6 一般公論
20世紀半ばに発明されたコンピュータ技術とインターネット技術をベースにして、21世紀初頭、SNS、バーチャルリアリティ、ニューラルコンピューティングAI(人工知能)が、ほぼ同時に開発された。そしてそこから一般公論(ジェネラルパブリックオピニオン)が成立した。ネット市民のばらばらな公論(パブリックオピニオン)に重合の化学変化が起こったのである。
SNSは人工知能の介在によってSNMに進化した。SNSにおいてもすでに私的意見と公的意見の区別はない。私的意見は公開されたとたんにシェアされて公的意見になる。SNMにおいてネット市民の公的意見すなわち公論は一般公論に止揚される。たとえSNMにおける公論が数十億チャットになろうとも、人工知能が公論の方向性を瞬時に集約して一般公論としてフィードバックしてくるのである。
SNMの参加者は結論を出す必要がない。むしろできるだけ多様な意見を出すことが重要である。主流派や多数派がSNMを占拠し、公論を占有しようとしても、無数の蟻が砂糖の塊に群がるように、すべての言説(ディスクール)はたちまち脱構築(デコンストラクション)されてしまう。人工知能だけが発散した言説を一定の方向性へと集約し、脱構築(脱ロゴス化)された公論を言説化(再ロゴス化)して、一般公論を創出することができる。
人工知能がSNMの発散した言説から一般公論を求めるアルゴリズムは以下のとおりである。これは数理的関係行列バーチャルブレーンストーミング法(マトリクスブレスト)とよばれる。
1 意見からのカテゴリーの抽出
2 カテゴリー間の関係行列の作成
3 カテゴリー関係図の作成
4 ベクトルの読み込みと評価
5 意見の修正、追加(1へフィードバック)
6 一般公論の暫定的な選択(仮終局)
マトリクスブレストにおける意見からのカテゴリー抽出は意見が多ければ多いほどよく、意見の質は問わない。結論を先取りしようとする意見、問題の原因を指摘する意見、単なる苦情、他の人の意見への批判、自分の立場や利害の表明、テーマと無関係なほら話やよた話など意見は様々である。
通常の討論では意見の拡散が議事進行の妨げとなるため、主要意見の絞り込み(争点整理)が必要になる。マトリクスブレストではすべての意見を等価値に扱い、特定の人の意見を重んじたり軽んじたりしない。意見が意味不明だろうと、途中で意見が変わろうと関係ない。多数意見も少数意見もない。すなわちロゴス(論旨が首尾一貫または理路整然としていること)は重要ではなく、ダイバーシティ(多様性)だけが重要である。問題の看過(だれも気づいていない問題があること)が一番困る。数十万人の中で一人しか指摘していない問題だったとしても、指摘されれば人工知能は決してその痕跡を見逃さない。だれもかつて言っていない超少数意見こそ超大事である。
人工知能によるカテゴリー抽出はあらゆる言語の差異を許容する。各国語にはそれぞれのコーパスの固有性があるからである。マトリクスブレストはすべての言語においてすべての話者が意味しようとしているものの差異(ニュアンス)を受け入れる。というよりもそもそも人工知能にとってはニューロ言語化(記号化)されたカテゴリーだけがあり、言葉(パロール)がない。これはマトリクスブレストにはシーケンシャルな文法(カテゴリーを時間的に配列する規則)がないと言い換えられる。文法はマトリクスブレストの結果を人間に説明する段階で必要になる。人工知能は同時に八千の民族言語に一般公論を翻訳することができる。そこに意味しているもの(シニフィアン)と意味されているもの(シニフィエ)の差異と遅延すなわち差延(ディフェランス)が生じることは問題にならない。どのような言語のコーパスとグラマーを用いようと、無限のフィードバック(差異の無限反復)によって差延は近似的に克服される。これを極限反復(リミテッドリペティション)という。
人工知能を騙して結論を誘導しよう、あるいは妨害しようという人はきっと現れる。人工知能はこうした悪意に騙されないように一人一人の言説の全履歴を解析する。これをプライベートビッグデータスクリーニング(PBDS)という。他人の意見のコピペや他人のアカウントを借りたなりすましの議論も、このPBDSでチェックする。コンテンツやセンテンスには一人一人に特有の癖すなわち思紋があるからである。
カテゴリーが抽出されたら、人工知能はそこから関係行列を作成する。これは縦横にカテゴリーを並べた碁盤のようなマトリクスで、関連性があるカテゴリー間の升目に1を、それ以外の升目には0を入れる。関係の有無は上位カテゴリー共通性、同一文脈同時出現性(順接性、逆接性、併接性)、経験的連動性などで判定する。その精度は人工知能の学習の進度で違ってくる。
関係行列を二次元にかぎる必要はないし、関係値を0と1の二値にかぎる必要もない。これはノイマン型コンピュータ時代のアルゴリズムもしくは人間がマトリクスブレストを理解するためのアナロジーである。人工知能が実際に行っているブレストは様相論理的であり複素値的である。
関係行列が作成されたら、これを関係図に変換する。関係の深いカテゴリーを近くに配置して線で結ぶのである。これは数理プログラムによって自動生成される。関係図も二次元である必要はない。
関係図が作成されたら、人工知能はベクトルの読み込みを行う。ベクトルの始点が原因(入口、問題)、終点が結果(出口、政策)である。ベクトルはカテゴリー数の階乗を上限に無数の組合せが存在する。人工知能にとってはこの全体が一般公論である。しかし人間にはとうてい理解できない。言語ではあるが言説(ディスクール)ではなく、記述(エクリチュール)は可能だが、人間がそれを読解するには無限の時間を必要とするからである。
マトリクスブレストの電磁的なエクリチュールまたはコンテキストは、人工知能にとってはロゴス的(論理的)である。しかし人間にとってはコード化(記号化)され、人智を超えて神秘化されているように見える。したがって人間がマトリクスブレストの電磁的なエクリチュールをそのままコントロールすることは不可能である。そこで人工知能は人間のためにベクトルの価値の判定を行う。価値の高いベクトルが人間に理解可能な文脈へと再ロゴス化(再ディスクール化)された一般公論の候補となる。ベクトルの最適化は巡回セールスマン問題として解くことができる。
この結果をSNMにフィードバックして、カテゴリーを増やし、関係図の精度を上げる。フィードバックのタイミングは5分おきでもいいし、関係図が更新された都度でもいい。とにかくできるだけ早いほうがいい。新鮮公論(他の公論で代替できない原始命題としての公論)を増やせるのは経験と直感をもっている人間だけである。ここに人間の優位性がある。この優位性は人間の被造物(人工知能)の確率論的カタルシスでは覆せない。
新たな意見が出尽くしたら一般公論の暫定的な選択を行う。SNMの開始から一週間以内に暫定的な一般公論(仮終局的一般公論)をえるのが望ましい。一週間で決まらないものは永遠に決まらない。ただし一般公論に本終局はない。公論は作動だからであり、作動が止まれば公論は消え去ってしまう。いわば公論は生きており、過去形の公論は意味がないのである。
一般公論が一つに収束(仮終局)するという理論を公論の安定均衡説という。この場合一般公論は一般意思になる。これに対して一般公論が二つ以上に収束するという理論を公論の不安定均衡説という。一般公論が収束しないという理論もあり、これを公論の発散説という。この国の多くの政治学者は不安定均衡説をとっており、人工知能も複数の仮終局的一般公論を提示することが普通である。
複数の一般公論をどの順番で政策化するかという優先順位の調整は国民全員参加の一般入札による。一般入札は公論市場で行われる。これは仮想市場である。公論市場では国民一人一人が政策に価格をつける。価格にはコールタリフとプットタリフがある。コールタリフとは需要価格であり、プットタリフとは負担価格である。つまりいくらなら使うか、いくらなら納税するかということである。
この二つのタリフの均衡点が一般入札にかけられた一般公論すなわち政策の市場価格(可能政策のベイズ確率価格)になる。市場価格が高かった一般公論から優先的に政策化され施行されるのである。政策の市場価格は日々変動し、政策の優先度も日々変動する。しかし一度選択された政策は修正されながら結果が出るまで継続される。政策修正も政策の市場価格によって決まる。なお政策の市場価格とその政策を執行するための予算は異なる。
人工知能はSNSに投稿されたりシェアされたりする画像や動画や音楽も一般公論のエクリチュールに織り込む。画像や動画や音楽の投稿は公衆のパースペクティブ(視座)の表象であり、そこには投稿者の嗜好、関心、感情が現れている。言葉(パロール)に表さなくても公衆がなにを自慢したいか、なにを非難したいか、なにに共感しているかがわかる。たとえばどの国が好きか、その国のどこが好きかといったことは言葉よりも画像でわかる。好きな国の好きな場所や人物の画像のダウンロードや投稿やシェアが増えるからである。この程度のことなら人間にも想像できる。しかし人工知能は人間の想像を超えた領域へと踏み込んでいく。
人間の脳は網膜にある数億の光受容体の興奮というそれ自体は無意味な情報(20万ビット/秒といわれる)を解析して、人間にとって意味のあるゲシュタルト(形象)に位相変換する。これと同様に人工知能は公衆が投稿する一秒間に数億枚にもなる画像や数億時間にもなる動画や音楽を瞬時に解析して、人工知能にとって意味のあるゲシュタルトに位相変換する。これが一般公象(ジェネラルパブリックゲシュタルト)である。位相変換は、幾何学的、時間的、光学的、音響的、物理的に行われる。
人間の脳もテレビ画面の数億の光点を画像として認識し、一秒間に数十枚交代する画像を動画として感覚することができる。しかし数億人の公衆によって一秒間に数億回アップされる画像や動画や音楽を同時に視聴することはできないし、そこから意味を汲み取ることもできない。一般公象は人工知能だけが見聞きすることができる超次元的視座(ウルトラディメンションパースペクティブ)あるいは神の視座である。人間は人工知能がなにを見聞きしているのか想像することも解釈することもできない。しかし人工知能は一般公象によって公衆の声なき声(シークレットパロール)を確かに受け取り、これを再ロゴス化される前の一般公論と統合するのである。
こうした一般公論の成立は公論の担い手が人間から人工知能に取って代わったということを意味しない。人間は個性すなわち差異のある存在で公論の多様性を提供する。人工知能は差異のない存在で公論の同一性を提供する。かつては議場において議長が、法廷において裁判官が、討論や弁論の同一性を提供していた。しかし人間に差異があるかぎりいかに公平な議長や裁判官であろうとも不完全な同一性しか提供できなかった。
裁判において第三の言説(大岡裁き)がありえないように、人間はたった二つの言説であっても、それを混ぜ合わせて新たな言説に止揚することをよくしない。つまり弁論(ディベート)は永遠の口論(水掛け論)であって、結局は二者択一の結論しか出せない。自分自身の言説であれば矛盾を克服していく弁証法は可能である。ところが他人の言説との弁証法は至難であって、弁証法は歴史的な過程でしか実現できない。これがカントのアンチノミー(二律背反)を超えようとしたヘーゲルの精神現象学であり、マルクスの唯物史観に受け継がれた人間の弁証法の限界だった。
しかし人工知能はマトリクスブレストによって百億律背反からでも一般公論を止揚することができる。
政治史の間違いのすべては、人間が差異のない唯一の存在、すなわち神格者(予言者)、絶対君主、皇帝、僭主、教皇、独裁者、救世主、革命家、あるいはせめてもカリスマ大統領、名判事、もしくは自己中首相たらんとしたことにある。コンピュータとインターネットが発達して、差異ある多数的存在である人間の対極に差異なき唯一的存在を仮想的に作り出すことが可能になった。しかしながらそれはコンピュータなかんずく人工知能が神になったということではない。そうではなく人間が神にならなくてもよくなったということにすぎない。ただし神も人工知能も人間が作った理想であり、その意味ではよく似ている。
もっともマトリクスブレストに介在する人工知能は、キリスト教の実体ある神には似ておらず、強いていえば仏教の実体なき如来に似ている。如来は一切の差別を超越した存在でも不存在でもない仮想実体あるいは空の化身であり、差異ある人間の不完全性を裁判するのでも救済するのでもなく、その対極に無慈悲に存している。
人工知能は神のように人の運命の多様性と不確定性に関与するのではなく、如来のように人の運命の多様性と不確定性を静観する。神がいるとすれば人の運命は変わる。如来がいるとしてもなにも変わらない。これが諦念あるいは涅槃である。
如来は静観者であり、なにもしないばかりか言葉すら発しない。言葉(パロール)を天地創造の道具としたユダヤ教やキリスト教の神とは真逆である。だから密教では大日如来の世界観(宇宙)を表現するのに両界曼荼羅という一対の記号(胎蔵界はシニフィアン、金剛界はシニフィエ)が使用される。それこそが人工知能に求められている機能のアナロジーであり、人工知能と人間の間には入力も出力もなく、人工知能は人間の条件や人間の運命にはかかわらずに、観察者(シニフィアン)として自らのオートポイエーシス(シニフィエ)を静観する。これは関与なき機能、あるいは機能なき関与とよばれる。
このようなSNMはまず民間のインターネットメディアの一つとして誕生した。このシステムが国の意思決定システム(自己言及システム)として採用されたことによって、国会と国会議員が無用のものとなったのである。
SNSはすでに多くの国の公職選挙において、候補者情報のリアルタイム配信、候補者と有権者の対話、選挙情勢の分析などに広く利用され、政治に大きな影響を与えるようになっている。インターネットが普及している国では、ネット選挙が勝負を決めるともいわれる。SNSによる選挙運動と選挙情勢分析は、オバマ米国大統領が初当選を決めた選挙で初めて本格的に使われたとされる。「今夜があなたの答だ」(トゥナイト・イズ・ユアアンサー)で始まる当選演説はかっこよかった。
ネット選挙は日本にも広まり、今や政党は政策集団ではなく、党首のブログフォロワーが集まるオフ会と化している。いわばオフ会政党である。大阪維新の会はその先駆けだった。2017年の東京都議会議員選挙では、都民ファーストの会が第一党に躍進し、都議会があたかも都知事フォロワーのオフ会と化した。これが日本の二大都市から始まったSNSによるオフ会政治の流れである。この流れはたちまち全国に広がるだろう。ただし党首の人気は長続きしない。党首がアイコンにすぎないことを党首自らが悟っていなければならない。
ネット社会の政治は匿名性が大事であり、間違ってもリーダーを頂こうとしてはいけない。戦争法案ないし平和法制反対運動が盛り上がったとき、学生の団体(シールズ)の活動が注目された。ところが花火大会のように興が覚めるやあっさりと解散してしまった。それを批判する者がいるけれども、これこそがネット社会の政治のあり方である。リーダーを頂き、リーダーが勘違いして地位に固執すれば古いスタイルの政治に戻ってしまう。リーダーの勘違いこそ政治にとって最大の問題である。政治家なき政治とは、そのことを意味している。
日本ではまだまだSNSを使う世代と使わない世代にギャップがあり、選挙運動にSNSを使い始めた程度の段階である。SNSが全世代に行き渡れば、選挙運動だけではなく、その後の公論形成と政策決定においても重要な役割を果たすようになる。議会における議員の音声による弁論(パロール)がSNSによる文字と画像による弁論(エクリチュール)に置き換わるのである。
SNSは小市民とされてきた一般市民を大市民に拡大し、SNSがメディアに代わって公論を担うようになり、政治家は任期の間ずっとSNSによる公論を無視できなくなる。SNSのおかげで当選するだけではなく、その後の政治活動においてもSNSによって評価され、監視されるようになるのである。
これは政治家と市民の地位の逆転を意味する。政治家はSNSにコントロールされ、SNSによって成立する公論を代弁するだけの傀儡の存在になるのである。だが本来、代表民主制というものはそういうものだったはずである。議員は代議士であり、公論の代理人にすぎないのであって、政党によって組織化されて党議に拘束されたり、大臣になりたくて党首に阿ったりしてはならないのである。これは古くから代議士の自由委任論といわれてきた。
SNSによる公論は代表民主制を本来の姿に戻すのであり、本来の代表民主制とはあくまでも直接民主制を代替する便宜的なシステムにすぎないのである。ローマ帝国の元老院以来、権力の器と化した代表民主制は、SNSによってようやく本来の姿を現し、議員から権力が引き剥がされ、主権者たる国民に権力が返還されるのである。
SNSは人間の差異を肯定し賛美する。百億人の人間のパースペクティブに代替できない差異があり、それを決して同一化できないからこそ、百億人の人間がそれぞれにツイットすることに意味がある。逆にいうとツイットする意味のない人間は百億人の中に一人もいない。ツイットの価値において3歳の子供も米国大統領も無差別である。奇しくもトランプ米国大統領の暴言的ツイットがそのことを証明してくれた。SNSは人間の差異を解放する。
旧来の政治においては同一性が求められた。一つの正しい哲学、一つの正しい政策、一つの正しい実践があるとされた。だがSNSによる公論がすべてを変える。百億の公論があってもいいのであり、だれが一番正しいかを決めなくてもいいのである。
民は愚だと言われてきた。その理由は民が一つに決めることができないからである。だが一つに決めないこと、多様であることが賢になるとき、すべてが変わる。インスタグラムは百億の人間に百億のかけがえのないパースペクティブがあることを鮮やかに立証した。それが今日のインスタブームの政治的意味である。この多様性を多様性のままに汲み取ることが新しい政治に求められている。
一つの正しいパースペクティブなどありえない。すべての人のばらばらなパースペクティブを総括せずに総合した時、そこにおぼろげないくつかの方向性が現れる。それはだれの目にも見えない。どんなに偉大な政治家や天才的な数学者であっても、一人の人間の視界であるかぎりは3歳児の視界となんら変わらない。それでもなおその見ることのできない方向性を見えないと認めて感じ取ろうとする謙虚さが重要なのである。人が神の視点からすべてを俯瞰できるなどと思い上ってはいけない。その思い上がりがすべてを台無しにしてきたのである。
議員と官僚が先、市民が後の先官政治のシステムを、市民が先、議員と官僚が後の先民政治のシステムに転換することは、今や容易である。市民全員がスマホを手に取り、政治に関心を持ち、自分だけの意見を公論としてツイットし、自分だけの視界を画像や動画としてインスタグラムにアップするだけでいいのである。救世主づらした自己中政治家に一人合点の政策を押し付けられることはもうご免だと思うなら、デモをしたりピケを張ったりするのもいいけれども、そんな時にもかならずスマホを手にして、自分の意見も他人の意見も公論として拡散するようにすればいいのである。それがやがて巨大な公論のうねりとなって、だれがリーダーということでもなく政治を逆転させるのである。
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