23 病院がない
この国には病院がない。病院は病人を社会から排除する隔離施設であり、矯正施設であり、治療監視施設として、この国では憲法違反になる。
この国の人も分娩によって誕生し、時に病気になり、負傷し、いつか老衰して死ぬから、医療は必要である。しかし医療を病院(ホスピタル)というシステムで行う必然性はない。
病院は健康な人と病気の人を差別し、重症度でトリアージ(記号化)し、病人を日常から隔離して自由な行動を奪い、日常生活の生産(創作)、生殖(恋愛)、享楽(趣味)を禁止し、ひいては人間性と個性を否定して、人をただ生命として延命させ、機能回復させることだけを至上の目的とする監視システムである。そこでは医師が君主のように、あるいは看守のように、あるいは教祖のように君臨し、医師以外のコメディカルは奴隷のごとく、あるいは執事のごとく、あるいは兵士のごとく、医師の命令に従属する。病院で自由な人間としてふるまえるのは医師だけである。
このような隔離施設としての病院はこの国にはない。
この国の医療のモデルは他の国ではプロスポーツ選手が受けているようなコンディションケアもしくはパーソナルサポート医療である。パーソナルサポート医療は人の個性を否定して病気の治療に専念させる禁欲医療ではなく、人のコンディションを最大限に生かすための欲望医療である。オリンピックをはじめとする競技会における世界記録更新の一端をパーソナルサポート医療が担っている。もう一端は新素材によるシューズ、スイミングスーツなどの装具技術の革新、四次元画像解析、トレーニングシミュレータのような情報技術の革新が担っている。
このようなパーソナルサポート医療は俳優や歌手やダンサーのような身体芸術家にも施されている。最高のコンディションを保つため、ヨーガ、エアロビクス、ボイストレーニングなど、さまざまなプログラムが用意され、マクロビオティクスのような特別の食事が給仕され、専属のスタイリスト、ヘアアーティスト、ネイリスト、トレーナーなどが随行する。心療カウンセラーが付き添うこともある。
人間性を損なわず個性を伸長するパーソナルサポート医療を全国民に与えることが、この国の医療の目標である。
パーソナルサポート医療では、医師は神ではない。患者が神であり、医師はむしろ下僕である。だれがプロスポーツ選手や人気俳優より主治医のほうが偉いと思うだろうか。
設備の整った手術室や集中治療室が必要な重症患者もいる。だが重症患者の治療施設も病院とはよばれず、LHCC(リミテッドヒューマニックコンディションケアセンター)とよばれる。LHCCでは傷病からの患者の回復をもちろん最優先の目標としながらも、そのために患者の人間性を損ない禁欲を強いることがないように配慮する。たとえ回復が困難だとしても臨終の瞬間まで患者のコンディションをサポートしていく。これは終末医療(ターミナルケア)とはよばれない。
死は一個の生命にとっては終末であっても、一個の人生にとっては終末ではない。この国では一部の芸術家や思想家だけではなく、すべての人が精神的にだけではなく身体的にも生きた証(メモリアル)を雲上(クラウド)に永遠に残すからである。さらに雲上の人格は本人の死後も仮想人格として成長を続ける。この死後人格に身体性を復元すること(リアンソロポローション)もできる。人は社会的には不死になったのである。すなわちこの国の雲上人口(クラウドポピュレーション)には生誕者数を加え死亡者数を減じない。この雲上人口あるいは単に上人口には国土や国富の制約がない。これに対して下人口とは身体によって現に生きている人の人口(リアルポピュレーション)である。これに未生人口(ウームポピュレーション)を加えたものがこの国の人口概念である。
精神病もしくは狂人という概念はこの国にはない。統合失調症という診断名もこの国にはない。これはさまざまな脳の器質疾患の総称である。苦痛もしくは苦悩を伴う心理状態、すなわちPTSD(ストレス、トラウマ)、コンプレックス、ノイローゼ、ヒステリー、引きこもりは、社会的不適応と見なされず、単に心理的コンディションと見なされる。心理状態の不安定を解消するために入院することはこの国ではないし、強制収容所へと発展する優生学的政治性(精神浄化の極限化としての民族浄化)を有している最悪の隔離施設とされる精神(科)病院はもちろんない。
他の国では鬱病による休業者が増えている。この国には鬱病という診断名がない。気分や機嫌の悪いときに仕事を休み、安心できる場所に退避することは当然のことと考えられており、わざわざ休みの許可をもらったり、診断書を提出したりする必要はない。この診断書提出義務こそが、かえって鬱病を増やしてしまいかねない。この国の人は仕事を消耗(労働)ではなく増進(活動)だと考えており、仕事と趣味には境界がない。やりたいことをやりたい時にやっているのだから仕事が抑鬱の原因にはなりえない。
他の国ではサイコパスやパラノイアによる残忍な無差別殺傷事件、銃乱射事件、監禁事件、ストーカー殺人事件がたびたび起こっている。この国ではパニンスペクトンによって予兆が検知され、犯罪にいたる前にカウンセリングが開始される。この二つのコンディション(サイコパスとパラノイア)には社会的適応力(役割演技力)が十分に留保されていると考えられている。
他の国では自殺の原因の80~90%は精神疾患であると考えられており、自殺予防の観点から抑鬱に対してベンゾジアゼピンやSSRI(選択的セロトニン再吸収阻害剤)などによる薬物療法が行われている。この国では自殺はSNS投稿などからえられる情報によって予知できる過逃避(ハイパーエスケープ)であると考えられており、パニンスペクトンによって自殺が予知された場合にはただちにサポートチームが編成される。自殺者の99%は自殺の予告行動や暗示行動(ほのめかし行動)をするからである。SNSの自殺サイトは貴重な情報源である。自殺予知システムによって自殺の90%以上が阻止されているものの100%にはいたっていない。
自殺予知システムでは、セーレン・キルケゴールの理論に基づき、自己からの逃避(自分自身でなくなるための逃避)と自己への逃避(自分自身であるための逃避)を区分している。危険度(自殺完遂率)が高いのは後者である。なぜなら自分自身でなくなることはできないけれども、自分自身であることはできるからである。
自殺する権利は認めていない。自殺の教唆、嘱託、幇助は犯罪である。尊厳死や安楽死は自殺幇助であるが刑事免責となる。猟奇的幇助は殺人とみなされる。これらもほとんどのケースでパニンスペクトンによって未然に阻止されている。
病人の隔離と監禁は病院の本質である。これは主たる病気が伝染病(とくに癩病、ペスト、結核)と精神病だった時代の名残である。ワクチンが発明され、抗生物質が発見され、化学療法が確立する以前、伝染病に対する有効な治療法がなかった時代には、隔離が伝染病に対する唯一の社会防衛手段だった。また精神病は悪魔、悪霊、動物霊の憑依と考えられていた。この頃の病院は社会を攪乱する恐れのある病人を監禁し、あるいは治癒の見込みのない病人を放置するだけで、医師はおろか看護者も満足にいなかった。あるいはいたとしても無力だった。薬は無効ではないものの劇的な効果がない生薬しかなく、微生物や病原体(細菌やウイルス)の知識がなく、病棟も手術の器具も衛生的でなく、病人が回復したとしても、それは偶然だった。病人を治療し看護するための十分な人員を配置し、病棟の衛生に配慮することで、ホスピタリティのある隔離施設、すなわち近代的な意味の病院が成立した。信じがたいことに最近まで科学的治療法の適応のある患者を受け入れる病院は、治療が事実上放棄された人を収容するサナトリウム(療養所)や精神(科)病院と区別されてきた。しかしこれらは隔離施設としての本質において現在の病院に引き継がれている。
産業革命以降、とくにマルクスの資本主義研究以降、有閑階級(資本家)を除く人間の存在の本質が労働力の商品化と考えられるようになると、病院は脱商品化された(働けなくなった)労働者の再商品化工場とみなされるようになった。また学校も労働力の生産工場だった。故障した労働者や学生の修復を迅速に行うには、病人を社会から隔離し、自由を剥奪し、人間性を停止させ、苦痛を伴う治療を我慢させ、終日なにもさせずに生命機能の修復に専念させる必要があった。入院患者はあたかも治療という懲役を科された牢獄の収監者になり、医師と看護師は看守だった。
故障した人間の修理技術として、近代医学は医科大学システム(医局システム)、総合病院システム(臨床試験システム)、国家管理システム(医療保険システム)と相まって発達してきた。比喩的な意味で動物の病院や植物の病院も誕生した。これらも人間の病院と大きな差はない。というより病院においては人間も動物も植物も生命として無差別であり、生かしてさえおけばどんな生き方でも死なせるよりはましなのである。
それでも今日の病院はかつてのサナトリウム(結核療養所、ハンセン病療養所)や精神(科)病院がもっていた隔離施設としてのイメージがかなり払拭され、明るいイメージに変わってきた。たとえば病院食はいつの間にかセレクトメニューがあたりまえになった。だがまだスマホやパソコンは大部屋では禁止だし、病室でやってはいけないことが多く、療養と無関係な禁欲を一律に強いられる。
すでに各国でゲノム解析に基づいたパーソナルサポート医療が始まっている。乳がんの遺伝子が見つかっただけで乳腺を切除したアメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーは極端な例だ。今後はDNAや家族歴や生活歴の差異を尊重したパーソナルサポート医療が普及していくだろう。
入院患者一人一人に全く違ったサポート体制が組まれることになれば、もはや病院は隔離施設とはいえなくなる。病院はパーソナルサポートケア施設の方向へと進みつつあるといえる。懸念されるのは医療費の高騰による医療格差である。
医療費を抑えるためにも可能なかぎり入院しない医療システムを構築する必要がある。スマホを使ったリアルタイムバイタルチェックと、都市全体にくまなく分散設置した医療ターミナルシステムは、非入院医療を進める有力なアイディアだ。
パーソナルサポート医療によって救急医療も変わる。予測できなかった急病で倒れてから救急車で病院へ搬送しても救命率は低い。スマホによって倒れる前に予兆を自動検知して警告を発し、医療ターミナルに避難して応急措置を受けてから適切な医療施設へ搬送すれば救命率を高められる。急患予知が近未来の救急医療には必須となる。医療ターミナルを普及させるには医師による医療行為の独占を見直す必要がある。専門医の診断はIT技術で遠隔的に行えるから、すべてのターミナルに医師は必要ない。ロボットハンドによる救急措置や緊急手術も急速に普及していくことが見込まれる。
このような先端医療システムを普及していくには地方から始める実験が有効である。パーソナルサポートケアシステム、医療ターミナルシステム、急患予知システム、メディカルドローン搬送システムを導入した医療先端都市を、まず地方に構築するのである。すでに医療大学、看護学校、中核病院の三点セットが揃っている地方都市が候補となるだろう。これは都心から地方への移住者を増やすIターン効果もある。都心ですぐにこのようなシステムを導入することは難しいからである。
あるいは中核病院と医科大学をすべて田舎に移し、都市はクリニック、田舎は病院という構造をもっと明確にすればいい。救急搬送システムがドクターヘリとメディカルドローン(バイタル管理をしながら救急患者を空中搬送する無人機)になれば、搬送時間での都市と田舎のハンディは逆転する。隔離を前提とした病院はいかに開放的に生まれ変わろうと都心にある必要はない。これはホスピタルからサナトリウムへの回帰である。
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