2018年1月10日
今日はざんくろーさんの葬儀。葬祭場の予約は10時から、しかし夫が午前中に病院に行ったはいいが(定期通院で)帰ってこない。午前中は混む。
葬祭場に電話をかけて「20分ぐらい遅れます」と伝える。
「あわてずゆっくり来て下さい」
「ありがとうございます」
待つ間、体を撫でて首筋の毛をひとふさ切り取った。
「ただいま」
「お待ちしておりました!」
数珠を持ってゆこうか迷ったが、ざんくろーさんの父祖の地に敬意を表して銀の十字架のペンダントを身に付けることにする。
毛布にくるまって段ボール箱に横たわるざんくろーさんは、眠ってるようにしか見えない。焼くのはつらい。だが火葬にしなければ待っているのは腐敗だ。
きれいな姿を記憶に留めてお別れするには、お骨にしなきゃいけない。
「あ」
「どうしたの」
「眼鏡まちがえた、これ老眼鏡だ」
「とってきなさい」
車が走りだす。晴れているのに雨が降ってきた。
「狐の嫁入りだね」
「キツネ狩りの犬なのにね」
「……あ」
「どうしました」
「お供えの花束忘れた! 出しっぱなしだから猫がかじっちゃう!」
結局到着は30分遅れ。
「遅れてすみません」
「大丈夫です、どうぞ」
葬祭場の入り口には「ザンクロウちゃんお別れ会」と書かれた札が出ていた。場所は人間用の葬祭場の隣、ペット用の火葬車が前に停まっている。
人間相手の葬儀社がペット用の設備を作り、始めたらしい。人間用のノウハウを動物用に活かしてるから、とにかく対応が丁寧で、安心できた。葬るのが人であれ動物であれ、悲しむのは、人。
あらかじめざんくろーさんの名前と、年齢と、死因と体重は伝えてあった。
十三歳のシニア犬、病死。てっきり、やせ細って弱った犬が運ばれて来ると予想していたものと思われる。
しかし実際に連れてこられたのは、がっちり筋肉のついた、骨の太い頑丈な体格の犬。
火葬車を運転してきたおじさんと、葬祭場のお姉さんが顔を見合わせる。おそらく同じことを考えていた。
「(しまった、準備した骨壷じゃあはいらない)」
「(しまった、予定した時間じゃ終わらない)」
箱から出して、ざんくろーさんを祭壇に横たえる。火葬用の鉄板と網の上なのだけれど、ちゃんとトイレシートを引いてあった。いつもこの上で寝ていたから、違和感は無い。
「あ、口元におやつありますね」
「はい」
ちゃんと、口元に置き直してくれた。
祭壇にはLEDライト式のキャンドルと花が置かれ、「虹の橋」を描いた絵がかかっている。
「お花を飾りましょう」
お姉さんにうながされ、渡された花をざんくろーさんの周りに飾る。
持参した花束も、同じようにカットしてバスケットに入れて渡してくれた。
カサブランカ、ヒマワリ、チューリップ。白い体の周りに色鮮やかな花をまく。途中でたまらず、突っ伏してざんくろーさんの顔に自分の顔をくっつけてむせび泣いていた。
祭壇の上、やわらかな照明に照される姿はまるっきり眠ってるみたいにしか見えなくて。焼くのがしのびなくて。
夫が肩を抱いてくれる間、お姉さんとおじさんはじっと待っていてくれた。ドン引きもされなかった。
慣れてる。
耳、長いマズル、黒い鼻、ざらざらになった肉球。丹念になでまわす。でもしっぽには触れられなかった。
そこを触られるのが一番嫌だってわかってたから、手が避けていた。
まだ動くと。生きていてほしいと願うのをやめられない。
「あの、お写真とらなくてよいのですか?」
「撮っていいんですか?」
「はい、みなさん、撮られますよ。ケータイで……」
本当は撮影したかったのだけれど、遠慮していた。その言葉で安心して、ゆっくりと写真をとった。家で写した時より、可愛く撮れた。
お別れの間、インストゥルメンタルのアメイジンググレイスが静かに流れていた。
耳にふれる。硬直すると、立ったままになるんだなあ……
元々、右耳だけぴょこっと起き上がる子だったけれど。
「最後のお別れです」
手渡された小さな花束を、置いた。
「さようなら。ありがとう」
いよいよこれから火葬と言う時。
「待って、首輪を……」
手を伸ばす私におじさんが言う。
「大丈夫、つけたままできますよ」
すかさずお姉さん。
「手元に残される方もたくさんいますから……」
見事な連携だった。
可能性は二種。
『火葬のさまたげになるから外そうとした』
『形見として残したいから外そうとした』
瞬時にどちらの行動への対応も為されていたのだった。
そうして、私と、夫と、お姉さんで三人がかりで運んでいった。
ペット火葬用のトラックが表で待っていた。トラックに上がると後はおじさんの独断場。
……重くてかさばるから苦労しておられて、なんだかいろいろ申し訳ない。
釜の扉が閉まる。最後に見るのがしっぽとお尻か。見慣れた光景。ざんくろーらしい。
なんてことを考えながら、極めて静かに、厳かに、合掌して見送る。
「それでは、終わるまでに1時間ほどかかりますのでこちらでお待ちください」
テーブルと椅子の並ぶ待合室に通される。明るくて、きれいで、静かで、あたたかい。
よく見ると壁に納骨用の棚があるのだけれど、しめっぽさやしんきくささ、かび臭さを全く感じない。
「ああ、他所のお子がいるのだな」と思った。
「あの、それでですね」
「はい」
「ざんくろーちゃんが予想外に大きくて」
「(ですよね)」
「こちらで用意した骨壷だと、お骨が全部入り切らないのです。有料になってしまいますが、もっと大きな骨壷をご用意することもできますし、入る分だけ納骨して、後はこちらでご供養することもできます」
「大きいの見せてください」
結果、四寸サイズの骨壷と、青地に犬と猫の刺繍の入った可愛いカバーを別途購入した。
待ち時間の間にお会計をすませて、後は夫と二人で静かに過ごした。静かな音楽。あたたかい飲み物飲み放題のサービスつき。涙と鼻水を拭うためのティッシュも大量に準備されていて至れり尽くせり。ここにお願いしてよかった。
間も無く一時間経過しようと言うころ。
「あの……すみません、もう少しかかります」
「(ですよね)」
「はい、お願いします」
さらに待つ。
「すみません、もう少し……」
「はい、お願いします」
どんだけ頑丈なんだ、ざんくろーさん。
届いていたお悔やみのツイートに返信しつつお茶を二杯いただいた所で、お骨とご対面。
なんだか、火葬するのにすごくご苦労なさってたようで、頭の下がる思いだった。
体が存在する間は「起きてくれ」とむせび泣くばかりであったが、これが骨になると妙に清々しいあきらめに至る。
下腹部の内側が黒い。
ここに、腫瘤があった。
こんなでっかいのを抱えてたのか。きつかったろうに。つらかったろうに。また涙がこぼれる。
お骨を拾うためのお箸を渡される。
「あの、牙、回収していいですか」
「どうぞ……あ、この辺にありますね」
この対応、慣れている。
「これ、きれいに残ってますよ」
「ありがとうございます」
尖った奥歯を拾おうとすると、箸からこぼれおちて、ぱかっときれいに二つに割れた。
回収し、持参した封筒に収めた。私と夫と二人分、体毛と一緒にロケットに封入するために。
少しずつ、少しずつ骨を拾う。すっかりカサカサになって、小さくなってしまった。
だが背骨も、脚の骨もぶっとくて、丈夫で。顎も歯もしっかりしていて形がはっきり残ってる。四年前、少しずつ少しずつ命を使い切って終わりを迎えた年長猫の時とは全然違う。
まだまだ生きられる体だった。腫瘤さえなければ。腫瘤さえなければ。もっと早く気づいていたら。腎臓の負担さえ軽減してやれていたら。連休でさえなければ!
悔しくて、また涙がこぼれる。
火葬担当のおじさんは、敬意を持って、ざんくろーさんの骨をとても丁寧にあつかってくれた。祖父が亡くなった時、地元の葬祭場でぞんざいにがっつがっつと頭蓋骨をぶち割られたのとはえらい違いであった。
頭蓋骨を収めてから、最後まで細かい骨を小さなちりとりとほうきで集めて、骨壷におさめた。全部、きれいに入った。カバーをかけて、手提げ袋に入ったざんくろーさんを受け取る。
「お世話になりました」
「あっ、待ってください」
小雨のぱらつく中、お姉さんは、車まで傘をさしかけて送ってくれた。
ここに葬儀をおねがいして、ほんとうに、よかった。
来た時より小さく軽くなったざんくろーさんに、来た時かけていた毛布をかけて帰路につく。途中で飯を食った。二人とも肉を食った。食わないと。昨日今日と、ろくに飲み食いしていない。がっつりエネルギーチャージしておかないと、干からびる。
「アイスノン」
「はい?」
「アイスノン、全部使っちゃっただろ。補給しておかないと」
「じゃあホームセンターに寄ろう」
アイスノンと、写真用のフォトペーパーと写真立てを買った。
帰り道、ざんくろーさんの実家の前を通る。2005年の1月21日、このお店の前から、バスケットに入ったちっちゃなちっちゃな白茶の子犬を連れて家に帰った。
同じ道を、今日はお骨になったざんくろーさんを乗せて走る。
ずっと骨壷をなでていた。
帰宅後。骨壷に首輪を巻いて。黄色い毛布で覆って、ケージの中に置いた。
ずっと以前に「ざんくろーの子犬の頃にそっくりだから」そんな理由で買った、ジャック・ラッセル・テリアのぬいぐるみを載せたら、ちょうど座っている高さになった。
その位置に、白茶が見えるってだけで、落ち着く。
夫は午後から出勤した。
「気をつけてね」
「うん。君もしっかり休んでね」
猫が、ものすごく甘えてくる。家中駆け回って、ソファーの後ろやこたつの中、机の下と、においをかいでざんくろーさんを探す。そして私のそばにきて、こてんっとよりかかる。
「そうだね、君もさみしかったね」
なでてなでてなでてなでてなでてなでて……前足でおさえこまれて、がぶがぶ噛まれる。
またか。
理不尽。
大仕事を終えた安堵感でへにゃーっとすわりこみ、気づく。
「あ、そうだ」
ざんくろーさんは、ブリーダーさんの所で生まれた。故に人間よりよっぽどはっきりした血統書があって、登録されている。
死亡した場合はこの登録を削除する必要がある。
それに加えてペットホテルもやっていて、留守にする際にはいつもざんくろーさんと猫を預けていた。次に預ける時は猫だけ。その時、説明するのは辛い。
意を決してブリーダーさんに電話をかける。涙をこらえながら言うべきことを伝える。
「……そうですか……長生きでしたね」
「はい。今までありがとうございました」
北の和室の窓を開け放ち、空気を入れ替えた。
彼の姿はもうどこにもない。写真に写っているだけ。プリントアウトしなきゃ、実体すらない電子データに残っているだけ。
すさまじい喪失感。もっと長い間、具体的にはあと6年は一緒に暮らすつもりだったのに。
写真を印刷して、写真立てに収めるべく居間に持って行く。
「おっと」
居間のテーブルでいじっていたら、いたずらされてしまう。
ごく自然に考えた直後にはたと思い直す。
「いや、いたずらする子の遺影なんだってば」
写真立てに写真を収めて、和室に置いた。四年前に亡くなった年長猫の隣に置いた。
茶の間にはお友だちからいただいた戌年の年賀状を飾った。モデルはざんくろーさん。写真だと苦しいけれど、絵ならほほ笑んで見ることができる。
「可愛いなあ。男前だなあ」
昨日は夕飯の時、呼吸困難を起こすレベルで泣いた。
いつも並んで二匹で同じポーズでご飯を食べていたのに、ざんくろーさんがもういないのがこたえて、こたえて。
いないのは今日も変わらない。けれど、ぬいぐるみの白茶がいる。
不思議とそれだけで、落ち着いた。
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