帰国後報告
38 夢から覚めて
<帰国後報告>
暴徒と化していた民会から危うく救出された時は、カコトリアはユートピアではなく、ディストピアだったのかとがっかりした。こんな悪夢の国はもうごめんだと思った。
しかしやっとのことで国外退去になり、危機が過ぎ去ってみれば懐かしさがこみ上げた。カコトリアは夢に見た国であり、世界のどこにも実在しない絵空事の国である。ところがそのイメージはあまりにも鮮明で、どこかに実在させてもいいのではないかと本気で思いたくなるほどだった。
少なくともエリアフォー西地区の住民が平安に暮らしていたことは事実だ。政治家による政治という覆しえない常識をあっさりと覆してみせてくれた国だったことも間違いない。自動車会社が陰の支配者かもしれないということはほとんどどうでもいいことだ。どの国にも影の支配者がいるという都市伝説がある。フリーメイソン伝説はその典型である。だが存在するかしないかわからない影の支配者は隠れていてくれるかぎり幽霊のようにちっとも怖くない。迷惑なのは陰に隠れていない目の前の政治家の傲慢だ。
夢の中の契りにすぎないのに、キャンディとの約束がずっと気になっていた。帰国後にカコトリアの研究論文を発表して有名になり、彼女を留学させるという約束だ。彼女がほんとうに待ってくれている気がして居ても立ってもいられなかった。
しかしながら研究を続けようにも、世界のどこにもカコトリアは存在せず、世界のだれもカコトリアを知らなかった。旧国名のカロネリアも同様だった。情報源だったカコトリア国立図書館のウェブは存在の痕跡すらなかった。世界中の政治学の論文を検索してみたけれども、カコトリアの国名はもちろんのこと、道路がない国の先行研究も一つもなかった。これではキャンディをよび寄せようがなかった。カコトリアで買ったスマホは没収された。レジスタンスのカモンと交換したアドレスも無意味になった。不覚にも自分のスマホで撮った写真がなかった。思い出だけが残ったのだ。
そのかわり選挙資金の担保に供したはずの退職金も自宅もなくなっていなかった。役所を辞めた理由は立候補じゃなかったし、そもそも期待の党なんてなかった。ぼろ負けしたのは希望の党だった。
どこかにきっと道路のない国があるはずだ。退職金で世界中を訪ね歩き、世界中の図書館で世界中の国の歴史を調べ上げた。知られざる道路のない国を求めて傷心の放浪が続いた。
そしてついにカイロ美術館で見つけた。セオドア・ソリストという写真家に、『エロスを場面とする銀行』(ザバンクアズシーンオブエロス)というモノクロの作品があり、その撮影場所がカッコトーリアとなっていたのだ。銀行の前に少女が二人寝そべっている構図で、シュールではあっても、子供のパジャマ姿なのでエロスは感じられない。自動車のない街は確かにカコトリアのようでもある。しかし撮影の経緯についての説明はなく、ソリストの来歴も不明だった。撮影時期は1968年となっていた。このころまだカコトリアに道路革命は起こっておらず、国名もカロネリアだった。ソリストが未来に旅行したのでなければ、カッコトーリアとカコトリアは偶然の一致だろう。
世界中を訪ね歩いた収穫はそれだけだった。そしてやっと悟った。パイオニアとはこういうものではないか。パイオニアになろうというのに先行研究を探してどうするのか。そもそも先行研究がないからこそ先行研究ではないか。先行研究のない研究はこの国の学会では研究として認められないけれども、そんなことはもうどうでもいい。
だが強いていえばカコトリアの先行事例は古代ギリシャのポリスだった。カコトリアが夢に現出したポリスだとすれば無数の先行研究がある。政治学を学んだ者ならだれでも抱いているポリスへの憧れがカコトリアの夢に結実したのかもしれなかった。
カコトリアの政治形態は確かに古代ギリシャのポリスに似ている。しばしば哲学者たちから政治の理想、国家の理想とされてきたポリスは、かつて実在した理想郷であり、人類が決して超えることができないソクラテス、プラトン、アリストテレスを輩出した。とくにプラトンは当時も今も神だ。すべての哲学はプラトンの注釈といわれるほどだ。
ポリスは市民(自由民)と奴隷からなっていた。奴隷を仮人に置き換えればカコトリアになる。ポリスの市民は働かず、奴隷が経済を支えていた。市民は商売にも蓄財にも関心がなく、むしろ奴隷は利益を求め財産を蓄えることが許されたので、裕福な奴隷も珍しくなかった。奴隷は政治に関心がなく民会に出ないだけだった。奴隷は生涯奴隷とはかぎらず、裕福な奴隷は望めば市民になることができた。市民になった奴隷はもともとの市民より有能なことが多く、しばしば重職に就いた。この伝統は古代ローマにも受け継がれ、奴隷の子が皇帝(ディオクレティアヌス帝)になったこともあった。
ポリスの政治は民会による直接民主制であり、各市民は無差別平等に議論の権利があった。ポリスには古代ローマの元老院のような代議制の統治機関はなかった。ポリスの民会はカコトリアの一般議会のモデルであり、国民は議場に参集せずにインターネットを通じてSNSによって議論を行うところが違うだけである。カコトリア、不条理の国とよばれるこの国は、ポリスの政治の理想を現代に甦らせた国なのである。
ポリスはあまりにも完成されていたがゆえに未来がなく、アリストテレスの教え子だったマケドニアのアレキサンダー大王に侵攻されて滅亡した。カコトリアはポリスの盟主として交易によって繁栄し、パルテノン神殿を始め巨大な建築物を建てたアテナイよりも、どの国とも同盟せず独立不羈を通したスパルタに似ていた。最強のポリスだったスパルタも帝国にはなれなかった。カコトリアも、アテナイやスパルタのようにあまりにも完成されているがゆえに未来がなく、世界の覇権を握ることもないだろう。
カコトリアが現代のポリスだとするなら、この国は自由と平等、環境と経済を調和させることに成功した理想郷であり、一つの政治学的結論である。この国からはなにも新たに発しない。
この国は差別を完全に撤廃した社会国家であり、自然破壊と完全に決別した環境国家である。道路は政治的利権の象徴であるとともに公共事業による自然破壊の象徴だった。道路のないこの国は政治利権と自然破壊を同時になくし、環境社会国家を実現した。これほど完全な社会国家、完全な環境国家をかつて見たことがないし、これからも見ることはないだろう。
この国は代表民主制に代わる新しい民主主義システムである一般民主制を世界最初に実現した。これを可能にした技術革新はSNS、人工知能、バーチャルリアリティである。これらの情報技術の発達によって、都市国家以外では不可能とされてきた国民全員直接参加の民主制が議事堂という物理的制約から解放され、イギリスで国会が誕生して以来の近代議会政治の常識が初めて覆された。その意味ではカコトリアの政治革命は確かにイギリスの政治革命に匹敵する。
この国を夢に現れた奇跡として称賛するだけで個人の思い出の中に消えていくに任せてよいのだろうか。それはこのレポートを読んだ政治学者たちや大国の指導者たちが決めることである。
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