36 全国一斉民会
地上は騒然としていた。ほとんど人がいなかった公園は、スマホをもった若者で埋め尽くされ、さらに周辺のマンションから参加者がぞくぞくと押し寄せていた。夜空が数万機になろうかというドローンで真っ黒になっている。まるでヒッチコック監督映画の『鳥』のようだ。
キャンディの手を引いて群衆の中に分け入った。群衆は老若男女とはいえなかった。ほとんどが学生のようだった。数十万人かとも思われる若者のだれもがスマホに夢中で、隣のだれも気にしていない。これで民会になるのかと思った。だがこれがSNMによる民会なのだ。数十万人が同時に意見を出すことで一般公論が導かれるのだ。それにしてもこれほど若者が多いとは。
いや待てよと思い直した。仮人は歳をとらない。48歳になるまでずっと18歳のままなのだ。もしかしたら民会に集まっている全員が仮人なのかもしれない。そうだとすれば今まさに仮人革命が起ころうとしているのか。仮人に地方参政権を与えたのはこのためだったのか。ロボットという言葉を発明したチャペックの『R・U・R』(ロッスムのユニバーサルロボット)に描かれた反乱シーンが思い浮かんだ。反乱はロボット社会の十八番なのか。
「いつ(民会は)始まるんだ」
「もう始まってるわ」キャンディが答えた。
「君もやるの」
「わたしは西地区だからここ(の民会)には入れない」
「西地区でも始まってるのか」
「たぶん。でも行きたいけど今からじゃ行けない」
「タクシーがないからね」
「自動車がないのは不便なのね」
「テーマは決まったの」
「オピニオン(公論)が30秒おきに更新されててわけわかんない。リーダーを決めるとか、多数決で選ぶとか議論してるみたい」
「多数決にこだわる理由は」
「人工知能を排除できるわ」
「つまり仮人が人工知能に反逆しているのか。人が明け渡した自由に仮人が目覚めたってことか。国家の検閲からの自由ってことに」
「仮人の国政参加の動議が出たわ」
「決まりそうか」
「民会では決められないわ。決めても意味がない。憲法改正が必要なのよ」
「リーダー候補はいるのか」
「わかんない」
「だれが民会を招集したかわかる」
「わかんない」
「革命になりそうなのか」
「わかんない」
キャンディにこれ以上聞くのはむりだった。カモンを探してみた。だが群衆の中に紛れてしまって行方知れずだった。彼も仮人だったのかもしれない。政治家とは人工知能であり、レジスタンスとは仮人の人工知能への抵抗、あるいは無意識の意識への抵抗だったのか、もしくは仮人の身体性は無意識の身体的人格すなわち欲望を持つにいたったのかと聞きたかったのに。身体性こそが実存(人と仮人)の共感性(シンパシー)なのだ。
公園の過密度がさらに増す前にキャンディの手を引いて退避しようとした。ところがすでにぜんぜん身動きがとれなかった。
とっさの機転でキャンディに「天安門事件にそっくり」とコメントして、インスタグラムに写真をアップするように勧めた。世界に拡散されれば中国の検閲エンジンが動き出すはずだ。万度(モードゥ)の検閲能力はカコトリアのサーバー容量の百万倍はある。中国からの検閲が頻繁になればエリアフォーのサーバーがパンクして民会が中止されることもありえると思った。
とにかく今この国に仮人革命を起こすのはまずい。
そのとき隣の男が奇声を上げた。
「先生がいるぞ! 先生がいるぞ!」
周囲の若者たちが、一斉にこっちにスマホを向けて写真を撮り始めた。スマホを向ける若者はたちまち数千人に膨れ上がった。
「道路は必要ですか?」
「政治家は必要ですか?」
「大学は必要ですか?」
「会社は必要ですか?」
口々にこの国にないものが訴えられた。
この期に及んでみんなよくわかっているじゃないかと言いたかった。道路、政治家、大学、会社、この4つがあるかないか、それが決定的だ。道路は公共土木事業の代表であり官庁の仕事の象徴だ。政治家は官庁を人事権で支配し、大学は官庁に人材を供給して学閥を構築し、会社は官庁の仕事を談合で分け合う。つまり官を中心にした政官財教のカルテットということだ。このカルテットが国体の基幹となるシステムだ。カコトリアにはこの基幹システムがそっくり存在しない。
「危ない、離れて」キャンディが叫んだ。
上空から大型ドローンが舞い降り、下降気流で群衆を吹き飛ばした。その直後、上昇気流が起きて宙に吸い上げられた。間一髪、人工知能に救出され、九死に一生をえたのだ。さもなければ群衆に押しつぶされるところだった。一体人工知能は敵なのか味方なのか。
ドローンに吊り下げられたまま上空から俯瞰するエリアフォー北地区の民会は壮観だった。まさに5月35日(天安門事件)だ。さらに上昇すると見たかった大運河をはるかに望むことができた。その直後意識が薄れた。麻酔薬を注射されたようだ。
「先生! 先生!」遠ざかるキャンディの声が聞こえた。なにも答えられなかった。なにか言いたかったのに、その言いたい言葉を思い出せないうちに意識が落ちた。
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