21 貨幣がない

 この国には中央銀行がない。この国には現金貨幣がなく、すべてがスマホによるカード決済であるため、銀行券を発行する中央銀行は必要ない。国債は3年物以下しかなく、発行残高も少ないため、国債のオペレーション(中央銀行による国債の売買)も必要ない。

 個人への信用供給はクレジットカードグループが行い、法人への信用供給は投資銀行が行なう。クレジットカードグループや投資銀行の信用供給の担保は保険グループが提供する。貨幣供給量すなわち信用供給量の安定ひいては物価と金利の安定は信用監視委員会が行う。物価対策すなわち貨幣供給量の調整は、クレジットカードの上限額制限及びクレジットカードグループの貸越額、投資銀行の起債の総額制限によって行われる。


 この国の通貨単位はカルタである。カルタは紙幣があった時代の名残で、もともと紙という意味だった。カードの語源もカルタである。

 この国は一国一通貨主義をとっていないので、カルタ以外にもさまざまな通貨があり、新通貨を自由に定義できる。新通貨はすべて仮想通貨(暗号通貨)であり、一定の要件を満たせば電子マネーとして取引の決済及び他の通貨との交換が認められている。一定の要件とは、一定のセグメント(特定の市場)における決済率が1%以上見込めることである。地域通貨、グループ通貨も同様の要件で仮想通貨として認められる。電子決済が100%になったので、仮想通貨と現実通貨の区別は意味を失っている。

 為替変動からカルタを防衛するため、主要な国際通貨の通貨バスケットに対して固定相場制をとっている。結果的に現在1カルタは約1米ドルであるが、ドル連動ではない。

 カルタとその他の通貨の換算率(レート)はリアルタイムに、もしくは少なくとも30分ごとの平均値を公開しなければならない。通貨が不足してレートが短時間に10%以上変動した場合はデフォルトとなり、カルタ及び外国通貨との交換が停止される。

 この国の国債(3年以下の短期国債しかない)は通貨単位の定義が自由であることから、カルタ以外の通貨でも発行されている。仮想通貨によるカコトリア国債はデフォルトのリスクが高い。それでも為替レートが自由で金利が高く、希少性も手伝って国際的に人気がある。グループ債や銀行債も同様である。


 この国の預金は利子が付かないかわりにデフォルトリスクがない(全額払戻し保証がある)当座預金だけであり、クレジットカード、デビットカード、電子小切手、電子手形の決済口座として用いられる。預金者にメリットがない(全額払戻し保証がない)微利子の普通預金は存在しない。また定期性預金もないが、譲渡性預金はある。銀行間や銀行とファンド間などの機関同士間の資金融通においては金利が生ずる。当座預金を匿名で開設した場合には決済口座とすることができない。匿名口座から決済口座への自動振替や自動貸越を設定することはできる。クレジットカードまたはデビットカード決済のため、ファンドを担保とする自動融資により当座預金残高を増やすことをオートファイナンスという。

 この国では個人でもグループでも余剰資金の運用には預金を用いず、ファンドに依っている。他の国と同様ファンドは投資家から資金管理の信託を受けて国内の事業や事業資産、外国の不動産、証券、外貨などに投資をおこなう。外貨預金はファンドとみなされる。

 ファンドはファンドグループによって運営されている。ファンドには決算の特例が適用される。決算及び投資家への決算見込み公告は月次、時価評価は毎時または随時に行われる。ファンドが元本割れしたとき、自動換金によって資金が他のファンドに移されることをセイフティシャットダウンまたはオートスワップという。配当実績または予測からファンドの価値を逆算し、ファンドを解約せずに売買することをファンドの流動化という。


 非武装平和主義(非同盟主義)であること、匿名口座を開設できること、事業収益にも資産にも課税されないこと、外国の銀行に出店を許さないこと、外国為替を主要国通貨バスケットの固定相場としていること、仮想通貨起債ができることなどの金融措置の結果、カコトリアはタックスヘイブンとして世界の富裕層から支持され、多数の財産管理グループが設立されている。この結果カコトリアの銀行にはとほうもない預金残高がある。その大半が外国人のペーパーカンパニー(架空財団)による匿名口座である。他国にいながらにして美しい自然を満喫できるリアルバーチャル観光が盛んなのは、この国の平和と安定を確認するためでもある。

 タックスヘイブンはパナマ文書で話題となった。世界の富裕層の名前が次々に暴露されたからである。カコトリアは差別のない国なのに世界の富裕層の存在は否定しておらず、むしろ世界の余剰資金の受け皿になるべきだと考えている。なぜならいかに不浄なマネーであっても、カコトリアにあるかぎりいかなる害悪ももたらさないからである。

 カコトリアの銀行は世界有数の機関投資家として世界中の開発事業に投資している。その投資基準はESG(エンビロンメンタル・ソーシャル・ガバナンス)である。原発のある国、核兵器のある国とその同盟国、軍縮計画のない国、銃器規制のない国、人種や女性差別のある国、差別的な宗教を国教としている国、そしてこうした国の友好国の事業には投資しない。国際人権条約を留保なしに批准している国であることは最低限の条件の一つである。

 暫定憲法により、匿名口座をふくめ口座名義人の実質的な母国が国際紛争当事国となった場合は、予告なく預金凍結や投資引上げの措置をとることがある。紛争当事国には国連決議に基づく軍事介入(平和維持活動)やそのための後方支援活動を行った国を含む。医療、衣料、食料、教育などの人道支援や停戦監視は除く。この措置はアジア諸国や中東諸国の富裕層から支持されている。


 国際経済においても貨幣の終焉が近づいている。

 一つはドル基軸の終焉である。ドル決済の貿易が減り、ユーロはイギリスのEU離脱(ポンドはもともと独立)、アイスランド、ギリシャ、イタリア、ポルトガル、スペインの連鎖的なデフォルト危機で瓦解しかけ、人民元がIMF預託残高第1位の通貨となるのも時間の問題となり、ドル基軸が終焉するのは確実視されている。すでにSDR(特別引出権)は主要5通貨のバスケットになっており、早晩新しい国際通貨が模索されるだろう。それはIMFクレジットになるかもしれない。いずれにせよ、いずれの国家にも属さない斬新な発想の通貨になるに違いない。仮想通貨となることは確実だろう。通貨ですらないかもしれない。

 もう一つはクレジットカードやデビットカードの普及による現金通貨の終焉である。アイスランドのように、現金がほとんど使われていない国がすでにある。中国の消費経済は支払宝(アリペイ)などによる電子決済の普及により急速に非現金化(スマホ化)が進展している。

 三つめは国家に帰属しない仮想通貨の拡大により、中央銀行が発行する通貨を凌駕するというものである。IMF専務理事のクリスティーヌ・ラガルドが仮想通貨の浸潤による中央銀行の終焉に言及して話題になった。シカゴではビットコインの先物取引が始まっている。すでに数万、数十万の仮想通貨があり、毎日増えており、すべての銀行がこの市場への参加(仮想通貨の発行)を表明している。今はカンブリア爆発期であり、やがて恐竜時代が来るだろう。

 そして四つめは偽札の蔓延である。悪貨が良貨を駆逐するどころか偽札が貨幣を終焉させる状況になっている。とくにドルと人民元の偽札の蔓延は深刻である。


 通貨制度はそもそもフィクションである。通貨が小麦だった古代メソポタミアからそうである。金本位制が廃されて銀行券(紙幣)が貨幣になって以来、通貨は信用というフィクションになった。経済学的には通貨(マネー)と信用(クレジット)は同義である。

 信用は中央銀行と銀行のキャッチボールによっていくらでも大きくできる。中央銀行が銀行に金を貸し、その金を中央銀行に預け、その預金を担保にして銀行に貸す。これは無限に繰り返すことができ、中央銀行の預金残高は天井知らずに膨れ上がっていく。これをマネーストックの無限膨張という。いわば中央銀行の自作自演バブルである。しかしこれだけならバブル経済にはならない。

 こうした方法によって日本銀行には毎年1兆ドルずつマネーストックが積み上がっている。それでも経済にはなんの影響もない。政府の御用経済学者は最新の通貨再膨張政策(リフレーション)だと説明している。この経済理論はシノペのディオゲネスがプラトンの前で人間の定義を否定して見せたように間違っていることを証明できる。財布を広げて見せれば、毎年1兆ドル(国民一人1万ドル)増えているというマネーの分け前にだれもあずかっていないことがわかる。

 このマネーストックバブルが決壊して市中にマネー(クレジット)が一挙に流れ出せばバブル経済、つまり資産インフレーションとなる。土地やマンションに流れ出せば不動産バブル、IT企業に流れ出せばITバブル、証券に流れ出せば証券バブル、インフラに流れ出せば公共事業バブル、観光に流れ出せばリゾートバブルである。二酸化炭素排出権バブルもかつて画策された。息を吹き込み続ければ風船はいつか割れるかもしれない。しかしいつ割れるかはだれにもわからないし、割れないかもしれない。割れるタイミングや割れるスピードをコントロールする経済理論は、実は存在しない。つまりノープラン(なりゆきまかせ)である。これがマネーストックバブルのインフレーションリスクである。


 中央銀行がないカコトリアでは、このようなマネーストックバブルは作れない。信用供給はクレジットカードグループが担っている。現在のところ、世界のオーソドクスな経済理論はクレジットカードの信用供給を無視している。中央銀行がコントロールできないからである。経済理論が無力なのはこのせいである。

 クレジットカードで買える商品が現物やサービスにかぎられていれば、カードバブルは決して起こらない。信用供給は理論的にGDP(国内総生産)の範囲内に収まるからである。

 しかしデリバティブ(金融商品)をクレジットカードで買えるなら話は違ってくる。金融商品とクレジットカードの間でキャッチボールすることによってバブルを膨らませることができるからである。これは自作自演バブルであり、中央銀行のマネーストックバブルと同様、天井がない。

 カードバブルでは個人がGDPを超えた金融資産をもつこともできるようになる。たとえばすでにカードローンでマンションを買い、そのマンションを担保にローンを借りて次のマンションを買うことを繰り返せるようになっている。つまりマンションの一部屋を買う資金で一棟すべての部屋を買うことも可能になる。これをプライベートバブルという。株や外債やFX(店頭外国為替証拠金取引)などのデリバティブをクレジットカードで買えるようになれば、プライベートバブルはあっという間にGDPの何倍にも膨れ上がる。

 国のマネーストックバブルも、クレジットカード会社のカードバブルも、個人のプライベートバブルも、やっていることは同じマッチポンプである。ビットコインなどの仮想通貨ならもっと簡単にマネーストックバブルを演出できるが、これも経済の標準理論からは取りこぼされている。さらに中央銀行による国債直接引受(ヘリコプターマネー)も加われば、自作自演の通貨膨張はとどまるところがない。クレジット(信用)はもはやクレージット(狂信)である。


 ユーロは発足時には通貨革命ともてやはされた。ユーロの失敗は通貨と経済は統合したのに国家は存続し、財政は統合しなかったことにある。ユーロの為替レートはEU加盟国の平均的経済力で決まるから、相対的に経済が強い国は実質的ユーロ安によって貿易黒字となり、相対的に経済が弱い国は実質的ユーロ高によって貿易赤字となった。通貨を統合したので為替レートで各国の国債の価値を調整できず、経済が弱い国の国債の金利が上がって財政が破綻した。強い国と弱い国の経済を平準化する仕組みがなかったのである。どんなに小さな矛盾でも50年もすると複利計算的に格差が膨張して破綻する。ユーロを支えた通貨統合理論はすでに時代遅れである。

 この失敗を繰り返さないためには通貨を一つに限定せず、むしろ新通貨を自由に認めてしまうことである。国債を発行するごとに通貨を変えることだってありえる。通貨が違えばレートが違う。金利は変えずにレートを変えれば国債のデフォルトは回避でき、財政破綻もなくなるのである。このような離れ業は仮想通貨による起債を認めればすぐにもできることである。もしもEU加盟国のどこかが脱ユーロに踏み切り、仮想通貨債を発行すれば、EU圏内を超えてたちまち世界中に拡散されていくだろう。

 仮想通貨の最大の特徴は中央銀行が関与しないということである。その意味ではクレジットカードと親和性がある。クレジットカード決済に仮想通貨が使われるようになれば通貨革命が起こる。それは中央銀行とマネーの心中をもたらすに違いない。中央銀行というドグマを捨ててしまわなければ通貨膨張はバブルではなくボンブをもたらすだろう。その後に来るのはハイパーデフレーション(大絶滅)である。

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