女神の宿命 -清算-

平嶋 勇希

第1話 女神の宿命

 その女の最期は、ある若い男の手により静かに迎えられたのである。いや本来ならばそういった結末に至ることはなかったと思われる。女を取り囲んだ兵士全員が想像していた。その女の首が、我らの偉大なる若き将、エリアス・キウルによって空高く刎ねられる光景を。


 乾いた大地に佇む小さな集落。その中の民家のそばで、数多くのウォクスタ兵に女は取り囲まれた。女が自分の最期が、たった今から訪れることを予測していたかどうかはわからない。だが彼女は膝をつき、何かに覆いかぶさるような格好でただ静かに涙を流していた。鎧が剥がれ、ぼろぼろの衣服が露わになった無防備なその姿は、過去の威厳は感じられない。それどころかその姿は異形とも思えた。まさに戦いの女神たる彼女の背中には、数本の槍が深く刺さっていた。

 彼女を取り囲む兵士の間から、筋肉隆々とした茶色の馬に乗った将が現れた。彼はエリアス・キウル。今回の戦いにおいてウォクスタ軍第二波を率いた若き将である。エリアスは馬にまたがったまま女に近づき、彼女を見下ろすような形になった。

「その子は、あなたの息子ですか。」

 エリアスは、彼女に一言そう尋ねた。彼女は覆いかぶさっていた。なにかを、自分の身を犠牲にして守るかのように。一体、彼女が守っているものは何なのか。

 彼女はエリアスの問いに答えたが、その声は掠れており、そしてあまりに小さな声であった為、エリアスの周りにいるウォクスタ兵には聞き取ることができなかった。

「そうか。」

 エリアスは、彼女の後ろ姿を少しの間見つめていた。彼は彼女のその背中に何を思っていたのか、ほかのウォクスタ兵には分からなかった。

「あなたは偉大なる師だった。」

「あらゆる人間を引き寄せ、その圧倒的指導力とあなたへの尊敬の元、全ての兵士があなたに従属し、あなたのために命を落とした。」

 彼女の背中は微動だにしない。

「自分の身に起こる災難、あるいは幸福といったものは、全て自分自身が引き寄せている。だからこそ、自身の行いにより、自分に降りかかる事象は選択することができる。」

「私がまだヘキア軍にいた頃、あなたは私にそう言った。」

 エリアスはその言葉と、今の彼女のこの背中を照らし合せた。

「あなたの行いが引き寄せた事象は、こういった結果となり、あなたに降り注ぎました。」

「あなたは、ここで大敗を喫したのです。これは揺るぎない事実です。ヘキアそのものの存亡が懸かる戦いであなたは負け、ヘキアは滅亡し、あなたもここで無念の死を迎えることとなります。これが真実です。」

 エリアスは、彼女への言葉を抑えることができなかった。言葉と同時に次々と感情も溢れた。だがその感情は、彼女を討ち取る喜びに沿うものではなかった。怒り、無念、諦念、哀しみ。そういった思いが、液体としてエリアスの瞳を潤していき、やがてまぶたの中に溢れんばかりに溜まっていった。

「ですが、あなたがやり遂げたこと、ここで成し遂げようとしたことが間違いだとは思えないのです。あなたが昔、私に言ったことが正しいのであれば、今ここであなたは幸福を感じていなければおかしいのです。」

 彼女が、自分の話を聞いているかどうかはエリアスにはわからなかった。彼女の体は未だ微動だにしなかったのだ。

「こう言っても、もう今のあなたには何もわからないのでしょうか。私の耳には入っています。あなたが、」

 エリアスは涙を漏らさないように努め、目を静かに閉じた。そして言葉を言い終えることなく、ゆっくりと息を吐いた。

 エリアスは彼女の背中から目を離さないように片手を上げて、ウォクスタ兵に合図をした。すると一人のウォクスタ兵がエリアスに近づき、彼に一本の槍を渡した。

「ヨエル、……いく……少しで……」

 彼女の小さな声がエリアスの耳に入った。だが最後の方は聞き取れなかった。

 その言葉を聞いた瞬間、エリアスの鼓動は早くなった。表情こそ変えなかったが、涙が止まらなくなり、鼻の頭が熱くなるのを感じた。

 エリアスは目を開けた。そして槍を自分の胸の位置まで掲げ、彼女の背中を狙った。

「あとは、お任せください。」

 エリアスは静かにそう言うと、全身から力を振り絞って、身を乗り出すように槍を投げ、彼女の背中を貫いた。

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