第8話  夏祭りの人混みで

 「そりゃ、男だな」 大翔は僕に即答した。


 「そうかな?」 僕はあまりの即答に困惑する。


  美術学校の帰り道、元気のない僕に大翔は声をかけてくれた。大翔と彼女の喧嘩は無事に終わり、仲直りしたらしい。喜ばしくもあり、僕の焦りも、募る。


「いや、わかんないけどさ、思いつく理由が逆にそんくらいなんだよね」 大翔は両手を頭の後ろで組みながら言う。


 確かに、こんなにいきなり状況が変わるなんて、真っ先に思いつく理由はそのくらいだ。


「ま、聞くのが一番だけどな」 大翔は茅野さんと同じことを言った。


「だよね」 僕の声は吐息に紛れて聞こえなかったかもしれない。


「悠人がよ、聞きたいと思ったら聞けばいいし、聞きたくないなら聞かなきゃいいと思うぜ、思い立った時がその時、だろ?」大翔はちょっとキザっぽく言う。


 だけど、その言葉に励まされた自分がいた。思い立った時がその時か......確かに、そうでしかないのかもしれない。


「そうだ、今度さ、夏祭り行くんだ、美術学校のやつと、一緒に来ないか?」 


 大翔はまだ両手を頭の後ろで組みながら歩いていた。


「うん、行くよ」 僕はとにかく何かをしていたかった。誰かと話しているときは少しだけ気が紛れる。


「よっしゃ、じゃあまた連絡するから」 大翔は歯を見せて笑った。



  ✳︎      ✳︎      ✳︎



 試験は無事に終わった。いつも通り、特に問題なく。茅野さんは英語が出来たと僕に嬉しそうに話してくれた。遼太郎と高嶋さんは、すごく肩を落として二人で慰め合っていた。そのあまりに悲壮に満ちた顔がカラオケでの言動を思い出させて、僕はおかしくて少し笑った。


 あれ以来、僕は彼女と話していない。トークを何回送っても既読すらつかなくなったので、読んでもらうことは半ば諦めていた。彼女との繋がりは、ほとんどない。


 僕は彼女に忘れられてしまったのではないかと不安に駆られた。僕は彼女に忘れられたくなかった。僕を変えてくれた彼女、僕が一人で悲しんでいた時に唯一手を差し伸べてくれた彼女は、初めて出来た本当のつながり、ぬくもり。それを手放すことは、僕にとっては命を捨てるよりも怖かった。また前みたいに、温度も匂いもない繋がりだけの生活には戻れなかった。


 彼女が僕から離れてから、皮肉にも僕の交友関係は徐々に広がりを見せていた。美術学校でも大翔以外とも話すようになったし、学校でも、遼太郎、高嶋さんを始めとして、多くはないけど大切な友達ができた。一人で絵を描いていることが一番好きだった時とは違って、もちろん今でも絵を描くことは好きだけれど、他にも大切なものができた。


 

 それはまるで、彼女がいた時のぬくもりを補うかように。



 僕が今彼女と繋がっているのは、SNSのいいねとトークだけ。彼女は頻繁にSNSを更新していた。あまり見たくはなかったけれど、目に入ってしまう。彼女の近況が分かってしまうことが一番辛かった。僕に返事を書かず、SNSは更新する。そんな彼女を、想像したくなかった。

 

 いいねを押せば僕の名前が出てくる。トークを送れば、見てもらえなくても目には入る。だから、そうする。


 

 僕は彼女とフリックで繋がる。


 

 僕のしていることに彼女は軽蔑するだろうか。気持ち悪いと思うだろうか。実際、自分でも気持ち悪いと思った。でも、つながりがなくなってしまうのだけは、僕の人間性を疑われても阻止したかった。


 一度、トークでこの状況のことを聞いた。しかし、既読は付かなかった。

 

 会いに行こうともした。けど、名古屋駅まで行って、帰って来てしまった。直接彼女の口からもし、もし一番聞きたくない言葉を聞いてしまったら、僕は立ち直る自信がなかった。


 そんなことを考えながら、美術室で絵を描いている。

 

 紙の匂い。少し木の匂いと混じった鉛筆の匂い。パステルの匂い。水彩絵具、アクリル絵具の匂い。こむぎ粘土の匂い。スプレーの匂い。その全てが混ざり合う美術室の匂いは、もう僕の落ち着く匂いではなかった。そこには彼女がいることが僕の当たり前になっていたから。


 鉛筆を走らせる音を聞く。


 徐々に視界には絵しか入らなくなる。ここには僕と絵だけ......


 ハッとして横を見ると、そこには悲しそうに佇む椅子があるだけだった。


 毎日僕は彼女をスマホで見る。 毎日毎日、SNSで、見る。


 こんなにも毎日彼女のことを知れて、彼女を身近に感じれるはずなのに、こうも遠くに感じるのは何故だろう。


  

    ✳︎    ✳︎    ✳︎


  

  試験が終わると夏休みが始まる。夏期講習で皆忙しそうにしてるみたいだ。セミのジージーと鳴く声が窓を超えて部屋に響いている。遠くを見ると、地面が歪んで見える。空は青く、大きな入道雲が見える。部屋にはクーラーが無いので、汗をかきながら、絵を描く。コップの中の氷が溶ける音が風鈴みたいで心地いい。僕はそれを一気に飲み干す。


 スマホの通知音が鳴る。


  画面を見ると、大翔だった。


 「今日6時だからな、忘れんなよ」 夏祭りの確認だ。


 「もちろん」 僕はスマホを置く。置いてからもう一度スマホを手に取り、開く。彼女の投稿は特になかった。僕はスマホを少し遠くに置いた。


  夜になると、少し涼しくなっていた。セミの鳴く声はまだ聞こえる。母に夏祭りに行くというと、浴衣を着せてくれた。僕は「いいよ」って断ったけれど、母は嬉しそうに「せっかくだから」と。


 少し歩きづらさを覚えながら、待ち合わせ場所に行く。大翔はもうそこにいた。大翔はいつも通り、ジーンズにパーカーで、僕が場違いに見える。大翔は僕に気がつくと軽く手を挙げた。


 「早いね、大翔」


 「まあな」


 二人で絵のことについて話していると、あとの二人が一緒に来た。二人とも浴衣だった。ちょっとだけ安心する。


 黒髪でショートの子が立花葵たちばなあおい。浴衣は黒が基調で、青い花が散りばめられている。


 茶髪でセミロングの子が仲村心春なかむらここは。浴衣は薄紫色が基調で、ピンクの花が散りばめられている。


 二人とも、芸術学校に通っているだけあって、自分に合った色を選んでいてとても似合っていた。


「二人とも、おせえぞ」 


「ごめんごめん」 二人は手を合わせて謝っていた。


「あ、乙坂くんも浴衣なんだ、新鮮」 仲村さんはそう言った。


「乙坂なら、もうちょい暗い方が似合うんじゃないの」 立花さんはまるで作品を見るような目で僕の浴衣を観察している。


「これしかなかったんだよ」 僕はちょっとぶっきらぼうに言う。


「俺なんて浴衣持ってないしな」 大翔はなぜか誇らしげに言う。


 夏祭りは、混んでいた。けど賑やかなのは悪くない。両端に屋台が並び、目移りをしながら、誘惑に任せてちょこちょこと色々なものをつまんでは、歩く。進むのが遅い割りには、美味しそうなものが多くて、序盤で結構買ってしまった。


 次は何を買おうかと迷っていると、「わっ」っと耳元で言われ、ビクッとする。横には狐のお面を付けた大翔が立っていた。


 「驚いた?」 大翔はお面を取ると、いたずら好きの子どものような顔をしていた。


「少しね、あ、焼きそば食べない?」大翔は首を縦に振るので、二人で焼きそばを食べる。立花さんと、仲村さんはりんご飴を片手に写真を撮っている。SNSにでもあげるのだろうか。


 ふと気になって、僕もスマホを開く。彼女の投稿をみつけた。彼女もお祭りに来ているようだった。鮮やかな青の浴衣に黄色い帯。彼女らしくて、とても綺麗だなと見惚れると同時に胸が少し苦しくなる。


「お、同じ祭りだなそれ」 大翔は僕のスマホを覗きながら言った。


「え?」 僕は聞き返す。


「いや、その石像? 入り口の近くにあったぞ」大翔はそういうと写真の端に映ったものを指差した。


 結菜がここに......


 僕は、悩んでいた。会いたい、会わないといけない。今日を逃すと、なぜか僕はもう会いに行かないような気もした。けれどその勇気を、不安があっさり奪っていく。


「悠人、行かなくて良いのか?」 大翔は口いっぱいに入れた焼きそばを飲み込むと、そう僕に言った。焼きそばはすでになくなりかけていた。


 僕は返事をしなかった。


「今がその時なんじゃないのか? お前、会いに行きたそうな顔、してるぞ」


 今がその時。大翔にそう言われ、そう強く思えた。僕は割り箸を持つ手に力をいれる。


「大翔、ちょっと行って来ていいかな?」


大翔はにっこり笑うと、親指を立てる。


「行ってこい」


「ありがとう」 僕は残りの焼きそばを大翔に預けて走り出そうと思ったその時、手を掴まれる。


「これ持ってけ」 大翔は狐のお面を僕に渡す。僕は首をかしげる。


「これ、いる?」


「いいから」 大翔は僕に半ば強引にお面を渡した。僕は大翔の意図が読めなかったけれど、とりあえずそれを受け取り走り出す。浴衣が崩れてきていることは気にしなかった。


 かなり奥まで探したのにもかかわらず、彼女はなかなか見つからなかった。この人混みでこの暗さ、簡単に見つかるとは思ってはいない。

 

 鮮やかな青。鮮やかな青。

 

 僕はスマホを見る。少し前の投稿ではまだ彼女はお祭りにいた。場所はわからなかった。僕はとりあえず前に進む。


 一通り進み切って、人通りが少ない道まで来る。


 会えない。


 一抹の不安が僕の脳裏をよぎる。


 少し前に自販機があるのが目に入り、僕は飲み物を買うことにした。ここまで急いできたせいで、喉はカラカラで、喉の渇きに反して浴衣の中には熱がこもり、やんわり湿っていてるのが僕の冷静さをさらに奪っていた。


 僕はミルクティーを目にして、そのボタンを押そうとする。押す寸前で、やっぱりお茶に変えた。僕は湧き上がるを不安を流し込むようにお茶を一気に飲み干す。身体に冷たいものが流れ、意識がはっきりしてくる。


 気合を入れ直し、改めて人混みをかき分けて、前に進む。すると、横目に鮮やかな青が飛び込んで来た。僕は首が取れる勢いで振り向く。そこには楽しそうに笑う結菜の姿があった。


 「結菜!」 僕は呼び止める。周りの人が何人も振り返るほどの大きなその声で、彼女は振り向く。


 振り向いた彼女の顔は、僕を見つけると一気に引きつった。

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