第二章 信頼

 冷たい地下牢に閉じこめられてどれほど、たっただろうか。時間の感覚は、まだあるものの徐々に失いつつある。その感覚に焦燥ばかりがバルビナの中で木霊する。マリアを逃がすことは出来たものの自分が掴まってしまった。王と王妃の姿もまだ見つけられていない。


(マリア様、城の外へ逃げることが出来ただろうか。レイヴァンがいれば、わたしもあんな兵士ごときに掴まらなかったのだろうけれど)


 心の中で零して自重する。何だかんだでレイヴァンを頼りにしている自分がいるのだ。マリアの専属護衛である彼に何を望んでいるのだろう。彼はマリアを一番に考えて行動している。そんな彼が自分を助けてくれるのではないだろうかなどと思い上がりにもほどがある。いくら、自分がマリア専属のメイドであってもそれは揺るがないだろう。レイヴァンの中でマリアという存在は、周りが思っている以上に大きいのだから。

 目の前にある鉄格子を恨めしげに眺める。そして、看守がいないことをこれ幸いと懐から小刀を取り出すと手足を縛っているロープを切る。そのロープを回収すると天井を見上げる。その天井は何も変哲もない石で出来た天井だ。その天井に向かってヒモの付いた何かを放つ。その何かは天井にたこの吸盤のように張り付く。そのヒモを一、二度引っ張って外れないのを確認するとヒモを伝って天井へと上りつめる。天井にはうっすらとだが、何やら切ったような跡が付いている。そこに手をやってガタガタと動かしているとガタリと音を立てて外れる。そこからバルビナは、上へ上がると、また石をはめ込んで元に戻す。バルビナがついた場所はベスビアナイト国、近郊の森であった。


(マリア様は、おそらくあの通路を使ってこの森へと来たはず。そのあと、どうしたのだろう。レイヴァンは、戦場へ行っていたし。まあ、戦場とここまでなら戦争がはじまってすぐこちらに来れば、マリア様と合流できるでしょうけど)


 そこまで考えて首を振る。


(とにかく、王様と王妃様がどこにいるのか探さないと)


 バルビナは、隠していた町娘の服に早着替えをしてベスビアナイト国、王都・ベスビアスへと向かう。ベスビアスに着いて思わず目を見張る。驚くほどに街は荒廃しきっていたのだ。

 店はコーラル国の兵士に荒らされ、商品もほとんど並んではいない。家も窓を固く閉ざし、歩いているのは男ばかり。近くにいる男を掴まえて問えば


「コーラル国の兵士達がいい女がいれば、連れ去り。子どもは連れ去られでもしたら困ると言う理由で女子どもは家の中にいるのさ。あんたも早く、ここから去った方が良い」


「では、もう一つ。王様と王妃様はどこにいらっしゃるのですか?」


「さあ? 詳しいことはしらねえが、王は捕らえられて斬首されたと聞く」


「王妃様は?」


「コーラル国へ連れ去られたとか」


 バルビナの目が大きく見開かれる。けれど、どれも信憑性のない話だと男は言って去ってゆく。バルビナの瞳が少し揺らいだ。


(王様と王妃様の安否がわからないまま、マリア様と再会を果たしても向ける顔がない)


 そのとき、小さな古民家の小窓が開いて白い手がにゅと出てきた。そして、バルビナにこちらへ来るように手招きする。不思議に思い、バルビナは古民家の扉をたたく。古民家の扉がギギギと音を立てて開かれた。そこには、見知らぬ老婆がいた。その老婆は「どうぞ」といってバルビナを招き入れる。そこには王妃アイリーンがいた。


「王妃様、ご無事だったのですね」


「ええ、バルビナも大事ないようで良かったわ。ところで、マリアは一緒ではないの?」


「マリア様の行方は、私も存じ上げません。おそらく、近郊の森へ出たことだろうと思うのですが」


「バルビナ、お願いがあるのだけれど」


「はい、何なりと」


 バルビナが答えれば、アイリーンはペンダントを渡す。ペンダントについている石は、赤い夕日のような色をしている。


「これは?」


「これをマリアに届けてほしいの。これは、昔の旧友バートからもらった物なの。きっと、マリアの力になってくれるわ」


「王妃様は?」


「私はコーラル国の王に一泡吹かせるまでは、ここを離れられないわ」


 告げて拳をぎゅと握りしめる。それを見てバルビナは、ふと思い出す。いつだったか、王妃が言っていた。自分は平民の子であると。本来ならば、王宮にいるべき人間ではないと。マリアがおてんばなのも、この王妃の出自故かもしれない。王妃も昔はお転婆だったと王がいつだったか零していた。


「バルビナ、お願いね」


 バルビナは確かな覚悟を胸に頷く。


「はい、かしこまりました。それから、王様はどこにおられるのですか?」


 王妃の目が険しくなる。


「わからないわ。コーラル国の兵に捕らえられて処されたか。もしくは、今もどこかにいるか」


「そうですか。とりあえず、行って参ります」


 バルビナはゆるやかに王妃に跪くと立ち上がり、古民家をあとにする。そして、外套のフードを深く被る。街には、いつの間にやらコーラル国の兵が大勢、現れていた。それらをかいくぐり、ベスビアスを出た。

 マリアが逃げたと思われる森まで来るとベスビアスの方を振り返る。そこには、大きくそびえ立つ城が見えた。


(またいずれ戻って参ります。王様、王妃様)


 心に誓い、今はマリアを捜すために足を進めた。けれど、マリアはどこにいるのだろうか。


(レイヴァンがもし、戦場から引き返してきていたら……きっと、イリスの元へ向かうでしょうね。それから、レイヴァンならマリア様を預けるでしょう。無駄足になるかもしれないけれど)


 心の中でそんなことを考えながら深い深い森の中を進んでゆく。深い森の中には、マリアが落としたのだろう。部屋から出るときに懐にしまいこんでいた本が道に落ちている。それと共に蹄鉄の跡が残っている。こんな森の中を通るのはレイヴァンぐらいなものだ。もしかしなくとも、レイヴァンとマリアは合流しているらしかった。


(マリア様、ご無事のようですね。はやく合流しないと!)


 バルビナの足が自然と速くなる。そうして、マリアの足跡を追いかけるように足を進めた。



「大丈夫ですか、マリア様」


 時折、休みをはさみながらレイヴァンは問いかける。マリアの体はどことなく疲弊していて正直、見ていられるものではない。


「ああ、大丈夫」


 そう答えるもののその声すらも、かすれている。無理もない。レイヴァンの馬に乗せられて揺られる毎日。山で食べられるものをレイヴァンがマリアに食べさせてはいるが、のどが通らないらしくあまり食べない。そのため、食事もろくにすることなくただ馬に揺られる日々が続いていた。


「マリア様、少しは食べていただかないと。これから、まだ長いですから」


「そうだな」


 口にしても一口だけ。相当、精神的にも参っているようだ。


(マリア様がここまで疲弊なさるとは。それに、城へ攻め込んでくるとは。城にいる誰かと通じていた者がいたのか? いや、それにしても)


 考えを巡らせるレイヴァンだが、マリアがここまで疲弊しているのだ。今は考えるのは止めることにしようと考えを振り切る。


「なあ、レイヴァン」


「は、はい」


 マリアが弱々しく問いかければレイヴァンは、久しぶりに声をかけられたことに驚いたのと声をかけられると思っていなかったのとで裏返った声を出してしまう。けれど、マリアは気にした様子もなく。


「コーラル国の人たちは、わたしを探しているのだろうか」


「ええ、おそらく街はコーラル国の兵士で溢れかえっているでしょうね。今、街へ降りたら死ににいくようなものです。なので、おつらいかもしれませんがもう少しご辛抱下さい」


「うん」


 また沈黙が降りた。食事を終えると二人は、また馬にまたがって馬に揺られて道無き道を進んでゆく。やはり、そこに会話はない。


(マリア様、ずっとこのままだろうか。あの頃のようにはもう、笑っては下さらないのだろうか)


 しばらく馬に揺られていると、何やら風を切る音が聞こえてきた。と思ったら、矢が馬の前に突き刺さる。レイヴァンは慌てて馬を止めた。


「何者だ」


 レイヴァンは、確かな殺気を周囲にまき散らして問いかける。すると、どこからか大勢の足音が響いてきた。


「この足音、盗賊か」


 呟いたかと思えば、馬に一鞭打って一気に森を駆けだした。恐ろしくなってマリアは、思わずぎゅと目を閉じる。やがて、馬の動きがゆっくりになると、マリアもまた目を開けた。


「撒いたの?」


「ええ、ここまで来れば追っては来られないでしょう。さあ、参りましょう」


 告げるとレイヴァンはまた馬を歩かせる。

 ゆらゆらと揺れるマリアの少しばかり長い髪は、どこか悲しげに揺らいで見えた。薄い金色の髪がさらさらと風と馬の動きにもてあそばれている。それを気にすることもなくマリアは何かをじっと耐えるように思い詰めた表情をしている。

 もちろん、レイヴァンは気づいてはいるが、何も言えずにただマリアを安全な場所へと連れて行こうとしていた。


「マリア様、おつらくありませんか」


「いいや、レイヴァンはとてもよくしてくれているよ?」


「いえ、そうではなく。お城があんなことになりましたし。少しでもあなた様のお力になりたいのです」


 マリアは、うれしさのあまり泣き出しそうになってしまう。


「どうなさいましたか」


「ただ嬉しいのだ。お前がいてくれて本当に良かった」


 涙があふれ出して慌てて口元を手で覆う。けれど、嗚咽を止めることが出来なくて漏れてしまう。嗚咽を聞いてレイヴァンは、そっと囁いた。


「大丈夫です、俺以外には誰もいませんよ。姫様」


「ひっく、すまない」


 声を抑えながらではあるが、本格的に泣き出した。彼女の騎士は、静かに嘆きを聞いていた。



 すっかり夜になってレイヴァンは泣き疲れたマリアを木の陰に休ませた。いつしか眠り込んでいる彼女の隣でそっと腰を下ろす。


(いつか笑ってくれるだろうか)


 どこか遠い未来に思いをはせながら、レイヴァンはそっと目を閉じる。ずっと張り詰めていた想いが少しだけ緩んだ。けれど、眠ることは出来ない。寝ている間にマリアが襲われでもしたら大変だ。常に辺りの気配には敏感でなければならない。ゆえにレイヴァンは、このところきちんと睡眠をとれてはいなかった。

 翌日、やさしいばかりの太陽が当たり前の顔をして昇ってくる。時間的にはまだ早朝と言ったところだろう。レイヴァンは、朝の食事を探すために森の深くまで入る。いつもなら、この時間のマリアはぐっすり眠っているのだが、この日は何故か目を覚ました。


「……ん」


 昇ったばかりの太陽をまぶしそうに見つめて、体を起こす。近くにいると思っていたレイヴァンの姿が無いことに焦燥を覚える。


「レイヴァン?」


 そのとき、近くで何やら音のような泣き声のような者が聞こえてくる。驚いて辺りを見回すが何もいない。ふと視界の端に何かが映る。それは、毒々しい模様で細長い――蛇であった。


「ひっ!」


 武器も何も持たぬマリアは慌ててその場を離れた。しかし、辺りはあまりに暗くどことなく何かに狙われている気配がする。思わず腕をさすると、足下で何かがうごめいた。


「え」


 先ほどの蛇が所狭しといた。後ずさるが蛇につまづいて地面の上にのめり込んでしまう。その先には、蛇。

 立ち上がって蛇を必死にかわしながら、転びそうになりながら何とか逃げたがそうもいかず転んでしまう。蛇はやはり容赦なく、うずくまっているマリアの足にかみつこうとしたが、それよりも早く閃光が走った。鋭い刃が蛇の頭を切り落としたのである。マリアは驚きつつも顔を上げる。すると、そこには矢籠を腰に下げた高身長の男が立っていた。


「無事か」


 するどく凛とした声が耳に届く。呆然としたもののマリアが「はい」と答えれば、男は幼い手を引くと元いた場所に連れ出してくれた。


「あの、ありがとうございました」


 マリアがぺこりと頭を下げると、男の淡い茶色の瞳がマリアを映し込んだ。


「お前が」


「え?」


 男の言葉にマリアは顔を上げる。端正な顔立ちの男は、マリアの柔らかな頬に触れた。驚いて思わず後ずさるが男の優しい指がマリアの頬をなぞる。青い瞳には、男が瞳いっぱいに映し出されている。


「あ、の……」


 男の瞳には一国の王子ではなく少女が映り込んでいる。今にも折れてしまいそうなほどか弱い少女。少し触れただけでも壊れてしまいそうな少女がそこにいた。


(ひどい顔)


 男の瞳に映る自分を見てマリアは、心の中でそう思った。それほどまでも、やつれていて今にも泣きそうな顔をしていた。


(こんな顔をしていたんじゃあ、レイヴァンにも迷惑をかけちゃったな)


 そんなことを思っていると何か金属の音が背後から聞こえてきた。


「お前、我が主に何をしている」


 その声は確かにレイヴァンのものであるはずなのに、とてつもなく低くドスが利いている。まるで全く知らない人の声のようだ。


「レイヴァン、この人はわたしが蛇の襲われているところを助けてくれただけだから」


 マリアは振り返ってレイヴァンを説得するように言った。彼の手には案の定、剣が握られている。けれど、男は気にとめることなくレイヴァンを真っ直ぐ見つめて言った。


「風が教えてくれた。森の中で彷徨いし魂が毒ある者に噛まれると。その魂をお助けせよと」


 レイヴァンの眉間に皺が寄る。


「お前、何者だ」


「ただの旅人、レジー」


 マリアは男ことレジーを見上げる。そして、ふんわりと笑みを浮かべた。


「あなた、レジーというの」


「はい」


 レイヴァンの瞳が一際けわしくなる。けれど、マリアは気づかないふりをしてレジーに話しかけた。


「あなたはどこへ向かっていたの?」


「いいえ、オレには行き先などございませぬ。ただ風の導くままに旅をするだけのこと。けれど、風があなたをお守りしろと言っている。ゆえにオレはあなたがたに同行する事にする」


「なっ!?」


 声を上げたのはレイヴァンだ。そして、剣をしまい込んでマリアとレジーの間に割り込む。


「お前、何を考えている」


「何も。風が言っていた、それだけだ」


 レジーの言葉に嘘は見られない。マリアとレイヴァンは、互いを見つめ合う。そして、ふっと微笑み合うと小さく頷いた。


「わかった、これから一緒に行ってくれるか?」


 マリアが手を差し出せばレジーは、手に触れることがためらわれるように手を出した。その手を強引に握って握手する。


「ところでレジーは風の声が聞こえるのか?」


 マリアの問いかけにレジーは頷く。


「はい、オレは〈風の眷属〉の守り人ゆえ風の声が聞こえます」


「風の眷属?」


「はい。いにしえの時代より、この地を守りし神器でございます。全部で七つあると聞いたことがあります」


「たしかに、俺も聞いたことがあるな。この国には、七つの神器があってそれらは各地に散らばっており、今はどこにあるのか分かっていないそうだが」


「そんなものがあるのか!」


 マリアは目を輝かせながら、思わずそう声を上げる。それを見てレイヴァンは少しばかり頭を抱えた。


「探しになんて、いきませんよ」


 たちまち、マリアは肩を落としてしまう。レジーは風の声に耳を澄ませるかのように空を見上げれば、そこには木漏れ日が射している。まるで何かを感じ取っているかのように見つめる彼にマリアは声をかけた。


「どうかした?」


「いいえ、風が嬉しそうに微笑んでいるものだから」


 その時、マリアのお腹が一際大きな音を立てて鳴った。マリアは瞬時に顔を赤らめたが、レイヴァンはやさしく微笑んで小さな肩にそっと触れた。


「朝食がまだでしたからね。いただきましょう」


 そういうとレジーの目がキラリと光る。


「朝食の準備なら、オレがしよう」


 言うが早いかレイヴァンが取ってきた物をテキパキと手を動かして調理していく。そして、目の前には素敵な料理ができあがった。レイヴァンが毒味と言って一口。すると、驚いて目を見開く。


「うまい」


「どれどれ」


 マリアも口にする。すると、ふわりとかぐわしい香りと共に肉か何かの味が舌に染み渡る。


「わ! おいしい。レジーは料理が上手なのか?」


 半ば感動しつつレジーにマリアが言うと嬉しそうに微笑む。それを横目で見ながらレイヴァンは食事を平らげた。

 食事を終えてまた道無き道を進んでゆくのだが、レイヴァンとマリアは馬に乗りレジーは木の枝の上を駆けてついてきていた。そんな風にまた進んでゆく。そこでふとマリアは、疑問をぶつける。


「ところでレイヴァン、これはどこへ向かっているの?」


「今の俺たちが一番、頼れそうな場所。俺が育てられた家です」



 しばらく進んでいると古びた家屋が見えてきた。その家屋の扉に向かってレイヴァンは声をかける。


「イリス、イリスはいるか」


 すると、ギギギと嫌な音を立てて傾いた扉が開かれた。


「レイヴァン? こんな時間にどうしたの?」


 現れたのは、一人の女性であった。傾いた家であるにもかかわらず、女性の着ている服はそこそこ仕立てが良さそうである。紅玉ルビーをはめ込んだかのように赤い瞳に赤い髪。燃える炎のような赤い髪は、どことなく風格がある。けれど、彼女の気だるそうな瞳が風格を損なっていた。


「まったく、お前はまた寝ていたのか」


「ええ、とても疲れていたのよ。昨日は凶暴な動物を狩って毛皮の毛布を作って大変だったんだから――って、あら。お客さん?」


「こちらは、この国の王子であるクリストファー・マリア・アイドクレーズ様だ」


「まあ、王子様! あたしったらこんな格好で。あ、あたしはイリス。レイヴァンの妹よ。といっても、血のつながりは無いけどね」


 マリアはイリスと名乗った女性に行儀良く頭を下げた。


「先ほど紹介していただいたこの国の王子だ。名前が長いから、愛称のクリスと呼んでくれないか」


 その言葉にレイヴァンは少しばかり驚いてしまう。自分には、マリアと呼ばせるのに対しイリスには王子としての名であるクリスと呼ばせようとしている。何だか、マリアに特別に思われている感覚になって思わず喜びを隠せない。


「なあに、レイヴァン。顔、にやけてるんだけど」


「べ、べつに! それよりもマリ……王子、中へ入ってください。たいしたおもてなしも出来ないでしょうが。それから、こちらの人がレジー」


 レジーは軽く頭を下げるだけにとどまり、家の中へ上がり込んだ。

 古びた家の中は乱雑しており、まるで盗賊に襲われた跡のようだった。けれど、レイヴァンが驚くどころか半ば呆れたように家の中を片付け始める。常日頃からこのような感じなのだろう。


「イリス、常日頃から片付けをしろと言っているだろう!」


「だって、まさか人がこんなへんぴな場所に来るなんて思わなかったし」


 イリスは面倒そうに言った。まるで兄妹とは、思えないほどに性格が随分と違うようだ。イリスは面倒くさがりでレイヴァンは世話焼き。ある意味、真逆な二人が同じ親に育てられたということが何だか楽しい。思わず、くすりとマリアが笑うとイリスとレイヴァンがマリアを見た。それから、お互いの顔を見合わせて小さく笑う。


「王子、こちらにお座り下さい」


 言って座布団を敷いた場所を示してマリアをレイヴァンが座らせた。そこに座るとレジーは、その近くの床に腰を下ろす。


「ところでレイヴァン。あなた、ここに王子を連れてきてどうしたの?」


 イリスがそう問いかける。


「ああ、王子が城を追われてな。ここなら、人目に付かないし、とりあえず安全かと思ってお連れした」


「城がね。で、どうするの? ずっと、ここにいるわけにもいかないだろうし」


「そのことなんだが、しばらくここに王子をかくまってはくれぬか」


「それはつまり王子をここに住まわせろってこと? その間、レイヴァンは何をするの?」


 イリスの言葉にマリアは驚いて目を見開き、レイヴァンを見る。レイヴァンの瞳は真剣そのもので冗談を言っているようではなかった。


「とりあえず、国の状況を見ながら戦力を探す。戦力が集まれば王子を陣頭に立てて反撃を行おうと思っている」


 赤毛の髪をたくし上げ、イリスは「ふうん」と呟く。それから、マリアに視線をやった。


「ねえ、王子様はどうしたい?」


「え」


 そんな風に問いかけられると思わなかったものだから、素っ頓狂な声をあげてしまう。その上、マリアには何をどうすればよいのかまったくわかっていない節がある。それゆえ、うつむいてしまった。


「わたしは――」


 黙り込むマリアにイリスは、どうでもよさそうに「まあ、レイヴァンがそう言うならそれでいいけど」と言った。その言葉の裏に何かがあるのではないかと思うほどにどこか冷たい言葉だった。


「イリス、王子は城を追われたのだぞ。そのような態度は」


「レイヴァン、たとえそうだとしても一国の王子。王子がその気じゃないのなら、レイヴァンがいくら仲間を集めてきたところで無駄よ」


 冷たい氷のような声。それは確かに王子という立場である自分に向けられている言葉。けれど、答えられない。王子でなければと思うことが多々あったのだ。けれど、いまさら王子であることを捨てて平和に生きようとも、きっと体の中に流れるこの血がそれをよしとしないだろう。けれど、王子としてこのまま生きて良いのだろうか。

 マリアの青い瞳が何かを貫くかのように視線が鋭く光る。その瞳にレイヴァンは思わず息を飲み、イリスは驚いたように少しばかり目を開く。


「レイヴァン、わたしだけがここで平和でいるわけにはいかぬ。やはり、わたしもレイヴァンと共に仲間を捜すために行くべきだ。王子のわたしが行かずして誰がこのわたしについてくれよう」


「ですが」


 マリアは立ち上がり、レイヴァンの手を取る。そして、凛とした瞳で見上げる。


「それにレイヴァン。わたしのもとを離れぬとそう言ったではないか。あれは、うそだったのか」


「そのようなことは……それに、あなた様が外を歩き回ればそれこそ危険です。お願いですから、大人しくこの家で待っていてください」


 マリアは小さな手で拳を作る。その手は震えていた。青い瞳が僅かに震える。


「いやだ! レイヴァンが危険な目に遭っているときにわたしだけここでじっとしているなんて嫌だ。頼む、レイヴァン。わたしを連れて行ってくれ」


 確かな闘志をその目に宿らせて、確かな誓いをその目に宿してマリアはレイヴァンを見つめる。レイヴァンは少しばかり眉をつり上げた。


「こればかりは、聞けません。今、あなたが動けば死ににいくようなもの。そのお願いだけは聞けません」


 けれど、マリアは負けない。


「なら、レイヴァン」


 そう言うとレイヴァンの体にしがみつく。驚いているレイヴァンを見上げて凛とした姿勢で叫んだ。


「命令だ、わたしを連れて行け。何があってもわたしの側にいろ!」


 レイヴァンの目が見開かれる。そして、小さく呟いた。


「命令ですか?」


「ああ、命令だ。お前だけは何があってもわたしの側にいろ、絶対に」


 小さく笑うと跪いてマリアの手を取る。そして、騎士らしく頭を垂れた。さらり、と漆黒の髪が下へ落ちる。緩やかなその動作がどことなくマリアの心を安心させる。


「仰せのままに」


 それを見てマリアは柔らかく微笑んだ。


「わがままだということは百も承知だ。けど、お前がいなければ、わたしは生きていけない」


 レイヴァンは立ち上がり、マリアを見つめる。それに答えるようにマリアも見つめ返す。


「随分、信頼なさっているんですね」


 レジーがボソリと呟いた言葉は宙にかき消えた。

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