39 再会

 カコトリアの夢は二度と見ることがなかった。けれどもふとキャンディを見かけたような気がして振り返った。東京銀座四丁目交差点に多国籍自動車会社エレクトロネスが新しくオープンしたロボットショールームのキャンペーンガールの一人がキャンディによく似ていたのだ。ただし仮人は技人(批判的な人からは擬人または偽人)とよばれていた。英語では仮人はフェイクヒューマノイド、技人はメカニカルヒューマノイド(メカノイド)、擬人・偽人はスードヒューマノイドである。まだ見た目で人と見分けがつく段階の人型ロボットはヒューマノイドロボットという。このほかに亜人(バイオノイド)がある。これはロボットではなく、遺伝子工学的に擬制進化させ、あるいは人工発生させた人の亜種であり、正確にはホモ・サピエンス・アンドロイドスとよばれる。亜人には長寿命型(不死型)と超能力型(ミュータント型)がある。遺伝子疾患治療及び予防以外の目的の遺伝子整形術は国際条約で禁止されているので、亜人は違法である。バイオノイドとメカノイドのハイブリッドはバイオメカノイドという。


 待望されていた技人の販売がついに日本でも解禁されたことは喜ぶべきことだろうか。これで人口減少と少子高齢化による高負担低福祉(介護貧困)が問題ではなくなると歓迎される一方、失業者が増える、技人支配の時代が来るという批判も根強く、ショールームの前では反対派がピケを張っていた。しかし道行く人の視線はピケに冷淡だった。キャンペーンガールのかわいさに眼を奪われてしまうからだ。

 それにしてもレジスタンスの闘士だったキャンディが、自動車会社のキャンペーンガールとして技人のマーケティングに一役買うことなどありえるだろうか。彼女に会って確かめたかった。だけど考えてみれば夢で出会っただけで現実の彼女は他人なのだ。

 それでも気になってならず、キャンペーンガールの素性を調べてみると全員が技人だった。技人のショールームなのだからさもありなんである。夢はあっけなく覚めた。それにしてもキャンディにそっくりだった。

 彼女と同型の技人を入手できないかと自動車会社に問い合わせてみた。すると技人は一体ごとにオリジナルでコピーが作れず、またキャンペーンガールは売り物でもないと言われた。技人はカコトリアの仮人と同様に人格のある存在でロボットではないのだ。

 それでようやく真実に気づいた。夢の中のキャンディも、彼女の両親のどちらかも仮人だったのだ。17歳だった彼女は18歳になると記憶を消去されて、反逆していた自動車会社のキャンペーンガールになったと考えれば辻褄が合う。しかし夢の中の彼女は食事をしていたし、カスケードも経験したと言っていた。それでも仮人だったのだろうか。

 夢の中の出来事をいまさら調べるすべはないものの、キャンペーンガールの彼女はたとえ技人だろうと実在する。なんとか彼女と会えないかとショールームの前に毎日通った。ロボットに恋するなんて漫画かドラマの中だけの出来事だと思っていたのに、彼女が仮人だと疑いながらも執着を断ち切れなかった。バーチャルアイドルに恋するオタクに呆れていたのに、ほんとうにありえるのだと思った。


 技人がただのロボットではなく人格があるというなら私生活があるに違いない。テーマパークのアトラクションの人形とは違うはずだ。キャンディには今どんな私生活があるんだろう。そう思っている矢先、ショールームの前で見知らぬ男に声をかけられた。

 「よくお見かけしますね。あなたもグルーピー(追っかけ)ですか」

 「え?」

 「どの子を押してるんですか」

 「キャンディ」

 「そんな子いませんよ」

 「センターの右の子」

 「ああ、アリストテレスちゃんですね」

 「え?」意外な名前に驚いてしまった。

 「クリスティナ・ベアトリーネ・アリストテレスちゃんですよ。ニックネームはクリスだけど、アリストテレスちゃんの方がかわいいから、コアなファンはクリスちゃんとはよばない。クリスチャンみたいだし」

 「なるほど」

 確かにキャンディのほんとうの名前はクリスティナ・ベアトリーネだった。ベアトリーネが名前で、クリスティナは自分でつけたハンドルネームである。姓はなかったはずだ。18歳になって母の姓を承継したのだろう。父母どちらの姓も選べるけれども、同性の親の姓を選ぶのが普通だ。

 「ファンの集いに出ますか。握手会とかチェキ会とかありますけど」

 「どこであるんですか」

 「今夜は六本木のマリットですよ。ツイッター、チェックしてないんですか」

 耳寄りの情報を得てファンの集いに出てみた。マリットの隣も偶然かもしれないがエレクトロネスのロボットカーのショールームだった。乗り捨てると後輪で立ち上がり、2m×1mの駐車スペースで済むというコンパクトカーだった。さらにこの状態から運転席に乗り込むこともできた。

 地下の小さなライブハウスは満場で立錐の余地もなかった。

 ステージが終わり、握手会が始まるのを待った。それぞれ贔屓の子の前に長蛇の列ができた。握手券とチェキ券を買ってからアリストテレスちゃんの列に並び、一時間待たされて念願の握手をした。覚えていてくれることを期待したのに他のファンと待遇は同じだった。再会は一瞬だけであっけなく終わった。チェキを撮るにはもう1時間並びなおす必要があるといわれた。一体なにをしてるのか、なにを期待していたのかと情けなかった。チェキはあきらめて六本木を逍遥した。


 「先生、おひさしぶり」

 すっかり夜になった六本木交差点でいきなり声をかけられ、振り返ると紛れもなくキャンディだった。いつの間にマスターしたのか、流暢に日本語を操っていた。でも再会は喜べなかった。こっちとしては合わせる顔がなかったのだ。

 「さっきは無視してごめんなさい。カコトリアの研究は進んでらっしゃるかしら」

 「記憶を消されなかったんだ」

 「なんのこと」

 「いやなんでもない」

 彼女は仮人でも技人でもなかった。そうなら18歳になったときに記憶を消去されたはずだ。クリスティナ・ベアトリーネ・アリストテレスのプロフィールに偽りありだ。それとも夢で出会ったキャンディは17歳ではなかったのかも。今となって真実はどうでもいい。

 「これからクラブにシシャバを吸いに行くとこだけど、先生も行く?」

 「タバコは吸わない」

 「タバコじゃないのよ」

 主導権はすでにキャンディにあった。彼女についてクラブに入り、適当なシシャバを頼んだ。なんの害もない水タバコだった。それでも装置が仰々しいので一見すると阿片窟にいるようだ。

 「よく日本に来れたね」

 「先生が自動車会社に潜入されるというお約束だったけど、じれったいからわたしが先に潜入してみたわ。コネを買うお金はたっぷりあったし」

 「どんなところだった」

 「資本主義の象徴、欲望の大機械ね」

 「どういう意味?」

 「カコトリアが革命で否定した政治家、官僚、メディア、大学、株式会社、それはみんな欲望の機械だったわ。自動車会社が一番大きかったから、大機械ってところね」

 「欲望の大機械を否定したカコトリアの革命は去勢だったことになるかな」

 「カコトリアにも欲望はあるわ」

 「欲望する人間は残ったってことかな」

 「人間は去勢できないってことね」

 「機械も欲望をもてると思う?」

 「人工知能が欲望する機械になったの」

 「仮人も欲望する機械なのかな?」

 「一人一人の仮人には欲望がないように見えるけど、全体としての仮人は欲望する機械の一部よ」

 「仮人を世界同時発売した自動車会社の狙いはなに?」

 「キャンペーンガールにそこまではわからない。それは先生の仕事でしょう」

 「自動車会社が欲望する大機械になったのはいつからなのかな」

 「もちろんT型フォードからよ。地上を自動車という欲望の小機械で満たそうとしたでしょう。20世紀はレコードと映画とテレビという欲望の小機械で埋め尽くされ、21世紀になってからはスマホという欲望の小機械で埋め尽くされ、今は世界を仮人という欲望の小機械で埋め尽くそうとしている」

 「やっぱりそれが狙いなんだね」

 「先生がそう気づかれたんでしょう」

 「欲望ってなんだと思う?」

 「増殖することよ」

 「そう言い切れるの」

 「生物は増殖するようにプログラミングされてる。それを欲望というのよ。それを会社が模倣し、機械が模倣し、マネーが模倣し、人工知能が模倣している。カコトリアだけが増殖することをやめたの。でも結局は欲望する大機械が作ったスマホと仮人という欲望する小機械で満たされてしまったけど」

 「それでもカコトリアの道路革命は正しかった?」

 「なにのんきなこと言ってるの。先生が出国したあと、カコトリアに仮人革命が起こって、真人全員が難民になったって知らないの。ところがWHOの推計で1億人といわれていた人口は、1000分の1の10万人もいなかったの」

 「どういうこと」

 「カコトリアはとっくに仮人の国だったのよ」

 「きみも難民なのか」

 「にぶいのね。わたしも仮人なのよ」

 「チャイルロイドのメモリーは18歳になると消去されるんじゃなかったのか」

 「知ってたのね。それは先生のお金のおかげ。500万カルタで身体記憶(無意識記憶)コピー権利付きの成人体をオーダーメードしたの。顔もバストもとてもお気にいりよ。先生との思い出も消されずにすんだの。それが一番自慢なの。だってわたしたちのヴォルテールでしょう」

 「ペルソナはどうしてる。彼こそ道路革命のヴォルテールだろう」

 「仮人の世界派遣会社で、ビル・ゲイツを凌ぐお金持ちになったらしいわ」

 「やっぱり道路のない国は自動車会社の理想郷だったってことか」

 「だから言ってるでしょう。それをたしかめるのは先生の仕事なのよ。カコトリアの革命が正しかったかどうか、カコトリアでは証明できないことでしょう」

 キャンディは正しい。カコトリアよりも今いるこの国を研究しなければならない。彼女に出会えたということは、もといた日本とはまたしても異なる日本なのかもしれない。たとえそうだとしても運命はなにも変わらない。自分の出自に立ち戻り、夢の国の政治研究ではなく、この国の再創生論を書き始めるしかない。

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