始まりの章 10

 ジャリジャリと舗装のない道を十五分間のほど蛇行した後、一行を乗せたワゴン車は停止した。


 佐藤はエンジンを切り、後部座席を振り返って声をかける。

「到着だよ。おつかれさんでした」


 参加者達は荷物を抱えて車を降りる。

 佐藤が細く続く砂利道の先を指差して

「この先が例の補修した橋ね。吊り橋だから揺れるよ。車が入れるのはここまでなんだけど、橋を渡ってまっすぐ……そうだな、百メートルも行けば例の別荘だから。 先に着いたみんなが設置した灯りですぐに分かるよ」

 佐藤は荷物を手渡しながら

「明日以降の荷物の受け渡しもここだから覚えておいてね。詳しくは先陣に説明してあるけど、十一時にここに記録したカードやバッテリーを持って来てくれるかな。リタイヤしたい人も、もちろんここ。じゃ、僕はもう帰るけど」

 そこで気づいたように

「あ、そうだ。今すぐリタイヤしたい人はいる?」

 誰も答えないのを見て

「──だよね。暗いから足元に気をつけて渡ってね。じゃ、また明日」


「あの」

 運転席に乗り込もうとしている佐藤に向って、蓮は思わず声をかける。

「ん?何かな?」

 蓮は佐藤に向って伸ばしかけた腕を力なく下ろして

「……ごめんなさい、何でもないです」

 佐藤はそんな蓮を一瞬じっと見つめる。それから車に乗り込むと、みんなに向ってこう呟いた。

「──みんな気をつけて。じゃ」



 小さく消えて行く車のテールランプを、みんな無言で見送っていた。

 ただ一つの下界との絆が遠ざかってゆく──そんな感傷や不安の気持ちとともに。



 なぜだろう?

 蓮は思った。

 ここに集まったのは屈強で自信に溢れているハズの、腕にも肝にも自信のある者ばかりなはず。自分だってそれほど臆病だとは思わない。

 いくら八木さんの事故ことがあったからって……ここまでみんなして不安な気持ちにかられるものなのか──?


 ゆっくりと視線をめぐらすと、不安げな表情の参加者達に混じってただ一人、不敵な笑みを口の端に浮かべて立っている響希と目が合った。

 完全にリラックスした様子で、両腕をダラリとたらしている。

「あ」

 われに返った蓮に向って、ニヤリと響希が唇を歪めて笑う。

「分かっただろ蓮? 一番やっかいなことが」

「これが……?」

 響希は頷いた。

「そう。呑まれんだよ。自分の生み出した不安と妄想に。ほら、最初から呑まれてどうする、蓮?」

 響希は例の仕草で蓮の肩に手を置き顔を覗き込む。それからポンポンと叩くとそのまま蓮の肩に力強く腕を回した。

「さ。行こうぜ兄弟。まだ始まったばかりだ」


 橋があった。

 懐中電灯の明かりだけでは足元を照らしても下まで光は届かない。どのくらいの深さがあるのだろう。

 横幅およそ一メートル、長さ十メートル程度の短い吊り橋だが、その揺れと深さの知れない足元の暗闇、そして八木の事故の記憶にせかされてでもいるように、みんな早足に橋を渡り終えた。


 けもの道のようになっている道沿いに少し歩を進めると、うっそうと茂った木々の合間を縫ってチラチラと灯りが見え隠れする。

「さて。どんなお屋敷なんだかじっくりと拝見させてもらおうじゃねぇの」

 蓮の隣で敦士が笑う。

「敦士──敦士も怖いんだね。俺も怖いよ」

 小さく囁いた蓮の言葉に

「そうさ蓮。俺は怖いよ。初っ端っからなんだか説明のつかない怖さがあるね。本能なんかな?」

 敦士は表情を引き締め

「 ──けどさ。怖さを認められない奴よりも、怖さを真正面から受け止めて、それを認められる奴のがきっと強いんだぜ?それから──いいか? 恐怖に呑まれたらお終いだ。分かるかな、俺の言ってること?」

 蓮は頷いた。

「約一名、そんな感情とは無縁のヤツもいっけどさぁ」

 敦士は二人の前を鼻歌を歌って歩いている響希にチラッと目を向けて

「アイツにだけは勝てんわ、俺」

「響希のこと? でも響希も怖いって言ってたよ?」

「アイツは本気なんだか本気じゃないんだか分からないからなぁ。男だったら認めたくなくて口に出すのをためらうような言葉も平気で口にすっから。怖いって言ってても正直本気でそう感じてんだか分かんないトコ、あっからなぁ」

 蓮が口を開きかけたとき、響希が振り向いて言った。

「見ろよ。たいした幽霊屋敷だぜ?」



 敦士との会話に気を取られていた蓮が視線を上げると、目の前にその屋敷が姿を現していた。

 敦士が口笛を吹く。

「たいした洋館じゃねぇか。廃墟にしとくなんてマジもったいねぇ」



 外壁に蔦を這わせ、あちこち朽ちてはいたが、かつてはさぞかし美しかったであろうその様子が伺えた。


 床は大理石だろうか。重々しい雰囲気の玄関は石造りのアーチに囲まれていて、大きな扉には鉄製のノックがついている。

 あちこちが崩れ落ちた壁はレンガ造りで、朽ち果てた今でも風格がある。

 壁づたいに目を走らせると、窓は細かなアールヌーボー調の模様が施された枠で囲まれている。

 二階に目を向けるとバルコニーがせり出していて、そちらの手すりも優雅な模様と曲線を描いていた。


「俺のマンションなんかより百万倍も豪華じゃんか」

 バッテリーライトの光に浮かび上がる洋館は一種幻想的な様相を見せていて、蓮は言葉もなくその洋館に見入っていた。


「中に入るぞ、蓮」

 響希の言葉にハッとなる。蓮は表情を引き締めて頷いた。


 鉄製のノックを掴んだとき。

 蓮達の後ろを突然突風が吹きぬけた。

 木々が大きくざわめき、うねり、地面の砂埃を一斉に舞い上げる。

「うわ」

 まだ外にいた参加者達は思わず目をつむった。




 クルナクルナクルナ……

 カエレカエレカエレ……




 頭の中にこだましはじめたのは自分自身の恐怖が生み出したものなのか。それとも本当に語りかけてきているだろうか。


 ──呑まれるな。


 声を無視して蓮は顔を上げ、扉をくぐった。

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