一緒に寝ますか?」


「いや、わたしは遠慮しておく。弓の練習もまだしていないし」


 ギルの瞳がマリアの腰にある矢籠を映す。矢籠には手作りだけれど、使いやすそうな弓と矢が収まっている。その矢の一本をギルは手に取った。


「よく出来た弓矢ですね」


「レジーから貰った物なんだ。先代の守人からもらったといっていた」


「ほう、実にいいものですね。これはいずれ姫様を守ることになるでしょう」


「そんなことがわかるのか?」


「ええ、これでも守人ですから。いずれ、姫様はこの国にとって無くてはならない存在になります。俺が保証しますよ」


 マリアがにこりと微笑む。


「ありがとう、ギル。言ってもらえるだけで嬉しい」


 マリアはお腹がふくれると立ち上がり、青い空を見上げる。青い空には小さな鳥が飛んでいた。その鳥の羽がふわふわとマリアの足下に落ちてくる。


「わたしは少し森の中へ行って矢を射って来る」


 そういうと町人の男性が、マリアに声をかけた。


「おや、弓の練習をするのかい? なら、いいところがあるよ」


 男性はついてきな、と行ってマリアを連れて行く。その後ろにはすでに食べ終えていたレイヴァンも一緒だ。男が足を止めて指さした先。弓道場があり、遠くに的がいくつも設置してあった。


「ここならどうだい」


「ありがとうございます」


 マリアは頭を下げる。レイヴァンはマリアの後ろでじっとマリアの方を見つめていた。その視線を受けつつマリアは、弓をかまえる。弓がギ、と音を立てた。じっとり、と背に汗をかき頬を汗が伝う。


(こういうところで射るのは初めてだ。だが、いつもどおりやってみればいい。やってみれば、自分の射程距離がわかるはず)


 矢を思い切って放つと矢は確かに空を切り、真っ直ぐ飛んでゆく。けれど、その矢は的の手前で落ちてしまった。

 少しばかりマリアが気を落とすと、いつの間にか隣でレイヴァンが弓をかまえ立っている。レイヴァンの黒曜石のように黒い瞳は的を射抜くように真っ直ぐ見つめている。やがて、弓から矢が離れ空を切った。風を切っていくその矢は、確かに真っ直ぐ飛んでいき、正確に的の真ん中を射た。

 レイヴァンが弓を射る姿は、あまりにきれいだった。なびく漆黒の髪がまるでマントのようになびいている。射抜くようなその瞳だけで正直、的を射ってしまいそうなほど鋭い。

 やがて、レイヴァンが弓を降ろした。すると、確かに先ほどまでまとっていた殺気が消える。言葉を失っているマリアにレイヴァンがほほえみかけた。


「弓の名手は278クラフタ(約500メートル)もの先の的をも射抜くことが出来るそうですから」


 マリアが驚いて口をぽかんと開く。そんなマリアにレイヴァンがやはりほほえんで見せた。すると、じっと二人の様子を見ていた男が口を開いて弓が上手なのか、と問いかけた。マリアがぱちくりと瞬かせる。すると、レイヴァンはかしこまってそれほどではございません、と謙遜する。


「どうだい、この町にいる名手と競い合ってみないかい?」


 レイヴァンが僅かに頬に汗をうかべる。


「いいえ! とんでもございません。俺は名手ではございませんし。ただ、たしなむ程度に出来るだけでございまして」


 慌てるレイヴァンにマリアが首を傾げた。そんなマリアにレイヴァンが耳打ちする。


「あまり我々は目立つわけにはいけませんから」


 マリアは納得する。けれど、レイヴァンの腕がすごいのは確かだ。見てみたい気もする。そんな目でマリアが見るものだから、レイヴァンが呻いて「わかりました」と答える。


「ですが、ご期待には添えないと思いますよ」


「いいですよ。ちょっとした、お遊びです」


 そうしてレジー達も弓道場へ呼んでくる。数少ない町人達も見物にやってきた。そんな中、筋肉を蓄えた男が現れる。その男の手には、この町特有の飾りが施された弓と矢が握られていた。

 その男はレイヴァンの姿を目ざとく見つけ、険しそうな瞳でにらみ付けた――と思ったら、友好そうな笑みを浮かべる。


「あんたか。旅の者で弓がうまいといったのは」


「いいえ、俺はしばらく弓を握っていなかったのでうまくはないですよ」


「まあ、今日はお互いがんばろうや」


 握手をすると弓道場の左の方へ行く。レイヴァンが息を吐くとマリア達が駆け寄った。


「レイヴァン!」


「マリア様、弓は得意な方ではございませんが、がんばらせていただきますね」


「ああ、レイヴァン。わたしがあまりにして欲しそうだったから、承諾したのだろう。何か悪いことをした気分だ」


「かまいませんよ。それに、なかなか楽しめそうですから」


 言ったレイヴァンの表情は、実に楽しそうである。すると、レイヴァンの首にヘルメスがペンダントをかけた。


「これは、お前のじゃ」


「お守りだ。このペンダントを下げているとマリアの気配をとても感じる。お前にとっては、その方が戦う力になるだろう」


「ありがとう、しばらく預からせてもらう」


「いや、返してもらわなくていい。それはお前が持っていてくれ」


「いいのか?」


「ああ、俺よりもお前が持ってた方が良いだろう」


「では、ありがたくいただこう」


 その時、始まりの笛が響き渡った。そして、マリア達は観客席へ行きレイヴァンはこの道場で借りた弓矢を用意する。司会者が勝負の内容を説明し始めた。


「それでは、勝負の内容を説明いたします。勝負は28クラフタ(約50メ-トル)、56クラフタ(約100メートル)、83クラフタ(約150メ-トル)、を順に射っていただきます。そして、霞的の中心に近い方が勝ちです」


 そして、レイヴァンは司会者の言われ先に射ることとなった。そして、28クラフタ(約50メ-トル)先に的がある場所まで移動する。そして、ギと弓をかまえる。ひゅう、と音を立てて矢が空を切ればきれいに中心に当たる。会場が歓声に包まれる。


「レイヴァン」


 マリアがそっと名を呼べば隣にいた、レジーがマリアを見る。


「心配なのですか」


「うん、わたしが無理にこの勝負を受けさせたようなものだから。悪い気がして」


「大丈夫ですよ、自分の騎士を信じてください」


「そうだな」


 マリアの頬には僅かに汗が浮かんでいる。けれど、それを拭うこともなくマリアは試合を見つめていた。

 次にもう一人の男が矢を射る。町一番というだけあって、確かに矢は寸分の違い無く的の中心を射った。やがて、次は56クラフタ(約100メートル)の的の前にレイヴァンが足を運ぶ。刹那、レジーが目を見開き立ち上がった。


「レジー、どうかしたの」


 マリアが問いかけるとギルも何かを感じ取っているようでそわそわと立ち上がる。そして、気になることがあると告げてその場を立ち去った。マリアは小首を傾げる。ヘルメスはどこか険しい表情をしていた。

 マリアと離れたレジーとギルはあたりをそわそわと見回す。ギルがレジーの名を呼んだ。すると、レジーは頷いて口を開いた。


「ああ、確かに気配を感じた。何か得体の知れない殺気」


「コーラル国か?」


「いや、今のはそんな気配ではない。もっと陰湿な」


 レジーが言ったときだった。赤紫色のマントをなびかせた男が二人の前に立っていた。その男の輪郭からこの地の者ではないことを告げている。なにより、彼が胸元に付けている物。獅子を象ったメダル。それは玻璃国の将軍に与えあられるものであった。


「玻璃国の将軍様がこんなところまでご苦労なことですな。で、あんたは何をするためにここへ来た?」


 ギルが静かな殺気を秘めて男に問いかける。すると、男の顔がぐにゃりと歪められた。


「何をしに? 決まっている。この国の王子を殺すためさ!」


 叫んだと思えば、ギルに斬りかかる。ギルは剣を抜いて男の剣を受け止めた。ギルの目の男が持っている剣の刃を見る。その刃は片方にしかついていない。


「これは“刀”か」


 ギルの言葉に男は、ニヤリと笑う。


「そうだ、これは“刀”だ。玻璃国が誇る美しい武器だ」


「ほう、確かに素晴らしい武器だ。俺も一振り欲しいねえ」


 男はギルを刀に力を入れて少し突き飛ばすと距離を取る。


「刀の魅力がわかるとは、お前とは良い酒が飲めそうだ」


 なんなら今から一杯飲むかい、とギルは軽口をたたく。けれど、男はギルに斬りかかった。辺りに金属がぶつかる音が鳴り響く。かと思えば、つばぜり合いが続く。


「悪いが、先に王子の首を落とさせてもらおう!」


「フン、そうさせるわけにはいかぬ。敵でなければ仲良くなれたろうに」


「ああ、実に残念だよ!」


 金属の音が響き渡る。レジーはギリギリと弓を引いていたが、矢を放てずにいた。そして、男がレジーに背を向けた一瞬。矢を放った。その矢は空を切り、見事に男の背に突き刺さった。かのように見えたが、男は片方の手で短剣を取りだし矢をはたき落としていた。レジーが再び矢をかまえようと矢を取り出した。すると男は、レジーの手元を狙って短剣を宙に放つ。短剣は正確にレジーの手に突き刺さり貫通していた。もちろん、弓矢も地面へ落ちてしまう。血がぽたぽたとしたたり落ちる。短剣を引き抜くとさらに血が流れ出てくる。その手を簡易的に布で止血するとまた弓を拾い、矢をかまえるけれど、手が思いように動かないためか狙いが定まらない。痛みに思わず顔が歪んだ。


「レジー、その手じゃ無理だ。姫様のところへ戻れ!」


 言いよどんだレジーにギルが、後押しするように「俺は大丈夫だから早く行け!」と叫んだ。今までの軽い口調ではない、鋭い響きにレジーも加勢するのがよいのかマリアの元へ向かうべきなのか決めかねていた心に決意を固める。

 レジーは後ろ髪を引かれる思いで頷くと背を向けて駆け出す。そのことにギルが一瞬、気が緩めば男はそれを見逃さなかった。

 隠していた小刀ナイフでギルの脇腹を突き刺す。脇腹から血があふれ出した。ギルは慌てて男と距離を取る。


「へっ、どんだけ隠し持ってるんだよ。あんた、奇術師マジシャンか何か」


「まだ立っていられるか。だが、それも時間の問題か」


「なに、言って……かはっ……」


 ギルの口から血が吐かれる。どす黒い血は、大地にしみこんだ。


「さっきの小刀ナイフには、毒が塗ってある。あの毒を受けて立っていられるとはお前、常人じゃないな」


「ハッ! 俺が化け物みたいに言わないでもらおうか」


 少しずつギルの息が荒くなり、足にだんだんと力が入らなくなっている。血の水たまりが出来ているところにギルが膝をついた。


「敵ながらあっぱれだ」


 言うと男は、ギルに背を向けて走り出す。その背にギルが必死に手を伸ばした。


「ま、まて……」


 けれど、それは叶わずギルの意識は朦朧とし始める。やがて視界が闇に塗りつぶされると心の中で姫様、と主を呼んで意識は闇の中へと消えた。



 レジーがマリアの元へ戻ったとき、もう最後の試合となっていた。レイヴァンが的を見据えて矢をかまえようとしている。狙うのは83クラフタ(約150メートル)先の霞的。けれど、レジーは慌てた様子でマリアに駆け寄る。


「マリア、ここから離れましょう!」


「でも」


「事情が変わりました。とにかく、ここより遠いところへ」


 レジーが言ったときだった。レジーの背後に男が立っており、手には刀が握られている。


「見つめたぞ、オーガストの娘」


 一言でマリアは全てを察する。オーガストは国王の名前だ。マリアは立ち上がり、後ずさる。弓を使おうと思わず矢籠に手をのばした。しかし、ここは闘技場の観客席だ。誤って市民を傷付けるわけにはいかない。どうすればよいのか、まだ齢十三の娘には難しいことだった。ただただ焦燥ばかりが頭の中で木霊する。

 刹那、鋭い風がマリアの側を通りすぎた。その風は、男の腕を正確に打ち抜く。風の正体はレイヴァンが放った矢であった。この距離で射っただと、と驚きながら男は、血を押さえながら舌打ちした。


「今日の所はここまでにしよう。だが、忘れるな。俺の名はグレン、グレンだ」


 グレンと名乗った男は、腕をおさえながらマリアに背を向けて駆け出す。すると、レイヴァンがマリアの元へ駆けつけた。


「マリア様、ご無事ですか!」


 必死の形相で尋ねるレイヴァンにマリアは、頷いて見せた。それを見てレイヴァンは、ほっと息を吐き出す。そこでふとマリアは声を荒げた。


「ギルは?」


 その一言にはっとなり、レジーはギルがいるであろう場所へ向かう。後ろにはマリア達も続いた。すると、そこではギルが血を吐いて倒れていた。


「ギルっ!」


 マリアが叫んで駆け寄った。すると、ヘルメスがギルの脈を診る。それから、汗をうかべつつも町の病院へと運ぶ。病院と言っても小さく人が一人分寝るスペースぐらいしかない。だが、ヘルメスが何もないよりはましだと言うことでそこに寝かせると毒を抜くと止血をする。


「ここはまだ設備が揃っていて良かったですよ。病院のない町だってまだたくさんあるのですから」


 マリアは心配そうにギルの手を握り締める。すると、そんなマリアの肩を軽くレジーが小突く。


「大丈夫ですよ、我々守人は常人より体が丈夫に出来ていますから」


「ああ」


 答えてマリアは、レジーの手を見て驚く。


「レジー、お前もけがを」


「ああ、これくらい平気です」


 レジーが言うものの心配であるからマリアは、ヘルメスに言って手当をしてもらう。


「お前のことだってわたしは心配なんだ。だから、あまり無茶はしないでほしい。頼むから」


「はい」


 レジーは、静かに答える。それを確認してからヘルメスに問いかけた。


「ヘルメス、お主もすまない。いつも皆の手当をしてもらって」


「いいえ、かまいませんよ。これでも、昔はこういう仕事をしていましたし」


 マリアは、何か決意を決めたようでヘルメスに言った。


「ヘルメス、わたしにその技術を教えてくれないか」


「それは、処置の仕方を教えろということですか」


「ああ、それと錬金術も教えて欲しい」


 ヘルメスの目が見開かれた。レイヴァンも驚いて言葉を失っている。


「錬金術についてお主は何も話さないが、お主が作ったその薬も全て錬金術で作ったのであろう? それをわたしも作れるようになりたい」


 我に返ったレイヴァンがマリアに詰め寄る。


「マリア様、錬金術がどのような学問なのかご存じなのですか?」


「わからぬ、だからこそ知るためにも習いたい。知らないというだけで錬金術を嫌うことが嫌なのだ。何をしているのかわからないのならば知ればいい。同じ人間なのだから、わたしに出来ないことはないのだろう?」


「そうですね。錬金術は学問です。なので習えば、大抵のことは出来るようになることでしょう。ですが、よいのですか。錬金術を行えば周りから好奇な目で見られる。それでも、あなたは学ぶと仰いますか?」


「ああ、もちろん」


 マリアが力強く頷けばヘルメスも「わかった」と頷いた。しかし、レイヴァンは


「俺は反対です。錬金術を行うなど。錬金術は、身を滅ぼしかねない学問です。薬を扱いますし、劇薬や毒薬だって使うのです。それに爆弾を作ったりもするのですよ。そんな危ないことを――」


 マリアがレイヴァンを見上げる。


「頼む、レイヴァン。わたしは、もしものとき何も出来ないのは嫌なんだ」


 まっすぐに見つめてそう言えば、レイヴァンがやれやれとでも言いたげな表情をする。


「わかりました。ですが、危ないことはしないこと。いいですね」


 ありがとう、とマリアがほんわりと微笑んで答えればレイヴァンは、やはりその笑顔に負けてしまうのだった。


(考えてみれば、ずいぶんレイヴァンとの約束事が増えてしまったな。レイヴァンは、わたしに危険なことをして欲しくないんだろうけれど、いつまでも甘えてはいけない)


 マリアの中の覚悟が改めて決まると、凛とした視線で前を見つめた。

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