第八章 ラースの従者

 夜が更けてマリアがベッドの上で布団にくるまり眠ると、ヘルメスが部屋を抜け出し宿の外へ出た。外はやはり氷のように冷たい夜風がヘルメスの体を突き刺す。けれど、ヘルメスは気にした様子もなく夜空を見上げていた。レイヴァンとレジーは、マリアの前では買えないものを買いに行くと言って出て行った。

 辺りは静寂ばかりが支配していて、まるで全てが凍てついているかのように見えた。けれど、ヘルメスはどこか遠い世界を見ているかのように見える。


(アレシア、あなたは俺と共に生きるわけにはいかない。俺は錬金術師。どう足掻いたって、お前と一緒になることはできないんだ。でも、せめて希望が残るとするならばマリアと共に世界を見て錬金術がどういう学問であるか世界に広めることだ)


 決意を新たに空を見上げると後ろから声をかけられた。


「誰もいないかと思ったけれど、ヘルメスがいたんだな」


 驚き振り返れば、そこには案の定、マリアがいた。マリアはヘルメスの隣まで来ると足を止める。


「どうかしたのか」


「いえ、アレシアを思っていたのでございます」


「置いてきた形になってしまったものな」


「はい、いつか立派になって彼女を迎えにいきます。それまではあなたのお側にいさせてくださいね」


「ああ、もちろんだとも。それより、レイヴァンとレジーを知らないか? さっきから探しているんだが」


 マリアは寒そうに外套を握りしめる。


「さあ? 何か買い忘れをしたとか言ってましたけど」


「こんな時間に出かけたのか。というか、こんな時間に店なんて開いているのか?」


 マリアの細い手が少し震えている。とても寒そうだ。


「俺にはわかりませんが、寒いのでしたら宿に戻っていてください」


「いや、こういう夜は眠れぬ。昔はバルビナが……わたしの専属のメイドがよく一緒に眠ってくれたんだが」


 こういうところは子どもだなとヘルメスは思う。けれど、そういうところがあの騎士と守人の庇護欲をかき立てるのかもしれない。ヘルメスには到底理解できないが。

 あまりに寒そうにマリアがしているものだからヘルメスは、自分のしていたマフラーをマリアにかぶせてやる。マリアは驚いたように顔を上げた。


「俺はなれてますから、していてください」


「ありがとう、ヘルメス。お前は優しいな」


 その時、レイヴァンとレジーが戻ってきた。それを認めたとき、マリアは思わず二人の名を呼んで二人に近づいたが、レイヴァンは驚いたようにマリアを見る。


「ま、マリア様!? なぜ、このような時間に」


「眠れなくて。二人は? 買い忘れたとか聞いたが何も持ってはいないようだな」


「ええ、お目当てのものが無くて止めたんです」


 レイヴァンの慌てたようすにマリアが首を傾げる。そして、ふと鼻につく違和感に気づいた。マリアは何度かこのニオイを嗅いだことがある。それは鼻につく匂いでよく父上もこの匂いを漂わせていた。合点がいき思わず「お酒を飲んでいたの」と問いかければ、レイヴァンが苦虫を噛みつぶしたような表情をする。なぜ、そんな表情をしたのか分からなくてマリアが首を傾げた。


「なんでそんな顔をするんだ? 別にお酒を飲んだくらいでわたしは、咎めたりしないよ」


「いえ」


 ますます困った表情をするレイヴァンに合点がいかず、首を傾げるとレジーが息を吐き出した。けれど、お酒のニオイはしない。お酒を飲んでいたのはレイヴァンだけのようだ。


「オレが少し相談に乗っていたのですよ。マリアの前ではしたくないと言ったので」


「レイヴァン、何か悩み事があったのか。すまない、気づかず」


「いいえ、とんでもございません! 私事ですのでそんなマリア様に相談するほどでは」


 マリアがと肩を落とせば、レイヴァンは慌てたように取り繕おうとする。けれど、マリアはしょぼんとした表情のままだった。そんなマリアにヘルメスがそっとなだめるように声をかける。


「マリア、男には男にしか理解できないことがあるんだ」


「だけど、少しでもみんなの役に立ちたいのに。わたしはただでさえ、皆の足を引っ張ってしまう。特にレイヴァンにはずっと迷惑をかけっぱなしだ。なのに、力になれないのはつらい」


 泣き出しそうな声で言うものだから、レイヴァンがやはり困ったように焦燥する。けれど、一度息を整えるとマリアを見つめて言った。


「マリア様、どうか顔をお上げ下さい」


 マリアが顔を上げないものだからレイヴァンが強引に自分の方へ顔を向かせる。青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳には薄く涙がたまっていた。それを見てレイヴァンが不敵に笑う。


「俺はあなたが側にいてくれれさえすれば、それでいいんです。それだけで救われるんですから」


「それでは、何も変わらないではないか」


 切なげに呟いたマリアの言葉は、闇の風にさらわれた。


***


 コーラル国、王都ティールにある王宮では、第一王子ラースが苛立たしげに書物をなげうっていた。


「ええい! まだ王女は見あたらぬか」


 ラースの言葉に臣下は「落ち着きなされ」となだめている。けれど、ラースはそんな臣下をギッとにらみ付ける。ただでさえ、目つきの悪い目であるのにさらに目つきが悪くなった。


「そもそも、お前達。ちゃんと、探しているのか? 父上はおれには城の外へ出るなと言うし。ああ、今すぐにでもお会いしたいのに」


 荒れる主にため息を隠しながら臣下は「もう少しお待ち下さい」と言っては頭を下げる。


「そう言って何日経った? きっと、今頃、おれがいなくて寂しがっているに違いない」


 どこからその自信が来るのか、と思ったがその思いを封じ込めて臣下は頭を下げる。


「しかし、何故そこまでベスビアナイト国の姫君にこだわるのです? あなた様は第一王子、縁談が絶えないではございませんか」


 すると、ラースは不気味な笑みを携えて笑う。


「ふふふ、あれはまだおれが八歳のときだった。諸国の王や妃。それに王子や姫君が集まるダンスパーティの夜。おれはうわべだけの言葉ばかりが集う会場に嫌気がさしていた――」


 いつも聞かされているベスビアナイト国の王女の話。臣下は、ほぼ毎日のようにこれを聞いていた。けれど、絶対にラースの着色と思いで補正がかかっているであろうと臣下はよんでいる。実際に会ってみたら、意外にも不細工だったりするのではないだろうか、と臣下はいつも密かに思っていた。

 ラースの長い話が終わるとそそくさと部屋をあとした。そして、たまっていたため息を吐き出す。そんな臣下に一人の騎士が声をかけた。


「今日も王子の思い出話か?」


「ああ、いつもいつもあんな調子だ。それに、どんなに美しい姫君が目の前に現れても目にもくれずきっぱりと断ってしまう。まったく、もったいない」


「けれど一途と言えば一途であろう。ジョード」


 ジョードと呼ばれた臣下は、ムッとした表情になる。


莫迦ばかなことをいわないでくれ、クリシュナ」


 クリシュナと呼ばれた騎士は、肩をすくめて見せた。けれど、おどけたような表情は変わらない。


「そんなに怒るなよ。それに、もっと気軽に行こう。気軽に」


「そんなこと、言ってられるか。これからが忙しいというのに」


 ジョードの言葉にクリシュナは、困ったように微笑んだ。それから、これからどうするんだと問いかける。すると、決まっていると胸を張って答えが返ってきた。


「ベスビアナイト国へ向かい、王女の捜索がどこまで進んでいるか確かめる」


「へえ、面白そう。俺も混ぜて~」


「遊びじゃないんだぞ」


「おお、恐い恐いー」


 そう言いながらもクリシュナの表情は楽しんでいるようにしか見えない。そんな彼に思わずジョードはため息を吐き出した。


「それに、そのお姫様が見つかったとして国王に処刑されるだけではないか」


「わからないぞ、王子が止めるだろうし」


「いいや、あの王子。なんだかんだで、王のいいなりだ」


 ジョードがそう言えばクリシュナは、真顔になってジョードに呟くように言った。


「少しは、その王子のことを信頼してはどうだ」


 自らの王子のことを思い返せば、我が儘し放題であった。そんな王子に今更、信頼など寄せられるだろうか。ジョードは心の中でため息を吐き出す。それから、クリシュナに背を向けて歩き出した。そんな彼の背中をクリシュナは悲しげに見つめていた。

 ジョードは、心を落ち着かせようと多くの文献や図書が貯蔵されている部屋に入る。イライラしたり落ち着かないことがあるとジョードは、ここに来るのが日課だ。ここで冒険譚や英雄譚を読むのが好きであった。なので、この日も本棚から古びた本を一冊、取りだして読みふける。どっぷりと本を読むとすっきりとした表情になって、この部屋で仕事を始めた。たまっていた書類の整理だ。けれど、そんなすぐに出来るものではない。

 しばらく無言で仕事をこなしていたジョードであったが、目が疲れてフッと息を吐き出し天井を見上げる。すると、そんな彼に近づく影が現れた。その影の主は、クリシュナであった。


「わ!」


「何の真似だ、クリシュナ」


 毒々しげにいうとクリシュナは、やはりおどけた調子を崩さぬままジョードを見る。


「つれないこというなよぉ、オレ達の仲だろぉ」


「どんな仲だ」


 ジョードが面倒くさそうに対応しているとクリシュナはいたずらっ子のような笑みを浮かべる。


「ベスビアナイト国に行っている部下から連絡があった。どうやら、姫君は国境を越えて今はオブシディアン共和国にいるらしい」


「な!」


「どうする、追いかける?」


「決まっている」


 言ってジョードが立ち上がるとクリシュナは、ジョードの手を取る。


「何だ」


 静かにジョードが問えばクリシュナは不敵な笑みを携えてジョードを強引に引っ張ると机の上に押し倒した。


「いたっ!」


 そして、ジョードの服をはだけさせる。ジョードは恥ずかしげに頬を真っ赤に染めた。はだけた部分から見えるのは、なまめかしい白い肌。その肌には紫色のアザが出来ている。


「ああ、まだ残っていたのか。鬱血痕キスマーク


 そのアザを愛おしげにクリシュナは指でなぞる。瞬間、ジョードの体がびくんとはねた。


「なにを今更、恥ずかしがることがある? ねえ、ミーナ」


 愛おしげに本当の名を呼ばれれば、ジョードはやはり頬を真っ赤に染めて悔しそうに唇を噛んだ。そして、キッとクリシュナをにらみ付ける。


「離れなさい!」


 叫んでクリシュナを蹴飛ばすとジョードは、乱れた服を整える。そして、クリシュナの方を見て言った。


「とにかく、姫様を見つけるのが先だ。オブシディアン共和国へ向かうぞ」


 告げるとジョードは、さっさと部屋を出て行く。見送りつつクリシュナは、小さく息を吐き出した。


***


 レジーは、風が騒いでいることに気づき空を見上げる。朝月夜の空は、まだ白く青の混じった色。そんな空に浮かんでいるのは暁月。その月を見上げてレジーの目が険しそうに細められた。


「どうしたの?」


 荷物を整えていたマリアであったが、険しそうなレジーに思わず声をかけた。すると、レジーはマリアの方を見てやはり険しそうに答える。


「誰かがマリアを狙ってこっちに来てる」


「え!?」


 マリアは思わず声を上げる。


「なら、早くここを出た方が良いかもしれませんね。おそらく、追っ手でしょう」


 レイヴァンがそう答えればレジーの灰色の瞳に影が揺れる。そして、荷物を背負うとマリア達も荷物を整えており宿をあとにした。それから、ベスビアナイト国へと急いでいるとふとレイヴァンがレジーに昨日、市で買ったばかりの矢筒やづつを渡す。首を傾げるレジーに説明した。


「マリア様と兼用では使いづらいだろう。お前はお前の弓を持っていた方がいいと思ってな」


「ありがとう」


 レジーがと言えば、レイヴァンが薄く微笑む。レジーはマリアに使い古した矢籠しこを渡す。


「これ使ってください。オレのお古で申し訳ないのですが、使い古してあるぶん使いやすいと思いますし。これは先代の守人から貰ったいい弓です」


 レジーの言葉にマリアは目を見開く。


「そんな大事な弓をわたしがもらっていいのか?」


「ええ、もちろん。それにこの弓が大切な主を守るのです。先代もきっとお喜びになるでしょう」


「そうか、ありがたく使わせていただく」


 マリアは、とびっきりの笑顔をレジーに見せて、鼻歌でも歌い出しそうな表情で人通りのない道を進んでゆく。そんなマリアにレイヴァンも笑みがこぼれた。

 そうして一行は、山の麓までたどり着く。そこから、マリアは街を見下ろす。街には優しい風が吹き込んでいた。


「マリア様、参りましょう」


 うんと答えて街に背を向けて歩き出す。そうして、深く山の中へと足を踏み入れた。すると、どこへ向かうのかレジーがレイヴァンに問いかけた。


「そうだな、とりあえずまだ俺たちの仲間になってくれそうな場所へ行くしかないな」


「どこへいくの?」


 問いかけたのは、マリアだ。マリアの方を少しだけ向いて問いかけ口調でマリアに言った。


「マリア様もご存じでしょうが、このベスビアナイト国は自衛にすぐれた国です。それが何故なのか、ご存じですか」


 すると、マリアは城で学んだ知識を絞り出す。勉強があまり好きではなく城を抜け出してばかりだったが為に思い出すことに時間がかかってしまったが何とか思い出すことが出来た。それは王都以外にベスビアナイト国の国境近くに支城があってそこが防衛拠点になっているということだった。


「ええ、そうです。ここから随分、歩くことになるでしょうがここからならまだ近い防衛拠点――エイドスへ向かいましょう」


 マリアは小さく頷き希望を胸に歩き出した。

 それから、マリア達は休みながら歩き道無き道を進んでいった。その中でもマリアは、弓の練習を怠らない。そうして進んでゆくうちにマリア達はそこそこ大きな街へ着く。国境近くであるからか、まだコーラル国の手は届いていないようであった。それほどまでも、賑やかで明るい街であった。


「わあ、明るい街!」

 

 思わずマリアがそう言えば、レイヴァンが「ええ、そうですね」と返す。その声に少々、覇気がない。マリアがレイヴァンをのぞき込んで名を呼んだ。けれど、レイヴァンは、心ここにあらずでぼんやりとしているかと、思えば体が傾いた。


「レイヴァン!」


 レイヴァンの体は地面に倒れ込む。すると、ヘルメスが真っ先にレイヴァンに駆け寄り脈を診る。脈を見たヘルメスの額には、うっすらと汗が浮かんでいる。


「今は何とも言えませんが、おそらく疲労が祟ったんでしょうね」


「そんな」


 マリアの瞳に涙がたまる。その涙をヘルメスが拭った。


「大丈夫です、一日二日休めばすぐ良くなります」


「うん」


 ヘルメスはレイヴァンを抱え、レジーは辺りを警戒しつつ街へ降りる。街へ降りるとマリア達は宿を取り、すぐにレイヴァンをベッドに寝かせた。レイヴァンの傍らでマリアは、外套を脱ぐと宿の人に水をもらい布を濡らしてレイヴァンの額に置いた。

 ヘルメスとレジーは、マリアのことも気がかりになりながらも、旅に必要なものをそろえるために街へ出る。


「だが、レイヴァンがだいだいそろえているし特に買う物は無いな」


 ヘルメスがそう言えば、レジーはヘルメスの言葉なんか聞こえなかったかのようにどこかに視線を送る。すると、その方向に駆けだした。


「おい」


 ヘルメスの制止も聞かず、レジーはその方向へ向かう。やがて、足を止めると後方にいたヘルメスは一言、文句でも言おうと口を開いたが閉じた。そこには、噴水の前で洋琵琶リュートを奏でる男がいた。その周りには、色めき立つ女性達がいる。

 男は目を静かに閉じて、音を奏でながら唄っていた。その音に共鳴するかのように噴水の水が震えている。


『おお、我らが王よ

 あなたに報いる時が来た 今こそ盟約に付き従うとき

 ああ いにしえの時を 我らが待ちわびたこの時を

 どうか 忘れないでくれ』


 男が唄い終われば聞いていた人々も散り散りになってゆく。やがて、周りに人がいなくなるとレジーは、男に声をかけた。


「お前は〈水の眷属〉の守人、違う?」


 静かに問いかけるレジーに男は、ふんと笑う。それから、レジーの言葉に共鳴するように風が震えているのを感じた。


「だとしたら、何? あんたは〈風の眷属〉の守人か。何故、こんな所にいる」


「我らが王が、現れた。今、その者がこの地へ来ている」


「へえ、だから?」


「お前も共に――」


「悪いけど、いにしえの盟約に付き従うつもりはない。それに、王自身がここにいないんじゃあ、俺も従えないな」


 そういうと男は去ろうとしたが、レジーが声をかけた。


「その者は今、大切な人を看病しているからここにいないだけだ。お前が拒んだって、近いうちに会えるだろう」


莫迦ばからしいね。そんな古くさい迷信のようなものに縛られるなんて」


「オレ達はどう足掻いても、あの方からは逃れられない」


「そんなの、わからないだろ」


 男はレジーに背を向けて歩き出す。男の姿が見えなくなってからレジーにヘルメスが声をかけた。あの男が水の眷属、と疑問を含ませた口調で呟くとレジーは、小さく息を吐き出して頷いて見せた。


「ああ、すぐにまた会えるさ。〈眷属〉というものはそういうものだ。それよりも、早く買い物を済ませてしまおう。確か、調味料がいくつかきれてた」


 ヘルメスはあいまいに頷く。それからヘルメスとレジーは、買い物を再開してレジーの言った調味料と瓶詰めなどをいくつか買うと宿に戻った。すると、レイヴァンは上半身を起こして目を覚ましており、かわりにマリアがレイヴァンの傍らで眠りこけていた。

 宿の部屋に入ってきた二人にレイヴァンは、しーと言って静かにするように促す。

 マリアも夜遅くまで弓の練習してるから疲れてるんだな、とレジーはそんなことを思いながら、買ってきた物を床に降ろす。それから少し経ってマリアが目を覚ました。すると、目を覚ましているレイヴァンの肩を思いっきりつかんで――


「レイヴァン、大丈夫なのか! どこか痛いところは、どこか打ってない? ええと、それから」


「大丈夫ですよ、マリア様。俺は頑丈ですから」


 その声を聞いてマリアの目に大量の涙が浮かんだ。それは、ぽろぽろと瞳からあふれ出る。そして、何度も「良かった」と繰り返した。それほどまでも心配していたのであろう。レイヴァンは、そんなマリアを見て優しく微笑んだ。泣きじゃくる主を見てレジーもまた心が洗われてゆく感覚に襲われる。それと共にこの人が主で良かった、という感情がわき起こる。そのとき、レジーの耳に〈水の眷属〉の守人の歌声がよみがえる。


(あの唄は、ときおり風が唄っている唄。あの者も待ちわびたわけではないのか? 我らが王を)


 レジーの疑問は、誰に届くことなく闇に消えた。


***


「ここにはいない!?」


 オブシディアン共和国の処刑場がある街に、ジョードとクリシュナは来ていた。けれど、ここにはベスビアナイト国の姫君は来ていないという。しかも、ここの住民達は口をそろえてこういった。


「ベスビアナイト国の王と王妃の間には娘は産まれておらず、産まれたのは息子だ」


 ジョードは頭の中がぐるぐるとごちゃごちゃになってゆくのを感じる。そんなジョードにクリシュナは、声をかけた。


「とにかく、ベスビアナイト国へ向かおう。ここからなら、すぐ近くだし」


「ああ、そうだな」


 ジョードとクリシュナは、真実を確かめるべく山を昇ってゆくことにする。


「そういえば、ジョード。錬金術師が、ひとり脱獄したそうだぞ」


「それがどうかしたか?」


「それがさあ。脱獄に手を貸したのは看守の一人でさ。まあ、そいつすぐ処されたんだけど。その後がね」


「なんだ、さっさと言え」


「錬金術師を衛兵達が取り押さえたんだけど、その衛兵達を剣一振りで倒した男がいてさ。それはそれは疾風のようであったと見ていた住民は言っていた。しかも、その後ろから男の服を着た少女が現れて錬金術師に手を差し伸べたそうだ」


「それって!」


「ああ、おそらく王子は間違ってなかったんだよ。ベスビアナイト国には“娘”しか産まれず男として育てることにした。そして、王子は偶然にもその時は“お姫様”の格好をしたその子に恋したんだ」


「いくらなんでも、強引すぎないか?」


 ジョードが半ば呆れたように言う。すると、クリシュナは「えー」と声を漏らす。


「だって、そう考えるのが妥当じゃない? 城に乗り込んだ奴らも“王子”しかいなかったって言ってたし」


「いくらなんでもそれは無いだろう。それにこの国に来たという確証は得られていないし」


「だから! その少女が王子だったんじゃないかと」


 ますます胡散臭そうにジョードは、クリシュナを見る。


「そんな意味不明なこと言ってないで、少しは考えなさいな」


「ひどい、ひどいよ。ベッドの上ではあんなに可愛いのに」


「はあ!? お前、自分が寝てから寝顔をのぞきに来てるのか」


 なんて、会話を交わしながら山道を進んでゆく。


「さっきの話の続きだけどさ、ジョード。衛兵達を剣一振りで倒したという男。ベスビアナイト国が誇る正騎士、レイヴァンじゃないかって考えているんだ」


 いくらなんでもそんな芸当ただの旅人には出来ないと思うのと、“王子”には専属護衛がいるから、それが彼ではないかと口跡がつづかれた。


「お前がそこまでいうのなら、そうかもしれないが」


「絶対、そうだ! きっとお姫様達もこの近くにいるはずだ」


 拳に力を入れるとクリシュナは山をぐんぐん進んでゆく。そんなクリシュナに遅れを取らないように、ジョードもまた山の中へと進んでいった。

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