3 三権分立がない
この国の政治体制の最大の特徴は民主主義国家の常識として定着している立法、行政、司法の三権分立がなく、国会も、政府も、裁判所も存在しないことである。これを三権虚立という。統治機構としての三権の府がなく、三権の長(国会議長、大統領ないし首相、最高裁長官)がいないという意味において、カコトリアは無政府主義の国である。主権は人民にあるといいながら三権(三つに分割された主権)を認めることは矛盾であり、民主主義の原理とされてきた社会契約説は詭弁だと、この国の政治学者は考えている。主権が人民にあるなら三権は主権の例外状況ということになってしまう。そして実際にも三権の府は主権者としての人民の例外者として事実上国民を支配してきた。
当然、この国には政治家も、官僚も、裁判官もいない。政治家は道路革命によって完全に廃され、機能代替さえ行われなかった。政治家は完全消滅したのである。これに対して官僚と裁判官は人の職業としては廃されたものの、その機能はテクノロジーによって代替的に維持された。
どの国の政治にとっても政治的問題の大半は政治家の自作自演であり、最大の政治的問題は政治家の存在である。ウソだと思うならどこの国でもいいから、最近の政治的問題を新しいほうから5つ取りあげてみるといい。全部が全部、政治家の自作自演もしくは自業自得のスキャンダルばかりのはずだ。政治家さえいなければ全く何らの政治的問題も起こらない。だがあれほど政治家をクソミソに批判しておきながら、政治から政治家を追放しようと思った国はこれまでどこにもなかったのである。
およそ国があるならば政治は必要である。しかし政治は政治家がやるものとはかぎらない。政治とは意思決定システムであり、もしくはそのための駆け引きである。このシステムに政治家は必ずしも必須ではない。官僚が実質的に意思決定システムを担っている国は少なくない。そんな国でも一種の重しとして官僚の上に政治家が必要だと考えられている。さもないと官僚の思い上がりが政治家の横暴以上に手に負えなくなる。
ところがこの国はなんのためらいもなくあっさりと政治家をなくしてしまった。道路のない国は政治家がいない政治を実現した国だった。その結果一切の政治的問題から永久に解放されたのである。これは奇跡といっていいことである。
政治学の理想は右翼でも左翼でも究極的には無政府主義になる。いかなる統治も人間が統治者であるかぎり人間の不完全性の影響を免れないからである。完全な経済的自由を求める右翼にとっても、完全な社会的自由を求める左翼にとっても、政府の中途半端な干渉はじゃまである。これが極右または極左としての無政府主義である。しかし20世紀以降、テクノロジーによって第三の理想が創出された。人工知能による政府なき(オートマチックな)管理社会である。
第三の理想によるSF小説やSF映画は数かぎりなくあるものの、どれも人間による支配を人工知能による支配に置き換えただけであり、結局は人間の政府と同じ過ちを犯してしまうことになる。すなわち人工知能による独裁と戦争である。1970年のSF映画『コロッサス』(原作:デニス・ジョーンズ)は、スーパーコンピュータが人間を支配する社会の可能性とそのリスク(人類の抹殺)を早くも警告している。一方、同じSFのヒーローであってもロボットは単に人工知能の手足とされており、高い戦闘能力は備えていても政治的主体性をもたない。これに対してミュータント(バイオノイド)はいかに卓説した知能や生命力や超能力を備えていようとも、統治者とはなれずにマイノリティにとどまり、当局(人間の既存社会の権力機構)から弾圧されながら秘密結社的に活動させることが好まれている。この人工知能とロボットとミュータントの違いは一つの研究テーマになるだろう。
テクノロジーがヒューマニズムにかわる統治原理となりながら民主的でもある無政府主義社会は、これまでだれも試みていない。これがカコトリアの無政府主義の新しさである。この国の無政府主義はゴールではなくソリューションである。これは政治によらずに政治的問題を解決するためのメソッドであり、この国では無政府主義とはよばれずに政治なき統治とよばれている。政治なき統治はトマス・モーアの『ユートピア』以来の理想郷の一つの方向性だった。ジャン・ジャック・ルソーを経て、カール・マルクスがこれに共産主義という理論的基礎を与えた以降は、さまざまな無政府主義運動が試みられたものの、実際に成立した共産党支配国家は強権を恣にする独裁国家であり、むしろ共産主義の理想から遠ざかるばかりだった。テクノロジーがその理想を実現可能にしたのである。
まだ国会、政府、裁判所があった時代から、この国ではこれらは3つの権力の分立ではなく、国民が統治にアクセスするための3つの窓と捉えられていた。国民は国会を通じて法の制定(立法)に関与でき、政府を通じて法の執行(行政)に関与でき、裁判所を通じて法の公正(司法)に関与できると考えていたのである。
三権が分立しているだけでは民主主義は保証されない。形式的には民主主義に見えても窓のない政治は独裁であり、窓が多いほど、また窓が大きいほど民主的な政治になるのである。これを多窓論(マルチウィンドウズセオリー)という。窓にとって重要なのは、情報の対称性(秘密の公開)、参加の任意性(機会の平等)、書記の中立性(結果の公平)である。
この観点からは新たな権力の機関として登場したマスメディアも政治にアクセスする第四の窓となる。その機能は法の普及(啓蒙)である。ただしメディアには法の批判も欠かせない。前者をメディアのインサイダー機能ないしスポークス機能、後者をアウトサイダー機能ないしジャーナリズム機能という。
さらにインターネットの時代となり、国民全員がスマホを携帯し、SNSでツイットしたり画像をインスタグラムにアップしたりするようになると、国民の数だけ政治の窓が開かれたと考えられるようになった。
国民に開かれた窓から取り入れられる光は公論である。公論がなければ多窓論は無意味である。窓は公論を交換するために開かれるのである。
同時にそれは情報公開の窓でもある。国民は国会を傍聴することができ、行政文書の公開を求めることができ、裁判を陪審することができる。これらの公開性が民主主義を支えているのであり、三権分立が民主主義を支えているのではない。民主主義の根本原理とは参加と公開である。密室政治や談合政治は民主主義の対極である。たとえ多数決による意思決定をしたとしても、それだけでは多数派の驕りであり、むしろ独裁に近い。
公論は古くて新しい概念である。その意味はさまざまだとしても、政治に影響を与える公衆の意見であるという点では一致している。したがって公論の背景にはそもそも言論の自由、思想の自由、出版の自由といった人権があった。これらの自由権は歴史的には検閲からの自由を意味していた。
公論(公衆の意見)と世論(大衆の意見)はどちらも英語ではパブリックオピニオンである。しかし日本語では微妙な意味の差がある。公論には公開討論、公共意見という積極的な意味があるのに対して、世論からはそうした積極的なニュアンスが削がれ、世論操作といったネガティブな使われ方もする。公論に対応するのは定冠詞の公衆であり、世論に対応するのは不定冠詞の大衆である。
近代的な意味での公論は17世紀半ばのイギリスで舞踏会から抜け出してカフェに集まる客たち(貴族と中産階級の男性たち)の自由な政治談義から始まったとされる。その頃から新聞や雑誌がネタモト(情報源)になっており、公論は最初からジャーナリズムと切っても切れない関係にあった。そして紆余曲折を経たのち、ようやく公論はネットカフェに集まる客たちのSNSの投稿に戻りついたのである。
公衆の意味は時代の移り変わりとともに通時的に、あるいはパラダイムのシフトとともに共時的に変遷した。もともとは劇場の観客が公衆だった。演劇評論と政治評論は共通性があり、市民から見れば政治は即興劇だった。だから劇場政治は政治の伝統であり、それをパフォーマンスだと揶揄するにはあたらない。古代ギリシャや古代ローマの劇場やコロセウム、近世のオペラハウスは、建築的にも議事堂やギャラリーやデパートのモデルとなった。
大バッハのコーヒーカンタータに象徴されるように、コーヒーが全ヨーロッパで大ブームになるとカフェが公論を交わす場となった。喫茶店は小さな議会ないし委員会だった。ゲーテなどの哲学者や文学者のサロンも同様の役割を果たした。
産業革命によってブルジョワジーが誕生し、議会政治が始まると公論は選挙権を有するブルジョワジー(中産階級)の意見となり、無産階級は政治的意見をもつに値しないとされた。これは古代ギリシャのポリスにおいて奴隷が政治に参加できなかったのと似ている。プロレタリアート(労働者階級)の団結によって組合が誕生すると公論は国民の多数派であるプロレタリアートのイデオロギーとなり、ブルジョワジーは排斥された。
チャーチスト運動によって男性普通選挙制度が実現すると成人男性の意見が公論となって、女性と子供の意見は無視された。
新聞が発達すると新聞に発表される論説が公論となった。新聞では物足りない読者のために政治雑誌が刊行されると政治ジャーナリストもしくは評論家が読者と公論を共有するようになった。電話が家庭に普及すると電話による世論調査の対象となる有権者、すなわち世帯主もしくは主婦の意見が公論とみなされた。テレビが普及すると大衆迎合的なニュースキャスターが公論の代弁者としてオーディエンス(視聴者)に支持された。
大量消費社会では消費者の趣向が公論となった。そして消費者向けのあらゆる広告を受注する情報ゼネコンともいえる広告代理店が世論操作によって公論を捏造し、政治すら支配するようになった。
インターネットが発達して以降は市民が再び公論の担い手になった。ネット市民の誕生によって、数千万人の人が同時に自分の名前で公論に参加し、結果に関与できるようになったのである。これは公論の原点回帰だった。公論が経済団体や労働組合やマスメディアや広告代理店や評論家や宗教家に占有された特権的意見から、再び市民(ただし一部の小市民ではなくすべての大市民)の意見、市民が政治に関与するための公開意見(パブリックオピニオン)という本来の定義に戻ったのである。そこから一般公論の成立まではあと一歩である。
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