第1夜 1

 七月五日


 第一夜




 館に足を踏み入れる。

 玄関ホールは広く、左手には大きなガラス戸があった。そこから玄関横の庭が見渡せる。

 ガラス越しに仄暗い庭に目をやると、人や動物の形を模した彫像が置かれているのが見えた。そのいくつかは倒れ、あるいはバラバラに転がっていて、荒廃した様子に彩りを添えている。


 玄関ホールでひと際目を引くのは、壁沿いに設置された天井まで高さのある大きな柱時計だ。

 二メートルはあろうかと思われる長い振り子──しかしもちろんそれは随分昔に時を刻むのをやめてしまっている。

 時計の近くには大きな額が転がっていた。落ちたときに割れたのだろうか。ガラスが散らばっていて、どんな絵だったのかはもう分からない。

 絨毯敷きの床は歩くごとに軋み、所々に苔や雑草が生えている。


「なんだ?ずいぶん騒がしいな」

 響希が眉をひそめる。

 玄関ホールの先の廊下、その右手にあるドア。そこから灯りが漏れていてひどい騒ぎが聞こえてくる。


「おい──どうなってんだよ」

 騒音の聞こえる三十畳はあるかと思われる広い部屋に入った瞬間。響希が呆れたように声を上げる。


 一足早く到着した参加者達がそこでドンチャン騒ぎを繰り広げていた。 後続の蓮たちが遅れたのは時間にして一時間半程度だったはずなのに、すでに出来上がっている者も少なくはない。


「お、遅かったらぁ、お前達。ビビッて逃げらかと思ったろ~」

 呂律の回らなくなっている男の言葉を受け、周りからギャハハハ!と笑い声が起こる。

「ま、色々あってね」

 遅れてきた参加者の一人がそう言いながらドサッと荷物を放ると座り込み、早速近くにあった酒に手を伸ばす。

「おっと、いけね。まずは自己紹介ってか。カメラどこ?」

 誰かが指差した部屋の隅に、三脚に設置されたカメラがあった。


 バッテリーライトが三機も設置されているため、部屋の中は想像よりもずっと明るかった。


 蓮は部屋の様子を観察する。

 壁紙が剥げ、漆喰がむき出しになってヒビがあちこちに走ってはいるが、雨風は十分しのげる状態だ。

 天井を見上げると、そこには巨大なシャンデリアがさがっている。

 床から天井まである巨大なガラス戸。ガラスが分厚かったせいか、ヒビが入ってあちこち欠けてもいるが、奇跡的にも割れてはいない。

 その窓を覆うカーテンは風化して元の色は分からず、下半分はちぎれて床でボロボロになっていた。


 カメラに向かって自己紹介が済んだ者はさっさと部屋に座り込み、先陣に混じって酒を飲み始める。誰もかれもがハイピッチでグラスを空にしていく──


「ねぇ響希、敦士」

 蓮はそんな参加者達の様子を見ながら二人に声をかけた。

「こういう現場ばしょって、いつもこんな感じ?」

「んー、ちょっと違うかもなぁ……」

 響希が顎をさすりながら目を細めて答える。

「初日、二日目の晩あたりまではさ。みんなもまだまだ元気で酒盛りでドンチャン騒ぎは恒例なんだけど。何つーの?うーん、今回は……」

「なんかノリが不自然だよなぁ」

 敦士が響希の言葉を引き継ぐ。

「不自然?」

 二人は同時に頷いて

「ああ。どいつもこいつも溺れるみたいに飲んでやがる。初日にそんな飲み方するのはビビッちまった一部の小心者くらいなんだが……」

 敦士が部屋を見回して

「全員が初っ端っからこの体たらくだもんな」

 響希も頷いて

「自覚してんだか、すでにここの雰囲気に呑まれてんだか知らないけど。尋常じゃないぜ?こんなの初めてだ」

「それだけ桁違いってことか?この場所が」

 三人は喧騒の宴会場と化した広間を眺める。

 みんな我を忘れたいかのように飲んでいる──そんな風に蓮には見えた。

 敦士が呟く。

「いきなり最初からコレとか……」

 響希もいつも唇に張り付けていた薄笑いをやめ、険しい表情で呟いた。

「──最初から荒れそうだな、今回は……」


 酒盛りは更にエスカレートして行った。

 みなグイグイと酒をあおっていく。

 笑い声、歓声があちこちから上がり、今日会ったばかりの参加者達もすっかり意気投合した様子で酒を注ぎ合う。


 一見ただの気楽なバカ騒ぎだ。

 それなのにちっとも楽しそうではない。見ていると落ち着かない、不安な気持ちになる。


「おーいアンタら?全然飲んれないじゃないのぉ。もっと飲めよ、いいからホラぁ」

 敦士は絡んできた男の手からやんわりとグラスを取り上げる。

「なぁ。夜はまだまだこれからなんだからさ。もう少しペースを落としてもいいんじゃね?」

 グラスを取り上げられた、坊主頭のガタイのいい男が気色ばんで立ち上がる。

「か、返せよ。何しややるんらよ、お前」

 呂律の回らない坊主の目は充血し、焦点が合っていない。頭の中もかなり朦朧としているに違いない。

「焦るな、つってんの」

 敦士は腕時計をチラ、と見て

「ホラ、まだ十時半だぜ?深酒するには早過ぎると思わねえ?それともビビリを酒で紛らわせたいだけか?」

 周りを見回す。

「少しは落ち着けよ。怖いのはみんな一緒だけどさ、気持ちをしっかり持ってないと、これから先、自分に負けて即脱落だぜ?」


 長い髪を後ろで一つに縛った、痩せ型で目つきの鋭い男が、フラフラと立ち上がる。

「お、俺らが、俺が怖がってんらと?冗談じゃれぇ。じょ上等らないかぁ。お、おお俺が怖がっれなんれないっれ事を証明してやんよ」

 ヨロヨロとテーブルに向かい、ハンディカメラの一つを手に取る。

「い、今から、これれ決定的しゅ、瞬間?屋敷中探索しれ、お、お化け映像れも撮ってきれやんよ。み、見れおけよ?ヒック」

「オーイ、挑発に乗るのはやめとけよ、カイ。どうせここはただの廃墟なんだって。オバケなんているわけがねぇ。適当に五泊我慢して、賞金持って帰ればいいんだよ。な?」

 友人らしき男にカイと呼ばれたその痩せ型の男は、しかしそのままフラフラとよろめきながら扉から出て行った。


「止めなくていいのかな?一人で行っちゃったよ?」

 蓮の心配をよそに、

「どうせすぐに戻るだろ?せいぜいフラついて、階段でも踏み外して転がり落ちるのが関の山だって」

 響希は鼻で笑ってタバコに火をつけた。



「大丈夫かな、みんな」

 蓮は壁にもたれて座って日本酒をチビチビとやりながら、参加者達の様子を心配そうに見つめる。

「まぁ──今日のところはもうこれでいいんじゃね?そのうちみんな泥酔して寝ちまうだけだろうしさ。ただ……明日もこんな調子だと、精神的にやられてリタイヤする奴が続出すんだろうけど。 心配すんなよ蓮。確かにちょっと早過ぎるけど、結局はこれがいつものパターンなんだからさ」

 響希はタバコをもみ消しながら

「適度な酒で気分を紛らわせるのは構わないんだけどさ。何がダメかっていうと、それで体調を崩したり、泥酔して状況を把握できなくなるって事だな。それで呑まれやすくなるんだ、あっちの世界に。自分で作り出した妄想に勝手にやられて自滅したりとかな」

響希はそこで一旦言葉を切り

「──ところでお前はどうだ蓮?頭痛だの寒気だのはしないのか?」


 口にしたら非現実を認めてしまいそうで黙っていたが、蓮は部屋に入ってからずっと絶え間無く誰かの視線を感じていた。

 それは半分むき出しになっている例の大きな窓の外からだった。

 外に一台だけ設置されているバッテリーライトが、ほのかに庭を照らし出している。

 時おり風が吹くのだろう。木々が揺れて地面に影が踊る。

 しかしその先、ライトの光の届かない木立の暗闇の向こうから、絶えず何かに見つめられているような──いや、見張られているような──そしてそれは決して好意的なものではなく……


 悪意に満ち満ちた視線だった。



 これはこんな異常な状況下にいる自分が作り上げた、ただの妄想なのだろうか?

 それとも響希もまた同じように……?


 蓮がためらいながら口を開きかけた時

「いやー、最初は何だかナーバスになっちまってたけどちょっと拍子抜けかな。そう思わん?響希」

 敦士がそう切り出した。

「だって以前参加したあの現場はさぁ。俺、霊感なんてないのに着いた瞬間から頭痛と肩の重さで体調崩しまくりだったもん。それに比べてここは──最初はすっげー警戒したけど全然何も感じなくね?本当にそんないわくつきの場所なのかな?なんでみんながこんな調子なんだか、正直分っかんなくなってきたよ俺」


 敦士の言葉に蓮はホッとして肩の力を抜いた。やっぱりこれは俺の弱い心が勝手に作り上げた妄想だったんだ。

 しかし──


「うーん、そうかな?」

 響希が険しい表情でそう答える。

「そうかな、って、何がだよ」

 響希は眉をしかめながら

「……いや……。ぶっちゃけ俺も頭痛とかだるさとかさ、いつもなら速攻感じてるハズの症状を何も感じないんだよ。けどさ──何つうの? 」

 響希はチラ、と窓の外を見やり

「──さっきからずっと、首筋の産毛が逆立つような……そんな感覚が消えないんだよな。 なんか──桁違い過ぎて頭痛レベルのそんな半端なもんじゃないような……いや」

 響希は新しいタバコに火をつけながら笑って

「気のせいだよな。何だよ俺もいつの間にか呑まれてんじゃねえだろうな、はは」

「やめてくれよ響希。お前がそんなんでどうするよ?頼むぜぇ、全く」

 二人の会話に耳を傾けながら、蓮は再び窓の外に視線を向ける。


 広間でのドンチャン騒ぎをよそに、窓の外、木立の向こうには漆黒の闇が静かに広がっている……

 何だか自分が今まで感じたことすらない感覚、感慨に、蓮は戸惑いを感じて眉をひそめた。

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