第三章 覚悟

「王子様、もういってしまうの」


 日が開けて、マリア達はイリスに旅支度を整えてもらうと旅立とうとしていた。旅支度というのは、レジーが要求した食器や器具。レイヴァンは手当てするための道具が入った薬箱。またフード付きの外套だ。寒さを凌ぐためとマリアの顔を隠すためという役割がある。


「イリス、世話になった。またお主の兄を独り占めしてしまう形になってしまうがいいか」


 申し訳なさそうに言うマリアにイリスは、首を振ってみせる。


「いいえ、王子様に必要とされているのならそれで良いのです。それよりも、本当にこんな兄でいいのですか? さっきから、にたにたして気持ちの悪いこんな兄で!」


 マリアの後ろでニタニタ笑うレイヴァンに向かってイリスが叫ぶ。けれど、レイヴァンの表情は変わらない。


「お前が気にすることはない。王子は命に代えても俺がお守りする」


「なんか恐いわ。王子様の貞操を汚すんじゃないわよ!」


「なっ! そんなことするわけないだろう」


 レイヴァンがあわててイリスに反論する。それから、マリアの方を向く。


「王子、俺はそんなことしませんからね」


 レイヴァンが念を押せばマリアは、たちまち首を傾げて問いかけた。


「ていそうって、なんだ?」


 一瞬、呆気にとられたものの意味が分かっていないことが分かり、マリアの肩に手を置いた。そして、冷や汗を浮かべた顔で答える。


「あなた様は知らなくて良いのです。あなたはそのまま、汚されずに育ってくれれば」


 意味が分からないマリアは、あいまいに頷く。けれど、それ以上突き詰めたりはしなかった。


「汚そうとしているのは、アンタでしょ! レイヴァンの不潔、変態!」


「お前が勝手に言っているだけだろう!」


 言い合っている二人をほほえましく想いながら眺めてマリアは思っていることをそのまま言葉にした。


「仲がよいのだな、二人は」


「よくない!」


 二人から同時にそんな返答が返ってきて苦笑いを浮かべるマリアにレイヴァンは、はっとした顔になり、恭しく跪いた。


「も、申し訳ございません。主に対してあのような口を」


「いいや、かまわない。それに何だか嬉しいんだ」


「嬉しい?」


「うん、いつもと違うレイヴァンが見られてちょっと嬉しいけど、ちょっと寂しい」


「え?」


 マリアの一言にレイヴァンは少しばかり驚きを隠せない。マリアは少しばかり目を伏せて視線は、どこか一点に集中している。


「その、レイヴァンが、どこか遠い世界の人に思えて。変だよね、レイヴァンはレイヴァンなのに」


 そんなマリアの柔らかな頬にレイヴァンの無骨な手が添えられた。その温もりに驚いてマリアの目が見開かれる。


「レイヴァン?」


「王子、それは嫉妬ですか?」


 それを聞いてマリアの手が少し震える。そして、「ち、ちがう」と何とか絞り出した声で答える。けれどレイヴァンの真摯な目が「嫉妬だ」とでも言いたげに見つめる。そして、マリアの顔との距離が近づいていき――


「なにやってんの、莫迦兄貴!」


 イリスがマリアとレイヴァンの間に割って入り、レイヴァンを突き飛ばしていた。


「れ、レイヴァン! 大丈夫か?」


 思わずマリアは、レイヴァンに駆け寄る。レイヴァンの瞳がマリアを捕らえると愛おしそうに熱い視線を送る。そのことにマリアが顔を強ばらせる。


「どこか打ったのか?」


「いいえ、打ってなどおりません。ただあまりにもあなた様が可愛らしくて」


 無骨な手がマリアの柔らかな髪にふれる。たちまち、薄い金の髪が無骨な指に絡め取られた。その仕草に思わず、マリアの胸が高鳴る。


(レイヴァンは女慣れしているのかな)


 思わざるを得ないほどにレイヴァンの手つきはしなやかで優しく慣れた手つきをしている。こんな手で撫でられれば女性なんて一発でころりと、この男の“とりこ”にされてしまうであろう。もしかすると、自分が知らないだけで彼には女の一人や二人いるのかもしれない。

 手つきだけではない。いつも一緒にいるためにわかりにくいが、レイヴァンの闇夜を映し込んだような憂いを帯びた目はきっと世の女性達は放っておけなくなることだろう。

 騎士というのは、戦場に立って戦うための技量が必要となる。それに、外で鍛錬することが多いものだから、よく日に焼けていることが多い。だが、この男の場合、日頃から鍛えているであろう筋肉は正直言って、無駄な筋肉のつきかたはしておらず、しなやかな筋肉の付き方をしている。これで剣や槍などの武器をあますことなく使いこなすのだから申し分ない。

 他の騎士と同様、日にも焼けているが、逆によく焼けた肌が男らしい色気を放っていた。これで顔立ちがよいのだから、女性に人気が無いはずがないのだ。けれど、マリアはレイヴァンの浮いた話を聞いたことがなかった。

 そんな風に思っていると、イリスがごほんと咳払いする。


「見つめ合ってる時間はないでしょう? 今、こうしている間もコーラル国がこの国を好き勝手やっているんだから」


 言われマリアは、はっとしてイリスを見つめ返した。


「そうだな。では、そろそろ行くことにしよう。イリス、世話になった」


「いいえ~」


 レイヴァンの馬にマリアは乗り、その後ろにレイヴァンが乗る。そして、また馬に揺られて進み始めた。そのとき。


「あ! ごめん、ちょっと待ってて!」


 さけんでイリスは一度、家に入りまた家から飛び出してきた。マリアはレイヴァンの手を借りながら馬から下りる。


「どうかしたのか?」


「これ、もし何かあったらって父さんから手紙」


 マリアが問いかければそう言ってイリスが手紙をマリアに渡す。それを受け取ると器用な手つきで手紙を開けた。レイヴァンも馬から下りて手紙の中身をのぞき込む。そこには、こう書かれていた。


『これから、どうすればよいのかおそらく悩んでいることだろう。そんなときは、オブシディアン共和国に住まう知人を訪ねよ。彼ならば、きっと知恵をかしてくれることだろう』


「オブシディアン共和国?」


 首を傾げるマリアにレイヴァンが説明する。


「ここベスビアナイト国より、西方にある国です。しかし、そのような場所に知人がいたとは」


 手紙の二枚目には、地図と名前が記されている。


「オブシディアン共和国の首都、デイサイトに住むバートという方のようですね。どうしますか?」


 レイヴァンに問われてマリアは、頷いてみせる。


「会ってみよう。もしかしたら、我らに知恵をかしてくれるかもしれない」


 そうですね、とレイヴァンは答えた後で、この国と我が国は古くから交流があり、よく行商人が我が国へ物資を運んできているという。何より通行するための通行許可書もいらず、他の国に比べたら、随分と入りやすい旨をマリアに伝えた。


「では、行こう。少しでも早く、この国に着くように」


 つげると馬にまたがり、後ろにレイヴァンもまたがった。


「ありがとう、イリス。お主に色々と助けられた」


 イリスは、にこりと微笑むと赤い髪を少しばかり整える。そして、マリアを見上げる。


「あたしは何もしていませんよ。どうか、あなた様に神のご加護がございますように」


 小さくマリアが頷くとレイヴァンは、馬を走らせる。レジーもイリスからもらった馬を走らせた。馬に揺られながらマリアは、ふとレイヴァンに問いかける。


「そういえば、今まで聞いていなかったが戦場は一体どうなっていたんだ?」


「どうやら伏兵がいたらしく彼らに騎馬兵や歩兵がほとんどやられてしまいました」


 思わずマリアが顔を伏せる。レイヴァンの瞳が少しばかり揺れたが、それを心の内に隠してマリアに問いかける。


「マリア様、王都は正騎士長の部下が護衛をしていたはずでしたが一体、何があったのですか。それにコーラル国の軍事力ではベスビアナイト国の門を破れるとは思えないのですが」


「わからない。気がついたときは、すでにコーラル国の兵達で溢れかえっていて。わたしはバルビナや母上に逃がされたから」


 うつむいた瞳にわずかだが影が差す。それに気づきつつもレイヴァンは何も言えなかった。そんなレイヴァンの頭の中に嫌な考えが浮かんでいた。


(まさか、正騎士長が――いや、そんなはずはない。あの方は俺を育ててくれた。それに、王に忠義を誓っていたのだ。あの人が裏切るはずがない)


 考えを振り切り、レイヴァンはマリアに小さく微笑んでみせる。


「マリア様、王様も王妃様も助けに参りましょう。あなた様が助けてくれたとわかれば、きっとお喜びになります」


「ありがとう、レイヴァン。けど、一度は王都へ行って国の状況を見ておきたいな」


 マリアの一言にレイヴァンも頷く。


「そうですね。ですが、あなた様は行かせるわけには参りません。ですから、他の誰かを行かせましょう」


「うん」


 あいまいに頷きながらマリアは考え込む。それは、イリスに言われてから考えていたこと。


『たとえそうだとしても一国の王子』


 この一言が耳をついて離れない。


(わたしは、このまま守られるだけの無能な“王子”で良いのだろうか。結局、わたしはレイヴァンに守られてばかりで、知恵も回らない。誰かを頼ることしかできないなんて)


 考え出したら自分自身が空しくなってくる。何も出来ないただ、守られるだけの王子なんて民が必要とするだろうか。それならば、いないほうがマシだ。そんな卑屈なことを考え出したとき。どこからか、足音が響いてきた。その音はすさまじく、規則正しい足音だった。


「この足音、軍人だな」


 レイヴァンの一言に一気に青ざめる。


「追っ手!」


 声に出した瞬間、二人が乗っている馬に向かって矢が放たれた。馬は一啼きするとマリアとレイヴァンを宙へ放り出してしまう。少女の名を呼んでレイヴァンの無骨な手が、マリアの体を抱え込む。たちまち、騎士の体は重力によって地面に叩きつけられてしまう。

 目を見開いてマリアが名を呼ぶと、レイヴァンの悲痛に満ちた表情が少しだけ和らいだ。マリアは慌てて処置を施そうとカバンの中を漁る。けれど、黒い騎士は手を掴んでなんてこと無いように言ってのける。


「大丈夫ですよ、これくらい。戦場では日常茶飯事です」


「けど」


 泣き出しそうになる少女の髪をなで、起き上がると肩を抱き寄せて自分の体の中へ抱え込んだ、刹那。矢が雨のように二人の上に降り注いだ。レイヴァンは抜刀し、立ち上がる。それから、マリアの肩を強く掴んで離さないようにしてそれらを全て斬りつつ、よけれる矢は全て避けた。レジーもレイヴァンの背後に背中合わせにして短剣で矢を斬っていた。

 矢が止んだかと思えば、今度は武装した男が現れる。男が胸に付けているには、ペンタクルの形を象った勲章。それは、コーラル国の貴族にのみ与えられる勲章であった。男の後ろには、十騎もの騎馬兵。


「貴様、何者だ」


 低い声でレイヴァンが問えば男は、低い声で答える。


「俺はコーラル国、随一の武人。そこにいる王子に用がある。いや、違うな。お姫様か」


 一言にレイヴァンの体が一気に鳥肌が立つ。あまりに一瞬であったため、マリアですら気づいたときにはもう、黒い瞳に怒りが浮かんでいる。


「この方はこの国の王子だ。そんな戯けを誰が言った?」


 すると、武人と名乗った男はガハガハと笑う。


「たわけだと、よくもまあそんなことが言える! これを教えてくれたのは、クリフォードだ」


 レイヴァンとマリアは、たちまち目を見開く。

 クリフォードは、この国の正騎士長でレイヴァンの育ての親だ。それにマリアが女性だと知っている数少ないマリアが頼れる人間だった。その人間が裏切り者だと聞いたとき、怒りよりも悲しみの方が勝っていた。けれど、これによりすべての辻褄が合ってしまう。ほぼ全滅していた味方の部隊。王都を守っていたはずの正騎士長の部下。けれど、城はコーラル国の兵に襲撃された。

 嫌なくらいにすべてのピースがピタリとはまる。


「そんな莫迦な。正騎士長は王に忠義を誓っていたのだぞ」


 男の顔がこれほど面白いことはない、とでも言いたげに歪められる。


「忠義だと? 笑わせる。あの男は元々、コーラル国から入り込んだ間者なのだからな」


 マリアが息を飲み、レイヴァンが冷や汗を浮かべた。けれど、二人が物思いにふける間も与えることなく男が騎馬兵に指示を出す。


「ベスビアナイト国の王子を捕らえよ」


 騎馬兵が一斉にマリア達へ向かってくる。けれど、騎馬兵にむけてレジーが弓を引き、馬を狙い十騎全ての馬を横転させた。その隙にレイヴァンは、マリアを連れて向かってくる伏兵の矢を蹴散らしてゆく。


(恐い。王族というだけで命を狙われる。わたしは何もわかってはいなかった。専属護衛の意味も武器を持つという意味も)


 馬に乗っていた武装した男達が立ち上がり、剣を抜いてマリア達の方へ行こうとしていたが、その前にレジーの短剣で刺殺されてゆく。瞬き一瞬のあと、男達は動かなくなった。だが、歩兵がまだいたのか草むらから次から次へと剣を抜いた男達が現れる。レジーもその人たちを倒していくが、あまりの人数に追いつかない。

 やがて、その男達はマリア達の所まで追いついたが、レイヴァンの剣裁きで一瞬にして何十人もの歩兵が地面に倒れて動かなくなる。

 けれど、弓兵達の矢は次から次へと降り注ぐ。レジーもマリア達に合流し、三人は男達の目に付かない場所へと移動していった。



 洞窟のような場所に来てマリア達は、小さく息を吐く。


「ここまで来れば、大丈夫だろうか」


「いいや、おそらく俺たちを捜していることだろう。いつ、ここがばれるか」


 マリアの考えはレイヴァンのよって、ことごとく一蹴される。それから、不安そうな目をするマリアにそっと笑いかけた。


「大丈夫です、ご心配なさらずとも俺がついています。専属護衛の俺がそこまで信用なりませんか?」


「いや、だって、もし何かあったら……」


 小さく息を吐き出して、マリアの不安を取り除くようにほほえみかける。


「“もし”なんてございませんよ。俺はあなたをお守りするため、何度だって舞い戻って見せますよ」


 マリアの青い金剛石の瞳が涙で少し潤う。それを見て、「まだ駄目か」と苦笑いを浮かべるとマリアの首筋に唇を寄せて強く吸い込んだ。


「いたっ!」


 マリアが思わず声をあげれば、マリアの首筋に噛み跡が付く。唇を離したレイヴァンがマリアに悲しげに微笑んで、柔らかな髪をそっとなでる。


「お守りです」


 レイヴァンはレジーに「マリア様を頼む」というと、ほこらを出て男達がいる方へ駆けていった。それを見て、思わずその方向へ手を伸ばす。


「レイヴァン、待って」


 けれど、声に答える言霊は無く姿が遠くへ行ってしまった。見えなくなった姿に想いを馳せつつマリアは、レイヴァンが残した噛み跡を撫でる。どこからか話し声が聞こえてきた。


「あの騎士、一体何者だ?」


「この人数をたった一人で相手するなんて」


(レイヴァンのことだ。そうだよ、レイヴァンは強いんだ。わたしが心配するまでもない)


 そのとき、外が少しばかり騒がしくなる。それから、レジーがハッとしたような顔をしてそわそわと風の声に耳を傾けているようだった。


「レジー、どうしたの?」


 マリアが問いかけた刹那。外から声が聞こえてきた。


「よし、背後を取った。今なら毒矢で討てるぞ」


 ざわりと心が嫌な音を立ててざわめく。それは、あまりに気持ち悪く体中を駆けめぐった。


(大丈夫、レイヴァンなら矢くらい避けられる。私が出て行っても仕方ない。ただの足でまといになるだけ)


 思っても、やはり体が勝手に動いていた。


「マリア、今出たら駄目だ」


 レジーの声すらも吹き抜ける風と同じように聞こえて、ただマリアには「守らなければ」という想いだけが体中を駆けめぐっていた。

 ほこらから出てしばらく行くと、そこには男と二人ほどの弓兵。草むらに隠れていた。レイヴァンはその草むらよりも少し遠くにいた。


(守らなくちゃ)


 思いだけがマリアを突き動かす。そんなマリアは弓兵の一人に体当たりをしてそこそこ枝を伸ばしている木の方へ押しやった。すると、偶然にも男の体に鋭い木の枝が突き刺さる。その背後でレジーは、もう一人の弓兵を矢で打ち抜いた。

 男はマリア達の方を向く。そして、不気味なくらい笑みを浮かべた。


「まさか自ら出てくるとはな。さすが、世間知らずのお姫様。やることが無謀ですね」


 男をマリアは、にらみ付ける。そこでふと男は、マリアの首筋に目をやった。


「ははは、これは傑作だ。まさか、騎士と姫君がそういう関係だったとはな。あんたの首筋、愛の噛み跡が付いてるぜ」


 けれど、マリアは男の言葉に耳を貸さない。


「ふん、惨めな娘だ。あんな騎士一人を頼りにしなければ生きていけないなんてな」


「訂正しろ。わたしのことは何だって言え! けれど、彼を“あんな”騎士などと呼ぶな」


 マリアは近くに落ちていた剣を手に取る。すると、やはり重いのかきちんと持てない。


「ハッ! ろくに剣もさわったことのない娘が思い上がるな!」


 さけんだ男は剣を抜き放って、マリアに向かって振り下ろす。レジーは助けようとしていたが、マリアの背後に兵士が現れたため、それはかなわず、その兵士とやり合うことになった。

 剣のぶつかる音が木霊する。確かな違和感を感じてレイヴァンは、視線を草むらの方へやった。そこで初めてマリアがいることを確認して思わず叫んだ。


「マリア様っ!」


 しかし、その声に答える声はなくマリアはただ必死に剣を握っていた。けれど、ついに転んでしまう。


「これで終わりだ」


 叫んで男はマリアに剣を振り下ろそうとした、瞬間。男の動きが止まり、ある一点を見つめる。そこには赤い血だまりが出来ていた。そこから視線を上げると、男の脇腹にマリアの剣が貫通していた。

 マリアが力を振り絞り、何とか少しだけ腰を上げて剣を持ち直していたのだった。その剣が偶然にも男の体を貫通したのだ。

 マリアの体におびただしい量の返り血がこびり付く。けれど、そんなものは気にならないほどにマリアの目は血走り、震えていた。そのとき、レジーが兵士を倒しマリアと戦っていた男の心臓に向けて矢を放つ。男は地面に突っ伏した。すると、まだ生き残っていた数人の兵士が争うのを止めて男をさらって連れて行くと、その場を逃げ去る。

 未だ呆然としているマリアにレイヴァンは近寄ると、自分の手でマリアの顔に着いた返り血を拭う。


「大丈夫ですか」


 そっと出来るだけ優しく問いかければ、青い瞳に涙が浮かぶ。


「わたしは、今はじめて武器を持つという本当の意味を知った」


「はい」


「けれど、必死だった。レイヴァンが死んでしまうのではないかと思ったとき、体が勝手に動いていた」


「はい」


「お前を失いたくは、なかったんだ」


「はい」


 レイヴァンは、マリアの体を優しく抱きとめると優しく髪をなでた。その優しい手つきにマリアは、どうしても身をゆだねたくなる。けれど、それで本当にいいのかマリア自身が一番よくわかっていた。


(このまま、甘えていてはいけない。今日は偶然、こうなったもの本当ならばわたしは殺されていただろう。ならば)


 マリアの中である覚悟が決まる。そして、レイヴァンから体を離すとスッと立ち上がる。


「レイヴァン、お願いがあるんだ。わたしにきちんとした武器の使い方を教えてほしい。あと、出来れば稽古も付けてほしい」


「あなたはこれで、懲りたわけじゃないのですか」


「いいや、これは前々から思っていたことだ。それに、今回みたいなことがきっとまたある。だからレイヴァン。わたしに武器の使い方を教えてほしい」


 マリアが頭を下げると、レイヴァンの目が険しくなる。


「どうしても、ですか?」


「どうしても、だ。わたしは、このままレイヴァンに甘えてばかりもいられない」


 ひとつ、レイヴァンが息を吐き出せばマリアの体が強ばる。


「顔をお上げ下さい」


 言われたとおり、マリアが顔を上げるとレイヴァンの瞳は、やはり険しい。


「あなたは、先ほど人を刺しました。これであなたは、武器を持つという意味を嫌と言うほど理解したと思います。ですが、あなたに武器の使い方をお教えするわけには参りません」


「何で」


 呆然と呟けば、レイヴァンの瞳がいっそう険しくなる。


「これ以上、あなたの手を血で汚すわけには参りません。この手が穢れるのは俺だけでいいんです。なにより、王様も王妃様もこのことを知れば、悲しまれます」


 マリアは息を飲んで、脳裏にちらついていた自分の父親と母親の顔を思い浮かべていた。

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