第12話 雨に沈む袋

 僕は目が覚めた。目覚ましが鳴る5分前に起きてしまった。顔を洗う、水が冷たい。僕はまるで自動式人形のように服を着替える。目覚ましが鳴る、結菜が教えてくれた音楽が鳴る。それを、止める。ご飯を食べる。目玉焼きにソースをかける。一定のリズムで咀嚼する。食べ終わる。コートを着る。家を出る。


 今日は寒い。息を強く吐くと少しだけ白くなる。


 家に帰る。勉強をする。絵を描く。お風呂に入る。夜ご飯を食べる。また絵を描く。勉強する。 寝る。


その繰り返しだ。


 街が華やかになってきた。街並みも装飾に彩られていて、いつもと違ったように見える。


「そういえば、もうそんな時期か」 と呟くと、彼女の誕生日が近いことを思い出す。


 彼女はよく「イブ、クリスマス、私の誕生日、そこはお祝いがいっぱいなの!」と嬉しそうに話していた。


  僕は手で顎を触れる。


✳︎   ✳︎     ✳︎


「宮寺さんに?」 茅野さんは怪訝そうな顔をする。


「うん、どう思う?」 別れた彼女に誕生日プレゼントを渡すのは、やはりまずいのだろうか。茅野さんの顔は渋いままだ。


「まぁ、いいんじゃないかな」少し間が空いて、茅野さんは言った。


「そっか、安心した」 僕は少し顔が明るくなる。


「で、何を買うの?」


「それは決めてないけど」僕がそう言うと、茅野さんはコントみたいに頬づえをついていた手が外れ、かくっと傾いた。


「今日空いてる?」 茅野さんはまた頬づえをつくと、そう言う。


「まぁ、空いてるといえば、空いてるかな」


「じゃあ買いに行こ。私も選ぶの手伝ってあげる」 茅野さんは僕を見つめている。断りづらい目だ。


「うん、いいよ、遼太郎とか誘う?」 僕がそういうと「大勢で行くとかえって選べないんじゃない?」というので「それもそうだね」と言いながら茅野さんの表情をあまり見ずに、僕は頭の中で、何を渡せば良いかを考えていた。



 ✳︎    ✳︎    ✳︎


 僕は放課後、茅野さんとお店に向かう。色々なものが見れた方がいいということで、近くのショッピングモールに行くことにした。


 ショッピングモールにはたくさんのお店があった。開放的な作りになっているため、下から見上げると迫力がある。こういう建物の絵を描くのもいいかもしれない。そんなことを考えていた。


「行くよ」 茅野さんは僕の背中を押す。


「ごめんごめん」 僕は彼女に急かされるようにして歩き出す。


「何あげるか考えた?」


「ネックレスとか?」 僕はとりあえず定番そうなものを口にする。


「ちょっと重いんじゃないのかな?」 茅野さんは腕を組んで、そう言う。


「なるほど」 といいながら左右のお店を横目で見て、何かないか探す。


「じゃあ逆に何がいいと思う?」


「うーん、カフェのチケットとかくらいでもいい気はするけど、軽くて」


「うーん、なんか味気ないね」そう言うと、反論は許さないといった顔で睨まれた。けど、もう少ししっくりくるものが、あると思った。


「まあとりあえず、見てみよっか」


「そうだね」


 それから、色々なショップを見て回った。雑貨、服、文具。個人的にあまりピンとこなくて、中々選べなかった。彼女との関係も微妙なので、少し神経を使う。「それだったら渡さなくても良いんじゃない?」と茅野さんに言われたけれど、僕は何か、渡したかった。


 自分でも理由は分からない。でもなぜか、渡したかった。


 ふと通りかかると、画材屋さんを見かける。何気なく入ってしまう。目が輝くのを自分でも感じる。


「ほんとに好きだね」 茅野さんは少し呆れながら僕と一緒に店内を見ていた。


 店内のガラス越しに奥のお店の中が見えた。僕はそこで「あっ」と声を上げてしばらくそれを見つめる。茅野さんは僕の顔を不思議そうに見ている。


「あれなんて、どうかな?」


「どれ?」


「あれ」 僕は指を差す。


「それじゃ、分かんないよ」 茅野さんは不機嫌そうにしている。


 僕たちはそのお店まで行く。近くまで行くと僕は確信に変わる。これにしよう、と。


「このマフラー?」 


「そう、色合いがすごく良いし、結菜に、多分似合う」 僕はそのマフラーを触る。肌触りもとても良い。


「うん、良いんじゃないかな」 茅野さんもそう言ってくれた。


 それを買い、ゲームセンターのコーナーを通りかかると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。中を見ると、遼太郎と高嶋さんがUFOキャッチャーをして騒いでいる。近づいていくと、二人もこちらに気づいた。


「お、デート?」 遼太郎はUFOキャッチャーのボタンを押しながら言う。


「いや、そっちこそデート?」 僕はすぐに切り返す。


「いや」 遼太郎は見当違いなところでボタンを離してしまったのか、クレーンは空を切る。遼太郎は肩を落とす。高嶋さんが今度は100円を入れると、袖をまくる。


「良いの? この時期に遊んでいて」


「息抜きだよ、ずっと勉強するのは息が詰まるだろ。それに二人だって遊んでんじゃんか」 遼太郎はちょっと口を尖らしている。


「別れた彼女に渡すプレゼントを買ってたの」 茅野さんは言う。


「元カノに! どうなのそれ」 高嶋さんは気づけばこちらの会話に参加している。手には景品を持っている。遼太郎がそれに気がついて、「莉子、すごいじゃん」と二人でハイタッチをしていた。


「いや、別れたのかもよく分からないというか、会わなくなったというか」


 それを言うと、二人は眉をひそめた。


「まあ、良いけどな」 遼太郎はそう言った。


「遼太郎、次あれやろ!」 高嶋さんは遼太郎の手を引っ張る。


「そういうことで、がんばれ」 遼太郎はひきずられながら、僕に親指を立てた。高嶋さんも僕たちに笑顔で手を振っている。


「相変わらず、好き放題だね」 僕が笑ってそう言うと、茅野さんは何も言わずに出口へと向かう。


 そのあとなぜか茅野さんは少しだけ不機嫌そうなな気がしたけれど、特に気になるほどではなかったので言及はしなかった。僕たちは取り止めのない会話をしながら帰る。今になって、このマフラーを渡すことをためらい出す自分がいた。さっきの遼太郎や高嶋さんの反応が一般的なのだとしたら、彼女にも、そう思われてしまうのだろうか。すごく不安だった。


 「いつ渡すの?」 茅野さんに聞かれて、自分が茅野さんと一緒にいることを思い出す。


「来週かな、彼女の誕生日は学校はもう冬休みになっているだろうし、学校の帰りに彼女が校門から出てくるのを待とうかなと思って」 


「いよいよストーカーみたいじゃない」 茅野さんは突き放すように言った。


「でも、連絡はしづらいしさ、会う方法がそれしかないよ」 僕は仕方なさそうに言った。


「しっかりして、さっきもそうだし、なんでこんな人を......」 


「ん?」 最後の方が聞こえづらくて僕は聞き返す。


「なんでもない」 茅野さんは前を見ながら言う。僕は首をかしげる。様子がおかしい、そう思ったけれど、そのあとすぐに解散してしまったため、それ以上そのことについて考えることはなかった。


 ✳︎   ✳︎  ✳︎


 名古屋駅。彼女の学校は名前だけ知っていたので、スマホでマップを見ながら歩く。彼女と僕の学校の仕組みは微妙に違う。僕は午前授業だったが、彼女は普通に授業があるみたいだ。SNSで、受験期なのに授業がきちんとあるのが嫌だと、今日も嘆いていたからおそらく間違いない。


 僕は校門を見つけると、少し距離を置いて待機した。茅野さんの「いよいよストーカーみたいじゃない」と言う言葉を不意に思い出して、僕はさらに端に寄る。しかし、その端に寄ることでもっと怪しくなるのではないかと不安になり、先ほどの位置に戻る。立ち止まっていると寒さがはっきりと感じられて、肩に自然と力が入る。手の感覚がなくなってくる。手袋をしていないことを少し後悔した。


 徐々に、生徒が校門から出てきた。僕は改めて目を凝らす。今日はやけに寒い日だった。一度、プレゼントの袋を置いて、手をこすり合わせる。口元で手に息を吹きかけるが、感覚のない手にとって、それは3秒だけ効く鎮痛剤くらいの意味しか持たなかった。生徒の下校の波が終わる。彼女はまだ現れない。僕はSNSを確認したが、特に彼女の投稿はない。トークを送ろうとして、一通り文章を打ったけれど、送信を押すところで手が止まる。あと少しで画面に触れそうなその指先は、結局はバツボタンに触れた。


 しばらくすると、僕に追い打ちをかけるように雨が降ってきた。今日は晴れの予報だったので、傘は持っていない。僕は慌ててコートを脱ぐと、プレゼントの袋を包むようにして濡れないようにした。コートを脱ぐと寒さは一気に身体を突き刺し、瞬きをする間に僕はもう身体の芯まで冷えていた。


 ✳︎   ✳︎   ✳︎


 これ以上は体力的に待てないと思ったその時、人影が見えた。すぐに彼女だとわかった。声をかけようと、大きく息を吸う。しかし、後から来る人影にも程なくして気がつく。同じクラスの男子だろうか、自分のさしている傘に彼女を入れた。僕の声は自分の口の中で小さく発せられ、そしてそのまま口の外に出ることなく消えた。


 楽しそうな笑みを浮かべる彼女を見て、隣の男子に目を移す。同じく楽しそうな笑みを浮かべている。急に僕が場違いであることを痛感する。今周りには誰もいない、この3人だけ、僕だけが一人だった。雨に打たれているのも、寒さに凍えているのも、僕だけだった。同じ場所にいるのに、僕だけがすごく関係のない場所にいるようで、僕は完全にそこに立ちすくんでしまった。


 そうしているうちに二人は見えなくなる。雨の音だけが辺りを包む。僕は少し先をしばらくとりとめもなく見つめていたが、おもむろにコートを着る。マフラーの入った袋が一気に雨に濡れ、情けなく腰を曲げているように見えた。僕は駅に戻ることにした。


 通知音がなる。僕はスマホを開いた。茅野さんからだ。


「渡せた?」 とだけ書いてある。


「いや、渡せなかった」と返す。ウサギがすごい顔をしたスタンプが送られてきた。そしてすぐに文字も送られてくる。


「今から会える?」と。


「いいよ、東京で?」 送ってから、意味のない質問だということに気がつく。頭が働いていない。思ったよりも自分の心身は衰弱しているようだ。


「当たり前でしょ、東京駅まで行くね」 


「わかった、18時には着くよ」 それだけ打つとスマホを閉じる。彼女のことで僕はいつも暗くなっている気がする、苦しんでいる気がする。なぜか彼女のことを一人で考えると、どうもダメになりそうで、誰かといないと自分が壊れてしまう気がした。

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