始まりの章 8


 参加者達はそれぞれ八人ずつに別れて車に乗り込んだ──いや、詰め込まれた。


 痩せがた、三十代半ばくらいの運転手が振り向いて話しかける。

「僕は八木と言います。よろしく。窮屈だろうけど目的地に着くまで我慢してね」

 一人が助手席、残りは後ろの席に荷物と一緒に押し込まれた。窮屈なんてものではない。

「狭っ!完全に違法じゃねぇかコレ。サツに見つかったらどうすんだよ」

 八木は笑いながら

「企画自体が既に違法みたいなもんだからねー。ちょっと走れば車もたいして通らない道に入るし、大丈夫なんじゃない?これも仕事のうちだと思って我慢してよ。それからコレ」

 一人一人にアイマスクを手渡す。

「到着するまでの間つけておいてくれるかな。 トラブルを避ける意味からも別荘地の詳しい場所を知られたくないんだ」

「またコレかぁ。俺、酔うんだよなぁ」

 敦士がこぼす。

「あれ?酔うのか敦士?俺はこれつけたらいつも速攻で爆睡してるけどなぁ」

「繊細な俺様をお前なんかと一緒にするんじゃねぇよ響希……しゃあない音楽でも聴いてよっと」

 敦士は荷物からゴソゴソとイヤホンを取り出した。


 蓮は素直にアイマスクをつけた。視界が奪われて敏感になった聴覚に、エンジン音がやけに大きく響く。

「途中から山道でかなり蛇行するからね。気分が悪くなったら言ってくれよな?」

 ジャリジャリとタイヤが道を踏み締め、ゆっくりと車は動き出した。



 眠るのでもなく、ただ視界が奪われて運ばれていくというのは妙な気分だ。蓮は時間と方向の感覚を失い、狭い車内でただただ体を小さくしていた。


 暫くすると右隣にいた響希が寄り掛かって来た。どうやら本当に爆睡したらしい。軽いいびきが聞こえて来る。

「マジかよ」

 蓮は暢気な響希の様子に苦笑した。その隣からは

「うえー気持ちわり。死にそう……」

 敦士のぼやきが聞こえる。

「敦士、大丈夫?」

 声をかけると、低音量で音楽を聴いていたらしい敦士から

「大丈夫じゃねぇよぉ。平気なのはこのクソ響希だけだ。本当に寝やがったぞコイツ。どーゆー神経してんだよ、なぁ?」

「吐きそうになったら言ってよね敦士。俺は経験ないけど乗り物酔いは辛いっていうからさ」

 敦士の乾いた笑いが聞こえる。

「サンキュー蓮。ま、昔から酔っても絶対に吐けないんだけど。うー気持ち悪。しゃあないから眠ったフリして悟りでも開いて何とかしのぐよ……無我……無我……」

 そのうちに本当に無我の境地にでも達したのか、やがて敦士も静かになった。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。車内に意識を向けると、小さな寝息やいびき、イヤホンから漏れるチャカチャカした音が聞こえる。もう誰も話している者はいない。

 蓮はアイマスクの下で目を閉じ、車の振動に意識を向けた。

 ゆっくりと時間が引き延ばされ──

 やがて蓮もいつしか浅い眠りに落ちていった……


 ぎゅう詰めの車内で快適とはほど遠い仮眠を取っていたせいだろうか。浅い眠りの中で蓮は何かにのしかかられ、押し潰されるような夢を見ていた。

 そのかは蓮に覆いかぶさり、言葉ではなく思念のようなもので話しかけて来る。

 それが何を言いたいのかは、なぜか言葉がなくても蓮には理解できた。



 クルナクルナクルナ、カエレカエレカエレ…



 実態のない、思念の触手のようなものが蓮に絡みつき、幾重にも取り巻く……



 クルナ。



 ガクン、と車が大きく振動し、蓮はその衝撃で目覚めた。

 呼吸が乱れ、体中に汗をかいている。


「うわー、あとちょっとで目的地だってのにこんな所でパンクかぁ……参ったなぁ」

 八木の声、そして外に走り出る音が聞こえる。

「蓮?どうした、大丈夫か?うなされてたみたいだったけど」

 響希の声が聞こえる。

 蓮はおや?と思った。その声の中に怯えたような何かが感じられた気がしたからだ。怯えてる?響希が?気のせいだよな。

 知らないうちにきっとナーバスになっていたんだ。自分を心配してくれた口調がそう聞こえただけに決まってる。

 蓮は響希の方に顔を向けて

「いや大丈夫。何か妙な夢を見てたみたいだけど」

「どんな?」

 蓮は記憶を遡り夢を思い出そうとしたが、目覚めた途端に忘れてしまっていた。


「──何だったかなぁ?覚えてないや。とにかくこんな状況じゃ、いい夢なんて見れる訳ないよ」

「はは。そりゃそうだ。──それにしてもパンクだって?まさかこっから歩いて行かされるんじゃないよなぁ?ケツがくっそ痛いからそれでもいいけど」


 八木の声とともにガガガ……とノイズが聞こえる。トランシーバーで連絡しているのだろう。もう携帯は使えない場所らしい。

「ガガ……どうした八木?」

 ノイズ混じりの神崎の太い声が応答する。

「いやぁ参りましたよ。いきなりパンクしちゃいまして。現場までは車であと──そうですね、十五分くらいですかねぇ?ええ、歩くには少々あるんですわ。そちらの参加者を降ろしたら、こちらの八人を迎えに来て貰えます?替えのタイヤは積んでますんで待機してる間に直しておきます。……はい、はい。どうも頼みます」


 運転手はトランシーバーを切り、蓮達に呼びかけた。

「君達、悪いんだけど荷物を持って一旦車から降りて貰える?パンクを直したいんだ。あ、もうアイマスクは外していいからね」

 八人はアイマスクを外し、車を降りてそれぞれ凝り固まった体を延ばした。


 思ったよりも長い時間乗車していたらしい。乗り込んだ時にはまだ明るかった空が、今ではとっぷりと暮れている。時計を見るともうすぐ8時だった。随分と遠くまで連れて来られたものだ。

 あの集合場所は県境で三県にまたがっているため、ここがどこなのかすら推測も出来ない。それも初めから計算されていたに違いない。


 蓮は周りを見回した。

 対抗車が来てもすれ違うのに苦労しそうな、舗装すらされていない細い一本道が前後に続くだけで、後は木々が黒々と生い茂るばかり。

 車のライト以外には一つの明かりも見えない。

 しかし空を振り仰ぐと、見た事もないような星空が蓮達に覆いかぶさるように迫り、きらめいている。

 蓮は初めて目にする満天の星空に圧倒された。

「すげぇ僻地だなぁ。どこなんだ、ここ?」

 答など聞けないと分かっていながらも、参加者達が口々にもらす。


「誰か手元がよく見えるように懐中電灯で車の下を照らしていてくれる?」

 八木は慣れた動作でジャッキアップして車体を持ち上げる。

「うーん、下回りもヤバいかなぁ?」

 そう呟きながら仰向けになって車の下に入り込むと、何人かが懐中電灯を掴み、座り込みながら八木に向かって光を照らす。


 蓮と響希は少し離れた場所に座って、見るともなしにそれを見ていた。

 蓮は夜空を見上げながら、ぼんやりとさっきの夢を思い出そうとしていた。

 夢自体は何も思い出せないが、誰かに何かを警告されたような気がして、それが妙に気になったのだ。

 それぞれが照らし出す懐中電灯の光が路面に踊り、交差して奇妙な影を生み出している。

 その踊る影を見ているうちに、蓮は自分が現実ではない空間に迷い込んだような、そんな奇妙な気持ちに襲われた。



 ザワ…ザワ…



 闇の中、風が木々を揺らす音が頭上からのしかかる。

 蓮はふと寒気に襲われた。

「寒いんか?蓮?」

 響希の言葉に蓮は我に返った。

「……いや、大丈夫。けど、なんだろ?なんだか変な気分だ。こんなに静かなの今まで経験したことないからかな? ……なんかこの世に自分達しか存在しない──みたいな気分になってた」

 響希は笑って

「なんだよ感傷的だな。けど気持ちは分かるよ。やっぱ現実離れした気分になるもんな、こんなシチュエーション」


「いやー疲れた疲れた。二人とも腹減らね?腰も痛いしさぁ。早く到着して寝っ転がりたいね、俺は」

 敦士がのっそりと二人の隣にやって来て腰を下ろし、タバコに火をつけながら

「どの辺なんだろうな、ここ。山奥にもほどがあるってことは分かるけどさ。灯りの一つも見えないもんな。俺、割と前から起きてたんだけど、他の車とすれ違う音なんて一度も聞こえなかったんだぜ?どんだけ僻地なんだって話だよなぁ?」

 宵闇の中、敦士のタバコの火の瞬く赤色をぼんやりと見ていた蓮だったが、ふいにまた背筋がざわざわし始めた。



 ガガ……ガガ……

 ガ……ピー


 いきなり八木の車のトランシーバーからノイズが鳴り始めた。

「なんだ?神崎さんか?参ったな、今、手が離せないんだよなぁ。おーい誰か」

 車の下から八木が声を上げる。

「誰か、代わりに運転席の無線を取ってくれないかな?」

 一人が運転席のドアを開け、トランシーバーを手に持った。

 その瞬間。


 ガガ……

 ガ……ッ

 ピ──────────ッ


 トランシーバーが大きな音でハウリングを起こし

「うわ」

 トランシーバーを持った男はびっくりして声を上げ、思わずそれを取り落とした。


 カラカラカラカラ……とトランシーバーが道に滑り、ピタリ。と止まると、そこからブツブツと奇妙なノイズが流れ出した。


 ……ガガ……ガ……

 ……ルナ……ナ……

 カ……レ……カエ……レ……

 ……ナ……ガ………エレ……


 蓮の本能が危険を知らせ、一気に全身が総毛立った。

 その瞬間。

 パキ!と甲高い音がして、車を支えていたジャッキが二つに折れた。

「あ」

 短く声を上げた蓮の目の前で、車が八木を押し潰した。



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