第5話「片鱗」

 私が気付いた時、目に飛び込んできたのは鮮やかな橙だった。重たい頭を抱えながら、体を起こす。どうやら、ベッドに寝かされていたようだ。それが夕日だと気づくころには、頭も冴え、辺りを見渡してみる。私、ラシルは見知らぬ小部屋に寝かされていた。今、体を横たえているベッド以外には、小さな机といす、タンス、それと腰ほどまでの棚の上にまるく愛らしい黄色の花が活けてある。見知らぬ部屋なのに、不思議と不安らしいものは感じない。顔のそばには開け放たれた窓があり、そこからにじりよる夕日が、吹き込むそよ風が、心地よい産毛のような暖かさを運んでいた。

 ―ここは、どこだろう。私は…

 少しずつ、記憶がはっきりしてきた。確か、男の子が倒れて、呪いがあって、それから、それから…

「それから…そうだっ!ルイ君!」

 ルイ君の精神の中でのやり取りが、一気に頭へ浮かんできた。思わず声を上げる。その声に気が付いたのか、部屋の外でどたどたと音が響き、勢いよく扉が開け放たれた。

「起きたか、ラシル!」

「あぁ、よかった…」

 そこには、夕日に負けない笑顔のカシムと、泣きはらしたような顔でほほ笑むエリスの姿があった。

「二人とも!えっと…私、どうして…それと、ルイ君は!」

「あぁ、お前、あのルイの精神に入っただろ?あの後、すぐに崩れ落ちて。しばらくは様子を見てたんだが、一向に意識を戻さないんでな、とりあえずここ、…あぁ、あの親子の家の二階なんだけど、ここに運んだんだ。」

 ベッド際に歩み寄りながら、カシムが説明してくれた。後ろからエリスが続くが、うつむきがちに目じりをぬぐっている。

「そしたらエリスが、私のせいだ…ってさっきまで泣きじゃくってて。でもよかったよ、目が覚めて。」

 そういってまたみせる、屈託のないカシムの笑顔が、なぜかとても懐かしく感じた。

「それで、ルイ君は?」

「あぁ、あいつな。あいつは…」

 カシムが口を開きかけると、漸く落ち着いたのか、エリスが引き継いだ。

「私が説明するわ。あの子は無事よ…おそらく。」

「おそらく?」

「えぇ。ラシルが精神の中に入ってしばらくした後ね、あの子の周りから瘴気のようなものが消えたわ。それからは、呼吸も落ち着いて、顔色もよくなったの。」

 そう説明するが、なぜかその表情は晴れない。ラシルは胸に不安を覚える。精神の中での会話が思い出される。

「でもね、ルイ君、あれから一向に目を覚まさないの。お昼ごろには、落ち着いていたのに、もう夕方。ラシルも一緒になって目を覚まさないし、本当に、不安だった…。ねぇ、ラシル。あの子の中で、何があったの?」

 すがるようにラシルを見やる。ラシルは、一瞬息をつき、そして精神の中で起きた出来事を話して聞かせた。


「そっか…そんな呪いをかけたやつがいるんだな…。」

「子供の命を、病の起爆剤にしたのね。なんてこと…」

 精神の中でルイ君に聞いた話を聞かせると、カシムもエリスも消沈したようにつぶやく。だが、その声音には、呪いをかけた犯人へ隠そうともしない怒りを見せていた。

「でも、じゃあなんでルイは無事だったんだ?」

「わからない、でも…」

 私は、最後に何かが、いや、誰かがルイ君を守ったように感じたことも二人に伝えた。

「フーン。意外と、ほかにも誰かが入ってたのかもな。」

「でも、それならいったい誰がルイ君を…」

 カシムは深く考えていなさそうだったが、エリスは少し思案するような顔をしていた。

「とにかく、ルイ君がまだ…その、死んじゃっていないなら、まずは起きるまで待ってみよう?ね?それに、呪いをかけた相手が、またちょっかいをかけてこないとも限らないし。」

 そう私が提案すると、そうだな、とカシムは頷く。エリスも、賛成してくれた。ルイ君のお母さんへ伝えると、喜んで賛成してくれた。この家に泊まればよい、と夕食まで準備してくれた。とりあえずルイ君が落ち着いたことで、お母さんもわずかばかり平常心を取り戻したようだった。


「でもルイ君、いつ呪いなんてかけられたのかしら。」

 夕食中、私は何気なく投げかけてみた。

「どっか山の中ででも遊んでたんじゃないのか?」

 もぐもぐとカシムが言うが、

「でも…あの子、いつも一人で村から出ることなんてないのに…」

 お母さんがどこか腑に落ちないような顔でつぶやいた。

「このあたりに、一緒に外へ遊びに行く友達とかは?」

 エリスが問いを続ける。

「いえ、この村を見てもらったかもしれないけど、今あの子と同じ年ごろの子供はいなくて。周りはもっと小さな子ばっかりで、あの子、いつも村の中で遊んでいたわ。」

 いつも村の中で。それを聞くや、ラシルとエリスは顔を見合わせた。

「ねぇ、エリス。それって…」

「えぇ。のんびりルイ君が起きるのを待ってる場合じゃなさそうじゃない?」

 ん?とカシムが首をかしげる。

「馬鹿!村の中で呪いをかけられたの!」

 一言怒鳴ると、漸く事の重大さがわかってきたようだった。

「おい!それってこの村の誰かが犯人ってことかよ!」

 カシムが上げた声に、お母さんがびくっと肩を震わせる。

「まだそう決まったわけじゃないけど、でも、その可能性が高いわね。」

 三人が考え込んでしまうと、お母さんが食事を促した。

「まぁま、三人とも、とりあえずはルイが無事だと分かったわけですし。まずはご飯を食べて、明日また考えてみましょうよ。」

 それもそうね、とエリスは食器を持つ手を動かし始めた。

「…それもそうね。今日は休んで、また明日考えようかな。」

「お前は今日ずっと眠ってたけどなー。」

「私が一番働いたでしょ!」

 と、他人の家にもかかわらずいつものじゃれあいをするほどに、気付けば私は回復していた。

「あ、でも。」

 急にじゃれあいを止め、カシムが天を仰ぐ。

「俺たちが見つけた時、ルイは結構村から離れてたよなー。日頃村から出ないのに、よくあんなとこまで来られたよな。っていうか、道知ってたのか?だれかなんてこの辺は、地図があっても迷ってたのに。」

「ま、まぁ、あの子もいつも一人ってわけじゃなかったし、私と一緒に村を出たこともあるから、大きな道くらいは知ってたわ。」

 ふーん、そんなもんかー、と言ってカシムは食事を続けた。しばらく談笑が続き、食事が終わって三人はあてがわれた部屋に案内された。狭い家だから、ごめんなさいね、と言って大広間一部屋に三人だったが、簡易ベッドが三つ設えられていた。お母さん曰く、行商人なんかが来ると、宿に入らない人たちはこの家で泊めていたらしい。じゃー寝るか、と言ってカシムは部屋に向かう。私たちも続いたんだけど、食卓を立つとき、エリスはちら、とお母さんの様子を睨んでいた。私も、なんだかぬるりと嫌な予感が付きまとっていた。カシム、意外とお手柄かもしれない。


「ねぇ、カシム、エリス。今回の一件どう思う?」

 私はベッドに腰かけ、二人に話しかけた。自分でも気づかないうちに、声は潜められていた。

 カシムはベッドに胡坐を組んでうーん、と唸った。エリスは、窓際で椅子に腰かけている。窓の向こうは、とっぷりと日が暮れている。村の夜は、とても静かで、わずかに風が木々を揺らす音以外は、鳥のこえや、獣の身じろぎ一つに至るまで聞こえなかった。気味が悪いほどに静かだった。ゴブリンの群れがいたことで、このあたりの動物たちもいなくなってしまったんだろうか。

「どうって言われてもなー。この村に犯人がいるかもしれないんだろ?でも…なんっか引っかかるんだよなぁ。」

 そういってカシムはぼりぼりと頭を掻く。

「私も、なんというか…ねぇ、エリス。エリスはどう思う?」

 くるっと首を回してエリスのほうを向くが、じっと考え込んでいるようで気付かない。

「ねぇ、エリス?」

「え?あ、あぁ、ごめんなさい。・・そうね、私も、引っかかる気がするの。」

「そうよねぇ。…というより私、気になるの。あのおk」

「ラシル。」

 私が懸念を口に出しかけると、エリスにさえぎられた。私は、エリスの顔を見て、ぎょっとしてしまった。ひどく真剣な、でも泣きそうな、不安そうな。祈るような目でこちらを見ていた。

「ラシル、その先は、明日にしましょう。寝てていいわ。私は…あんまり眠たくないから。」

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