奪われたくない少女の想い(後編)

 美緒は必死だった。

 彼を誰にもとられたくないと必死だったのだ。


 彼に告白をした。信じられないほどに緊張したけれど、勇気を出して告白した。そんな初めての恋の告白だったが、彼の答えは『恋に興味はない』だった。

 それを学年番長が見ていた。


 その番長――箕輪みのわ秋吉あきよしは、クラスは別だがいつも周りの皆の笑いを誘っていて、全校集会での校長の話にもツッコミを入れるような少年だったので、美緒もよく知っていた。


 告白シーンを見られたということに、美緒は気づかなかった。

 しかし、フラれてしまったのだ、諦めるしかないのだろうかと、ただただ涙を流していた美緒を見た箕輪は、美緒の意図とは関係なく、転校生に復讐しようと目論む。

 箕輪は直接、気持ちを美緒に告げることができずにいたが、美緒に恋していたから、彼女を泣かせるものは断固として許せなかった。


 しかし、その復讐は、手下を従えた完全なるいじめで、転校生の彼は孤立していく。


 自分が原因で彼がいじめられていると知らない美緒は、孤立していく転校生を見て『助けてあげなきゃ』と思うよりも先に『これで彼が他の人と付き合うことはないだろうな』と思って安堵した。

 その安堵に、美緒は愕然とする。


 私はいつから、いじめられてる人を見て――好きな人がいじめられてるのを見て、こんなことを思うようになってしまったの?


 しかし、噂が聞こえてきた。箕輪が転校生をいじめているのは、美緒のことが好きだからだと。転校生が美緒をフッたから、それが許せないからだと。


 その噂を聞いた時、美緒は半信半疑だった。けれども、ある可能性を考える。

 そんな中、箕輪に人気のない裏庭に呼び出された。


 いつもひょうきんで元気な箕輪は、めずらしく大人しく顔を赤らめて下を向いていた。


「話って何?」


 美緒が訊くと、意を決したように一度深く頷いて、声を張り上げる。


「ミオちゃんが好きです! 付き合ってください!」


 告白され、美緒はまず、噂は本当だったんだ、と驚いた。

 次に、私の好きな人をいじめておいて、よく私に告白できるなぁ……と、妙に冷静な頭で思った。


「ミノワ君は……あたしが好きだから、篠原しのはら君をいじめてるって、聞いた」

「そうだよ、これだけいじめてやれば、そろそろミオちゃんもフラれた悲しみとか、わだかまりとかなくなって、スッキリしてるかなって思って。だから、思い切って告白しました!」


 そういう思考回路だったのか、とぼんやりと思った。

 それならば、私が言ったらいじめはやめてくれるのではないか。彼がこれ以上傷つくことを止められるのではないか。

 箕輪がいじめをしているのは美緒が好きだから、と言う噂を聞いた時から頭の隅にあった可能性を、改めて考える。


「じゃあ、いじめはもうやめるの?」

「ミオちゃんが満足したなら、やめる」


 好きな人がいじめられて、満足なんかしない。

 でも――


「少しだけ、待って。待ってくれたら――付き合うのはまだ無理だけど、友達からなら……いいよ」


 箕輪はとても晴れやかな笑みを満面に浮かべた。


 美緒は、自分の中にある黒い感情に自分で絶望する。



     * * * *



「私と付き合ってくれたらね、そうしたら、ミノワ君たちにいじめはやめてって言ってあげられるんだけどな……?」


 こんな酷いことを、なんで私の口は好きな人に言っているのか。


 そんな風に自己嫌悪に陥りながらも、美緒は彼にそれを提案する自分を止められない。

 そんなことをしてまで、彼を手に入れたいのに。これほどの自己嫌悪に勝るほどに彼を想っているのに、また「ごめん」と断られたことに心をかき乱される。


 ――なんで手が届かないんだろう……。


 ある日、自分が彼を好きになった時と同じように、女の子の落としたマスコットを拾って笑顔になっていた彼を見た。その相手の女の子の、持っていたそのマスコットを盗め、とミノワたちにお願いをした。


 同じような状況の、彼の笑顔。それを見たあの女子は、自分と同じように彼を好きになったのではないか……そして、彼をとるのではないか……。そんな不安がつのって仕方なかった。


 なぜこんなに不安がつのるのか。自分が嫌な子になっていくのか。


 姉の顔が思い浮かぶ。

 色々な言葉を使って、美緒から物を取り上げていた。取り上げられていると美緒が気づかないうちに、いくつも。


 そのことを、大して悪びれてる様子もなく謝る姉の姿。

 こんなに悔しいのに、悲しいのに、姉は大して悪いと思っていない。


 それなら周りのみんなは? にこやかな友達たち。でもその中に、にこやかに私の大切なものを奪っていく人がいないと言い切れる?


 そう思うと、嫌な子になっていく自分を美緒は自分で止められなかった。


 誰か、私を止めてほしい、と、その夜、美緒はベッドの中で泣いた。



    * * * *



 美緒は彼から呼び出しを受けた。

 今まで美緒が何を言おうとも、無反応一歩手前だった彼に。

 どんな話をするのかわからないのに、心が高揚した。

 やっと私の何かが彼に響いたのだと感じた。


 呼び出された裏庭。そこは美緒が彼に告白したのと同じ場所だった。

 彼に特に意図はなく、二人きりで話をするのにうってつけだから、という理由だけでここに呼び出したのだろうということを、美緒はわかっていた。しかしなぜだかドキドキが止まらない。


 笑顔が止められないまま「話って何?」と促す。


「昨日、あんたとは絶対に無理だってこと、確信した」


 しかし彼の口から飛び出したのは、美緒への拒絶の言葉だった。

 なんでいきなりこんなことを言われるのだろう。

 私はまだ、彼には直接何もしていないつもりなのに。

 そう美緒は考え、訊ねる。 


「どういう……こと?」

「人踏みつけて、それで平気な顔して勝った気になってるようなヤツは、どんな形でも好きになれない」


 ああ、バレてしまったのだ。バレてしまったのだ。私の嫌なところが。


 バレてしまったのは、自分が持つ最も嫌なところなのだとわかっていたのだが、美緒はバレる失態をしたのだろう箕輪たちに憤る気持ちが止められなかった。


「何やってんのよあいつら」


 と思わず呟いてしまう。


 どうしようどうしようと、美緒は混乱する。

 私の嫌の所を見られた。知られた。

 どうしよう。このままでは、絶対に彼は私の所に来てくれない……!


「違うの篠原君。悪いのは根岸ねぎしさんの方なの。根岸さんが――」

「ミノワたちが、『篠原に近づいた女をぎゃふんと言わせる』とか言ってた。俺とちょっと話したってだけで、そんなに悪いこと?」


 もうだめだ。取り繕うことはできない。もう……。もう……!


「そうよ。篠原君は私のものだもの。私を好きにならなきゃいけないのに、他の女の子となんて……!」


 私に向けてくれた笑顔を他の人にも向けないで……!


「ほかの人間を蹴落としたからって、それであんたの魅力になるわけじゃない。それで俺があんたを好きになるわけじゃない。それに……ごめん。俺、好きなやつできた」


 ウソ……。と美緒は愕然とする。


 彼が、他の人のモノになってしまう……。

 美緒の心に絶望感が広がる。心が折れそうになる。なんとか「誰よ……」と声を絞り出すことができた。


 また私の大切なものを奪っていくのは誰なの?


「あんたの知らない人」


 泣かないように我慢した。それとも泣いて同情でも引けばいいのか。

 わからない。どちらとも決められないまま、涙がこぼれた。


「篠原君……恋には、興味ないって……」

「そいつは、俺を喜ばせてくれるんだ。大事に想ってくれるんだ。あんたみたいに、いじめを止められるのと引き換えに付き合って、て言ったり、人を蹴落としたりなんてしない」

「両思いなの……?」

「……いや」

「だったら!」


 美緒の目からは、同情を引こうとか、格好の悪い涙を流したくないとか、考えられないうちに次々と涙が流れ落ちた。


「その人は篠原君のことに必死になってないだけだよ! あたしは! なにしても篠原君にあたしだけを見てほしいって……!」


 なんでお姉ちゃんは言葉一つであたしの大切なものを奪っていけたの?

 なんでこんなに必死な私は、彼を手に入れられないの?


「そうかもしれないけど、でも、俺、決めたんだ。恋をしたからって、人を傷つけたりしないって。信じることにしたんだ。だから、あいつのことも信じる」


 わからない。わからない。わからない!


「ごめんな」


 けれど、けれど……けれど…………。


 嫌な子になる私を止めてほしいと思っていた私を、彼は止めてくれたんだ……。


 そう思って、美緒はさらなる大声で泣いた。



    * * * *



 彼に告白をし、彼に拒絶され、しかし、悪い子に向かっていく私を止めてくれた……美緒がそう感じる、その出来事があった、大切な話をするにはうってつけな、裏庭で。

 美緒は箕輪に大切な話をする覚悟を決めて、箕輪と対峙する。


 対面し、箕輪が何か口を開く前に、美緒は深く頭を下げた。


「ごめんなさい。あたし、ミノワ君とは友達になれない」


 美緒に告白してくれた箕輪。

 美緒に協力してくれた箕輪。

 協力してくれたら、友達になる、と約束した。


 それなのに、断ってしまうのは心苦しいのだけれど……。


「え?」


 と、箕輪は驚きの表情をする。そして、頭を下げ続ける美緒には表情は見えなかったが――


「じゃあ、ミオちゃん、彼女になってくれるんだな!」


 満面の笑みで弾んだ声を箕輪は上げた。


 え……? と美緒は心の中で予想外の言葉に驚いたが、頭を下げ続けたままふるふると、頭を振り、箕輪の言葉を否定する。


「約束したし、お礼する、とも言ったのに、こんなこと言うのおかしいって思われるかもしれないけど、でも。何かの引き換えに友達になったり、彼女になったりするのって、おかしいって、思ったの」

「え? ミオちゃん、なに……言ってんの……?」

「あたしも、篠原君のこといじめてるのと……おんなじ……みたいなことしといて、こんなこと言うの、おかしいと思うし、ミノワ君ばっかりを悪いって言うのは……あたしがしちゃいけないと思うけど……でも。あたし、篠原君のこと、もっと……好きに……なっちゃったの。だから、ミノワ君とは、仲良くできない」


 沈黙が続いた。

 美緒はその沈黙の意味が、箕輪がショックを受けている間だと思って、耐え難くなったが、頭を上げないまま、次の言葉を待っていた。


「篠原に……なんか脅されてんだな?」


 美緒は驚いて頭を上げた。


「あいつに、言えって言われたんだろ?」


 目を見開いて、美緒は箕輪を見る。

 髪をわずかに揺らしながら、震えるように首を振る。


「そんなこと言われてないよ」

「じゃあなんで! あいつのこともっと好きになるんだよ!」


 美緒は、箕輪の目に涙が滲んでいることに気づいた。

 驚いた美緒は何も言えない。

 少しの沈黙の後、箕輪は振り返り、走り去ってしまった。


 その次の日から、箕輪はいじめをしなくなった。

 箕輪のいじめにつられて、彼と友達になってはいけないという空気になっていた教室から、その嫌な空気が払われて数日が経った。

 そんなある日だった。

 箕輪が顔に大怪我をして登校してきたのは。


 いくつも貼られた大きな絆創膏から、痛々しい傷がはみ出している。

 そして箕輪は、怯えたように周りを警戒するように神経を尖らせていた。

 美緒は、何があったか知らないが、これだけ怪我をした体でわざわざ彼にいじめなど行わないだろうと安堵した。


 そんな中、噂が広がるようになる。

 箕輪は篠原に怯えていると。怯えている理由は、あの怪我をさせたのが篠原だからなのではないか、と。

 真相は判明しなかった。しかし、その噂のせいで、再び彼は孤立していった。


 それでも美緒は、彼に話しかけた。

 真相を探るわけでもなく、言い寄るわけでもなく、ただの雑談をするために。


 最初はそっけない反応しか返ってこなかったが、少しずつ、会話が続くようになっていった。美緒はそれを嬉しく思った。


 小学六年になり、クラスが変わって、美緒と彼は離れてしまった。

 それでも時々、美緒は彼のクラスに足を運んでいた。

 いまだに孤立している彼を、少しでも自分が孤独から救ってあげられれば……。それで酷いことをしたことの償いになれば……と考えて。


 そんな美緒の姿を見て、箕輪の友人――周りからは箕輪の手下と思われているが、まぎれもなく箕輪の幼馴染で友人の原田が、箕輪にぽつりと言った。


「あのまま、ミオちゃん、篠原と女がうまくいっても、健気に篠原と仲良くやるつもりなのかな」

「な! つまりミオちゃん、ずっと篠原を好きなまま、一生独身ってことなのか?」

「そこまで言ってねぇけど」

「そんな、ミオちゃんが一生幸せになれないとか、あっていいわけないだろ!」


 そして箕輪は、美緒に事の真相を教えた。

 自分にあの大けがをさせたのは篠原なのだと。ミオちゃんではない、他の女のことを考えてパニックを起こして、暴力をふるうような、あいつはそんな恐ろしいヤツなのだと。

 だから仲良くするのは今すぐやめろ、と。


 箕輪はただ必死に訴えた。

 ミオちゃんが幸せになれないなんて嫌だ、ただそう思って訴えた。


 しかし、箕輪の話を聞いて美緒が思ったことは『ミノワ君を追い詰めたのは自分で、篠原君に酷いことをさせてしまった』ということだった。


 もしかしたら、今、彼が孤立しているのも、全部全部自分のせいなのかもしれない。ううん。今だけじゃない、昔のいじめも全部自分のせい。

 そんな女が側にいて、償えるだろうか。償ったからと言って、罪が消えるだろうか――

 

「わかった。あたし、篠原君と仲良くするの、やめるね……」


 美緒はそう言い、箕輪は安堵の表情を浮かべる。


 いつかまた、知っていても知らずとも、彼を傷つける時が来るのではないか、そう思えてしまって、彼の側にいるのは、いけないことのような気がした。


 だから――好きだから、傷つけたくなくて、美緒は彼から遠ざかろうと考えた。

 箕輪がその場を離れた後、美緒は泣いた。


 家に帰り、自室で一人でいると、彼と仲良くしないと決めたことを、改めて実感してしまい、また泣いた。


 声を殺していたが、廊下にまで泣き声が聞こえていたらしい。

 遠慮がちなノックが聞こえる。美緒は返事をしなかったが、もう一度ノックの音がして、しばらくたった後、ドアが開いた。


「みーやん、だいじょうぶ?」


 皐月だった。


「いや、思いっきり泣いてるし、大丈夫じゃないよな」


 皐月は部屋に入ってきて、ベッドに座る美緒の隣に座った。

 肩を抱いて「泣きたいだけ泣けばいいし、話が聞いて欲しかったら聞くよ?」と、優しい声で言った。


「こんなことしたら、お姉ちゃんに悪いよ」


 皐月は姉の彼氏なのだと思ってそう言ったが、肩を抱く皐月を押しのける気力はなく、抱かれたままでいた。

 それでも、今これ以上、罪悪感を持つのがつらくて、さらに涙が溢れた。


「どうなのかな。俺としては、目の前で泣いてる女の子を慰めない方が罪って気がするけれど」


 罪――その言葉に、体が震える。


「皐月君は――お姉ちゃんがあたしから、いろいろな物を奪ってるって、知ってたでしょ?」

「うん」

「でも、皐月君は、お姉ちゃんのこと怒らなかった。それに、嫌いにならずに付き合ってる」

「うん」

「どうして?」

「うーーん」

 皐月はしばらく唸って、そして黙って、考えていたが、口を開いた。


「いろいろと寂しかったり、みーやんにやきもち焼いてたりしたみたいでさ。説教するより、愛してあげた方が効果的なんじゃないか、なんてキザなこと考えたから、かな?」

「愛してあげる……」

「うん。もちろん、莉々と一緒にいるのはすげー楽しいってのが大前提で付き合ってるけど。……って、こんなこと訊くってことは、みーやん、誰かに傷つけられた? それで許すべきかとか考えてる?」


 美緒は、肩に回っている皐月の手に自分の手を置いて、小さく首を振る。


「違うの。あたしが嫌な子なの」

「そっか。罪悪感で泣いてんだね」


 皐月はまた唸って、沈黙して、しばらく何を言ったらいいのか考えているようだったが、やがて口を開く。


「反省するのはいいことだけど、自分を嫌いになるのはダメだと思う。自分のことだって愛してあげなきゃ」


 美緒の心ではその言葉に、納得できるような納得できないような、複雑な気持ちがせめぎ合った。


 嫌いになってはダメ。それはわかるけれど、自分ではない他人が嫌な子だったら、愛してあげるなんてできないでしょう? そう思ってしまう。

 嫌な子だから嫌いになる。それは、自分自身のことでも例外ではないと思ってしまう。


 けれど、美緒はクスリと笑った。


「ホント、皐月君ってキザなことサラッと言うよね」

「よかった。みーやん、笑った」


 そう二人で笑いあうだけで、何かが少しだけ許されて、救われた気がした。



    * * * *



 結局、美緒は彼と仲良くすることをやめた。

 二学期に転校してきた男子に、告白され、付き合うことにしたのだ。


 彼には好きな人がいる。そんな中で、自分のことを好きな女が隣にいる、というのは複雑な気分になるのではないか、と考えたからだ。

 それに、ずっと彼の側にいると、きっと、うじうじと考える自分を止められない。自分を愛してあげられない。

 だから新しく出発することにした。


 告白してくれた男子のことはまだよく知らない。

 けれど、その男子も、柔らかく優しい笑顔の持ち主だった。



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