第26話「そして幼馴染は」

「おはよ、優介」


 翌日、玄関を開くと七海が待っていた。

 これまで幼馴染として登下校を共にすることは度々あったが、今日からは恋人……といっても仮ではあるが、一応は男女の仲として行動することになる。


「おはよう、七海」


 だが、そんな誰もが羨む青春イベントを迎えた僕の心は、嬉しいというより、複雑な感情が占めていた。

 見かけこそいつもと変わらない口ぶりでそう返すが、内心では七海に対する不信感がどうしても拭えない。

 言わばこれは、朱莉を信じるか、七海を信じるかということだ。


「……七海はさ」

「ん? どうかした?」

「……あ、いや、何でもない」

「ふーん、へんなの」


 七海は、僕の部屋に盗聴器を仕掛けているのか? なんて聞ける訳も無く。

 いっそ、確固たる証拠でも出てきてくれればまだ良いのだが、残念ながら部屋を隈なく探しても、盗聴器らしい物は一切出てこなかった。


「大丈夫? さっきから難しい顔してるけど」


 盗聴器のこと、朱莉のこと、そして七海のこと。

 尽きない悩みの種がグルグルと渦巻いていると、七海から心配の声が上がった。


「……うん、大丈夫だよ。気にしないで」

「……そう?」


 ダメだ、この件は一旦後回しにしよう。

 少なくとも学校前の朝っぱらから聞くことではない。


「うーん……そうだ、ねえ優介、週末って空いてる?」


 そんな僕を見ながらふと何かを思いついたように、七海が口を開いた。


「週末? 特に予定は無いけど」

「ならさ、一緒にどこか出かけない? 今週は部活も休みだし」

「……どこか?」

「そ、どこか。どこでもいいよ? ちょっと遠出してもいいし、近場をブラブラするのでも構わないの。仮とは言え一応は恋人同士なんだし、一緒に出かけるのも不思議じゃないでしょ?」

「それは……まあ確かにそうだけど……」

「はい決定! じゃあ週末13時に駅前集合ね! 何するかは集まって決めるってことで!」


 ……悩む隙も無く、七海に半ば強引に約束を取り付けられてしまった。

 当の彼女はといえば、言うや否や用事があるだのなんだのと僕を置いて先に学校へ向かう始末。

 僕に断られるとでも思ったのだろうか。 

 いや確かにあまり乗る気ではなかったが、そんなに表情に出てしまっていたか。


「けどまぁ……そうだな。週末、改めて七海と話し合ってみよう」


 さっきは聞けなかった、朱莉の言っていた盗聴器の話。

 もしチャンスがあれば、そのときに話をしよう。





 そして週末。

 約束の時間十分前に到着したが、どうやら七海は僕より早くここに来ていたようだ。


「ごめん、遅くなって」

「ううん、気にしないで。私がちょっと早く来すぎただけだから」

 そう言いながら、開いていた手鏡を鞄へ直し僕の隣へやってきた。

「じゃ、行こっか」


 そして、僕の手を引き改札へと向かう。

 結局どこへ行くのか特に知らされていないので、ただ着いて行くのみである。


「で、今日はどこへ行くの?」


 休日だけあって人が多い。実際にこの車内も、通勤通学ラッシュほどの人だかりは見受けられないが、それでも座席は全て埋まっており、こうして僕たち二人も少しスペースに余裕はあるが扉近くで立ちながら会話している。

 せっかくの休日だし、出来ればなるべく人だかりが少ないところが良いんだけど……。


「今日はね、特に予定は決めてないの」

「え?」

「場所は決まってるよ? ほら、あそこのアウトレットモールに行こうと思ってるの。けど、特に何か買おうとか、そういう目的じゃなくて……ほら、ただブラブラするだけってのも良いんじゃない?」


 なるほど、確かにあそこのアウトレットなら目的も無く歩くのにはもってこいの場所だ。

 アパレルショップを中心に、インテリアや雑貨、バッグや靴などのファッションアイテムも取り揃えられており、大きなレストラン街も備わっている。


 休日だし人は多そうだけど、まあそれはどこに行っても同じだしね……。


「そっか。あんまりお金に余裕が無いから逆に助かるかも」


 つい本音が出てしまう。正直金銭的に余裕が無かったから、下手にレジャー施設なんかを提案されたらどうしようかと思った。


「アハハ、優介が金欠なのは知ってるからね、ちゃんとそこも考えてましたよ」

 流石幼馴染と言ったところか、僕の懐事情までしっかりと抑えているようだ。


「……そ、全部知ってるからね」

 ホッとしていると、七海が隣で小さく何か呟いていた。

 何を言っているのか、電車や周りの雑音で聞こえなかったが、聴き返すことはしなかった。



「はー、楽しかったね」


 時刻は十五時過ぎ。

 お昼前から色々なお店を見て回った僕たちは、お互いに行きたい場所を行き尽くしたということで、帰る前に一旦レストラン街の喫茶店で休憩することとなった。


「けど、流石に疲れたよ……」

「まあまあ、良い買い物も出来たし、私は楽しかったよ」

「そりゃ僕も楽しかったのは間違いないけど……」


 当の僕はといえば、数日前のことなどすっかり忘れ、普通に七海との買い物を楽しんでしまっていた。

 本当は盗聴器のことを直接本人に伺おうと思っていたが、どうもそういう空気でも無かったし、それにやっぱり本人に直接聞くのは一歩足が引いてしまう。


「(まあ朱莉の嘘だったんだろう……。今日の七海を見てても、とても人の部屋に盗聴器を仕掛けるようなことをするとは思えないし。そうだよ、僕が七海のことを信じてやら無くてどうするんだ)」


 そんな事を考えながら、注文したアイスコーヒーに口をつける。

 どうして朱莉がそんな嘘を吐いたのかは分からないけど、きっとまた何か裏があるんだろう。

 すっかり僕は七海に対する不信感も薄れ、逆に朱莉を疑うようになっていた。


「で、これからどうするの?」


 七海に対する疑いを無くしたお陰か、急に肩が軽くなったような気がする。

 本当ならこのまま帰るところなんだろうけど、何だかもう少し七海と一緒にいたい。そんな気持ちが湧いてきて、自然と次の予定を立てようと口にしていた。


「そうだねー、まあ時間も時間だし……そうだ、ウチに来ない?」

「七海の家?」


 それは予想もしていなかった提案だ。


「ほら、小学生の時は良く遊びに来てたじゃない? 最近はその機会も減っちゃったけど……」


 七海とは小さい頃からの付き合いだ。

 昔はよくお互いの家に遊びに行ったりしてたっけ。


「せっかくだし料理食べていかない? 私が作るよ!」

「七海の料理?」

「優介、私の料理食べたことないでしょ。これでも結構練習して上手くなってるんだからね!」


 へー、そうなのか。

 七海は普段からお弁当を持ってくるタイプじゃないし、てっきり料理もからっきしだと思っていたけど。


「まあそんなに言うならちょっと食べてみたいかも……」

「よし、決定! なら今から買い物してウチへ帰ろう!」


 飲みかけのコーヒーを一気に口にし、二人で駅へと向かう。

 この頃にはすっかり七海への疑いもすっかり頭から無くなり、ただ彼女の作る手料理がどんなものか、それで頭がいっぱいだったのだ。





「ただいまー」


 閉まっていた鍵を開け、抱えていた大きな袋を玄関へ置き、家の中にお邪魔する。


「お、お邪魔しますー」


 幼馴染とはいえ、仮にも女の子の家だ。流石に幾ばくか緊張はする。


「アハハ、緊張しなくていいよ。今日は誰も居ないから、ゆっくりしていって」

「え? 誰も居ないの?」

「あれ? 言ってなかったっけ? 今日は家族全員でお祖母ちゃんの家に行ってて留守なんだよー。で、私だけ残ったの」

「それなら先に言ってよ……」


 というか、家族誰も居ないのに勝手に上がりこんで良かったのだろうか。

 幼馴染で彼女(仮)とはいえ、女の子一人なんて……。


「まあまあ、とりあえず私の部屋でゆっくりしよ」


 買ってきた食材を整理しながら、とりあえずまだ晩御飯の時間には早いということで、七海の部屋で時間を潰すこととなった。

 七海の部屋か……随分と久しぶりだな。


「部屋の場所は覚えてる?」

「確か二階の角部屋だっけ?」

「そうそう。私はお茶を用意するから先に行ってて良いよー」

「そっか、分かった」


 かつての記憶を頼りに、七海の部屋へと向かう。

 階段を昇りながら、何となく懐かしい気持ちが湧いてきた。正直昔のことはあまり覚えていないが、何となく体が覚えていたのだろうか。


「えーっと、ここかな」


 二階へと上がり、一番奥の部屋へと辿り着く。

 ドアノブに手を掛け、何年かぶりに七海の部屋へと足を踏み入れた。


「暗いな……電気つけるか」


 照明から垂らされている紐を見つけ、一度引っ張り電気をつける。

 急に明るくなり一瞬眩しさで前が見えなかったが、直ぐに明かりに慣れ部屋を見渡す事が出来た。


「……え?」

 そして、眼前に広がる七海の部屋を見て、僕の思考は完全に停止してしまった。



「……あーあ、見ちゃったね」

 すると、ドアの方から七海の声が聞こえてきた。

 いつもの明るい声とは違い、どこか冷たさを含んだ、僕の知らない七海の声だ。

 だが、僕はそんな七海のことを気にかける余裕も無いほど、この部屋の異常さを目の当たりにし混乱していた。


「なんだよ……なんだよ、これ」

 





 その部屋は、壁一面に張られた僕の写真で埋め尽くされていた。

 

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