第27話「既成事実」
僕と七海が初めて出会ったのは、確か幼稚園の時だったと思う。
両親の都合とやらで近所へ越してきた彼女は、家が近所だったこともあって小さいときから仲が良かったのを覚えている。
結局それは小学生になっても、中学生になっても変わらず。
周りからどれだけ揶揄されようと、僕たちの仲はずっと変わらないままだった。
そんな僕たちに変化があったのは、高校一年生の夏。
彼女から告白を受け、僕たちはただの幼馴染から互いを意識しあう男女仲へとなった。
とはいえ、彼女からの告白に返事をせず朱莉のことを優先してしまった僕は、七海とは『幼馴染以上、恋人未満』の関係がしばらく続き、二年生になって朱莉を欺くための『偽』の恋人へとステップアップした。偽りの関係とはいえ、僕達の間にはまた新たな関係が生まれたのである。
◇
「なんだよ……これ……」
壁一面に貼り付けられた自分の顔写真を目にして、混乱と恐怖が襲い掛かり思わず口を噤んでしまう。
上手く言葉に出来ない、言いようの知れぬ恐怖。
すぐ後ろで七海が何か喋っているのが聞こえるが、正直何を言っているのか全く頭に入ってこない。
「ゴメンね、今まで黙ってたけど……そういうことなの」
声がする方を向く。扉の前では今まで見たことも無いような表情を浮かべ、七海がこちらを伺っていた。
表情こそ笑っているものの、底知れぬ恐怖を感じる。その表情からは、怒りや喜びと言った感情は全く感じられない。
言うならば、無だ。
笑っているのに、心の底では全く笑みを浮かべていないような、そんな雰囲気を醸し出している。
「そういうことって……どういう……」
そんな表情に気圧されたのか、それともこの状況に足が竦んでいるのか。絞り出したような僕の声は、仮にも恋仲にある女性に向けるそれでは無かった。
「優介はさ、私のこと、どう思ってる?」
「どういうって……」
「もちろん"幼馴染"としてじゃなくて、一人の女性としてね」
底冷えするような声で僕に問いかける。
「……」
「ま、別にどうでもいいんだけどね」
彼女からの質問に上手く答えられずにいると、七海が先に口を開いた。
「だって、好きとか嫌いとか、もう関係ないから」
先ほどの質問に意味など無かったのだろうか、彼女は僕が返答を寄越さなかったことに対して特に触れることも無くそのままこちらへと向かって歩みを進めた。
「ちょ、ちょっと待った……」
思わず後ずさりをしてしまう。こちらへ向かってくる七海へ一旦落ち着こうと声を掛けようとしたが、彼女はそんな僕をお構いなしといった様子で僕へと近づいてきた。
「あー……初めからこうすれば良かったんだ」
そして、つい先ほど駅の改札で僕の手を引いていた彼女の右手からは、黒い四角状の物体がチラついて見えた。
「ちょっと痛いかも知れないけど、我慢してねー」
そのまま右手を僕の腹部へと押し当てる。未だに何が起こっているのか分からず混乱していると、お腹の辺りから激痛が走った。
「ッ……」
そのまま体中が痺れてうずくまってしまう。ダメだ、立とうとしても体の自由がきかない。
「あれ、意識あるね。スタンガンって気絶させる効果あると思ったんだけど」
意識こそまだハッキリしているが、相変わらず体中に痛みと痺れが走り倒れこんだまま立ち上がれない。
彼女の口から発せられた『スタンガン』という言葉は、この状況を理解させるのには十分なほどのキーワードだった。
「な……七海……」
「うーん、意識を失ってくれていた方が良かったんだけど……まあ良いか」
絞りだした僕の声は、七海には届かなかった。
いや届いていないのか、もしくは届いているが無視されているのか。
10年以上の付き合いだが、こんな彼女を見るのは初めてのことだ。
「ごめんね優介、痛いよね。私もこんな手荒な真似はしたくなかったんだけど……」
果たしてその言葉は僕に向けたものなのか、それともただの独り言なのか。
「七海……どうしてこんなことを……」
再度七海に問う。
すると七海はこちらを向き、今度は僕に向けて口を開いた。
「どうして? そんなの決まってるよ」
そして痛みに耐える僕にもハッキリと聞こえる声で
「優介を私のモノにするため」
と答えた。
「……それはどういう」
相変わらず痺れは続き、体の自由はきかない。
だが一度スタンガンを喰らったことで逆に落ち着くことが出来たのか、今は少し冷静に彼女と対話が出来る。
とはいっても恐怖心が襲ってきている今の状況で、今までのように七海と上手く喋れる自信は無い。
というか、目の前に居る女性が本当に俺の知っている春瀬七海なのか、それすらも自信が無くなっていた。
「優介はさ、私のこと好き?」
先ほどと似たような質問をする七海。
さっきは返事が出来なかったが、今なら。
「……好きだよ」
「でもそれって、幼馴染として、でしょ?」
そう返され、もう一度七海のことを考える。
確かに七海のことは好きだ。だがそれは女性として好きなのかと問われると、僕はまだその答えを明確には見つけられていなかった。
以前七海から告白を受け、彼女のことを意識するキッカケになったことは間違いない。
実際に七海のことを一人の女性として意識し、今まで幼馴染としてしか接していなかった僕の中に、新しい感情が生まれたことは確かだ。
だがそれは、七海の事が好きだというものなのか、それは分からないままだった。
友達として、幼馴染として、彼女が好きだという気持ちに嘘偽りは無い。
でも、女性として好きかと聞かれれば……僕はその問いの答えを出すことを先送りにし続けてきた。
「優介はさ、前に私から告白されて、どう思った?」
「どうって……」
「嬉しかった? それとも迷惑だった?」
「それは……」
「私があの時告白したのはね、あの時の優介の様子がおかしかったから、もしかして誰か女性関係で悩んでるんじゃないかって思って、だから告白したの。他の女に目移りしないようにって。幼馴染の私から告白されたらそれどころじゃなくなるでしょ」
そう言いながら、七海は続けざまに自分のことを語りだした。
「でも今なら分かる。優介はあの時、朱莉ちゃんのことを考えていたんだよね。朱莉ちゃんが自分の想像以上にブラコンだったから。私と同じように、病的なまでに優介のことを愛していたことを知っていたから」
七海の言葉を聞きながら、僕は先日朱莉の部屋で見たノートのことを思い出していた。
朱莉の言っていたことは本当だったのか……。
「だから私への返事も出来なかった。仮に私からの告白を受けでもしたら、朱莉ちゃんがどんな行動を取るかわからないから」
ゆっくり考えれば良い。
卒業までに答えを出せば良い。
今は朱莉のことが最優先。
七海に告白され、卒業までに返事をしてくれれば良いと言っていた彼女の提案に甘え、答えを先送りにしていたことは間違い無い。
そんな僕の優柔不断さが、この事態を招いてしまったのだろうか。
「それに気づいたのはちょっと前。理由は……まあそんなことはどうでもいいんだけど、肝心なのはここからだから」
そう言いながら七海は、横向けに倒れている僕の肩に手をやり仰向けにして、そのまま僕に馬乗りになった。
「な……何してるんだ」
抵抗しようにも体が動かない。ダメだ、余程スタンガンの威力が強力だったのか全く動ける気がしない。
そのまま馬乗り状態で、七海が言葉を続ける。
「で、私は考えたの。卒業までに返事をって言ったけど、今の状態じゃ絶対に色よい返事は返って来ないだろうなって。優介は朱莉ちゃんのこと頑張れば何とかなるだろうなんて考えてるんだろうけど、多分無理だよ。あれはちょっとやそっとでどうにかなるものじゃないから」
「……」
「で、そんな朱莉ちゃんのことを優介はきっと見過ごせない。そのまま朱莉ちゃんとどうなるのかは知らないけど、多分私のことを考える余裕なんて無いだろうなって、そう思ったの。……でもね、私も簡単に優介のこと諦められるような性質じゃないからさ」
そう言いながら、七海は体を前に倒し、顔を近づける。
「もう、
耳元で呟く。
これから七海がしようとすることが嫌でも分かってしまい、何とか抵抗を試みようと努力する。
「こんな形で……ダメだ、それじゃ……」
「そりゃ私だってこんな形でじゃなくて綺麗に結ばれたかったけど、もうそんな悠長なこと言ってられないし……それに優介も良かったじゃない。これで朱莉ちゃんのことで悩まずに済むよ? これからは私だけに目を向けれくれればそれで良いから……」
そしていよいよ七海と僕の距離が、僅か数センチの近さまで近づく。
そんな彼女を拒むことは許されず、そのまま口が重なろうとしていた瞬間。
――――ピンポーン。
開いたままのドアの向こうから、チャイムの音が響いてきた。
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