13 軍がない

 軍備のない安全保障は簡単ではない。国内問題なら教育水準や生活水準を引き上げることで、犯罪を減らすことができる。監視カメラ、ドライブレコーダー、Nシステムなどの防犯システムを充実させることもできる。実際これらの新技術が犯罪防止や犯罪捜査に一役買う場面が増えている。監視社会は現実のものである。しかし安全保障は主権の及ばない他国が相手である。監視衛星や哨戒飛行やレーダーによる遠隔監視、コンピュータネットワークのハッキング、あるいは伝統的な諜報員(スパイ)による内通を試みてきたものの、どれにも限度があり、主権を超えた平和の枠組が不可欠になる。


 世界平和のためには、いくつかの代表的な理論がある。

 一つは世界政府論で、国境をなくし、世界を一つの国家に統一するというものである。実際に世界政府を作ろうとしたら、世界征服を成し遂げなければならない。これでは帝国主義や赤軍思想と変わらない。往時のソ連の革命指導者(レーニン、トロッキー、スターリン)は世界同時革命を起こしてモスクワに世界政府を樹立しようと考えていたかもしれない。EUは地域限定の試みとして、かつて戦争で何度も敵同士となった犬猿の国(ドイツとフランス)がマーストリヒト条約に調印してEU政府を主導している。EUと同様の仕組みに世界のすべての国が加盟したなら、平和的に世界政府ができるだろうか。しかしEU離脱を一つの契機としたイギリスの国家分解の危機(スコットランド、ウェールズ、アイルランドの独立運動)、スペインのカタルーニャ独立宣言、そして南北ヨーロッパの経済格差の拡大など、むしろEUは瓦解の危機を迎えている。

 二つは国際同盟論で、イマヌエル・カントの永久平和論に基づくものとされる。歴史的には国際連盟と国際連合の二つの国際平和組織が成立した。国際連盟は紳士協定にすぎず失敗した。国際連合は国連軍の名の下に朝鮮戦争をはじめとする地域紛争に介入した。これは世界平和のためというより大国の権益防衛のためであり、平和維持活動とは結局は戦争である。

 三つは不戦条約で、第一次大戦後のパリ不戦条約が有名である。これもカントの永久平和論を基にしていた。不戦条約が第二次世界大戦の勃発を防げなかったのは国際連盟と同様である。ちなみに不戦条約は民主主義国家(共和制国家)間では戦争が起こらないという民主的平和論のジンクスに信をおいていたといえる。

 以上のどれも理想論(リベラリズム)であり、うまく平和を実現できたものは一つもない。EUにこれまでのところ内戦はないながら、加盟各国には独立した軍があり、軍事同盟(NATO)に加盟し、他の地域の戦争(湾岸戦争など)には一部の国が参戦している。

 国際連合は理想論でもあるし現実論でもあり、米ソ冷戦下でも瓦解せずに持ちこたえたしたたかさがある。様々な思惑と取り組みが混然としており、いたずらに理想ばかりを負わない現実路線がいいところだともいえる。


 ここからは現実論(リアリズム)である。

 四つは抑止論で、軍備拡張により戦争を防止するという逆説ないし詭弁ともいえる。とくにICBM(大陸間弾道ミサイル)、SLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)、潜水艦発射巡航ミサイルのような戦略核ミサイル、ステルス戦略爆撃機などの先制攻撃力と報復力によって、戦争を防止するという考え方を核抑止論という。また核弾頭を保有する国と軍事同盟することで安全保障を担保することを核の傘という。先制攻撃力とは先に攻めた方が勝つという前提の軍備である。報復力とは先に攻められても致命的な報復をする能力を残せるという前提の軍備である。結果的に抑止論は米ソ冷戦による軍拡競争や核の拡散を招来するだけだった。

 五つは集団的自衛権で、小国が単独では大国に対して自衛力や抑止力をもてなくても、同盟している他国が攻められたら共同して報復することを約束することで集団的に大国に対する自衛力と抑止力を担保するものである。南米で生まれた安全保障のアイディアといわれ、日米安保条約の基礎となったサンフランシスコ平和条約にも取り入れられている。しかし残念ながら集団的自衛権はそもそもの発想とは逆に、大国が利権の防衛のために小国の紛争に軍事介入し、あるいはこの軍事介入に同盟国を巻き込むための口実に使われている。

 すでに抑止論は時代遅れになったといわれる。核兵器が小国にも拡散して暴発を抑止できなくなったこと、電磁パルス攻撃をかわす技術がないこと、迎撃ミサイルが高価なだけで無意味なこと、化学兵器や生物兵器(核兵器とともにABC兵器という)が安価な戦術兵器として普及したこと、アルカイダやIS(イスラム国)など非国家組織が大国や先進国に対してテロを成功させるようになったこと、サイバー攻撃、民間航空機や自家用自動車の自爆など非軍備機材がテロに使われるようになったことなど、抑止論が通用しない戦争や戦術やテロの危険が現実化したからである。実は50年前から無意味だとわかっていたのに抑止論は軍需産業(とくにアメリカの軍産複合体)の利権に利用されてきたのである。

 六つは永世中立国や非武装国である。これは理想論のようで理想論ではない。永世中立国で有名なのはスイスとオーストリアだ。これらの国は非武装国ではなく、戦闘機もあるし徴兵制もある。武装中立は形容矛盾である。自宅の警備員にマシンガンを持たせておいて非暴力を唱えるようなものである。非武装国は国土が小さすぎる場合、あるいは経済的に貧困すぎる場合にかぎられている。ローマ法王庁があるバチカンやモナコ公国が小国の典型である。パラオ、サモアなど太平洋の島国は大半が非武装である。これは武装する経済力がないこと、観光が主な産業で攻める価値もないという現実論が理由とされる。


 カコトリアには軍がなく自衛のためを含めて一切の戦力をもたない。非武装平和が憲法に定める国是だからであり、憲法を現実論によってないがしろにしていない。憲法を守って滅ぶか、憲法を捨てて栄えるかと問われるなら、この国の国民は憲法を選ぶ。憲法とは国のプライドであり、プライドを捨てて生きるのはすでに死んだのと同じだからである。

 この国の安全保障は外交によっている。外交政策を管理するのは外交委員会である。ただし外交委員会が自ら外交を担うことはない。この国には国務省や外務省のような外交部がない。

 この国の外交の基本は孤立である。一切の国と同盟しない。また外国に公使を派遣せず、外国からの公使の派遣を受けない。大使館や領事館は官僚のための在外別荘であり、外交官の外国駐在は官僚の報償的または特権的休暇にすぎないと考え、道路革命前からすべて廃止していた。革命後はさらにこれを徹底して、国内に滞在していた外交官をすべて送還し、大使館、領事館を接収した。外国から臨時的に訪れる使節はあるものの、治外法権を認めておらず、外交官特権も領事裁判権も与えない。

 国際連合には加盟していない。常任理事国がこの国の憲法に定める環境・平等・平和・共生の永久4原則をいずれも満たしておらず、満たす努力もしていないからである。一切の国と同盟しないのも同じ理由からである。とくにアメリカの人種差別を国連で糾弾し、制裁対象にしないのはなぜかと疑問を呈しており、この国のリベラリズムを偽善的民主主義、共和主義を独善的民主主義とよんでいる。逆に胡耀邦の狭い愛国主義は誤国主義であるという思想は高く評価している。

 国連や関連団体が主唱する特定のテーマのアジェンダには賛同することがある。これまでナチュラル・ステップ、UNEP(国連環境計画)、UDHR(世界人権宣言)、国際人権条約、UNESCO(国連教育科学文化機関)、グローバルコンパクト、MDGs(ミレニアム開発目標)、SDGs(持続可能な開発目標)には勝手に参加を表明している。WWF(世界自然保護基金)、グリーンピース、気候変動枠組条約には参加していない。環境は重要だとしても、それだけを特権化すべきではないからである。UNICEF(国連児童基金)の活動は評価している一方、支援するための寄付は集めていない。この国では寄付を集める仕事(財産管理グループ)の事務費率は5%以内とされている。


 カコトリアの孤立主義は鎖国ではない。この国の経済は自給自足には程遠く、食料を始めとして多くの物資を外国からの輸入に依存している。貿易を担うのは他国では商社とよばれる貿易グループである。また輸出入代金の決済は為替銀行が行う。外国銀行の出店を制限しているため輸出入代金は必ず国内銀行を経由することになる。

 物資の輸入や外貨の取得ができなくなればこの国の経済はたちまち破綻する。ただしこの国のデフォルトは他国にとっても不利益である。輸入代金の支払いを6か月のローンとしているからである。

 この国の貿易の基本はフラットトレード、イーブントレード、フェアトレードである。3つあわせてFEF(フェフ)という。フラットトレードとはすべての国と均等に貿易するという意味であり、イーブントレードとは輸出入額を同額にする(貿易黒字も貿易赤字も出さない)という意味であり、フェアトレードとは国力に影響される為替レートや物価水準にかかわらず、相手国の国民と自国の国民に貿易の利益が公平に分配されるようにするという意味である。このためには最終的に相手国のだれに貿易の利益が分配されるかを調査しなければならない。一部の者に利益が独占されるならフラットでもイーブンでもフェアでもないからである。

 この国は観光産業が盛んである。多くの人に国土の美しさを見てもらうことは外貨獲得源であると同時に安全保障政策でもある。美しい国土は戦場とするに忍びなく、また戦場とする価値もない。さらに金融政策ではタックスヘイブンを奨励しており、世界の富裕層の資産を預かって平和を愛する国に選択的に投資している。

 この国の安全保障の柱は戦争放棄を謳う平和憲法である。この憲法をソフトパワーとして、孤立(非同盟)、観光産業、タックスヘイブン、FEFによって、非武装の安全保障を実現しているのである。


 軍がなく、外交部もなくて、もしも他国に攻撃されたら、どう反撃し、どう国民を守り、どう和議するのかというのは、よく聞かれる問いである。

 これに対してこの国の識者は口を揃えて答える。

 「軍があっても攻撃される危険を小さくできないし、攻撃されたときに軍が応戦するとかえって市民の犠牲を大きくする。ギャングがピストルをもっているからといって、市民がピストルをもったり、ピストルをもっている他のギャングをよんだりすることは危険を増すだけである。だから軍事的な抑止力や応戦力をもとうとしてはならないし、戦力を誇示する国と同盟してもならないのである」

 この国に武装警察官がいないのも同じ理由からである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る