4.倫理
倫理とは、行動の道徳的規範や善悪の基準のことを言いますが、今回はその幅を広げることはできるのかどうかを考えてみましょう。
〈大きな倫理〉
「殺し」は、我々人類の歴史から見ても非常に重い罪です。でも、人間を含むほとんどの動物は、ほかの動物、植物を殺さなければ、基本的に生きていくことは出来ませんよね? 無数に生まれるファンタジー世界の中の人間や魔族が、いつの時代も須らく「殺し」を罪の意識をもって生きているのでしょうか。
哲学者、鷲田清一氏は、こう語ります。
……殺されたくないという心理的な理由ではなしに、何かを殺めることじたいが悪であると言いうる根拠をひとは示せるだろうか。生きているということは生きていないということより価値がある、有ることは無いことより価値があるといいうる究極の根拠を、希望としてではなく示せるだろうか。この問いに、「ひと」はおそらく答えを与えることはできないだろう。……(「死なないでいる理由」より)
殺されるという恐怖は、だれにでもあり、おそらく魔族とてないわけではありません。しかし、それが「殺しの倫理」に繋がるには、集団が作られてからある程度時間が必要です。家族や友人との「絆」や「友情」といった概念が生まれるまでは、殺すことは単なる「重労働」として行われるかもしれません。
この論にのっとれば、「盗み」も同様に、生産経済に移って財産が生じるまでは罪に問われないこともあり得る、とも言えます。
〈倫理の相違〉
上記のような普遍性を伴う、いわば「大きな倫理」のほかに、地域ごとに異なる「小さな倫理」も作成可能です。例えば、現代の日本(主に都市部ではかなり顕著に表れていると思われますが)では、なんとなく「Hなのはイケナイ」といった意識が広まっているのを感じませんか? セクハラとかは関係なしに。これは性倫理の分野に入るでしょう。
では、この日本特有(?)の意識の起源を説明をしましょうか。
明治維新の際、日本は西洋を手本として多くのものを輸入しました。そして、その中には女学校も含まれていました。当時就職率が低かった女子学生を懸念して建てられたものですが、その多くはキリスト教宣教師がかかわっていたために、女学生たちはキリスト教的思想で教育を受けました。やがて彼女たちが母親になると、多くは自身の子供にもキリスト教的思想を伝授しました。キリスト教は性に関してとてもストイックですから、その思想を持った子供たちは性関するものを一種のタブーとしたのです。こうして日本に「Hなのはイケナイ」という思想が広まったのでした。
もちろんこれ以外にも形成原因はあるでしょうが、ここで言いたいのは「宗教は倫理に影響を及ぼす」ということなので、あまり詳しくは語りません。
というわけで、倫理という「規範」に宗教が与える影響は大きなもの、と結論付けることが出来ます。さらにさかのぼると、宗教とはその土地の気候・生態系などの影響を受けています。そうです。人々の性格や思考にある程度鑑賞している「倫理」は、もとはその地方の気候が関係しているのです。どうして私が、わざわざ環境という章を作り、いくつかの気候・生態系を解説しているか、その理由がこの項で少しでもわかっていただければ、私は満足です。
まとめ:民族性や宗教、さらには倫理観や倫理そのものは、その地域の「環境」も形成に一役買っている。
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