37 国外退去

 あっさりと国外退去処分になると思っていたのに、そんなに簡単ではなかった。気がつくと自宅の前にいたというわけにはいかず、気がつくと来た時と似たような場所にいた。エリアフォーの西地区(ウェストブロック)に戻ったようだった。西地区に暴動が起こった様子はない。

 スマホに電子メールで起訴状が届いていた。「在留許可条件のとおりにブログを更新していない」ことを理由に「国外退去処分を求める」という内容だった。なるほど確かに東地区(イーストブロック)の調査を始めた日の更新を怠っていた。徹夜でバイクを漕いでいたからだ。しかしどっちみち滞在期限は残りわずかだった。いっそのこと早く退去処分を実行してほしいと思った。ところが拘留もなければ尋問もなかった。つまりまったく自由だった。公園で出会った老経済学者の言ったとおりだ。

 全国一斉民会がどうなったのかはわからない。そもそも全国一斉民会だったのかどうかもわからない。少なくとも北地区(ノースブロック)では開かれた民会から全国の革命を扇動するという企ては成功しなかったようだ。成功していれば革命の英雄が国外退去処分になったはずがない。しかし真偽を確かめるすべはなかった。

 キャンディともカラテとも連絡がとれず、新たな通訳も雇えなかった。それでもカフェでは英語が通じたし、スマホの通訳ソフトでカコトリア語もなんとかなった。ウォレット機能も生きていた。ただしホステルはビザの期限経過で退去になっており、外国人が泊まれるホテルもなかった。ホームレスになったのだ。落胆するにはあたらない。日本に戻ったところでホームレスなのだ。

 北地区なら空家があっただろう。西地区にもあるかどうかは不明だった。エリアフォーの4つの地区に壁はなくても、目に見えない壁で分断されているのだ。人々は平等でも自由でもなんでもない。家畜というよりもまるで実験動物だ。西地区の住民は幸せで、東地区はスラム、北地区には外国人バイヤー以外に人がいない。南地区がいったいどんなところか気になる。まさか無味乾燥なデータセンターが並んだ人工知能の街なのか。それとも消えた母子のパラダイスだろうか。


 その日は適当なバーで夜を明かし、裁判所なり検察庁なりなんなり、とにかく当局からの連絡を待った。ところが翌日も翌々日もなんらの連絡もなかった。ほんとうに当局が存在しないのだ。

 手持無沙汰に馴染みにしていたカフェを探してみた。カフェはすぐに見つかった。キャンディに会いたくて居続けてみた。しかし終日待ってもついに現れなかった。どんな重罪を犯そうと収監がないはずのこの国で彼女と会えないのは、たぶん接見禁止の処分が出ているからだろうと思った。


 そうこうするうち、代理士を名乗るものから裁判の弁護をしようというメールが殺到した。その数は有に1000人を超えていた。起訴状が公開されているのだ。応募条件がいろいろ書かれていたものの読む気がしないし、どうせだれがいいかわからないので、最初の一人を代理人として承認した。

 すると代理人エリスから一般意見(ジェネラルオピニオン)なるチャットが届いた。

 「貴殿の罪状は在留許可条件の不履行である。これを自白した場合、100万カルタ(約100万ドル)の罰金を払ったのち、国外退去処分となる。これを争った場合、裁判が行われる」

 「100万カルタなんてむりだ。裁判はいつから開かれる」

 「重罪ではないのでこちらから求めるまで開かれない」

 100万ドルの罰金が重罪ではないとは、いやはや。

 「いつまでもか」

 「いつまでもだ」

 「裁判を求めた場合、判決はすぐに出るのか」

 「1審裁判は3か月を要する。早めることはできない」

 「3か月間ここに滞在できるということか」

 「そうだ」

 「その間は自由に行動できるのか」

 「監視を受けるだけで行動は制限されない。被起訴者特例措置によりビザの期限切れは問われない」

 「訴訟費用はいくらだ」

 「かからない」

 「あなたの代理費用はいくらだ」

 「1日1万カルタ。3か月で90万カルタである」

 罰金100万カルタを払うか、訴訟追行のために代理費用90万カルタを払うかの選択肢だということがわかった。どこの国でも裁判とは理不尽なものである。

 「どっちも難しい」

 「あなたは有名人だからブログで義援金を求めればいい。190万カルタ以上集められれば罰金も払えるし、代理費用も払える」

 「つまり裁判で勝てるとはかぎらないってことか」

 「代理士にはコンティジェンシーゴール(最悪の結果)を告知する義務がある」

 「義援金も任せていいか」

 「5%の手数料をもらえれば」

 「ちなみにエリスは人か、仮人か、人工知能か」

 「人工知能である」

 「なら信用しよう」


 人工知能のエリス代理士に裁判を任せておいて、毎日エリアフォー西地区を無意味にぶらぶらした。時間はたっぷりあるのに新しい調査を始める気にはなれなかった。

 それでも無為に過ごすからこそ感じられることもある。慌ただしく名所を巡るツアーと、ビーチで日がな一日過ごすリゾートの違いだ。エリアフォー西地区はとにかく過ごしやすかった。自動車が走っていないことだけでこんなにも心が落ち着くのかとあらためて思った。人々は柔和で諍いもなく、整形のおかげとはいえ目立って美男美女が多いことも悪くない。肉はフェイクだが食事は多様で美味しく、お酒の種類も豊富だし、夜にはカジノやショーパブを始め様々な娯楽があり、朝まで厭きない。なにも考えないで無為にすごせば西地区はまさにコンフォートゾーンだ。ホテルはなかったけれども、寝泊まりする方法は見つけた。実は独身だったので泊めてくれる人を探すのは楽勝だった。


 まだ見ていない南地区がどうしても気になった。壁がないから行くことはできる。しかしそこで目にするものしだいではそれこそ命がない気がした。余計なことをして罰金がさらに増えては困る。しかも四六時中ドローンに上空から見張られており、スマホの通信履歴も購買履歴も検閲されている。おそらく通話していないときもマイクが音声を拾い、カメラが画像を送っているはずだ。スマホから離れればたちまちアラートが鳴る。それなりにこの国の防犯システムは有効なのだ。

 南地区に行くとすれば監視を逃れるためにスマホを置いていくしかない。スマホがなければ食料も買えず、シェアバイクも借りられず、夜明かしする場所も確保できない。もちろん通訳も雇えないし、翻訳アプリも使えない。それでも国外退去になる前に南地区を見ておきたくなり、ドローンが少ない夜中に出発した。スマホは電池を抜いて街路の植え込みに隠した。南地区への行き方は調べておいたものの、ナビがないから不案内きわまりなかった。


 キャンディから海岸沿いの別荘へいく道を聞いたことがあったのが幸いした。この道をひたすら歩くと夜明けごろに海岸に出た。スマホの地図情報には世界地図が出ないので太平洋なのか大西洋なのかインド洋なのかはわからない。すくなくとも内海ではないだろうと思った。別荘地とは逆方向に行けば南地区に出られるはずだ。幸い上空には一機のドローンもなかった。そのかわり道路もない。

 歩きにくい砂丘を小一時間歩くと、壊れて砂に半ば埋もれた防潮堤が現れた。かつてエリアフォーがアスファレスティと呼ばれていたころの遺物だ。撤去されたと思っていたのだが、放棄されたようだった。自然災害、おそらく巨大な津波で破壊されたように見えた。防潮堤の内側にあったはずの街は跡形もなく消えていた。南地区は廃都だった。

 壊れた防潮堤に沿って進むと開けた場所に出た。そこは広大な墓地だった。何万、あるいは何十万という墓石で埋め尽くされていた。そういえばカコトリアの死生観についてはまだ十分に調べていなかった。墓石を一つ一つ眺めながら、この国の人々にとって死とはなんなのか思いをはせた。

 ここは津波の犠牲者のための墓地なのだろうか。墓標の銘を読めばわかるかもしれないと思って読める銘を探した。いくつか英語の銘を見つけたものの、どれも詩か箴言で、亡くなった人の来歴がわかるものはなかった。しかし亡くなった日はみな同じだった。この未曽有の災害が道路革命のちょうど20年前に起こったこともわかった。墓地の大きさと墓石の密度から、犠牲者の数は25万人と推定した。

 南地区には墓地しかないのか。そう思いながらさらに進むと湿地に出た。津波の浸水によってできた低地のようだった。その中央にゴシック建築の教会のような廃墟が見えた。そこまで行ってみようと湿地を迂回すると都合よく小舟を見つけた。

 櫂を操って対岸に渡ってみると旧い教会だった。津波がこの教会だけを避けたのだ。こうした奇跡は日本の東日本大震災でも起こった。周囲がなにもなくなったのに社や寺院だけがぽつんと流されずに残っているところをいくつか見た。

 教会の中にはなにもなかった。この災害が、そしてこの教会がカコトリアの歴史にどんな影響を及ぼしたのかはわからない。少なくとも国会図書館で調べたかぎりでの正史からは抹殺されたようだ。まだ官僚機構が残っている時代のことだからやむをえない。なにもなかったことにするのが官僚のオートポイエーティクスなのだ。

 そろそろ西地区に戻らなければならない。しかし戻り方がわからず、湿地をむやみに横切ろうとすれば遭難しかねないと思い、教会で夜を明かした。スマホがなくては助けも呼べない。電池は抜いても持って来ればよかったと後悔した。

 とにかく北へ向かえばいいと思って夜明けとともに教会を離れたものの、小雨まじりの曇天で方向がつかめなかった。それでも立ち止まるわけにはいかなかった。食料も水も尽きていたからだ。

 一日中歩き続けて、やっと人家の明かりを見つけた。西地区でも東地区でもなく、奇跡的にジョン・レノンが立ち寄ったという伝説のあるカフェだった。着の身着のままでカフェに入り、代理人のエリスに連絡してほしいと頼んだとたん疲れ果てて気絶した。

 どうやって西地区に帰り着いたのかはわからない。エリスがうまくやってくれたようだった。


 翌日は結審の日だった。罰金50万カルタと国外退去処分という判決だった。もちろん上訴する気はない。エリスへの代理費用90万カルタと合わせて140万カルタが必要だった。一方義援金は1200万カルタ集まっていた。エリスに手数料60万カルタを支払っても1140万カルタになるので、ちょうど1000万カルタ(約1000万ドル)余った。義援金は非課税だった。でも国外にカルタの持ち出しや送金はできなかったので、キャンディに全額を贈与することにした。エリスがキャンディの所在を調べてくれたのだ。そのかわり調査費と贈与登記代行料を請求された。

 思ったとおり彼女は接見禁止の仮処分を受けていたのでお別れは言えず、電子メールもチャットもできず、手紙も残せなかった。

 こうしてようやく国外退去処分となった。気がつくと選挙事務所の前にいた。事務所が撤収していないということは、まだ選挙の翌日なのだ。ところがよく見ると別の候補者の事務所だった。微妙に異なる日本に戻ったようだ。まるでカコトリアは竜宮城だ。

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