始まりの章 9
誰もが呆然として目の前の惨劇に凍りついていた。
車体に上半身を押し潰され、八木の足がバタバタとアスファルトを叩く。
が、すぐにその足は力なく地面に落ちて痙攣を始めた。
ジワリ、ジワリと車体の下からアスファルトに血が滲み出す。
一瞬早く我に返った響希が車に駆け寄り、しゃがみ込む。
蓮、敦士もそれに続き車に手をかける。
「お前ら!早く手伝え!」
響希の怒号に、呆然と眺めていた他の参加者達もバラバラと駆け寄った。
全員で一斉に力をこめると車は呆気なく横倒しになった。
「うわ」
懐中電灯の明かりが血まみれの八木を照らし出す。
「どうするよ?救急車を呼ぼうにも携帯は使えないし──第一この山の中じゃ……」
「トランシーバーの使い方、分かんねえし」
「下手に動かすのもヤバイよな?」
響希は険しい表情をして呟いた。
「他の車が戻って来るのを待つしかなさそうだな……」
八木はピクリとも動かない。
「死──死んだのか?」
蓮が八木の腕を持ち上げ、脈を見る。
「浅いけど呼吸もしてるし、脈はあるよ。だけど──俺達にはただ待つしか出来なさそうだ」
手の施しようもないまま時間だけが経過していく──
座り込んでいた金髪の男がボソリと呟いた。
「なぁ、これって……やっぱり祟り──なんじゃないのか?」
「祟り?」
「だってよう、いわくつきの現場に行こうって時にこの事故だぜ?さっきのノイズ聞いたろ?なんなんだよあれ、ぜってー変だろ⁉︎パンクだけでもアレだってのに、このタイミングでジャッキアップが折れるとか。なぁ?あり得るか?こんな……こんな……」
「ビビってんならリタイヤすればいいだろ?」
「いや……そういう訳じゃないけどさ。ただ……」
金髪は口ごもって顔を伏せる。誰もそれ以上は追求しなかった。
みな同じ事を考えていた。
まるでこれからの事を暗示するかのような、この不吉な出来事との関連を。
この状況では心のどこかで関連づけない方がおかしいのだろう。
「あ」
上の道からチラチラと移動しながら近付いて来る光が見えた。
「来たみたいだ。よかった」
全員が立ち上がり、懐中電灯を持つ手を振り上げて車の到着を迎える。
闇を切り裂くライトの光が眩しくて、蓮は顔に手をかざして目を細めた。
三台連なって車が停止した。
先頭の車から神崎が降り立ち、横倒しになった車と倒れている八木を見て叫ぶ。
「一体何事だ!?」
響希が手短かに事の次第を説明すると、神崎は無言で八木の脇にひざまずき脈をはかった。
「──参ったな。面倒な事に……おい、佐藤」
佐藤と呼ばれた男が神崎に駆け寄る。
「俺たちは八木を病院に連れて行く。悪いがお前はこの残りの八人を乗せてまた現場に向かってくれ。後でまた落ち合おう」
「分かりました、神崎さん」
神崎は不安そうに見ている参加者達に向かって
「そういう訳だ。悪いが誰か八木を車に運び入れるのを手伝ってくれないか?」
数人が走り寄り、八木の手足を持ち上げる。
「ゆっくり、そっと動かしてくれ」
意識もなくグッタリした八木の体は想像以上に重い。
蓮達は慎重に八木を車の後部座席に運び入れた。
「悪いな、みんな。一刻を争うから俺達はもう行くが──みんなはこの佐藤の車に乗って現場に向かってくれ。もしリタイヤしたい奴がいたら後で佐藤と一緒に下山してくれな?それから、佐藤」
神崎は佐藤に向かって
「パンクした車はこちらで回収する。お前はみんなを連れてもう一度現場に向かってくれ。じゃ、後でな」
テキパキと指示を出すと神崎は急いで車に乗り込む。
もう一台の八木を乗せた車も続いてエンジンをかける。
参加者達は呆然とした面持ちで、ゆっくりと闇の中に消えていく二台のテイルランプの光を見送った。
「さて。それじゃあ君達、現場に向かおうか。汚れちゃって構わないから、そのまま乗ってくれればいいよ。向こうに着いたら君達も川で洗い落としてくれな?着替えも持ってるんだろうけど、必要なら換えの衣服は明日届けるからね」
全員が荷物とともにノロノロと車に乗り込んだ。無駄口を叩く者は一人もいなかった。
車内ではしばらくの間、誰もが無言のままだった。
重苦しい空気の中、響希が口を切った。
「なぁ佐藤さん、だっけ?」
「うん?何だい?」
「八木さん……助かるのかな?」
佐藤は考え込むように一瞬沈黙し
「さあ……僕は医者じゃないからね。けど、君達がああやって車をどかしてくれたんだろう?だから被害は最小限で済んだんじゃないかな。僕からもみんなにお礼を言うよ。ありがとう」
「あの、佐藤さん」
蓮が佐藤に声をかける。
「ん?」
「八木さんの容態……また報告してくれますか?やっぱり心配だから。それに……」
「気になるから?」
佐藤の返事に、蓮は無言で頷いた。
響希がポツリと呟く。
「多いなぁ、こういう事故」
全員が顔を上げて響希を見た。
「毎回必ず何かしら不測の事態が起きるもんな」
「やっぱり……そうなんか?」
そう聞き返したのは、先ほど祟りじゃないのかと不安を吐露した金髪だ。
響希は金髪に顔を向けると
「あるよ、毎回」
軽く答える。
「ない方がおかしい──つうか、こういうのがない方が企画としてはダメダメだろ?これだけ金がかかってるんだしさ」
「違いねぇ」
敦士が相槌を打ちながら会話に加わる。
「な。前にお前と参加した時も色々とあったもんな」
「あったあった。ちょっと普通じゃないだろソレ、ってシチュエーションの事故とか。色々あったよな」
響希は当時を思い出しているかのように少し遠い目をした。けれども次の瞬間には表情を固くして
「──でも……こんなのは初めてだ。現場でならともかく、行く前からこんな──しかも、人の生死に関わるような事故なんて。──なぁ」
響希は佐藤に向かって
「なぁ、佐藤さんはスポンサーサイドの人間なんだから色々と見てきてるんだろ?今までにもあったのか?こんな大きな──事故が?」
佐藤は首を振りながら
「さてね。実はこの企画に携わるのは僕はまだ二度目なんだよ。ペーペーなの。でも……」
「でも?」
佐藤はミラーごしにチラッと参加者達に目をやり、こう言った。
「──正直、降りたくなってきたね。今回の企画から」
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