第七章 神話

 マリア達は、まだベスビアナイト国に戻ってはいなかった。レイヴァンの要望でオブシディアン共和国で旅を続けている。処刑場がある街へはいけないということもあり、しばらく歩いたところにある小さな町へ身を寄せていた。確かに、小さな町ではあったが平和で物も揃っていた。レイヴァンはそれを見に来たようである。


「何を買うの?」


 マリアが問いかければ市を眺めていたレイヴァンが口角を上げてマリアに説明する。


「はい、食料と水。それから、武器ですかね」


「どれも旅に必要な物ばかりだな。だが、お金はあるのか」


 マリアの問いかけにレイヴァンが少しばかり難しそうな顔をする。


「実はあまり、お金が無いのです。なので、最小限必要な物さえそろえればと思うのですが」


 二人の会話を聞いていたヘルメスは、何か思い当たったようでカバンの中をあさる。その手に握っていたのは、お金ではなく淡い紫色の宝石であった。


「これを売ってくれてかまわない」


 しかし、と言いよどんだレイヴァンにヘルメスはなんてこと無いように「大丈夫だ。この宝石は、錬金術で作った物だ」と言って半ば強引にレイヴァンの手に握らせる。その強引さに少々、驚いたが宝石を握り込む。そして、「ありがとう」と答えてレイヴァンが市へ持って行き店員に渡せば、店員は驚いたように目を瞬かせたあと、麻袋に10マルク金貨(通貨)を十枚ほどつめて渡された。その額にレイヴァンは驚きを隠せない。


「こんなに?」


「まあ、相場的にそんなものだろう」


 驚いているレイヴァンに、さも当然のようにヘルメスは言う。マリアも驚いてヘルメスに近寄った。


「すごいな。錬金術とは、なんなのだ?」


「物質を別の物質へと作り替える学問。だけど、この国では最近になって錬金術を禁じてね」


「こんなすごいこと、できるのに?」


「錬金術は、他人から見れば何をしているのか分かっていない者も多い。ゆえにみんな、汚物でも見るかのように錬金術師を見るのさ」


「そうか。でも、お主はすごいな。お主のカバンはまるで魔法のカバンだ」


「魔法の、カバン?」


「ああ! おとぎ話で読んだ何でも出てくる魔法のカバン。それみたいでなんか、すごい!」


 マリアが子どものように無邪気にはしゃげば、ヘルメスも悪い気はしないのか嬉しそうに頬を緩める。そして、そうですかと呟いてほんのりと頬を染めて頬をかいた。どうやら、照れると頬をかく癖があるらしい。

 それを横目で眺めつつ、レイヴァンは面白くなさそうに市を眺める。そんなレイヴァンの隣にレジーが立つ。


「嫉妬」


「醜いと思うか、まだ幼い主が他の誰かと仲良くしているのを見ると苛立ってしまう」


 レイヴァンの言葉にレジーは、何てことでも無いようにいってのける。


「いや、人間の心情として当然の感情だ。何も恥じるべき事ではない。だが、その嫉妬も募りすぎるとやがて狂気となる。それを忘れないようにしてくれ」


「そうだな。レジー、いつか俺が狂気とならないようにお前だけはマリア様との距離を忘れないでくれ。もしものとき、マリア様がお前を頼れるように」


「レイヴァン、その前に狂気になるべきじゃない。マリアの一番の理解者であるべきだ。所詮、オレは“余所者”だから」


 レイヴァンがレジーの方をまじまじと見る。それから、ふっと笑みを零した。


「そうだな。だが、お前だってもう仲間だ。マリア様がお前を仲間として引き入れた時点ですでに仲間なんだ。だから、“余所者”だなんて悲しいことを言わないでくれ」


 レイヴァンの言葉に息を飲んでレジーは、小さく笑う。そして、どこまでも青い空を見上げた。


「そうか、ならばどこまでもお前達と共に行こう。お前達がどんな結末を迎えるのかオレは少し楽しみだ」


 そんな会話をしている二人にマリアが駆け寄る。マリアが二人とも何の話してるの、と問いかければレイヴァンを小さく微笑んで見せて何てことないように何でもございませんよ、と言ってのける。その表情は、少しばかり硬かったためマリアが思わず何かあったのか尋ねようとすれば、レイヴァンの意を汲んでレジーはマリアが口を開く前に口を開いた。


「はい、今日も風は楽しげに微笑んでおります」


「そうか? なあ、レイヴァン。ヘルメス、髪も伸びきっていて顔が見えないし髪を切りたいんだが」


 マリアが切り出すとレジーが、「お任せを」といってカバンからはさみを取り出す。そして、ヘルメスを誘って少し離れた森の中へ踏み入れるとはさみで髪を切る。少し経ってマリアの元へ戻ってきたとき、マリアが思わず息を飲んだ。

 ヘルメスの色素の薄い髪がばっさりと切られている。ヒゲもきれいに剃られていた。それにより、いままで見えなかった顔の輪郭もハッキリと見えた。ヘルメスの顔は、なるほどため息が出るほどに整った顔立ちをしている。あのアレシアが惚れてしまうには十分すぎるほどかっこよかった。

 整った輪郭にすっと伸びた鼻筋。翠玉(エメラルド)を閉じこめたかのようなきれいな強い緑色を帯びた瞳。きゅと結ばれた血色の良い唇。それを見て頬をほんのりと染めて固まっているマリアにレイヴァンが眉をしかめた。

 怒ったようにレイヴァンが名を呼べばマリアは、はっとしてレイヴァンを見上げる。すると、黒曜石のような闇の瞳に頬を赤く染めた自分が映り込んだ。たちまち、レイヴァンは不機嫌になるけれど、マリアはそのとき初めてレイヴァンを男として意識した。


(ずっと、側にいて気づかなかったけれど。レイヴァンってかっこよかったんだな)


 思わざるを得ないほどにレイヴァンもなるほど、整った顔をしている。きれいな輪郭にスッと伸びた鼻筋。騎士らしい筋肉質な体。黒いマントも彼らしく彼によく似合っている。前にも感じたことであるが、彼女がいないことが驚くほどだ。

 そんなことを無意識に考えている自分を戒める。これでは、自分はレイヴァンに対して好意を持っているかのようだ。だが、レイヴァンにはすでに思い人がおり、しかもおそらくは自分のメイドなのだ。人の恋路を邪魔するかのように自分の従者が恋慕する相手が分かったとたんに意識してどうするのだ。

 そう自らを戒めつつも意識してしまい思わず頬を染めてうつむけばレイヴァンが愛おしそうにマリアの髪をすくい取る。その仕草にマリアの肩がびくんとはねる。レイヴァンの瞳にマリアの首筋に付いた薄い“跡”が見えた。どうやら、まだ残っていたようだ。


(この“証”は、なかなか消えないものだな。だが、そろそろ消えそうだ。出来るだけ、常に付けておきたいものだが)


 レイヴァンが不純なことを考えているとき、マリアの心臓は裂けそうなぐらい高鳴っていた。


(なんだって、髪を離さないの? レイヴァンが好きなのはバルビナなんじゃなかったの?)


 そのとき、レジーがごほんと咳払いする。


「早く買い物を済ませましょう」


 レイヴァンは歯切れ悪く答えるととマリアの髪を離して市の方へ足を向けた。ぽつん、と残されたマリアにレジーが近寄る。


「どうかなさいましたか?」


「いや、レイヴァンはバルビナが好きなはずなのに、何でわたしにあんな思わせぶりなことをするんだろうと」


 頬を染めてうつむくマリアにレジーが半ば呆れたような表情をする。明らかに脈ありなのに、レイヴァン自身がマリアに誤解を与えるようなことをしているのではないだろうか、という考えがレジーの頭に浮かぶ。そう思わざるを得ないほどにマリアは確実にレイヴァンを意識していた。けれど、マリアの台詞からしてレイヴァンには別の好きな女性がいて好きになってはいけないと戒めているようにしか聞こえない。つまりは、レイヴァンがマリア以外の女性に対しても何かしら特別な女性とマリアから見て思うような行動を無意識のうちにとってしまっているのだろう。本人はその自覚は無いようだが。しかし、その行動がマリアに誤解を与えてしまっているのは確かである。果たして、本人にどうにか気づかせることはできるであろうか。難しい難題だ、とレジーは独りごちる。けれど、マリアの耳には届いていないらしく首を傾げている。

 レジーは、マリアをじっと見つめて「どうしたものか」と悩んでしまった。レイヴァンに自覚が無い以上、こちらがどうにかして気づかせる必要がある。でなければ、マリアはレイヴァンがどんなに口説いても「勘違い」で全てを葬ってしまうことだろう。どうにかしてそれを阻止せねばならない。けれど、マリアにレイヴァンが本当に好きな相手を言うわけにもいかない。ならば、どうするか。それとなくレイヴァンに教えるしかないだろう。それが今の最善の方法だと、レジーは自分に言い聞かせることとした。

 まとめた考えをレジーは口には出さずに、いつもの無表情で答える。


「オレはバルビナという方を存じ上げませんが、もしかするとマリアが思い違いをしているかもしれませんよ」


「思い違い?」


「はい。レイヴァンから直接、その相手を聞いたわけではないのでしょう。ならば、別の人の可能性だって無くはないでしょう?」


 レジーが言えばマリアも納得したのか、「なるほど」と頷く。


「そうだな、早とちりはいけないな。わたしの知らないところで運命の女性と出会っているかもしれないし」


 なんでそんな考えになるのだろう、とレジーは心の中で思ったが無表情を崩さずにマリアを見つめる。そうして、淡い灰色の瞳にマリアが笑いかけた。


「レジー、ありがとう。わたしの話を聞いてくれて」


「いいえ、オレはあなたを主として仰いでおりますから。あなた様が悩んでおられるのならいつだって、相談に乗りますよ」


「ありがとう!」


 マリアはそう言ってレイヴァンに駆け寄る。二人のやりとりを見ていたヘルメスは、レジーに近寄る。


「お前は何故、マリアについているんだ?」


「主だからだ」


「お前はマリア達が城を追われた先で出会ったと聞いたが」


「オレは〈風の眷属〉の守人。眷属が、風がマリアを主だといった。『我らが王』と呼んだ。ならば、オレも彼女に付き従うのみ」


「我らが王?」


「知らない? 建国神話を」


「あまり詳しくは……」


「そうか、ならば今夜にでも聞かせよう。ベスビアナイト国に伝わる建国神話『七つの眷属』の話を」



 星も見えない漆黒の夜、マリア達はお金があまりないということもあり宿の一室を借りて四人は火を灯して椅子の上に座っていた。


「マリア、それからヘルメス。これから話すのは民間に伝わっている話ではなく、我々守人だけに伝えられている話。だから、他言無用。いいですか?」


 マリアとヘルメスが頷けば、レジーの唇から緩やかに語られ出す。部屋には赤いろうそくの炎がゆらゆらと揺れて、外は黒い木々が風に煽られ不気味に揺れている。そんな中、レジーの穏やかな声が優しく響いていた。



 昔、大地が震え空は嵐が起き、日照りが続き奇妙な害虫が現れ世界は飢饉で飢えていた。そんなとき、その地に一人の女性が現れた。その女性は天女のような衣を着ていた。そんな女性に人々は言った。


「作物が育たないのです。どうすれば、良いのでしょう」


 すると、女性は人々に


「ならば私がいったものをここへ用意してください」


 女性の言ったとおりのものを人々は用意して、渡した。すると、鉛であったはずのものがきれいな金の鎖に。ただの石ころであったものが、まばゆいばかりのきれいな鏡に。枯れた根は簪に。枯れた葉は、耳飾りに。腐った木は鈴に。あとの鉛は、錫杖に。泥を黄金の指輪に替えた。

それら全てを持つと女性は金の鎖を嵐に巻き付けて動きを止めると、揺れる大地に簪を突き立てて止めた。こんどは鈴を鳴らせば、虫が逃げていった。次は、黄金の指輪を嵐に放つと嵐が完全に消え去った。耳飾りを大地に埋め込み、鏡を天へ放つと雨が降り注ぎ、耳飾りが埋め込まれた場所から芽が生えた。錫杖を大地に突き立てれば、作物は大きく育ちたちまち作物が実った。それから、女性はこの七つの装飾具にそれぞれ力を与えた。

 水・火・地・風・木・金・闇、と七つの装飾具にそれぞれ自然の絶対なる力を注ぐとさらにその装飾具を守るために、それぞれの力を持った若者を天から呼び寄せた。その若者達の力を借りて、女性は、この地に国を作り繁栄へと導いた。

 やがて女性は永遠の眠りへとついた。その夜、残された若者達は夢を見た。その夢で女性はこう告げたという。


「再び、この地に災いが降りかかるであろう。そのとき、乙女が現れてこの地を救うであろう」


 若者達はその声を聞き、自らの主がまた現れることを願い。また、この力は身に余るものとして誰に知られることなく国を去った。その若者達の力は、今もなお受け継がれていると言い伝えたる。



 レジーは言い終えると、息を一気に吐き出した。マリアは目を輝かせて聞いていた。レイヴァンは、何やら考えているようで眉を潜める。ヘルメスは、初めて聞いたようで「へえ」と言っていた。


「俺が小さい頃に聞いた話とは違うな」


 レイヴァンがそう言えば、レジーはレイヴァンに目をむけて「どんな風に」と尋ねる。


「その女性の事だ。天から女神が現れて、と聞いていた。それに七つの装飾具も。女神が身につけていたと聞いていた」


「それは民間に伝わっているものだからじゃないかな。民間に伝わっている話は、だいたいは着色されるし、元の話と全然違う場合も少なくはない。他に相違点は?」


「そうだな、あとは守人だ。守人は女神によって選ばれた若者7人が装飾具から零れた雫を飲んで力を得たと聞いた」


 レジーはちいさく頷き、レイヴァンの方を見る。


「そういう話も聞いたことがあるけれど。たしかなところは、わからないんだよね」


 レイヴァンは、考え込んでしまい黙り込む。マリアはそれを見つつ、レジーに笑顔を向けた。


「神話というのも面白いものだな!」


 マリアの一言に驚いて、誰もが息を飲んだ。この地で生まれ育ったヘルメスが言うのならともかくベスビアナイト国で生まれ育ったはずの姫君がそんなことをいうのだ。しかも、今聞かせたのは建国神話。誰もが幼い頃に少なからず聞かされているはずだ。それも一国の王の娘となれば、なおさら聞かせるものだろう。なのに、どうだ。彼女はまるで神話の存在すらろくに知らない。自分の国に伝わっている神話であるはずなのに彼女は、今はじめて聞いたようだった。


「マリア、城で聞かされたりしなかったの?」


 レジーがそっと問いかければ、マリアは首を傾げてみせる。


「いや、わたしは今初めて聞いた。神話という物の存在を初めて知ったし。幼い頃はよく母上が本の読み聞かせをしてくれたものだが、神話は読んではくれなかった」


 マリアが素直にそう言えば、レイヴァンがふと何か思い立ったかのようにとした表情になる。


「もしかしたら、王妃様は別の国のご出身なのかもしれない」


「確かに、あり得るね。政略結婚とか」


 レジーはレイヴァンの考えに賛同の意を示す。


「いや、政略結婚というのではないと思う。王妃様は平民の出だと、周りが話しているのを聞いたことがあるから」


「ならば、なおさらわからない。その異国のそれも平民の少女と王はどうやって出会ったんだ?」


 ヘルメスが疑問を口にする。その疑問に答える声はなく沈黙が時間をさらってゆく。そのとき、マリアが沈黙を破り「母上が言っていた」と切り出して裕福ではないが幸せに暮らしていたことと、自分のいる国が別の国によって自由が奪われそうになったとき、父上が助けてくれたという話をすれば、レイヴァンがマリアの小さくて柔らかい手を握る。


「いいえ、ありがとうございます。それだけでも、十分です」


 マリアがどぎまぎしていると、ヘルメスは次に気になっていたことを口にした。


「もう一つ、気になったことがあるんだが。マリアは王子として育てられたと聞いたが、建国神話ではベスビアナイト国を盛り立てたのは女性なんだろう? なんで、マリアはわざわざ男として育てる必要があったんだ? それに、“マリア”という名前も」


 ヘルメスの問いにレイヴァンが口を開き「俺もなぜ、王子として育てられたのかわからない。ただ名を付けたのは王妃様だ」と紡げばヘルメスは考え込み、マリアに視線を向けた。


「母親は何か言ってなかったか?」


「さあ? 名前についてはわたしも知らない。だが、わたしは父上がくれた名前よりマリアの方が気に入っているんだ」


「確かフルネームは、クリストファー・マリア・アイドクレーズだったか」


「ああ、クリストファーは父上からいただいた名でマリアが母上からいただいたんだ」


「確かに、名前だけ聞けば男性名だな」


「だが、わたしはこの名前は好まぬ。マリアだけでよいのに」


 ふとレイヴァンの方に目を向ければレイヴァンは、何やら考え込んでいるかのようだった。


「レイヴァン、どうかした?」


 マリアがのぞき込んで問いかければ、たちまち頬を染めて視線を少し反らした。


「いえ、今まで気にしたことが無かった疑問がたくさん出てくるので。確かに、気になりますね」


「そうだな。父上は何故、わたしを王子として育てようとしていたのか。そもそも、何でヘルメスはマリアという名に疑問を持ったんだ?」


 マリアという名は実にありふれた女性に付ける名前だ。なにも珍しい名ではない。洗礼名としてもつけることが多いからマリアは実に一般的な名だ。別段、おかしな事ではないだろう。

 けれど、ヘルメスは不思議だとでも言うように首をひねっていた。


「“マリア”は聖女の名前でたしかに、名付ける者が多い。だが、なぜあえてその名にしたかだ。そんな皆が付けるような名前にそこまでこだわる必要があるか?」


「それは、ただ単に母上がマリアという名にただならぬこだわりをもっていたんじゃ、としか」


「そのこだわりって、何だ?」


「それは、わからないけれど」


 マリアは思わず言いよどむ。そんなマリアの髪をレイヴァンがなでた。


「名前というのは、自分の子に願いをこめて付けるものです。なので、名前というのは親の願い、そのものなんですよ」


「では、マリアという名前も」


「ええ、きっと王妃様が何らかの願いを込めて付けてくださったのですよ」


 マリアのブルーダイヤモンドの瞳が嬉しそうに大きく開かれる。そして、レイヴァンに抱きついた。その様子をエメラルドの瞳がじっと捕らえていた。エメラルドの瞳がゆるやかに閉じられるとレジーが、そっとヘルメスに近寄る。


「そんなに不思議? “マリア”という名前」


「ああ、確かに王族にもたくさんいる。たくさんいるからこそ、不思議なんだ。なんであえてその名を付けたのか」


 ヘルメスが考え込むとレジーは、やはり表情の読めない顔でマリア達を見る。マリアはとても楽しそうに笑っていた。レイヴァンは抱きつかれて胃が苦しそうではあるがマリアに抱きつかれて嬉しそうだ。


(マリア様は、我らが王。ならば、お守りするべきだ)


 ふとレジーの耳に夜風に混じって声が聞こえてきた。それは、遙か遠く響く風の唄。


『ゆりかごの中で聞いたあの唄を我らが眷属に授けよう

 我らが王がくださった世界を示すこの唄を

 あなたに力を授けよう

 決して裏切らない強さと希望を我らが王に誓おう

 我らが王が悲しむならば我らも共に悲しもう

 我らが王が嬉しいならば我らも共に喜びを分かち合おう

 我らが王よ あなたはどうか誰も裏切らぬよう

 遠い世界にて私は祈る』


「レジー、どうしたの?」


 気がつけば、皆の視線をレジーは浴びていた。そのことに気づいたが気にした様子もなく闇色の空を見上げる。


「風が語りかけてきました」


「なんと、言っていたのだ?」

 

 マリアが問いかければ、レジーは言葉を紡ぎ出す。それは先ほど聞いた風の唄。それを全て言い終えるとマリアは少しばかり目を見開く。


「我らが王?」


「ええ、あなたに最初にあったとき風は言いました。『この者こそ、我らが王 いにしえの盟約を今こそ果たすとき。我らが眷属たちよ、我らの子等よ。この者をお守りせよ この者こそ我らが王』だと」


 レイヴァンすらも驚いて目を見開いている。ヘルメスは先に知っていたからかそれほど、驚いた様子もない。


「マリア様が王?」


「はい、おそらくマリアを他の眷属の守人達も捜していることと思われます」


「他の守人達がわたしを?」


 マリアの言葉にレジーが静かに頷く。


「オレ達、眷属の守人は自然の声に敏感です。それも主が現れたとなれば我々、守人は声に導かれどんなに運命に抗おうとも嘆いても主を守らずにはいられない。主を裏切ることは絶対に出来ない。それが、いにしえからの盟約」


 マリアの顔が伏せられる。そして、どこか悲しげで切なげな声が発せられた。その声は、とても澄んでいて夜には映える声だった。


「わたしは、そんなのおかしいって思っちゃうな。変だよ、そんなの。いくら、盟約とか言われてもわたしだったら、主と認めた人としか主とは認めない」


 マリアの言葉が深くレジーの心の奥へと突き刺さる。それは、レジーも思っていた事であったからだった。けれど、こうして側にいて“あるじ”であるマリアがどんな方であるか見えてきて思うことがあったのだ。レイヴァンを心の底から心配し、対等な立場であろうとする“この方”こそ仕えるに値し、どこまでも遠い未来を見据えることが出来る、と。

 レジーがマリアに恭しく跪く。マリアの目が大きく見開かれた。


「オレはあなたを主とし、あなた様をお守りいたします。それはあなたが『我らが王』であるからではございません。“わたくし”自身がそう望んだからです」


 マリアは嬉しそうに朗らかに微笑んだ。


「ありがとう、レジー。お前に認められてわたしは、嬉しい。わたしは主として恥じない生きたかたをしなければならぬな」


 レジーの表情が緩んでマリアを見つめる。その瞳は、主従と信頼の瞳であった。それを見てレイヴァンもわずかに微笑む。ヘルメスはどこか疎外感を感じつつ、その様子を見ていた。そんなヘルメスにマリアは微笑む。


「ヘルメス、お前はお前がしたいことをすればいい。お前を仲間にしたのはわたしだ。いつだって、ここから抜けてくれてかまわない。だが、約束してくれ。決して仲間を裏切るようなことはしないこと。それだけ守ってくれさえすればいいんだ」


「はい、俺はそこにいる騎士殿や守人のように誰かに忠誠を誓うほど出来た人間ではございませんからね。俺は錬金術師。野蛮でこの国では忌み嫌われる。そんな俺ですからあなたを傷つけることになるかもしれないですよ」


「かまわない。わたしは、それを承知でお前を仲間に引き入れたんだ」


「そうでしたね、あなたはそうでした」


 ヘルメスの言葉が深い闇にとけ込まれるとエメラルドの瞳に闇が刺す。それはまるでヘルメスの心のようであった。マリアはそれを感じ取りつつヘルメスに笑みを向ける。

 ヘルメスの口角がつり上がる。そして、マリアに近寄るとマリアの胸元に翠玉(エメラルド)の宝石がついたブローチを付けた。


「俺の国では信頼を置く者に自分と同じ瞳の色の宝石を渡す習慣があります。どうか、貰ってください」


「ありがとう、ヘルメス」


 マリアを捕らえた翠玉エメラルドの瞳は、誰よりも無慈悲で優しい子どものような目をしていた。

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