33 仮人の街
下水管から出て階段を昇ろうとすると、カラテが血相を変えて駆け下りてきた。拉致されたと思って助けに来たのだ。どうしてここにいるとわかったのか不思議だった。おそらくスマホのGPS位置情報なのだろう。
「なにをやってたんだ」カラテが叱ったのはキャンディだった。
「わたし、ただの通訳だから。あなたこそボディガード失格じゃないかしら」キャンディはぷいと横を向いた。
「そうだ、お名前をお聞きしていませんでした」地下住民を振り返って名前を聞こうとした。カラテの靴音を当局の取り締まりと勘違いしたのか、彼の姿はもうどこにもなかった。
「これから北地区に行けるか」カラテに向き直って聞いた。
「北地区は歩いたら一日、バイクでも半日かかります。それに途中の道路が壊れていて夜間にバイクで走るのは危ないです。ここで泊まって朝から出かけたほうがよろしいかと」
「在留期間の残りがないんだ。いまから出れば朝には着けるよね」
「わかりました。ただ…」
「なんだい」
「いまから北地区までバイクで行くのはかなりしんどい強行軍になるので、少しだけでも仮眠をとったほうがいいかと」
「わたしもシャワー浴びたい」とキャンディが言った。
「わかった。どこで仮眠をとれるんだ」
「さきほどの発展場にサウナと仮眠室があります」
「なるほどそうだったね」
カラテの先導で発展場に戻り、2時間ほど仮眠をとったあと、地下住民からもらった服をカラテに預けておいたグッチのスーツに着替えて、北地区(ノースブロック)に向かった。外国人キャンプを探し、密入国した他の外国人と接触するつもりだった。いよいよ危険なのでキャンディを帰そうとした。ところが頑として帰らなかった。確かに地下鉄もタクシーもないから、一人で西地区に帰るとなれば不安があるだろう。やむなくシェアバイクを2台借り、カラテとキャンディがタンデムになった。カラテが一人で漕ぐのかと思ったら二人で交互に漕いでいた。意外に持久力はないのだと思った。北地区へのルートはスマホのマップを見なくてもカラテがわかっているようだ。
前を行く2人を見ながら地下住民から聞いた話を思い返した。それがほんとうなら、この国の二重構造とは人間と仮人の二重構造だ。人と仮人が対等なわけがない。二重構造になるのはわかりきったことだった。しかも仮人ではなく人がマイノリティなのかもしれなかった。もっと早く気づくべきだったと悔やまれた。
北地区には夜明けに着いた。そこはスラムどころか高層ビルが建ち並ぶエリアフォーでも有数のオフィス街だった。さしずめ新都心といったところだろう。こんなところに密入国者のキャンプがあるのかと思った。
早朝にもかかわらず街の人通りは少なくなかった。ところがしばらく歩いているとカラテが妙なことに気付いた。仮人ばかりで人間がいないというのだ。武道の達人のカラテは目を見れば人間と仮人を区別することができた。カラテの言うとおりだとすれば北地区は仮人に乗っ取られた街だ。そういえば東地区で出会った地下住民も地上は仮人の街だったと言っていた。これはこの国ばかりか世界のオフィス街の近未来の光景かもしれなかった。
密入国者のキャンプはどこにあるのだろうか。人間が仮人と違うのは飲食をすることだからレストランを探せばいいと思った。鼻の利くカラテが今度はネズミを見かけた。ネズミがいるなら残飯があるはずだ。
ほどなく路地裏にピザ屋を見つけた。果たして客は密入国者なのだろうか。
「あんた、そいつら、どっから連れてきた」ピザ屋の店頭に出ていた店主から逆に英語で話しかけられた。外国人に慣れているようだった。
「この子は通訳、こいつはボディガードですよ」
「ボディガード? あんた、なにするつもりだ」
「腹が減ってるんだけど、入ってもいいですか」店主の問いには取り合わずに言った。
「人間ならかまわないよ」
店内はそこそこの入りだった。情報源になりそうな客を選んで隣に座り、ピザを適当に頼んだ。
ピザを待つ間に隣の客の声が漏れ聞こえてきた。英語とフランス語が混ざっていた。幸いどちらもわかった。キャンディもカラテも英語はわかった。
仮人のスクラップの流出価格について相談しているようだった。男は女より高く、子供が一番高いと言っていた。仮人は男女比が女に偏っているからだ。子供は一番希少品のようだった。人と仮人のカップルからしか生まれないからだ。しかしチャイルロイド(子供)はむしろ余っているのに隠蔽されているという意見も出た。仮人は30年で寿命が尽きるから、スクラップの大半は30年前の年式だった。それより新しい年式はワケアリ(事故品)だ。それでも動けば高値がついた。
「あんた、その子、どこで買ったの」隣の客から英語で話しかけられた。またしてもキャンディのことを聴いているのだ。どうやら彼女の年代は遊び(カスケードラブ)の対象らしい。
「買われてないわよ。彼氏なの」キャンディが懲りずに英語で答えた。
「ソリー。それじゃ、どこで知り合ったの。このあたりじゃ、こんなきれいな学生は見たことない」
「よかったら友達を紹介しましょうか」
「ほんとかい」
「そのかわり彼氏のビジネスに協力してよ。初めての入国でわからないことだらけみたい」
「スクラップがほしいなら任せとけよ」そう言いながら、男はキャンディの膝を品定めするように触った。
隣の客から聞き出した情報によると、仮人をスクラップにしているのは他の国でいうところの廃棄物処理業者だった。この国ではガラ屋とよばれている。ガラ屋はもともと自動車をスクラップにしていた。自動車がなくなってからは仮人をスクラップにするようになった。ほぼすべてのガラ屋が多かれ少なかれ仮人をスクラップにせず、丸ガラ(人工知能も核ダイヤモンド電池も抜いていない未処理スクラップ)のまま横流しをしているらしい。
丸ガラの輸出は禁止されているのでコンテナにまとめて通関させることはできない。そこで人海戦術で密入国者が持ち出している。一人一体ずつなのでできるだけ安く買って高く売れる仮人スクラップを入手したい。そのために滞在中複数のガラ屋と接触しているのだ。うまく国外に持ち出せれば1体100万ドルの儲けになる。一攫千金狙いのバイヤー(密買屋)が集まるわけである。
仮人の体重は人間と同じでスーツケースに入れても人が持ち運べる重量ではない。しかし仮蘇生チップというものがあり、ゾンビかウォーキングデッドのように自力で立ち上がらせ、手を引けば歩かせることができる。人工知能が停止しており、記憶が消去されており、五感がマヒしていても、動力源の核ダイヤモンド電池が抜かれていなければ、この方法で北地区の大運河に停泊している密出国船に乗せることができるというのである。
ガラ屋による仮人スクラップの横流しと密輸がアンダーグラウンドの大きな資金源になっていることがうかがわれた。しかしなぜこの実態が見逃されているのだろうか。ガラ屋の利権はどことつながっているのだろうか。その事情は密入国者たちも知らなった。
真相を探るにはガラ屋と接触する必要があった。そこで隣席の外国人から接触方法を聞き出しそうとしてみた。残念ながら直接接触はむりだといわれた。交渉はすべて裏インターネットで行っており、交渉がまとまるとスクラップを引き取りに行くだけだというのだ。代金は闇流通しているドル紙幣で支払う。もちろんこれは脱税取引になる。真相は不明なのだが、ガラ屋はすべて仮人だと噂されていた。
ロボット三原則(アイザック・アシモフ)にもかかわらず仮人が犯罪に手を染めているのは意外だった。だが考えてみれば三原則だけでロボットの反逆を阻止できると考えるのは楽天的すぎる。不特定多数の人間の生存にかかわる事態に直面すれば、ジェレミ・ベンサムの経済性原則(最大多数の最大幸福)によって最小限の犠牲者を容認せざるをえないし、J・S・ミルの差別的補正によって、たとえば大統領や国会議員や富豪やアーティストの生命を一般民衆の生命よりも優先することだってありえる。どこの国でもVIPは存在する。すなわち限界状況になればロボット三原則は無意味である。
ガラ屋に接触するため、なにか手掛かりはないかと考えてみたものの名案は思い浮かばなかった。カラテの提案でとりあえずピザ屋から外人キャンプに戻る客を尾行してみることにした。キャンプに行けばもっと多くの情報が手に入るかもしれなかった。
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