14 地方自治体がない

 この国には法に定められた全国一律の地方自治制度がなく、統治単位としての地方自治体も、統治機関(地方政府)としての地方公共団体もない。

 この国でも地方自治は認められている。ただしその担い手は地域の全住民が参加するグループである。地方自治はその地域の5歳以上の住民の過半数の参加で成立する地方グループまたは地縁グループが行う。地方グループがいったん成立すると参加しなかった住民も自動参加となる。これをクローズドショップという。

 住民ではなくても仕事人(労働者)なら主たる仕事場所の地方グループに参加できる。いわゆる労働組合は主たる仕事場所を地域とする地方グループとして認められる。これをさらに組織化することはできない。

 複数の地方グループを連合または合併すること、逆に分割すること、地方グループの中に小さな地方グループを設立すること、地域が重複する地方グループを設立することができる。ただし階層化はできない。地方グループの解散は構成員の3分の2以上の脱会希望によらなければならない。


 地方グループの名称は必ず公募しなければならない。名称の変更も同じである。地方グループの事務の内容は自由に決定できる。国の公共事業を代替執行するときは財源として国に地方交付金を請求できる。交付率は100%である。交付にあたって審査は要せず、監査も行われない。国が地方グループに公共事業の代替執行を命じ、またはそれを制度化することはできない。

 地方グループが地域立法をした場合は法律に優先する。ただし憲法を修正することはできない。地域立法は地方政治委員会が行う。地方政治委員会には、その地域のすべての住民が参加することができる。地方グループは地域立法に関する行政権と司法権を有する。包括的な地方行政委員会(地方政府)を設置することはできない。

 地方グループは一般取引税を加重または減免し、あるいは特別目的税を新設できる。ただし課税にはいかなる差別も許されない。


 地方グループは民会(エクレシア)を開催できる。民会とは市民が実際に議場たとえば広場に参集して議論する直接民主制の議会である。民会は全住民の過半数が参集しなければいかなる決定もできない。この参集比率は四分の一まで修正できる。民会の出席者に差別を設けることはできない。ただし5歳未満の幼児は出席できない。身体的に議場に参集できない住民たとえば海外旅行中の住民はインターネットによる不在者参加を申し出ることができる。

 民会の参加者は議場に参集したとしても全員がスマホを手にしており、チャットで議論する。ただ議場に居合わせているというだけで互いの顔すら見ない。2016年に世界同時流行したGPS複合現実ゲームのプレーヤーが集まるジムのようなものである。獲物がモンスターではなく公論というだけである。民会はリーダー(議長)を選出することができる。民会の決定は一般入札を原則とするが、参集者の評決(多数決)によることもできる。


 カコトリアの道路革命が始まったのは、サザニア(南都)とよばれていた当時人口35万人の地方都市である。現在のエリアテンである。カコトリアの最南端の小都市だった。

 道路革命前、南都ではすでに政治家のなり手がいなくなっていた。大学生以上の人口が中北部の大都市に流出して高齢者ばかりが取り残され、産業が空洞化し、商店街がシャッター通りになっていた。このために予算(税収)が乏しくなり、地方議員は報酬だけでは生活できなくなり、政務活動費をごまかすというけちな犯罪ばかりが目立っていた。議会の内にも外にも議員のやりがいがなにも残っていなかった。唯一の活路は隣接自治体との合併だった。それもできないならばいっそ議員をなくし、公共事業をなくしてしまえばいいと考えたのである。

 最初の改革は市議会の議員定数を10人に削減したことだった。この10人を市の最高執行部として部長相当の権限を与え、それまで要職を独占していた市官僚の派閥を解散させた。いわば地方内閣制(ローカルキャビネット)である。政治主導の地方行政が実現したのである。この改革は成功した。しかし税収は回復しなかった。国からの道路交付金も報復的に削減された。そこで市は道路の廃止に踏み切った。道路建設計画をすべて凍結し、既存道路の維持を放棄したのである。この改革断行の交換条件として10人の議員が市議会を廃止して総辞職した。議員自らの身を切る改革を住民は歓迎した。道路がなく政治家のいない地方行政が初めて出現したのである。最後の10人の議員はラストテンではなくファーストテンとよばれている。この10人から議会廃止運動が全国の自治体に拡がった。

 議会がなくなった南都の政治は市民に委ねられ、市民の意見で政治を行うためにスマホ(SNS)が活用されるようになった。道路がないために人口の流出が止まり、大都市からのUターン者が増えた結果、市民も市財政も豊かになった。だれもがスマホで政治に参加したがった。道路も政治家もいらなかったのである。さらに市民は市役所すら廃止し、無政府主義改革を断行した。これが契機となってついに中央の政治家が追放され、道路革命が成就したのである。

 何事においても現状の停滞感を変えようと思うなら、小さくてもいいからまず成功事例を作ってみせることである。今やもう国でも地方でもエリートたちはコピペしかできず、勝ち馬に乗ることしかできず、自らリスクを犯してまで先行事例を作ろうとしない。だけどコピペ上手だった教授の教えを受けたおかげで摸倣にだけは長けているから、どんなに小さな成功事例でもたちまちコピーされて拡散し、全国を席巻してしまう。そして敗色濃厚だったオセロの盤面が一発逆転、一瞬にして敗地が勝地に塗り変わるのである。


 革命はいつでも地方から始まる。フランス革命でも、ロシア革命でも、中国革命でも、明治維新でも、中央の政治から革命が起こったためしがない。なぜなら政治は支配者たちの駆け引きだが、革命は政治(駆け引き)ではないからである。中央の政治家が革命や改革を語ったとしても、それは法螺吹きか詐欺師か、どちらかでしかない。どの国でもときどき起こる政権交代が革命でも改革でもなく、なんらの変化ももたらさないのは、それが政治にすぎないからである。革命を起こしたいなら政治とは無縁でなければならない。なぜなら革命とは政治家を処刑することなのだから。

 だからこの国に再び革命が起こるとすれば、またしても地方からだろう。ただし反動(復古)やクーデターなら中央からも起こりえる。いやこの国には中央がないから革命はどこからでも起こりえる。

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