第3話 初依頼とステーキ
アイビーは依頼掲示板ことアクターレセプションに貼られたいくつもの貼り紙を眺めている。
俺にもやらせてくれるとのことだが、俺は初心者だ。せいぜい配達とか材料調達などの簡単なものだろう。まさか魔物討伐なんて頼まないだろう。
そうこう考えてるうちにアイビーは掲示板の紙を一枚取って、隣にある受付カウンターのお姉さんに渡す。
「はい、アイビーさんとゲスト様でダーティラット殲滅ですね。受付完了です!お気をつけて~」
聞き間違いだろうか。今確かに殲滅というワードが聞こえたような気がする。
それにダーティの意味はわからないが、ラットはおそらくネズミだ。まぁネズミ退治なら昔、家に出たやつをネズミ捕りで捕ったことはあるし、出来ないことはないと思う。
「それでさっ、貸し出し用の武器って何が空いてる?」
「そうですね……今は片手用のダガーしか無いですね」
受付でなにやら物騒な刃渡り二十センチほどのナイフを受け取っている。
受け取ったナイフをしげしげ見つめながら、彼女は俺がいる方に歩み寄ってくる。
「ダガーかぁ……まあいいや、借りるわねっ!」
ちょっと待て、ネズミ捕りにダガー?
彼女が手にしているのはどこからどう見てもダガーナイフ。それを持って俺に近付いてくる理由は、だいたい想像は出来るが想像したくない。
「これ、とりあえず持っててねっ」
「あ、ああわかった……」
こんなゴツイナイフを使うなんて、この世界のネズミっていったい……
ナイフを受け取ると、そのままアイビーは酒場の外に出ていく。
その後について行き少しすると、ようやく彼女は口を開いた。
「依頼の内容は街の外に出てから説明するね」
「わ、わかった」
なんの疑いもなく返事をしてしまったが、一つ疑問に思う。俺の知ってるネズミは主に家の中に出てくるはずだ。街の外のネズミなんて誰も気にもしないんじゃないだろうか。
「なぁ、俺たちネズミ捕るんだよな? なんで街の外に出るんだ?」
「いやいやネズミが街に出るわけないじゃんっ冗談もほどほどにねっ」
ネズミが家に湧かないとはなんて羨ましい世界なんだ。
微小の嫉妬心を胸に抱いたまま、街からだんだん離れていく。
再び門番さんと挨拶を交わした時に気付いたが、異世界の文字も一応何を意味しているのかはなんとなくわかった。
門の横の立て札に書かれている文字、サラセニア。それがきっとこの街の名前なのだろう。
「今回の依頼はね、街の水源の上流に住み着いたダーティラットを狩ることっ」
「水源の上流? ネズミって普通下流どころか下水にいそうなイメージなんだけど」
ネズミと言ったら汚い水のあるところに居そうなものだ。上流なら綺麗な水が流れているだろうし、むしろ他の動物がいそうなイメージだ。
「この上流にも街があるの、アタシたちの街に来る前に洗浄はしているんだけど、どうしても近くに湧いたのが流れて来たりするんだよ」
ようするに、街の手前までは水が汚い状態で来ちまうから、キレイにしている。でも洗浄前のところで湧いたのが流れてくるというわけだ。
しかしそんなに大げさになるほどのものだろうか。
しばらく歩いて林の中に入っていくと、川の流れる道を阻むような巨大な水車が三つ並んでいる。
水車は本来、水を汲み上げる物のはずだ。しかしどうやらこれは目の細かい網を連続して引き上げるようになっているみたいだ。水車には魔法陣のようなものも描かれている。
きっと物理と魔法の両方で洗浄しているのだろう。
するとアイビーは突然俺の肩を掴む、少し驚いた俺はその場で静止する。
「なんだ?」
「いた……行くよ」
アイビーは静かに腰の剣を引き抜く。両手に持って腰を落とすと、右肩の上に持っていき、刃先をまっすぐ正面に向けて構える。
彼女の視線の先を追うと、あたりの木々の陰にピクピクと動く影。
見間違いではないかと目をこすってもう一度見てみるが、間違いない。しかもその全長は俺たちよりも大きく、ネズミというより熊を見ている気分だ。
「巨大な……ネズミ……!?」
「なんだと思ってたのよ、手本見せるからそこにいて」
俺も不格好ながらダガーナイフを構える。
するとその瞬間、アイビーは低い姿勢のまま木陰に隠れる巨大なネズミ、ダーティラットに向かって走り出す。
一瞬で距離を詰められたネズミは慌てて身をかがめアイビーの突きを間一髪避けた。だが……
ズガァンッ!!
唐突に起きた爆音とともにネズミは勢いよく弾かれるように飛んでいく。
「よしっ次っ!」
今度は横にいたもう一匹のネズミがアイビーに向かって飛び掛かってくる。
両手を広げて鋭い爪を立てた腕を振り下ろすネズミの懐に彼女は飛び込んでいき、どてっぱらを一突き。しかしまだ息があるのか、ネズミは爪を彼女の背に振り下ろす。
ズガァン!!
再び鳴り響く爆音。抵抗もむなしく、二体目も弾き飛ばされる。
地に這いつくばる二体はもうピクリとも動かない。
動体視力にはそれなりに自信があった俺も追えない速度で駆け抜ける彼女に感嘆していると、こちらを振り返った彼女が叫ぶ。
「ソラ! 後ろ!!」
「え?」
後ろを向いた瞬間、目の前に突如現れた巨体は、彼女が戦っていたものと同種のネズミ。
彼女の動きを追うのに集中しすぎて注意をまるでしていなかった。
俺は無我夢中で手に持ったナイフを投げつける。
ナイフはネズミの腹に刺さる。しかし傷が浅いのか、ものともせずネズミは俺に向かってくる。
「うあああああああ!!」
俺は無意識に左足を踏み込み上体を斜めに傾ける。右足を地面と水平に振りかぶり真っすぐ振りぬく。
俺の足の甲は浅く刺さったナイフの尻の部分に直撃し、さらに深く、深く突き刺さる。
すると目の前の巨体は力なく地面に倒れこむ。
「や、やった……?」
「おーやるねっ! じゃあそいつで最後みたいだし、帰りましょうか」
アイビーはこの巨大なネズミ達の足を縄で縛る。俺も見よう見まねで手渡された縄を使い、仕留めた一体の足を縛る。
冷静になってみるとこのネズミはかなり臭い。ドブネズミより臭いんじゃないのだろうか。
縄を引っ張りネズミを運びながら街に向かうが、その強烈な異臭に顔をしかめる。
「いやぁ臭いよね、でもでも、この依頼って誰もやりたがらないから報酬金が高いんだよっ!」
そりゃやたら臭い上に、死体を運ぶ時も臭いに耐えなくてはならない。
誰が好き好んでこんな依頼を受けるのか、と思ったが、現に目の前に受ける奴はいた。
「じゃあ、少しは得したのかな」
「とにかくっ!帰ってシャワー浴びたらご馳走だよっ!」
「ご、ご馳走……」
ご馳走。そのたった一言で全身に溜まった疲労が吹き飛んだかのように足取りも軽くなる。
ここニ、三年はずっと節制をしていた事を考えると腹の虫が鳴き止まない。
街の入り口の門に到着すると、門の手前に何人かの男たちが俺達の帰りを待っていた。
三体のネズミ、もといダーティラットを彼らに引き渡し、アイビーがなにやら紙切れのようなものを受け取っていた。
その後二人で街の酒場に隣接されたシャワー施設で汗と臭いをどうにか落としてから、アクターズカフェの窓側のテーブルでお冷をグイッと一杯。
どうでもいいが臭いを取るのに三度も石鹸を使う羽目に遭った。
しかもこの世界の石鹸は何で出来ているのか、えらく泡立ちが悪く異様に時間がかかってしまった。
「はーいお待たせっ」
一度机を離れて、受付に行ったアイビーが俺のいるテーブルに帰ってくる。どうやら彼女は先ほどの男たちからもらった紙切れを受付に渡していたらしい。
「それで、どうだった?」
「うん、こんだけ貰えたよっ」
アイビーが手にしているのは、顔の大きさ程までに膨らんだ茶色の麻袋。
テーブルに置かれたそれはドシンッジャリンッと重く、そして多くの金属が擦れ合う音を立てる。
その音に周囲のアクター達の視線が集まる。
「ソラは登録無しで依頼受けたから二十パーセント引かれたのに、この金額っいやぁラッキーだったわっ! お姉さん! アップルサワーお願ーい!」
「あ、はーいただいまー!」
テーブルの間を縫って両手にグラスを持ちながら歩く女性が即座に反応し、調理場に戻る。
すると即座にこちらに向かってきて、テーブルに並々酒が注がれたグラスが置かれる。
「え~アズマソラさんでしたっけ? ご注文はいかがなさいますか?」
「あ、えっとよくわかんねぇからおんなじので」
「かしこまりました~」
再び置かれるグラスに口をつける。
味は少しだけ違うけれど、雰囲気は今まで飲んだリンゴジュース。
だがこの幸せな気分になるのはやはり癖になる。飲酒規制の無い世界は最高だ……
「あ、とりあえず今日のオススメのメニュー五種類お願いねっ!」
「かしこまりました~」
「頼み方が豪快だな、今日のオススメってなんだ?」
「本日のオススメはですね~、冷やしトマトにポテト揚げ……あ、ラットステーキの赤ワイン煮込みもですね」
ちょっと待て、今最後おかしなものが混じっていたような気がするぞ。
既に俺たちに背を向け調理場に向かうウェイトレスさんの背を見送りながら、俺は横目でアイビーに視線を送る。
彼女の表情や落ち着かない素振りは、まるで好物を出される前に胸躍らせている子どものように見える。
「なぁ最後に言ってたステーキ……カットステーキだよな?」
聞き間違いであることを祈って、俺はもう一度、念の為もう一度聞いてみる。俺の幻聴が嘘だという、一ミリの希望に
「ラットステーキだよっ」
「……なんて?」
「ラットステーキ」
一ミリの希望が、あっけなく打ち砕かれた。
数秒の沈黙の後、彼女は嬉々として語り始めた。
俺たちが先ほど狩ってきた化けネズミは、皮や内臓は臭いらしいが肉はそれほどでもなく、しかも歯ごたえがあって人気のメニューなんだとか。
なるほど、駆除だけでなく物資としての需要もあるからこそあの報酬だというわけだ。
しかし、あれだけの異臭を放っていたものを口にする。それどころかさっきまで生きていた生き物を食べるなど……
「お待たせしました~ラットステーキです~」
「きたきたっ! いただきまーすっ!」
彼女は俺の目の前で、次々に一口サイズの肉を小さな口に放り込んでいく。テーブルの真ん中に備え付けで置かれたフォークで肉を刺すと口の前に持っていく。
「い、いただきますっ!」
臭いは、確かに聞いていた通りだ。想像より、というかまったく臭い匂いは感じない。
俺は覚悟を決め、目をつむって口に放り込む。
「ん? ……んん!?」
噛んで、飲み込む。もう一つ、口の中に放り込んではまた噛んで、噛んで、噛んで飲み込む。
なぜだろう、フォークを動かす手が止まらない。というかこれは普通に……いや……
「メッチャうめぇ!!」
「なっ! 食べるの早すぎだよっ! アタシのだってあるんだからねっ!」
「う、うっせぇ! こんなうまい飯をお前だけに食われてたまるか!」
気付けばアイビーとの早食い対決になっていた。
それから次々と持って来られたものも全部手が止まらないほどにうまかった。
料理を食べ終わった頃にはすっかり日が落ちていた。こんなに腹一杯になるまで食べたのは本当に久しぶりだ。
軽く膨れた腹を擦りながらテーブルに寄りかかる。
「どう? 結構アクターの生活も楽しいでしょ?」
「ああ、確かになぁ……でも今日はもう帰るよ」
だいぶ長い時間、この異世界の街、サラセニアにいてしまった。
よくよく考えれば時間の流れる速度も同じかも定かでないのだから、少し急がないといけないだろう。
「悪いけど、また頼むよ」
「わかったっ!じゃあ行こっか!」
しかし俺が帰るには彼女の力が必要不可欠だ。
俺が頼むと、彼女は笑顔で快く承諾してくれる。こんな世界に連れてきてくれたことは、本当に感謝してもし足りない。
テーブルに食事の代金分だけの硬貨を置いくと、アイビーは俺の肩に手をかける。視界がホワイトアウトし、意識が一瞬途絶える。
帰ったら少し寝て、学校は昼からにでも行こう。たまにはうまい飯を母さんに作ってあげよう。
また、この世界に来よう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます