12 防災施設がない

 この国にはコンクリートの防災施設がない。人気漫画の『進撃の巨人』(諌山創/講談社)とは逆に物理的な防壁によって都市を囲むというという発想がない。

 この国の海岸には防潮堤がなく、川には堤防も、治水ダムも、水門もなく、崖には擁壁がなく、里山には砂防ダムがない。

 自然を破壊する防災施設は作らず、災害の危険がある場所や建物には住まないというのが、この国の防災の基本である。これを避住原則という。避住原則は人口のクリティカル(ボトルネック)にはならない。都市住宅をすべて高層住宅にすればいいだけだからである。

 防災施設による安全は確率論的にしか実現できない。かつて国中に防災施設をどんどん作っていた頃、安全確率は海岸で100年、河川で30年、急傾斜地ではたった10年だった。つまり災害危険個所では、たとえ防災施設があろうと一生に一度は死の危険がある被災を免れなかった。しかも一番守ってほしい大災害に対して防災施設は無力だった。これは自動車のバンパーにたとえられる。バンパーは乗員の生命に危険が及ばない軽微な衝突からは車を守れるとしても、死亡事故の防止効果はない。

 防災施設の建設が中止され、防潮堤、堤防、水門、治水ダム、砂防ダムの撤去が始まったため、丸ごと廃墟になった都市や集落は数多い。

 沿岸地域では自然海岸や自然河川・湖沼の保全区域の居住が禁止され、多くの漁村が廃村となった。居住可能とされた漁港区域や港湾区域においては低層住宅が全面禁止された。海岸という海岸に防潮堤を築いて、高潮や津波から低層住宅を守るというのはナンセンスで、低層住宅をなくせば防潮堤はいらない。このため高層住宅が立ち並ぶのがこの国の港湾都市や漁村の風景である。

 農村では逆にコンクリートの高層住宅が禁止されており、大屋根の木造住宅が農村の景観と一体をなしている。

 山村はすべて廃村となった。例外的に認められた山村では土砂災害(地滑り、深層崩壊、土石流)を避けるための地下住宅が基本である。

 この国には火山があり、活断層も多く、温泉も沸く。当然、火山の近くや活断層の上の住居や宿舎は制限されている。源泉近くの入浴施設や宿泊施設は認められず、安全な場所まで導湯しなければならない。


 ローマンコンクリートの発明は古代ローマの都市計画を支え、コロセウムやパンテオンをはじめとして数々の古代都市遺跡を残した。しかしローマ人には火山防災の知識がなかったため、ポンペイやバイアエなどいくつもの古代都市が火山活動による火砕流や地盤沈下で消滅した。

 近代以降では防災と衛生のためパリの都市改造をナポレオン3世が指揮したことが有名である。ロンドンでもかつて多かった木造建築が都市改造でなくなっている。もっとも有名なのはリスボンで、震災を契機に防災都市に生まれ変わった。復興を指揮したボンバル公爵はポルトガルのみならず世界史に名を刻まれている。

 日本では関東大震災で焼失した東京で、後藤新平(東洋のボンバルといわれる)の指揮下防災性を最優先した帝都復興計画が練られたものの、復興資金が官僚に着服されるといった不祥事で頓挫した。戦災からの東京の復興は米軍の資金だのみで計画されたものの、十分な支援がえられずに頓挫した。東日本大震災の津波によって全滅した東北地方の太平洋沿岸市街地の復興計画では、自治体ごとにさまざまな防災都市が模索されたものの、市街地の内陸部移転、沿岸土地の嵩上、多重防潮堤が防災計画の主体で、災害に弱い木造低層住宅を廃するという計画はなかった。国が数十億円もかけて作成した復興モデルにも、そのような発想は見られない。


 危険な場所の建築規制、ひいては居住規制の法律は日本にもないことはない。土砂災害防止法である。しかしその規制は中途半端で、ほとんど効果を上げていない。土砂災害特別警戒区域に指定されれば建築規制をかけることができる仕組みなのだが、住民の同意がえられないと地方自治体は指定に二の足を踏むからである。指定による建築規制が不動産取引の重要事項説明に入るため、土地が売れなくなる、地価が下がるという一部の地権者の反対で規制が見送られ、土砂災害の危険がある土地に住宅が建てられ続けることになってしまう。命よりも地価が大事ということである。これは持ち家政策(居住用不動産資産形成政策)がもたらした不幸である。金融資産形成政策ならこのような不幸は生じなかっただろう。

 木造低層住宅が災害に虚弱なことはわかりきっている。それなのに海岸沿いや川沿いの低地、崖地に木造低層住宅を作り続けている。そしてこの木造低層住宅を守るために、後手後手になりながらも防潮堤、堤防、水門と揚水機場、放水路、調整池、遊水池、治水ダム、砂防ダム、擁壁を作り続けている。これをコンクリート装備率ないし整備率という尺度で測っている。装備率100%、未改修率0%、すなわち自然景観率0%を目指すのが日本の防災であり、公共土木事業である。木造低層住宅を危険な場所に建てなければいいだけのことなのに、日本人は、あるいは日本人を代表しているつもりのエリートはよっほどコンクリート防災施設と木造低層住宅の組み合わせが好きらしい。完成までに何百年かかるかわからないスーパー堤防はその極致である。

 この現状を変えるには、防災性の低い沿岸地、低湿地、急傾斜地の木造低層住宅の新築と建替を全面禁止し、偽装的な大修繕による延命(脱法リフォーム)を防止するため、居住可能年数を制限しなければならない。法律はすでにあるのだから決意をもって断行すればいい。30年がかりでせいぜい30年確率の防災施設を作ったところで災害は防げない。災害危険区域の木造低層住宅の新築や改築を認めなければ、木造建物が耐用年数を迎えるのを待つだけで、なにもせずとも数十年後には災害をなくせるのだ。土砂災害防止法はそうした発想の法律だったはずだ。

 不動産資産価値の滅失は地区単位の資産流動化で回避できる。大規模開発用地にできるなら小区画宅地の災害虚弱性は問題ではなくなるからである。土地収用法を改正して区域収用(面収用)を可能にしてもいいだろう。

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