第4話「幼馴染」

『7月12日、月曜日。今日のお兄ちゃん、晴れ。

 今日はいつもより早くお兄ちゃんが帰ってきてくれた。

 聞くところによると、部活動での仕事が片付いたらしい。

 正直、演劇部なんて辞めて早く家に帰ってきて欲しいけど、お兄ちゃんが楽しそうに活動をしているので、心を鬼にして我慢する。


 ……まぁ、あの女だけは絶対に許さないんだけど。


 それにしても、どうやらお兄ちゃんが今日私があのゴミ虫から告白されたという話を聞いてしまったらしい。

 あんな男、お兄ちゃんの足元にも及ばない虫けらみたいな存在だが、もしこの話を聞いてお兄ちゃんが嫉妬してくれているなら万々歳だ。


 それに、今日はお兄ちゃんが早く帰ってきてくれたので、一緒にご飯を食べることが出来た。

 今日の肉じゃがは私が作ったんだけど、お兄ちゃんは気づいてくれただろうか。

 ジャガイモを口にするとき、ニンジンを口にするとき、そしてお肉を口にするとき。

 一つ一つの動作を見るたびに興奮しちゃって隠すのが大変だったけど、こんなにも幸せな晩御飯は久しぶりだ。


 今日は、晩御飯ついでに食器洗いも名乗り出た。

 目的のブツは、無事回収。楽しい夜になりそう。


 お兄ちゃん、好き』


「ゆうすけー、部活行こうぜー」


 帰りのLHRを終え、身支度を整えていると教室のドアから呼び声が掛かった。


「嘉樹か。すぐ行くからそこで待ってて」


 声の主は桜井嘉樹さくらいよしき、同じ部活動に所属する同級生で、隣のクラスに在籍する俺の友人。

 嘉樹とは高校に入学して、同じ演劇部に入ったことがきっかけで仲良くなった。

 付き合い自体はまだ1年半くらいだけど、気兼ねなく会話が出来る大切な友人。

 両親が演劇に携わっている人間らしく、嘉樹もまた子供の頃から両親の影響でずっと演劇を続けてきたらしい。

 

 大道具製作の僕と、バリバリの演技はである嘉樹。

 一見するとあまり合わない二人のように見えるが、僕は一番の友人だと思っている。


「ゴメン、お待たせ」

「おう、やっと来たな。んじゃ行くか」


 並んで部室まで歩く。ここ1年半毎日のように続けられ、すっかり習慣じみてしまった。


「そういえば聞いたか?」

「あー……朱莉のこと?」

「そうそう、いやーあの山本先輩がってのも驚きだけど、それより山本先輩の告白を断る奴がいるんだなってことのほうが驚きだ」


 まあ朱莉ちゃんだしなーと付け加え、嘉樹は驚いた表情を取りながらもいつものことといった感じで軽く話をしてきた。

朱莉の話は昨日先輩から聞いたけど、こうして嘉樹の口から告げられるのを聞くと、やはり朱莉の人気はこの学園だと中々のものなんだなってのが分かる。


「ま、嫌われてる兄貴からしたらどうでもいい話かー」

 嘉樹の言葉に、思わずドキッとしてしまう。

「あー、まあ、そうだな」

 僕は曖昧に言葉を濁した。


 ……そう、この学校の皆は、朱莉の本当の姿を知らない。

 朱莉と僕は格好の中で一切にコミュニケーションを取らないので、仲の良い嘉樹たちならともかく、僕達が兄妹だということを知る人は少ない。


 朱莉に告白するため彼女のことを必至になって調べ上げ、結果、兄である僕に辿り着く生徒も時折出てくるが、僕が朱莉に嫌われていることを告げると、みなガッカリした面持ちで去ってしまうわけで。

 まあ、これじゃ協力のしようも無いしね……。


 話題を変えつつ、引き続きたわいもない話をしていると、気がつけば旧校舎二階、我らが演劇部の部室まで辿り着いていた。


「「お疲れ様ですー」」


 部室のドアを開けると、中には3人の男女が台本のような冊子を片手に稽古を行っている。

 僕達が来るより先に、既に活動を始めていたようだ。


「お、来たな二人とも」

 向かって右手、この運動部とも見紛う程のガタイを持った男性は、この部の部長である本間雄一ほんまゆういち。皆からはマッさんと呼ばれている人物。ちなみに昨日朱莉のことを教えてくれたのもこの人だ。


「優介君、嘉樹君、お疲れ様」

 3人並びの中央に立つ、この言葉遣い声色から気品のようなものをひしひしと感じさせる女性は、この部の副部長で、マッさんと同じ3年生の瀬戸山晴香せとやまはるかさん。皆からは晴香さんと呼ばれている、いやそう呼ばせている。


「ん、二人ともお疲れ」

 最後に3人目、向かって左の椅子に座り二人の様子を眺めているこの女性は、僕らと同じ2年生で、主に脚本や演出を担当している春瀬七海。ちなみに僕と同じクラスに所属している、幼馴染だったりする。


「あれ? 今日は通しじゃなかったですっけ?」


 かばんを置き、劇中の練習を行っているマッさんと晴香さんの様子を見て、嘉樹が疑問を口にした。


 今日は通し稽古。

 待ったなしで一時間、劇を初めから終わりまで通しで練習する予定の日だ。


 高校演劇に携わらない人であれば知らないのも無理は無いかもしれないが、高校演劇にも列記とした大会が存在する。


 地区予選、県予選、地方予選、そして全国大会。


 さしあたって、一番近い地区予選まで1ヶ月を切ったこのタイミングは、場面ごとに練習する期間から通し稽古を行うようになる時だったりする。


「おお、そうなんだけどな。……ほらここ、晴香がどうしてもカレーを作るシーンの自信が無いって言うもんでな」

「あーなるほど、確かにあそこの場面セリフ多いですもんねー」

「丁度あそこは嘉樹の出番も無いだろう? だからお前達が来るまで練習してたってわけ」


 やいのやいのと、マッさんと嘉樹が晴香さんを交え会話を始めた。

 ここから先は演者たちの世界だ、裏方の僕は様子を眺めておくことにしよう。


「お疲れ、優介」

「おう、七海もお疲れ」


 中央でそのまま舞台に関する相談が始まった3人を横目に、隅のテーブルで台本にマーカーを引いていた七海の正面に座った。


「聞いたよ、朱莉ちゃんのこと」

「お前までその話か……ウチの妹も偉くなったもんだ」

「こーら、そんな風に言わないの」


 コツンと、そばにあった台本で頭をこづく七海。この遠慮の無い距離感こそ、幼馴染ならではのものだなと実感させられる。


 春瀬七海はるせななみ、17歳。僕と同じ高校二年生で、同じクラスで、同じ部活に所属する、小さい頃からの幼馴染。

 家が近く、お互い昔から仲がよく、それでいて男女の隔たりなんかを全く感じさせない程よい距離感。朱莉とは違って感情を前面に押し出すタイプ、それでいて実は小説を読んだり書いたりすることが趣味なインドア少女でもある。

 ちなみに、演劇部に誘ってきたのもコイツだったりするんだけど、まあその話は長くなるので割愛。

 朱莉との仲は普通。特別一緒に遊んだりするわけでもないが、朱莉は家族以外を相手にすると急に態度が一変するので顔を合わせるとそれなりに会話する、そんな関係だ。


 もっとも、それは目に見えない部分の話で。


『あの女は許さない』


 お兄ちゃんノートによると、この春瀬七海は、彼女にとっての天敵。憎むべき相手。そういうことになっているらしい。

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