第2話 お気に入りのカクテル

 視界がホワイトアウトしてからほんの一瞬、夜の部屋の電気とは比べ物にならない強烈な光が、閉じられた瞼(まぶた)越しに俺の目を刺激する。

 眩しさに耐えながらもゆっくりと目を開くと、俺の目に映ったのは、一面に広がる大草原。

 俺の田舎も結構なド田舎だが、ここまで見晴らしのいい草原は見たことがない。


「どうかな、信じてくれた?」


 突然背後から聞こえてきた声にぎょっとして振り返ると、そこには俺をこの場に連れてきた張本人であろう女。状況が読めない俺は彼女に詰め寄る。


「おい、ここはどこだ? さっきまで夜だったのになんで昼になってる!?」

「さぁどこでしょう? ヒントはキミが来たがっていた場所だよっ」


 俺が来たがっていた場所。たったそれだけで額(ひたい)から吹き出す汗が止まらなかった。まさかとは思うが、小説や漫画じゃあるまいし……


「ぶっぶー! 時間切れっ正解はキミたちの世界から見た異世界! アタシの世界だよっ!」


 胸の前で人差し指をクロスさせ小さなバツ印を作ると、彼女は無邪気な笑みを浮かべる。

 しかし相対的に、俺の顔面は青々としていく。真っ先に頭をよぎったのは帰られるのかどうか。もし帰れないとなれば冗談ではない。

 俺は彼女に詰め寄るとその両肩を掴んで声を荒げた。


「おい! お、俺は帰れるんだろうな!?」

「安心して、アタシがいればいつでも帰れるから」


 その一言を聞いて安堵すると同時に、柄にもなく声を荒げてしまった先ほどの自分の姿を思い出し今度は顔が真っ赤になる。

 そんな俺の状態を知ってか知らずか、彼女は俺に背を向けると、真っすぐその目線の先に指をさす。その指が向く先を見るとそびえ立つのは巨大な壁。


「この壁の向こうがアタシの暮らしている街でね、お礼はそこでするよ」


 壁に沿って歩く彼女の後ろをついて行くと、この壁が円状になっているのがうかがえた。それにかなり広い範囲を囲っていることもわかる。壁の高さは数十メートルといったところか。


「おお、アイビーか。今回は遅かったじゃないか」


 上を見上げていた俺は突然の声に驚き前を見ると、壁の一部が大きな門になっていた。

 声がしたのはその門の脇、見れば受付カウンターのようなところに小太りなおじさんが座ってこちらを見ていた。

 アイビー。というのはもしかすると、この女の名前なのだろうか。


「ただいまっストレイさんっ! 手続きお願いしてもいいかな?」

「それは構わんが、そっちの坊主は?」


 二人の視線が一気に俺に集中する。どう反応したものかとオロオロしていると、彼女はカウンターに両手をついてニッカリ笑いかける。


「アタシの命の恩人かなっ! えっと名前は……」

「あ、我妻蒼空だ」

「そうアヅマソラ……なんか変な名前だね」

「そういうお前はなんて名前なんだよ」

「あ、そいえば自己紹介してなかったね、アタシはアイビー! 呼び方は任せるよ」


 なんだか外国人の名前みたいだ。

 ふと、そもそもな疑問が浮かび上がってきた。俺は日本語以外はまったくわからない。英語はおろか、異世界の言葉なんてもってのほかだ。

 つまり彼女たちが使っているのが日本語だということなのだろうか。


「えっとさ、なんで違う世界のお前らが日本語使ってんだ?」

「それはね、アタシがキミにあらゆる言語を自分の世界基準に聞こえるように、そして伝わるように翻訳する魔法を事前にかけておいたからだよっ……ちなみにアタシの魔法の届く距離にいないと効果なくなるから、気を付けてね」


 魔法って……何を言ってるのかと否定したくなる。

 しかし、こんなところに突然連れてこられた手前、頭ごなしに否定して後で恥ずかしい思いをするのはごめんだ。

 一人無言で考え込んでいると、目の前の木で出来た門がゆっくりと開く。

 とりあえず納得してカウンターの向こうにいるおじさんに小さく会釈(えしゃく)を済ませ、俺はアイビーの後ろについて行く。


 壁の中に入ると木やレンガ、石など様々な素材で作られた建物がいくつもならんでいるのが目に入った。

 街の雰囲気は、壁の外とは打って変わってとても賑やかだ。笑いながら街を歩く人々、威勢のいい声を張り上げてお店の商品をアピールする人、すれ違いざまに街の外に向かっていく馬車。その全ての人の表情に笑みが溢れている。

 俺はこの雰囲気は好きだが、完全にアウェーな状況下のため、どうしてもよそよそしくなってしまう。

 そんな俺の状況を知ってか知らずか、アイビーは街行く人ほぼ全員に手を振って歩いていく。その後ろをついて行くのはなかなか恥ずかしいような気がしてならなかった。


「アイビー、俺たちはどこに向かっているんだ?」

「んー簡単に言うなら、街で一番大きな酒場かな」

「さ、酒場?」


 酒と聞くと俺は少し身構えててしまう、これでもまで14歳だ。法律的に飲酒はどう考えてもまずい。

 そんな俺の気持ちを知りもしない彼女は、慣れた足取りで迷うことなく進んでいく。

 やがて今まで見た建物の中でもとりわけ大きな建物の前で立ち止まると、アイビーはその扉を勢いよく開く。


「マスター! たっだいまーっ!」

「ん、アイビーか、7日ぶりだな」

「うんっとりあえずいつものを二人分!」

「昼から飲むとは、良いご身分だ」


 酒場と聞いて入った建物はとてつもなく広い吹き抜けの大広間だ。

 アイビーは入り口からすぐ右に曲がってこじんまりとしたカウンターに向かった。

 カウンターの向こうには大量の酒瓶が陳列された棚、そしてカウンターと棚の間でコップを磨いている男が、アイビーと親しげに言葉を交わす。

 マスターと呼ばれるその男は顎ヒゲに黒基調の紳士を思わせる服装で大人の風格を醸(かも)し出している。

 アイビーはカウンターの椅子に座ると俺を手招きしてくる。言われるがまま隣の椅子に座ると、薄めの桃色の液体と木苺のような小ぶりな果物の入ったグラスが二つカウンターに置かれる。


「このカクテルはねっアタシのお気に入りなのっ!」

「いや、俺まだ未成年なんだが……」

「未成年? どういうこと?」

「いや、俺の国じゃ20歳なるまで酒は飲んじゃまずいんだよ」

「この国はお酒に年齢制限なんてないよ?」


 その言葉に一瞬心が躍ると同時に、少しだけ不安になる。ずっと気にはなっていたが酒には一度も手を出したことがない。

 俺はグラスを手に取ると横からアイビーがその手に持ったグラスを差し出してくる。


「じゃあ、アタシたちの記念すべき出会いにっ!」

「お、おう……」


 二人のグラスがカランッという弾む音を互いに奏でる。一度口の前でグラスを静止させてジッと見つめる。

 自分が酒に弱くないことを祈りつつ、グイッと一気に流し込む。

 口一杯に広がる桃のような甘味にイチゴのような酸味、それに何よりポゥと頬が熱くなる感覚。だがこれはどちらかというと癖になりそうな心地良い感覚だ。


「まぁ、これがアタシのお礼かなっ」

「お兄さんかなり気に入られたみたいだな」

「どういうことです?」

「そのカクテルは、常連のアイビーのオーダーでしか作らないんだ。それを来て初めてで飲ませてもらえるなんてな」


 気に入られるとかいうのは正直どうでもいいが、これは確かにうまい。しかしそれよりも気になることがある。


「アイビー、ここはただの酒場にしては随分大きくないか?」

「あーうん、ここは酒場とアクターレセプション、それにアクターズカフェの複合施設だからねっ」

「あ、あくたー?」


 英語はからっきしな俺にはアイビーが何を言っているのかいまいち理解できない。するとアイビーは椅子から立ち上がって俺の腕を引く。


「とにかく見てみた方がいいよ!こっち来て!」


 その腕に引かれるまま俺は、大量の紙切れが張られた3メートル四方はあるであろう掲示板の前に立たされた。

 掲示板の上を見ると、見たこともない文字が刻まれた木の看板がかけられている。


「ここがアクターレセプション。キミの国の言い方にするなら、依頼掲示板かな、アタシたちアクターはここで街の人の依頼を受けて、それを達成した報酬で生計を立てているんだよ」

「それが、アイビーの仕事か?」

「うんっ困ってる人の為に働いてその分の報酬をいただくのっ! アクターはアタシ以外にもたくさんいるんだよ」


 するとアイビーはたくさんの背丈の高い丸テーブルがさくさん並んだスペースに向かい、そこで丸テーブルを囲み、立ちながら飲み食いするいくつもの集団に手を振っている。


「ここがアタシたちアクターの憩いの場、アクターズカフェだよっアクターに登録している人はここのメニューが半額で食べられるのっ」

「じゃあもしかして、ここにいる人はみんあアクターなのか?」

「そだよっそういえばアズマソラは仕事はなにをしていたの?」

「仕事はしてねぇよ、俺はまだ学生だから」


 そう、俺は家があれほど貧乏だというのにバイトすらしていない。

 学校側が認めていない上に、あれだけ世間の狭い町だとすぐにバレて辞めさせられるのだ。

 現に一度、晴輝の奴はそれでバイトを辞めて停学を受けている。

 それと、ついでに気になっていたことがある。


「あのさ、俺の名前フルネームじゃなくて良いから、我妻か蒼空か、どっちかで呼んでくれ」

「じゃあソラにしようっ!」


 それを確認すると、俺はもう一度依頼掲示板、アクターレセプションを見てみる。

 張り紙の内容は多種多様で店番や配達、納品に魔物討伐なんてものもある。

 すると、突然後ろから肩をつつかれる。振り返るとやはりアイビーがニッカリと歯を出して笑っている。


「興味あるならやってみる?アクターのお仕事っ」

「は? ……えぇ!?」

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