35 レジスタンス

 無人マンションの地下室から地下道に出た。ガスが途絶えた導管のようだった。この地区ではまだ地下施設が埋め立てられていないのだ。靴音が管内に響き渡った。まん丸な上に埃が積もって歩きにくい真っ暗な地下道を30分ほど進むと、さらに深く降りる階段があった。

 「ここは地下鉄の駅です」男が英語で言った。

 「地下鉄があったんだ」

 「ここがわれわれのアジトです」

 「われわれ?」

 「政治家の支配に抵抗しているレジスタンスです。私はエリアリーダーのカモンと申します」

 「この国に政治家はいないだろう」

 「政治委員会とか、一般公論とか、まさか信じていませんよね」

 「疑わしいとは思い始めていた」

 「先生が入国してからの動向はずっと注視していました」

 「どうやって」

 「それは内緒です」

 「ずっとってことは」キャンディを見た。

 「ご想像に。さあ、急ぎましょう」

 「こいつも一緒でいいのか」片手首を失った仮人のカラテを見た。

 「かまいません。仲間です」

 「そういうことか」ドローンの包囲から身を賭して助けてくれたのは、それがカラテの使命だったからだ。

 もともとは地下駅だった暗い空洞の一角に何人か人影が集まっていた。全員が若く、学生のようだった。

 「先生をお連れしました」

 「仲間はこれだけ? 政治家に抵抗するにしては少なすぎないか」

 「先生のお話を聞きたくてチャットに参加した同士は300万人です。とてもここには集められないので50人だけ集まりました。でも外には数千人、もしかしたらそれ以上集まってしまっているんです」

 「そんな気配は感じなかったけどな」

 「隠れているんですよ」

 「レジスタンスはいつもどんな活動をしてるんだ」

 「人工知能の検閲にかからない裏ネットを開通させています。メジャーではないモバイルネットワークがたくさんあるんです。これがレジスタンスの資金源にもなっています。3大メジャーのシェアは70%まで落ちました。50%以下にするのが目標です。でもメジャーも傀儡マイナーネットワークを作って妨害してきます。それよりまず先生のお話をお聞かせください」

 「なぜ興味があるんだ」

 「先生がアップされているブログが大変な話題です」メンバーの一人がスマホを構えながら言った。ビデオモードにしているのだろう。

 「そうなのか」

 「ご存じなかったんですか」

 「あまりフォロワーとか気にしないほうなんで」

 「裏ネットにミラーサイトがあるんです。ダイレクトだと目立ちますので」

 「ミラーのフォロワーは今1200万人です」

 「そんなにか。ちょっと驚いた。外国人は物珍しいのか」

 「いいえ、毎月だれかは来ています。ですが先生のブログはこの国にないものが書かれていて大変ショッキングでした。とくに若い世代はないものを知らないから」

 「この国に1か月いらっしゃって、どう思われましたか」

 「政治学の実験場だね。ただし国民はだれが実験しているのかも、どんな実験をしているのかも、知らされていない」

 「そうですか、さすが鋭いご意見だ。どういう実験だと思われますか」

 「全人類を徐々に仮人に置き換え、最終的にはすべて仮人の世界を作るための実験だ。ただし仮人では置き換えられない差異をもっている人間も、仮人のアンチテーゼとして、もしくはDNAのファームとして残しておかなければならない。その最適な人口比をシミュレーションしている。人間の差異と仮人の同一性の最適なバランスだ」

 「そこまでわかったのですか。すごい方だ」

 「どうすればいいですか」別の若者が言った。

 「丸ガラ輸出の解禁を阻止することが喫緊の課題なんだろう」

 「阻止には成功しました。でも一時的なものです」

 「バーチャル観光客がこの国をパラダイスとして宣伝している。そこを逆手にとって、この国の真実を伝えればいい」

 「どうやって」

 「暗号化したメッセージを観光地に埋め込んでおくんだ。ネット社会ではどんな暗号もたちまち解読される」

 「すごい。その手は気づかなかった」

 「それから仮人スクラップを扱っているガラ屋を乗っ取って、輸出するガラに秘密のチップを埋め込んではどうか。そうすればガラが外国でどうなったか追跡できる」

 「それくらいは造作もないことです」

 「密入国者は利用できませんか」

 「協力者にするのはやめとこう。彼らは信用できない。しかし丸ガラと偽って完動品を掴ませて国外に持ち出させ、国外の活動家にする手はある」

 「それもすぐできますね」

 「革命は情報戦だ。情報をもったほうが勝ちだ。最終的には仮人を発明した自動車会社に潜入しないとだめだ」

 「それをやっていただけますか」

 「帰国後にこの国の政治システムを賛美する論文を発表しよう。それで信用させ自動車会社に食い込んでみる」

 「スパイですね。しかしわれわれと逃げたことがばれているのに帰国できますか」

 「隔離は憲法違反だ。きっと国外退去になるだけだ」

 「なるほど」

 「全員集まったら、いまのお話をしていただけませんか」

 「いや地上に戻るよ。ドローンが来ないだけで、ここも安全とは言えないだろう。それに大運河まで行ってみたい。彼女は別ルートで逃がしてほしい」

 「残念です」

 「帰国後の交信ルートを確保させてください。今日お会いしたかったのはそれが目的です」

 「わかった」

 「先生が帰国後に有名になられたら、留学ビザをとって会いに行ってもいい?」

 「かまわないよ。それから彼はどうなるんだ」エネルギーを使いはたして動かなくなったカラテを見た。

 「エネルギーはじきに回復します。ですが一度故障した仮人は記憶を抜き取られて解体されます。その前に記憶を消去しておきます」

 「健闘を祈るよ」

 「先生もご無事で」

 キャンディがレジスタンスの一員とは思いもよらなかった。最初に会った時からここへ連れてくるつもりだったとは。彼女からえた情報のどこまでがほんとうで、どこからは欺瞞か再検証の必要があると思った。それにしてもカフェで彼女に声をかけるとどうしてわかっていたのだろうか。それもパニンスペクトンの予測なのか。それともカフェに居合わせただれに声をかけようと同じことだったのだろうか。


 その時、アジトに駆け込んでくる一団があった。姿は暗闇にまぎれて見えない。口々になにか叫んでいて、地下空洞の反響でワオワオと増幅している。カコトリア語らしく、意味はわからない。だれも逃げないところをみると50人集めたという仲間のうちなのだろう。

 彼らの到着を待たず居合わせた全員のスマホがアラートを発した。キャンディのスマホだけは鳴らなかった。緊急地震速報のような感じだ。全員が画面に見入った。

 「民会が始まるんだわ」キャンディがカモンのスマホを覗きこみながら言った。

 「どこで?」

 「どこもかしこもです。エリアフォーで一斉に民会が招集されています。いや全国一斉かもしれません」カモンが言った。

 「民会はいくつあるんだ」

 「エリアフォーだけで100以上あります。全国なら2000はあります」

 「なにを議論するんだ」

 「テーマを決めない通常総会のようです。始まってから人工知能がテーマをフィードバックしてきます。民会も一般議会と同じで、スマホを使って議論します。対面ディベートはやらないんです。唯一の違いは」

 「民会は暴徒になり、革命に発展するかもしれないってことか」

 「それはありえます」

 「全国一斉民会は反革命を画策する政治家の策謀か」

 「わかりません」

 「きっと、先生のブログよ」女のレジスタンスが口をはさんだ。「もしも革命が起こったら、先生はロベスピエールかレーニンね」

 「ヴォルテールじゃなくて」

 「失礼しました」

 「革命なんて煽動していないけどね」

 「だけど自然発生的とも思えない。黒幕はいるだろう」

 「ブログがきっかけなんて、どう考えてもありえないだろう」

 「最初から仕組まれていたのかもしれません。先生が招聘されたときから」

 「招聘なんてされてない。酔っぱらって迷い込んだだけなんだよ」

 「わたしたち、利用されてたの?」キャンディの問いにはだれも答えなかった。

 「ともかく地上に出ましょう。もう間もなく始まるはずです」

 駆けつけてきた一団が合流するのを待って、カモンの誘導で地上に向かった。

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