経済系報告

15 観光客がこない

<経済系報告>


 「観光地みたいなところはないんだろうか」毎日同じカフェに通ってネットサーフィンばかりしているのに飽きてキャンディに聞いてみた。

 「もちろんいっぱいあるわよ。観光は最大の産業だもの」キャンディはあっさり言った。

 「たとえばどんなリゾートがあるの」

 「聞くより行ってみたら」

 「どうやって」

 「ネットで行くのよ」

 「実際に行ってみたい」

 「だれも行かないわ。セットを貸してあげようか」キャンディはバッグから3Dヘッドギアを取り出した。メードインジャパンだった。

 「どこが人気なの」

 「人それぞれよ」

 「それはそうだけど、旧い官庁街とかないかな。道路革命より前の国会とかあった時代の」

 「それならエリアワンね。もともとの首都だから」

 エリアワンは道路革命までクラリス(清都)と呼ばれていたカロネリアの旧首都だった。エリアフォーからは北方200キロの位置にあった。自動車も電車も飛行機もなくては実際に行くことはできなかった。


 スマホにヘッドギアをセットし、観光サイトにアクセスしてみた。エリアワンの観光メニューは多彩に用意されていた。ドローンアイによる空中散遊とロボットアイによる市中散策が代表的だ。いろいろ迷ってロボットアイによる旧都自由探訪6時間コースを選んだ。約500ドルだった。オプションの日本語ガイドに約200ドルかかった。

 ギアのマイクに向かって「スタート」と言った。

 しだいに景色がぼやけ、およそ10秒でエリアワンにテレポーテーションした。隣にキャンディが立っていた。

 「君も来たのか」

 「私はキャンディさんの姿をスキャンしたガイドです。お隣にいらしたので恋人なのかと思いました。あなたにしか私は見えません」キャンディの姿を借りたガイドが日本語で言った。

 「ここはどこ」

 「あなたが見たがっていた旧国会議事堂の前です」確かにそれらしき白亜の大堂があった。

 「聞いてたみたいに言うね。中に入れるの」

 「政治史博物館になっていますから入館できますが、時間がかかりますよ。展示物はあとでネットで見られたらいかがですか」

 「ほかにこの街の見所は」

 「旧首相官邸、旧財政省、旧最高裁判所、旧国営テレビ局、それから旧アメリカ大使館も人気です。地上波テレビ放送があった時代のテレビ塔にも登れます」

 「道路革命で解体されたのではなかったの」

 「よくご存じですね。壊された建物もありましたが、すべて再建されました」

 「それ全部見てみよう」

 「6時間コースですと、お食事のオプションがございます」

 「おすすめはなに」

 「日本人には旧帝国ホテルのキャビア丼でしょうね。ごはんはコシヒカリです。魚沼産と多古産を選べます。どっちみちバーチャルなお食事にはなりますけど」キャンディをスキャンしただけあってクールなガイドだった。

 「まかせたよ」

 「それではまいりましょう」

 6時間はあっという間に過ぎた。委細は省くが、百聞は一見にしかず、いろいろ感じるところも多かった。

 「明日はどうされますか」ガイドがわかれぎわに言った。

 「なにかあるの」

 「明日は革命第三記念日で、清都千年時代祭があります。毎年、数億人の観光客が集まります」

 「それを早く言ってよ」

 「予約されますか」

 「なにを」

 「革命当時の政治家になることができます」

 「ロールプレイングってことね。だったら、ペルソナになりたい」

 「わかりました。さすがですね。実は一番人気なんです。私は秘書になりましょう」

 委細はこれも省くが、ペルソナが革命前に経済大臣としてなにをやったか、革命後に外国でなにをしているか、よくわかった。彼は仮人商になろうとしていた。人は金なりというわけである。これがなにを意味するかはあとでわかる。


 バーチャル観光にすっかりはまって、自然探訪もいくつか試みた。

 キャンディが言ったとおりだった。観光はこの国の最大の産業といっても過言ではなかった。それどころかこの国の主要な外貨獲得源は観光だった。貿易に必要な外貨は観光によってもたらされていた。資源やプランテーションや製造業による輸出品がない国は、この国のみならず観光が重要な外貨獲得源になるのだ。

 この国の観光資源は豊かに保全されている四季折々の変化に富む自然と、美しく保存された中世以来の街並みである。どの街にもまるでヴィクトリア女王の時代まで遡ったみたいに自動車が走っておらず、電柱も電線もなかった。海岸も河川も山並もすべて自然のままに保全され、自然景観の中に人工の工作物は見えなかった。開発遺産としてあえて残されたコンクリートの鉄道橋やアーチダムが朽ちて自然に帰っていくさまも美しかった。このような国は他にないだろう。いや北海道の旧士幌線に残ったタウシュベツ川橋梁の奇跡の景観が、この国の開発遺産景観に似ている。この国の自然景観はすべてが北海道のようである。


 この国には道路がなく、電車がなく、空港がなく、埠頭がなく、観光客が宿泊できるホテルもないため、観光客が実際に訪れることはできなかった。ところがこの国には年間100億人もの外国人が訪れていた。そのすべてがリアルバーチャルのハイブリッド観光だった。ハイブリッド観光でなかったら1万人の受け入れもできないだろう。

 もっとも一般的なハイブリッド観光は、ドローンアイによる空中散歩である。ドローンを使えば観光のための道路がなくても美しい景観を楽しむことができる。野山にはまるで盛夏のトンボのように無数の観光ドローンが飛び交っていた。ニンジャプログラムによって他のドローンの機影は消去された。もちろんランデブー機は別である。

 ロボットアイを使った旧市街散策やリアルバーチャルショッピング(購入代理)も外国人に人気があった。購入した商品は国際宅配便で即日発送される。富裕層向けには長期滞在型のバーチャル移住もでき、リアルバーチャルな住宅が提供された。一軒に数万人が同宿していた。

 観光客が実際には来ないため、観光客のための投資(交通機関、宿泊施設、商業施設、その他の利便施設)がいらず、バーチャル観光によるインバウンド収入はむだなく自然の保全や街並みの保存などの観光資源投資に回すことができた。また商店街やショッピングモールなどの国民向けのリアル店舗は追加投資をすることなく電子売り上げを伸ばすことができた。これは仮想的人口増加効果とよばれていた。バーチャル飲食では実店舗の飲食店や食料品店の売り上げ増にならないと思われるかもしれないが、加工済食品の輸出を増やす効果が認められていた。


 観光は国全体を舞台とした総合芸術であり、観光客はこの芸術の鑑賞者である。芸術である以上、観光は創造的でなければならず、ただありのままの自然景観と歴史景観を見せればいいというものではない。

 芸術にとって重要なのは様式である。この国の観光が求める芸術の様式はディヒストリア(アンチヒストリア)様式とよばれる。これは現実を超えた理想を設定し、理想と現実のギャップを埋めるバックキャスティングシナリオを描く様式である。この様式の価値は理想の多様性によって決まる。理想は歴史的なものであり、10年後の理想、100年後の理想、1000年後の理想、逆に1000年前の理想もある。

 エリアワンの旧官庁街は、道路革命前のこの国の理想をディヒストリア様式によって表現した観光芸術であり、単なる歴史遺構ではなかった。時代祭(ヒストリックカーニバル)もディヒストリア様式によって演出されていた。つまり真の歴史ではない。そもそも真の歴史などどこにもない。歴史とは偶然の伝承と後世の都合をないまぜた虚構である。ディヒストリア様式は、観光と芸術のみならず政治や経済にも影響を与えていた。

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