31 発展場

 滞在期間は残りわずかだったけれども、急にアンダーグラウンドカルチャーあるいはシャドーエコノミーについて興味が湧いてきた。

 どこの国も社会と経済の暗部があるものであり、この国にもあるはずである。アングラはギャングが支配しており、ギャングは被差別者を構成員としているのが常である。どの国でもギャングの構成員は移民集団、被征服民族、歴史的・制度的被差別階級、貧困階級、多重債務者、犯歴者、出稼ぎ労働者、非定住者(ジプシー)などである。これらはマイノリティとよばれる。

 ギャングは社会の二重構造を引き受け、経済の二重構造を構築し、地下社会と地下経済を支配している。ギャングを見つけるには被差別集団を見つけ、二重構造を見つけ、地下社会と地下経済を見つけなければならない。すべての差別を撤廃すると宣言しているこの国で差別を見つけるのは至難だろう。それでも被差別集団は必ずあるはずである。


 地下経済はどの国でも共通のビジネスから成り立っている。麻薬(違法ドラッグ)、ギャンブル、風俗、密輸、密出入国、嘱託殺人、銃器売買である。代表的なビジネスとまではいえないが、違法金融、マネーロンダリング、違法医療(臓器売買、人体実験)、違法廃棄物処理、人身売買(奴隷、漁船船員、強制結婚、強制風俗、強制養子)、窃盗団なども加わることがある。こうした地下経済の実態を知らなければ、ほんとうにその国を理解したことにはならない。

 地下経済は禁止と需要の不均衡の下にビジネスとして成り立つものである。これまでの調査から、他の国ではできるのにこの国では禁止されており、地下のビジネスとして成立しそうなものは、既婚者の不倫、外国人の入国、仮人の延命と奴隷化、そして政治家である。

 そこでこの4つに絞ってアングラを調査し、そこからこの国にあるかもしれない差別と、被差別集団から生ずる地下経済の実態に迫ってみることにした。

 この調査には生命の危険すらあるので、バイリンガルのボディガードをネットで募集し、武道の達人だという屈強の通訳を新たに雇用することができた。名前は仮にカラテとしておこう。


 どの都市にも被差別者の居住区つまりスラムがあるものである。この国の持ち回り首都であるエリアフォーにも必ずあるはずだと考えた。闇雲に探し回るのではなく、ドローン空撮動画を入手し、低層建築や仮設建築が多い地区を中心に物色した。どの国でもスラムは開発から取り残されているからである。

 その結果、東地区(イーストブロック)にスラムらしき低層建築密集地区を発見した。カラテにここはどんなところかと聞くと、もともとは移民の居住区で密入国者のキャンプがあり、エスニック料理が食べられる歓楽街になっているという。

 危険なのでキャンディは置いていきたかった。ところがどうしても行ってみたいと懇願され、カラテと3人で東地区に向かった。西地区からは徒歩で4時間以上かかった。シェアバイクなら2時間たらずだっただろう。しかし街の様子をじっくりと見たかったので、あえて歩くことにした。途中に歴史的景観保存地区があり、観光用ドローンが飛び交っていた。ここのカフェで一休みした。数十年前にジョン・レノンが飲んだというコーヒーがあった。ここで平和の賛歌『イマジン』が生まれたという秘話は、もちろんこの国だけの都市伝説である。この国の無政府主義と平和主義はレノンの理想だと言えなくもないが。


 東地区はこれまで見慣れていた西地区の街並みとは明らかに違っていた。低層建物が多く、バラックも見られた。典型的なスラムの景色だ。しかし人々の表情に排他性はなく、それほどの被差別感はないようだった。

 とりあえず手ごろな中国料理店に入った。中国料理といっても海鮮を塩味に調理した上品な広東料理でもなく、唐辛子と山椒をたっぷり使った激辛の四川料理や湖南料理でもなく、羊肉をクミンで調理した野趣たっぷりの延辺料理(満州料理)だった。キャンディは初めて食べたと感動していた。店内に居合わせた客に不穏な感じはない。世界のどこでも中国人がいるところは安全だと聞いたことがある。華僑は危険を察知する独特のネットワークを世界中に張り巡らせているからだそうだ。

 カラテが店主らしき女性に色っぽい遊びができる酒場はないかと尋ねると、発展場のことかと聞き直された。カラテはそうだと答えて、いくつか店を教えてもらった。

 カラテに発展場とはなにかと聞くと、闇のデートクラブで人妻やゲイと遊べるのだという。行っても大丈夫かと聞くと、暴力的な場所ではなく、外国人はまず来ないからかえって人気になるだろうと言われた。


 3人で発展場の一つに行ってみた。いわゆるサウナで、アイリッシュパブのような酒場が併設され、小さな舞台にはポールダンスのポールらしきものがあった。セクシーなショータイムがあるのだろう。

 異国の中年、17歳の女子学生、そして筋骨隆々のボディガード風の3人連れはたちまち居合わせた客に囲まれた。政治学の研究のために入国を許可された外国人で、同伴の二人は通訳だとカラテが正直に説明し、不倫経験のある人妻がいたら話を聞きたいと言った。

 だれも名乗りをあげない中、パブのマスターらしき男がカウンター越しにこっちへこいと手招きして、人妻と遊びたいなら紹介してやると言った。

 マスターが紹介してくれたリサという名前の豊満な女性がやってきて、4人で酒を飲みながら話し込んだ。酒はどこの国にでもある安物のスコッチウィスキーだった。香料がきつくてとてもストレートでは飲めないので、リサにならってソーダ割にした。飲酒に年齢制限はなく、キャンディはカルーアミルクを頼んだ。リサから東地区を仕切っているギャングの情報を聞き出そうとしてみた。残念ながらボスがだれかは知らなかった。それでもこの国のアングラ事情について新たな情報がいろいろ聞けた。


 既婚者が遊ぶ方法は二つ、未婚者と偽って未婚者と遊ぶか、ここのような発展場で既婚者と遊ぶかだという。未婚者と偽るには未婚者のスマホをもつ必要がある。これは未婚者から借りるのが手っ取り早い。しかし貸し手がかぎられる。もっと手軽に偽装をするため、未婚者のSIMMカードをコピーした偽造カードが売られており、これを白ロムのスマホに差せばいいという。この方法で未婚を偽装するのは男性だけではないそうだ。スマホの偽造は重罪だと聞いていたのに案外あっさりと偽造が可能だった。

 未婚者と知り合うのに出会いクラブは使わないほうがいい。入場に身分証明が必要で、偽造カードがばれるとやばいからだ。しかし身分証明が必要ないクラブはいくらでもあり、どの未婚者も交渉次第だという。用心深い子は年上の未婚者と遊ぶ前にスマホのID交換を求めてくる。これで未婚かどうかわかる。ここで偽造カードを入れたスマホを使えばいい。

 話を聞きながら、キャンディはそのとおりだと首を縦に振った。彼女もスマホで未婚かどうか確かめるそうだ。既婚者に騙されたことがあったかもしれないと憤っていた。

 偽造カードはどこで売っているかとカラテが聞いた。すると意外な答が返ってきた。銀行だというのだ。SIMMカードをコピーした偽造カードを差したスマホを使って買い物をすれば本人に請求が行ってしまう。これは不正請求になり、銀行と保険グループの損失になる。そこで銀行が偽造カードをすべて買い取り、IDは使えても不正請求ができないように加工してから顧客サービスとして販売しているというのである。銀行が関与しているとなると、不倫ビジネスは国家ぐるみということになる。

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