第4話 二人風呂
意識がハッキリし視界に最初に飛び込んできたのは、昇り始めたばかりの太陽の光だ。
どうやら今は朝のようだが、今が何日なのかを確認しないことには、異世界にどれくらいいたのかハッキリしない。
家に向かうため泥に埋まりかけた重い足を一歩踏み出す……
ん? ……泥?
「って! ここお隣さんの田んぼじゃねぇか!!」
そう、アイビーの世界から帰ってきた俺だったが、俺が立っていたのはお隣さんの田んぼの中。
よりによってこんな場所に転移させられるとは思わなかった。
しかしそれ以上に異様な光景が俺の視界に飛び込んできた。
「おーい、大丈夫か~?」
「……」
俺の目の前で頭から田んぼにダイブしてジタバタもがいているアイビー。
さすがに命の危険もあるので引っこ抜いてやるが、露わになった姿は見事に全身真っ黒だ。
帰って来て早々、秋の収穫前の田んぼを荒らすというとんでもないことをしてしまった。
「うぅぅ……なんでこんなところに……」
「後で、二人で謝りに行こう……ていうかなんでお前まで来たんだ?」
「そりゃ来るでしょ、ソラだけを転移させることは出来ないのっ」
ならば今すぐ帰った方が良いのではと思ったが、さすがにこの泥まみれになった姿であの街を歩かせるのは、送ってもらった手前申し訳ない。
「俺の家近いから、風呂入ってけよ」
「風呂?」
「知らないのか? あ……シャワーだシャワー」
そういえば、あの街で体を流すときはシャワーだけだった。あの世界には風呂という概念がないのだろうか。
とりあえず田んぼから這い出てすぐ近くの我が家を目指す。
あっという間に到着した我が家の戸を開くと、
「ただいま……」
「あら、また夜出歩いていたの? 早くご飯食べて……ってなによその恰好は!? しかもその女の子泥まみれじゃないの!?」
俺たち二人を出迎えたのは、夜勤の仕事から帰ってきたばかりなのだろう俺の母だ。
チェック柄のエプロンを外した母は、俺達が家に上がるなりアイビーを風呂場に連行、一瞬で浴室に放り込んだ。
「あ~俺メシ食ってきたから大丈夫」
「そんなことより、誰なのよ? 彼女~?」
「ちっげぇよ! アイツはただの……」
「ただの?」
ただの、なんだろうか……知り合い? 顔馴染み? 戸惑っていると目の前の四十路の母は何かを納得したかのように、ニヤニヤとしただらしない表情を正し、笑って口を開く。
「なるほど、これから友達になるのね」
「はぁ?」
家に上がってから少しすると、早くも風呂からアイビーが上がってきた。
すると俺の母は突然アイビーの手を掴んで彼女に詰め寄った。
「ねえアナタ、ちゃんと湯舟には浸かったの!? 100数えた? ええいもう一回入ってらっしゃい!」
「え、いやアタシはもうシャワー浴びたから……」
「だぁもう! 蒼空! アンタが入れてやんなさい!!」
「はぁ!? 何言ってんだ!!?」
唐突にとんでもないことを口走るなこのお節介ババア!
俺とアイビーは必死に抵抗はしたが母は一瞬で俺たち二人を風呂場に押し込んだ。
ある意味、俺の母は異世界の化け物より化け物染みている。
そんなことはともかく、狭い風呂場で二人してタオル一枚……まだ会って二日なんだけどなぁ……
「お前、風呂入った事ないか?」
「う、うん……その……こっちの世界では男女が一緒にお風呂に入るのは普通なのかな……」
「いや、これは俺の母が特殊なだけだから……とにかく湯舟入ってみろよ、気持ちいいぞ」
「う、うん……」
俺がシャワーを浴びている隣で彼女は恐る恐る、足先からそーっと入っていく。
全身肩まで浸かったその時俺の耳に入ってきたのは、まるでおっさんが仕事帰りに風呂に入った時のような声だ。
見れば、彼女は今にも昇天しそうな顔をしている。
「なぁにこれぇ~あったまるぅ~」
「そ、そんなに気に入ったか?」
普段はキレッキレな口調も、だらしなく間延びしている。
一方の俺は、緊張のあまり声が上ずってしまう。
しかしまさか女と一緒に風呂に入るなんて想像もしていなかった。心の準備は大切なんだなとしみじみ感じる。
アイビーは浴槽の縁に両手をついてこちらを向く。
「ねぇ、今日はこの後どうするの?」
「ん? そ、そうだな、学校行くかな~」
「学校?」
この様子では、どうやら学校も知らないらしいな。
あの世界とこっちの世界では何もかもが違っている。しかし決定的な違いはなんなのだろうか。
頭を水で流した後で鏡越しに彼女を見ると、視線に気付いたのか、彼女は勢いよく湯舟に沈み口元まで浸かる。
「こっち見ないでよ……」
「み、みてねぇし!」
妙なきっかけで気まずくなり沈黙が続く。
この空気に耐えられなくなった俺は、湯舟には浸からずにすぐに出て行った。
俺が服を着て脱衣所から出て行ってから、彼女も出てきたようだ。
「ねぇねぇどうだったのよ?」
「どうもしねぇよ……ほんとに勘弁してくれよな……」
「あら、つまんないわね」
この母親はまだ俺が14歳だということを忘れているのではないのだろうか。
アイビーは少し遅れて俺のTシャツを着て、肩にはタオルをかけて風呂から上がってきた。
彼女の顔が真っ赤に染まっているのは、湯上りだからというだけではないだろう。
「ごめんねぇそれしかサイズが合いそうなのがなくてね」
「いえっ! ありがとうございますっ……その、なにからなにまで」
「いいのよいいのよ! 蒼空が女の子連れてくるなんて初めてだものねぇ」
「ちょっ! 何いきなり言い出すんだよ!」
勝手に人の秘密を暴露するのは本当に勘弁してほしい。
抗議しながらも予備の制服に着替えてスカスカのカバンを持つ。
家を出る前に玄関の壁に貼られたカレンダーを見る。時間差とかの計算は後でするとして、今は異世界に行った日の翌日の朝みたいだ。
行ってきますと一言だけ残して、ついでにアイビーもその場に残したままさっさと玄関から出ていくと、後ろから聞こえてくる笑い声が段々遠くなっていく。
気恥ずかしさからか俺の足は自然と走り出していた。
ある程度走ったところで息が切れて走る速度を落とすと、遠くから聞きなれた声が聞こえてくる。視界に入ってきたのはやっぱり晴輝だ。
「よう! 蒼空!」
「……徹夜したのか?」
道の向こうから呼びかけてきた晴輝の目は、濃いクマがついて目蓋が今にも落ちそうだった。
「いやぁ昨日アニメの一挙放送見ててさぁ」
「あ、俺見てなかったな、今度見に行っていいか?」
「もちろんだぜ!」
一年くらい前に深夜アニメを勧められて少しだけだが見るようになった。
しかしそうは言っても俺の家にテレビは無い。見るのはいつも晴輝の家で時々、という程度だがそこそこハマっている。
晴輝が言うにはこれから抜けられなくなるとのこと。
正直信じ難いが本当だろうか?
「あー転校生は女かなぁ~美少女かなぁ~?」
「お前がお近づきになれないのはもうわかったよ」
「なぁにおぅ! じゃあどっちがお近づきになれるか勝負しようじゃねぇか!」
「はぁ!? 興味ねぇって言ってんだろ!?」
これはいつものパターンだ。俺がいくら嫌だと言っても押し切られる。
こうなってしまったからには最後まで付き合おう。もう落ちは見えたし、よく考えたら面白そうだ。
学校の既に閉まった校門をよじ登って中に侵入する。
しかし校舎は授業中なのか静まり返っている。
授業が終わるチャイムが鳴るまで購買部のおばちゃんと世間話をして、休み時間のうちに教室に向かう。
だが……
「うわっ来たのかよ」
「ちょっと聞こえたら殴られるよ」
「マジ帰ればいいのに……」
教室に入った俺たちに、いつも通りの向かい風。
教室にいる生徒たちは俺たちと目を合わせようともしない。
とりあえず窓際一番後ろに追いやられた机に俺はカバンを置き、その隣の机の上に晴輝は腰かける。
俺たち二人の学校での評価は俗にいう不良、言い方を変えよう、腫れ物だ。
別にいつも遅刻の常習犯だからとか成績が悪いからではない、それはあくまで結果だ。
すると自分たちの評価や立場をわかっているにも係わらず、晴輝は一つの女子集団の中に向かっていく。
「ねぇ、転校生ってどこ?」
「き、来てないわよ!」
「ふ~ん」
不服そうにポケットに手を突っ込んでこちらに帰ってくる晴輝。
彼の後ろでは背を向けられた途端走って逃げていく女子集団。
晴輝が机に座る前に舌打ちが聞こえたような気がしたが、今は聞き流しておく。
少し頭を冷やした方が良いと思い、窓を開けると二階から見える校門から玄関に向かって走っている影が一つ見えた。
それは見覚えのないセーラー服で、かなり焦っているのかかなりの速度で校庭を駆け抜けていった。
「晴輝……もしかしたらあれじゃね?」
「な、なんだって!?」
俺を押しのけて窓の外を見た晴輝は一瞬で目を輝かせて、廊下に向かって一直線に駆け出した。
「おい! どこ行くんだ!?」
「見に行くに決まってんだろ~!」
「なっ待てよ!」
アイツ一人で行かせたら何しでかすかわかったもんじゃない。
不安になった俺はその背中を追いかける。
自慢じゃないが、元運動部だった俺たちはそれなりに足は速い。
あの子が玄関に着くより先に俺たちが着くはずだ。だが、下駄箱のところまで来たが、そこには誰もいなかった。
「あれ、もういないのか?」
「あの子足速いんだな、今頃はもう職員室だろうな」
「よし、覗きに行こう」
「おまっ正気かよ……」
俺が呆れていると、既に走り出した晴輝が廊下を駆け抜けていく。
またそれを追いかけていくが、この先は職員室。俺たちがここに近付くのは出来るだけ避けたいのだが、奴はもう何も考えていないのかもしれない。
二人そろって職員室の窓からそっと中の様子を覗いたとき、俺は思わず声が出そうになって口を押さえた。
「は? アイビー?」
「なんだ知り合いか? めっちゃかわいいじゃん」
職員室にいる女は髪の色は黒いし長い、それに目も普通の黒目だ。だがそれ以外容姿は彼女にそっくりだ。
どうやら職員室での話も終わったらしく、外に出てこようとしていたのを確認した俺は晴輝の襟首を掴み、教室に向かって駆け出した。
チャイムが鳴り、窓の外を眺めていると、ガラガラと教室の扉が開く。
教室に入ってくる先生の後ろに続いて、先ほどの女の子が入ってくる。
「少し紹介が遅れましたが、転校生を紹介します、相楽さん、どうぞ」
「はい、
異世界のメシを愛する俺と現世のメシを愛する彼女 ケイケ @wizardwing7
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