34 仮人ガラ輸出
北地区のオフィス街の裏路地を15分ほど歩くと、なにもなくただただ広い公園に出た。公園は人間のために作られた施設で仮人は必要としない。もっとも公園で民会が開かれれば仮人も参加することができる。公園の周囲にはマンション群があった。仮人はマンションに住まないから、そこが外国人キャンプになっているだろうと推察された。
夜の公園にもかかわらず何人かの密入国者らしき外国人がいた。その一人に近づいた。白髪で長身、老学者の風貌の男だった。なにより上等な3Pのスーツを着ているのが気に入った。仮人バイヤーたちはもっとカジュアルなスタイルだった。
「東地区から来たんだけど、この地区のキャンプに入れるかい」英語で聞いてみた。
「キャンプってなんだい」男はとぼけながら英語で答えたが、顔色から拒絶してはいないようだった。
「バイヤーのキャンプですよ」
「それならもう閉鎖されたよ」
「それにしてはのんびりしてますね」
「もともとあんたらはアウトローなんだから、なにがあったところで驚くことはないだろ。それにこの国には警察がないからな」
「どうしてキャンプが閉鎖されたんですか」
「政策が変わって丸ガラの輸出が正式に解禁されるんだ。あんたらもついに商売上がったりだな」
「いつからそうなるんだ」
「さあね。噂で聞いただけだからね」男はとぼけた。
「スクラップが手に入らなくなるわけですか」
「今はかけこみで、逆に輸出玉(ぎょく)が増えてて入国者も増えてる。それでどこのキャンプも満杯なんだ。かけこみの火消しのためにキャンプが閉鎖されたんだろう。だけど空家がいくらでもあるし、慌てることはない。北地区は仮人ばかりになったんで、空家だらけなんだよ」
「そんなに大勢の外国人を見かけませんが」
「地上にはドローンが飛んでてうるさいからね」
「丸ガラ輸出解禁の噂を確かめる方法はないですか」
「政治委員会にアクセスすればいいだろう。ただし外国人は入れないよ。そいつに頼んでみたら」男はカラテを見た。
「わたしがやってみる」キャンディがスマホで政治委員会にアクセスした。
「あんた、バイヤーじゃなかろう」男がキャンディの様子を横目で見ながら小声で話しかけてきた。
「あなたこそ、どうなんですか」
「経済学者として招聘されて、いろいろあって帰れなくなった。よさげなスーツを着てるところをみると、あんたもそんなとこなんだろう」
そうだと言いかけてやめた。
「スクラップ経済に深入りしすぎたってことですか」
「いやそんなことじゃない」男はうそぶいた。「ぜんぜん違う」
「この国の経済は自動車会社が支配してるんですか」
「まさか。自動車がない国を自動車会社が支配するか」
「仮人を送り込んでいるのは自動車会社でしょう」
「それだけのことだよ。いずれ世界中から自動車はなくなる。人を移動させる機械として、あんなムダなものはないからね。というか体を移動させることがそもそもムダだよ。意識だけなら瞬時にどこへでも飛ばせるだろう」
「仮人が人になるのじゃなく、人が仮人になるという意味ですか」
「いや、ちょっと言い過ぎたか。まだしばらく世界ではEV(電気自動車)の時代が続くだろう。体の物理的移動が必要なくなるのは、その次の時代のことだよ。ここ(カコトリア)は進みすぎてるんだ」
「仮人商になったペルソナがどこにいるか、ご存知ですか」
「おいおい、それこそ俺の研究を横取りするつもりかい」
男は不機嫌そうに横を向いて立ち上がった。片足がなく、かたわらにおかれた義足にはモーターが内蔵されているのか、まるで胴体から切り離された昆虫の脚のように勝手に動き始めた。男は欠落した太ももの途中へ義足をはめ込んで歩き出した。
丸ガラの輸出を決めたのは資源循環委員会だった。しかしこの決定には執行停止の申し立てが出ていた。申し立てたのは汚染拡散防止委員会だった。これまで仮人スクラップは人工知能と核ダイヤモンド電池が本体から取り外され、製造元の自動車会社に独占的に買い戻されていた。しかし丸ガラならばどの国でも容易に再起動できるので、仮人の闇拡散になりかねない。自動車会社以外では本格的な修理ができないので、故障すれば不法投棄されて核汚染になるというのだ。この論争は決着しておらず、丸ガラ輸出解禁時期は未定だった。
キャンディがさらにインターネットの書き込みの検索を続けると、興味深い記事が見つかった。丸ガラ輸出解禁を推進したのは仮人の政治結社だというのだ。輸出が解禁された丸ガラはスタンドアローンで再起動されてメモリーが復帰される計画だという。つまり同一人格として蘇生するのである。仮人の記憶は本体から分離されてもすべて保存されており、復元可能である。だが心身一如(精神記憶と身体記憶の同一性を担保すること)で設計されているので、他の身体に記憶を復元しても人格的同一性が切断されてしまう。真偽はわからないものの、この記事はリツイットされて拡散し、丸ガラ輸出解禁が阻止される理由になったという。
仮人の政治結社という聞き逃せない話が出てきた。もしもそんなものがあるとすれば仮人革命が起こるのも時間の問題ということになる。もしかしたら国外で再生した仮人が革命を主導する計画なのかもしれない。
丸ガラ輸出解禁に対する資源循環委員会と汚染拡散防止委員会の論争は一般公論の分裂を示唆している。この国の政治システムの根幹である一般公論が破綻しているのである。
いったい一般公論とはなんだったのか改めて考えた。一般公論はすべての国民が参加できる政治委員会の議論を人工知能が集約したものである。一般公論は一つでなくてよいとされているから分裂しても破綻してもいいのである。むりに一つの結論に集約しないことこそが一般公論のよいところだと思っていたのだが、どうやらそんなに簡単なことではなさそうだった。一般公論をフィードバックする人工知能はブラックボックスであり、その意味で従来の政治と同じなのである。
このシステムの根幹であるスマホの販売とSNSの運用もすでに人間ではなく人工知能のグループが行っていた。そうだとすれば一般公論を人工知能がコントロールすることができるのではないか。あるいは人工知能は公平で中立だとしても、人よりも人口が多くなった仮人がSNMを逆用して人工知能を騙すことは容易ではないか。国の政治委員会に参加できるのは人だけで、地方政治委員会を除いて仮人には参政権がない。しかしスマホの偽造は容易だし、銀行が関与して国ぐるみで行われてもいる。
仮人を製造し、この国に輸出している自動車会社の意図はどこにあるのか。自動車会社は全人類を仮人で置き換えようとしているのであり、この国をその実験場にしているのではないか。30年で仮人をスクラップにするのは、仮人に寿命を設定しなかったら電源がもつかぎり数百年、あるいは数千年でも活動を続けて無限に実経験を蓄積していき、人はもちろん人工知能をもはるかに超えてしまうからなのかもしれない。自動車会社にとって管理不可能な超人(超仮人)はいらない。しかし30年はいかにも短すぎる。資源の有効利用は必要であり、使用済仮人は完全リサイクルすることが必須である。丸ガラ輸出の解禁は密輸出が目に余るようになったからだとして、輸出解禁を阻止する動きは自動車会社の利益なのだろうか、反利益なのだろうか。
そもそもなぜこれまで丸ガラの密輸出は見逃されてきたのか。それは仮人の実験的普及をこの国に限定しながら、その存在をある程度は世界にリークするためだったかもしれない。あるいは仮人商になったペルソナが仮人の輸入のみならず丸ガラ密輸シンジケートにもかかわっているのかもしれない。この国が実験場に選ばれたのは道路と自動車がないことがかえって好都合だったからだろう。自動車があれば交通事故を免れない。核ダイヤモンド電池で稼働する仮人が交通事故に遭うことは危険である。十分な耐久性と安全性が見込めないかぎり道路のある国で仮人の普及は進められない。完全自動運転(レベル5)などの自動車の衝突回避技術が確立し、仮人の耐久性と安全性が十分に見込めるようになり、仮人の存在のリークが進んだ段階で世界的普及を一挙に進める魂胆なのだろう。その時期が来たのでこれまで密輸を放置してきた丸ガラの輸出解禁に踏み切ったのだ。
そうだとすれば道路がない国は自動車会社に支配されていることになる。確証はないものの、これがこの国の政治報告の逆説的な結論である。自動車会社、仮人商、金融グループ、モバイルネットワークオペレータ、SNSプロバイダ、ガラ屋は、すべてグルだろう。スマホ、自動運転自動車、人型ロボットの3点セット、これがやがてくる未来社会の三種の神器だ。これが政治家に代わるこの国の支配システムであり、実質的な政治家なのだ。
東地区で聞いたように、この国の国民はなにも知らない家畜である。この国に政治がないのは家畜には政治が必要ないからである。仮人スクラップしかこの国には売り物がないというのもほんとうかもしれない。
帰国までに残された時間で自動車会社の陰謀の証拠をつかめるだろうか。そのためにはなにをすればいいだろうか。
その時、公園に向かって飛来する数十機のドローンが見えた。3人はたちまち10機ずつのドローンに二重に包囲され、互いに分断された。人工知能に捕獲されたのである。ドローンは武装していなかったものの、回転翼に触れれば致命傷を負いかねない。
なぜ3人の所在が知られたのだろうか。公園に居合わせただれかが密告したのだろうか。そうではないだろう。キャンディが政治委員会にアクセスしたからだ。それで3人の移動経路や通信内容が検閲され、接触者も割り出されて、なんらかの容疑が確定したのだ。
突然カラテが手刀でドローンを打ち落とした。回転翼に触れた指先が千切れていた。カラテはかまわずに自分を包囲していたドローンをすべて叩き壊し、次にキャンディを助けに向かった。
勝ち目がないと判断したのか残るドローンが上空に退避した。カラテの右手首がなくなり、配線が剥き出しになっていた。カラテは仮人だったのだ。そんな予感もしていたところだった。カラテが仮人だとわかってもキャンディは驚かなかった。知っていたのだ。
3人で手を取り合って公園を逃げ出し、密入国者のキャンプだったとおぼしきマンションに駆け込んだ。ドローンの群れが上空から追跡してきた。幸いマンションの中までは追ってこれなかった。
3人で地下室に向かった。地下のほうが安全だと思ったからだ。
「こっちへ来てください」地下室の入口に避難を手引きしようとする若い男がいた。
「だれですか」カラテがトーンダウンした声で聞いた。エネルギーが切れかけているようだった。
「それはあとで。スマホの電源を切って、電池を抜いて、カードも外してください。さらにこのシールドケースに入れてください」
毒を食らわば皿まで。この男を信用してついていった。
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