2018年1月11日

 うっかりざんくろーさんに話しかける。気がつくと自然に呼びかけている。

 今はぬいぐるみがあるから、さみしくは……………


 さみしい。


 泣きすぎてそろそろ目と鼻の周りの皮膚が赤剥けになってきた。

 2013年9月に二十年連れ添った年長猫を失った。その時は、半分自分を引き裂かれてもって行かれた心地がした。結婚した直後に誰一人知る者とていない土地に引っ越してきて、出会って、苦楽を共にした猫だった。

 ざんくろーさんは……

 たとえるなら乳飲み子の時からかいなに抱いて育ててきた幼子を失った心境か。

 いつまでもやんちゃ坊主だった性格とか、子犬みたいな顔立ちと体つきのせいもあるのだろう。生まれた直後にむにゅむにゅしてる兄弟たちの中から、隣の兄弟犬の顔をぺろっとなめた子を見て「この子に決めます」と約束して、一ヶ月待って迎えた。

 いつもいつも私の後をくっついて。そうでなければ猫の後をくっついて。きちっと後脚をたたんですわって、台所と居間の境目のペットサークルからじーっと見ていた。雷にビビってしっぽ巻いて膝に乗ってきたこともある。

 里帰りの後、ペットホテルに迎えに行ったら大喜びで飛びついて、うれしさのあまりハイになっておしっこを足にひっかけた。

 あぁ。やっぱり「幼子」だ。白髪増えても「幼子」だ。


 そんな、しんみりしている昼下がりに不審な来訪者が現れた。

 近所の家で修理をしている大工だと名乗り「上から見たらお宅の屋根、瓦の下にヒビが入ってますよ、よろしければ点検しまs…」

 おい。そこの家、確かに同じ町内だがだいぶ離れてるぞ。双眼鏡でも使ってのぞいたのか、それともあんたはマサイ族並の視力なのか?

「せっかくですがお願いする業者さんは決まってるので」

(翻訳:帰れ、このリフォーム詐欺野郎)


 不気味だった。

 今までもセールスは来たことは来たのだが、背後でざんくろーさんがのども裂けよとばかりに吼えるので早々に退散していた。

 玄関のチャイムが鳴るより早く犬が反応するから、前もって身構えることができた。

 でも、もういない。不意打ちされた感覚。

 この家に引っ越してきて初めて、恐怖を感じた。猛犬注意の札は外さないでおこう。


 少しでも気を抜くと、思考のループにのみこまれる。

 もしも、連休でなかったのなら。月曜日に大学病院に連れて行くことができたのなら。

 何度も何度もくり返した堂々巡り。終わりのない閉じた輪。

 しかしながら、3日目ともなると次第にバリエーションが増えてくる。

「ジョン・ウィックみたいにロシアンマフィアが犬の仇だったのなら、銃でばんばんぶち抜くことができたのに」

 時間が相手じゃ、撃てないし殴れない。

「ストロングゼロを飲めば、この悲しみも消えるのだろうか」

 消えるはずがない。わかってる。幸か不幸か酒には強い。


 毎日、夜中の二時になると記憶が蘇る。静寂が痛い。静寂が怖い。

 もしも土曜日に点滴をお願いしていたら、火曜日までもちこたえたのだろうか。

 決断の遅さ故に苦しめてしまったのだろうか。

 それとも、一日でも長く踏ん張って、一緒に居てくれた結果なのだろうか。

 正解にたどりついたと思っても五秒後には後戻り。

 答えは永遠に出ない。

 葬儀を終えて気がゆるんだのか、体のあちこちが悲鳴を上げ始めた。普通に動いているつもりなのに、壁やらドアにやたらと手足がひっかかる。まっすぐ歩けない。やろうとしていることの順番が入れ違いになる。

 水を入れずに湯沸かしのスイッチ入れても意味が無い。洗濯物入れずに洗濯機回してどうする。

 とにもかくにも無事お湯をわかし、遮光式土偶になった目をしばたかせてコーヒーを入れる。

『豆乳ちょーだい』

「はい、どうぞ」

 いつもの場所に小皿に入れた豆乳を置いた。


 夜、猫が座ってじぃっとケージの中を見ていた。

 家中探し回ることはしなくなった。

 この子の感覚では今、人間とは比べ物にならないくらいの勢いで、ざんくろーさんの生きている痕跡が消えているのだろう。

 今までとは比較にならなくらいの密度でひっついてくる。

 切ない。

 でもドッグフードそなえたら君、確実に、食うよね。

 そんなわけで、おそなえはサツマイモ。

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