政治系報告

2 道路革命

 「この国の政治事情はどうやって調べたらいい」さっそく調査を開始しようと思い立ち、とりあえずキャンディの隣席に陣取って聞いてみた。

 「国立図書館でコピペをすればいいんじゃない」自分の勉強を始めていたキャンディはパソコンから目を離さずに答えた。

 「どこにあるの。案内してもらえるかな」

 「ネットにあるのよ。実際の図書館はわたしが生まれるずっと前に閉鎖されたわ」

 「デジタルファースト、いやデジタルオンリーってことね。国立図書館の蔵書はスマホで閲覧できるんだね」

 「いちいちうるさいな。やってみればいいじゃん。通訳は引き受けたけど教師じゃないのよ」

 「あ、ごめん」いちいちごもっともだった。

 カコトリア国立図書館のホームページはスマホですぐに見つかった。英語の自動翻訳ページもあったので、とりあえずこの国の概要を調べてみた。


 この国は確かにカコトリアとよばれていた。カコトリアは不条理の国といった意味である。この国に道路革命とよばれる無血の政変が起こったとき、他国に亡命したLPM(ラストプライムミニスター)カルディアックが、ディストピア(アンチユートピア)という意味で自虐的に使ったのが起源とされる。カルディアックは心臓という意味である。彼は復古的(極右的)な憲法改正を目論んで失敗し、むしろ道路革命による極左的な革命憲法を許してしまった。「道路革命はカコトリアをもたらすだろう。しかしユートピアはもたらさない」が彼のカコトリア予言として語り継がれている。

 今はもうカコトリアがディストピアだと考える国民はいないし、道路が必要だと考える国民も、政治家が必要だと考える国民もいない。

 カコトリアになる前の国名はカロネリアだった。美しい国という意味らしい。

 首都も確かにエリアフォーだった。第四地区という意味である。この国には人口100万人以上の主要都市が10あり、エリアワンからエリアテンまでナンバーでよばれていた。首都は20年ごとの十大都市のシフト制になっていた。国会議事堂も大統領府も首相官邸もないので、首都は実質的な機能がない名分にすぎず、どこでもいいのである。

 エリアフォーはかつてアスファレスシティとよばれていた。これは安全都市という意味で、海岸線に巨大なコンクリート製の防潮堤があったことから名付けられた。道路のアスファルトと同じ語源であるため、道路革命後は忌み嫌われ使われなくなっている。代名詞だった防潮堤も今は跡形もなく撤去されている。


 この国には自動車が走る道路がなかった。

 道路革命によって目障りな高速道路はすべて撤去された。都市を結ぶ幹線道路は維持されなくなり、たちまち雑草に覆われた。自然景観や生態系を害する林道や農道も撤去された。街路や路地だけは人が歩くために残されたものの、自動車のための信号機や道路標識はすべて片づけられた。それ以来この国の別名は道路のない国である。

 もともとはこの国にも道路があった。国民はせっせと働き、せっせと税金を納め、その税金でせっせと道路を作っていた。だがある時その間違いに気づいた。道路はだれのために作るのか考えた。道路を作ることを決める政治家の利権のためか、道路を作る建設会社の利益のためか、道路を走る自動車を作る自動車会社の都合のためか。

 この国の国民はまず自動車が必要かどうか考えた。その結果、自動車を捨てれば道路は要らないことに気づいた。作ることは壊すことだったからだ。

 この国の国土は狭く、自動車がなくてもなんとかなった。そこで自動車を捨てた。そのおかげでこの国には道路がなく、道路を作る建設業者もなく、道路を作ることを決める政治家も、道路予算を査定し執行する官僚もいなくなった。道路革命によってこの国の政治は政治家が利権を調整する政治(利権調整政治)から脱却し、国民が利権を分配する政治(利権開放政治)に変わった。

 自動車会社はしばらくの間、道路がある他の国のために自動車を作っていた。やがて自動車工場もなくなった。


 この国の国歌はゴーイング・ノーウェイである。


  ゴーイング・ノーウェイ


 どこにも行かない 行く必要もない ここにいればいい

 どこかに行ったところで どうせスマホで遊んでいるだけなら ここにいればいい

 いろいろ迷って間違えて やっと悟った ここにいればいい

 だれも来ないし だれも行かない 千代に八千代に ここにいればいい


 白地に赤い○と白い×を重ねたこの国の国旗は、もともと革命旗で、道路があった時代の車両通行禁止の道路標識を模しており、ストップフラッグ(制止旗)とよばれている。

 道路革命の日、国民は手に手にストップフラッグを振りながら「ストップロード! ストップビークル!」と英語でシュプレヒコールをあげた。大変残念なことに、この国の国民は革命前から英語好きだ。1966年にザ・ビートルズが来邦して以来、英語好きが定着したようだ。

 そのおかげでカコトリア語には英語の外来語が多く、固有語も容易に英語に翻訳することができた。ただしもともとピート臭い英語の概念は皮相なので、深い思索をするときにはフランス語やドイツ語や日本語の概念を使用することも少なくない。


 道路がなくなる前にこの国の金庫の中にあった道路建設投融資貯金は、この国のGDPにも匹敵するほど巨額だった。それがどこに消えたかは今も謎とされている。一説には道路革命を訴え、議会政治をぶっ壊すと宣言したSLPM(セカンドラストプライムミニスター)カサロス、もしくはその側近の経済大臣ペルソナの口利きによって外国の銀行に移されたといわれている。カサロスは純粋、ペルソナは人格という意味である。

 この二人は時に極右であるかと思えば時に極左であるという日和見主義者で、道路革命を訴えはしたものの、それを成し遂げたのではない。ただし道路財源が消えたことが革命の一つのきっかけになったことは否めない。この二人は道路革命の英雄とされながら、なにかを恐れて亡命した。なにを恐れたかは謎である。


 この国には道路がないから、マイカーはもちろん、バスもなく、タクシーもない。さらに鉄道もなく、地下鉄もなく、フェリーもなく、空港もなく、およそ公共交通機関とよばれるものがない。

 公共交通機関をなくすかどうかは、道路をなくす以上に大きな議論となった。公共交通機関がなかったら、どうやって会社へ通勤すればいいのか、どうやって学校へ通学すればいいのか。

 だが革命暫定評議会における喧々諤々の議論ののちに下された結論は、会社をなくせば通勤はいらず、学校をなくせば通学はいらないというものだった。そこでこの国では会社も学校も廃止した。ただし直接の理由は通勤や通学の問題からではない。会社や学校が革命憲法に違反する施設になったからである。

 先入見というものは恐ろしいものである。会社と学校が廃止され、通勤と通学がなくなっても大きな問題は生じず、公共交通機関も会社も学校も必要ないことが証明された。

 もちろん人と物の移動、産業、教育は必要である。ただしその方法はいろいろあり、公共交通機関、会社、学校が絶対のものではないという、それだけのことである。

 自動車も電車もなく、会社も学校もなかったら、まるで前近代の生活に逆戻りかと思いきや全く違う。国民全員がスマホを携帯し、常に全世界とコンタクトしているから、移動せずとも仕事にも勉強にも支障はない。移動時間のロスもストレスもなく、各自が自由なスケジュールで充実した一日を過ごしているのである。

 スマホがあればなにもいらないことに他の国の人々もうすうす気づいているのではないかと、この国の人々は思っている。どうせ電車に乗っていても、自動車を運転中でも、オフィスでも、教室でも、スマホをいじってるんでしょうと。

 確かにそうなのである。結果的にこの国の街の光景は自動車や電車や会社や学校がある国とそんなに変わらない。自動車や電車の騒音がなく、空気もきれいで、スマホはどの国よりもむしろ快適に使うことができる。スマホは中世風の街並みによく似合う。


 この国に残された唯一の現代的な移動手段は電動アシスト付きシェアバイク(シェアサイクル)だった。多くの市民が街乗り用にシェアバイクを使っている。バギー(オフロード3輪バイク)やマウンテンバイクもスポーツとして人気がある。足腰の弱い人向けの4輪バイクや、完全電動バイク(オートサイクル)もある。この国では車椅子はパラレル2輪バイク(パラサイクル)とよばれている。自分用にカスタマイズしたマイバイクを所有している人も稀にいるにはいるものの、乗り捨てができないので不便である。

 シェアバイクのハンドルにはスマホの差し込み口があり、スマホを差さないとロックが解除されない。スマホはナビゲーションモード(オンラインドライブレコードモード)に切り替わり、オートサイクルなら目的地まで自動運転を指定できる。

 街中ではシェアバイクのナビゲーションシステムがスピード抑制モードに切り替わるので、歩行者と混在しても安全だ。走行中、SNSは音声モードに切り替わり、スマホの画面を2秒以上注視すると自動ブレーキが作動する。歩道のインターロッキング舗装は歩行者の転倒防止と自転車の低速走行に最適化されている。郊外ではそこそこのスピードを出せるが、衝突転倒防止モードが入るので滅多に事故はない。時速にして60kmくらいだ。これは渋滞する街路を自動車で走るよりもむしろ早い。


 世界中でマイバイクやシェアバイクがブームになっている。大学生にもなれば最低でも数千ドルはするロードレーサー(高速走行自転車)に乗っていることが珍しくない。スポーツカーよりは安いとしても、小型自動車やオートバイとは遜色ない価格だ。タイヤ、ハンドル、サドルはもちろんのこと、ギヤ一枚まですべての部品がカスタマイズされている最高級品や限定品は数万ドルが普通だ。これをプロのレーサーやサイクリストではなく、普通の自転車マニアが買っていく。

 都心の道路から自動車を排除し、自転車と歩行者に開放する動きは、日本を除く各国の大都市で始まっている。交差点の中まで自転車走行帯を設けたり、自転車がノンストップで走れるように信号機の切り替え時間を調節したりすることも普通に行われている。最近中国では北京郊外から都心への自転車専用ハイウェイが建設されたことが話題になった。世界一渋滞するといわれる自動車専用ハイウェイよりも早く北京中心地に着けるという。

 日本でもシェアバイクをやろうとしている人はいる。試行を始めた自治体も少なくない。しかし日本では政治は利権であり、利権にならない自転車は政治にならない。

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