30 宗教がない
この国には宗教がない。宗教とは神意を大衆に媒介するメディアである。成功したメディアは多くを宗教に負っている。またその逆も真なりである。メディアは現代の預言者である。メディアがないのと同じ理由から、この国には宗教がない。宗教はメディア以上にパロール(教祖の託宣)を特権化してきた。
この国の死生観は無神論で、多くの国民は神も、神の恩寵も、死後の世界も、死後の裁きも信じていない。死後の裁きや転生、悪霊や怨霊などの心霊現象は、悪徳が栄えているというこの世の現実から民衆の目をそらすために政治的に利用されてきた。だからこそどの国のテレビ局も宗教からの中立を装いながら心霊番組の放送には熱心である。この世に栄える悪徳の象徴は、まさにスポンサーである政治家や実業家に他ならないからである。因果応報、盛者必滅、生霊死霊のドラマは悪徳の栄えの偽装になるのである。
イマヌエル・カントは神の存在と死後の裁きを悪徳の栄えという現世の不条理を埋め合わせるための道徳的要請、もしくは神と来世の存在の道徳的証明と定義した。これは正しくは政治的要請であり、政治的証明である。今日では正義のための神学的仮構は民主主義と自由主義の仮構(市場の自由の仮構)、あるいは功利主義とリベラリズムの仮構(分配の平等の仮構)に置き換えられている。自由と平等と公正は新たな三位一体論(民主主義の教義)となった。
この国にかつて宗教があった時代の教会や寺院は今なお破壊されることなく文化財として保全されている。しかし宗教家はおらず、祭祀も観光用のデモンストレーションにすぎない。
出生、結婚、葬送などの死生観を伴うイニシエーション(通過儀礼)は、さまざまな宗教を取り入れて行っている。いわば都合宗教または習合宗教である。これらをこの国では宗教とはいわずにスタイルまたは式という。キリスト教、イスラム教、仏教は三大スタイル(式)である。ヒンドゥー教(ヨーガ)を加えて4大スタイル(式)とよばれることもある。
思想信教は自由であり、無数の宗教サークルがある。危険な教義を信じるカルトサークルもある。これらはみな教育サークルを偽装している。これらのサークルでは宗教をスタイルとよばず、マインドとよんでいる。また自らをニュー科学、スーパー科学、ディープ科学、スペシャル科学、ハイパー科学などと称していることも多い。無神論のこの国では、宗教は科学マインド(科学っぽさ)を偽装するしかないのである。特に人気なのはレオナルド・ダ・ビンチやノートルダム(ノストラダムス)やパラケルススなど、西洋中世やルネサンス期の芸術家や預言者や錬金術師を偽科学的に再評価する預言科学派である。古代インドのウパニシャッド、アラビアの化学者(錬金術師)、マヤ暦も人気がある。脳芸(錯覚芸)で知られる脳科学派も人気で、脱洗脳派ともよばれる。脱洗脳とは入信以前が洗脳状態で、そこから解放されてくもりのない真実を回復することである。これを復帰ともいう。
科学宗教といえるまで組織化されていない迷信もある。しかしこの国では占いや祈祷はほとんど仕事にならない。迷信を無責任に煽動してきたメディアがないからである。占いや祈祷はありもしない運命や呪いや祟りを口実に人を差別することに利益を求める仕事であり、この国では詐欺または脅迫にあたる犯罪とされ、それ以前に人道に悖る行為として軽蔑されている。
この国では人の性格を外形的類型、たとえば体形や血液型や誕生日と関連付けたりすることはない。性格類型学(血液型性格類型学など)は偽占いというよりも偽科学と考えられている。ABO式の血液型を決めている遺伝子は一つなのに対して、性格を決めている遺伝子が一つのはずはなく、土星の位置と人間の運命くらいに無関係だというのは常識になっている。性格を類型化したり、それを別の類型化で説明したりすることは無用な先入観による無用な差別をもたらすだけである。
この国で占いや祈祷の代わりに人気があるのはライフフォアキャスト(LF)とライフプロテクション(LP)である。LFとは個人情報に基づいてさまざまな人生の危険を予報することである。LPとは予報された危険を個人情報に基づいて回避することである。LFもLPも綿密な情報分析に基づいて行われる。たとえば職歴、病歴、生活歴は直系10親等、傍系5親等まで調査され、ゲノム情報は家族や同僚、近隣住民まで参照する。本人と家族全員の人間ドッグ受診は必須である。また知能テスト、技能テスト、心理テストも家族全員が受けなければならない。
LFLPは科学マインドではなく、再現性がある科学である。かつてニュートンのような物理学者が、誕生日だけではなく誕生した場所と時間まで考慮する占星術の複雑な計算(人が生誕した場所によって時間は異なり、天球の見え方も異なる)を請け負っていたように、LFLPは人工知能と予防医学者とライフプランナーがチームになって行っている。
占いは人生や運命と無関係だから歴史的に生き残ってきたと考えられる。仮に1%でも有利な未来を読み出せるのなら、すなわち51%の確率で有利な二者択一ができるなら、それを百万回繰り返すことによって、占いは科学になりえる。わずかでも当たる占いは科学に乗っ取られてしまい、占いとしては消滅するのである。そのようにして気象学や心理学や経済学が、当たる確率は物理学にはるかに及ばないにもかかわらず科学として成立したのである。心霊医や呪術医もまた同様で、効果のあるものは医学や薬学に乗っ取られて消滅し、効果のないものだけが生き残った。
逆にいうとたとえ百億回繰り返しても極限的に50%の確率しかえられないからこそ、つまり当たらないからこそ、占いは数千年間生き残ってきたのである。人間の運命と惑星の天球上の位置、人間の性格と血液型との間には百億分の1の関連性もないからこそ、占いとして生き残れるのである。これを占い中立説という。
中立はとても重要な概念である。DNAの化学進化も中立だし、メディアも中立だし、官僚も中立だから生き残ってきた。およそ生き残るものは中立であり、偏るものは滅びるのである。つまり科学はいつか滅びるかもしれないけれども、占いはこれからもずっと生き残るのである。
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