第7話 離れていく距離
会えない日々が続く中でもトークでのやり取りはしていた。悶々とした感情は常に僕の中にあったが、また少ししたら会えるようになると信じていた。
会わなくなったことで皮肉にも夜勤のバイトはしなくなり、僕の疲労は少しずつ軽減されていった。
7月に入ると、受験組は勉強が本格化しているようだった。定期試験も近い。僕も定期試験の前はバイトの量を減らして、勉強に時間を割くようにしている。
授業終了のチャイムがなると、僕は美術室に行く。試験前は勉強も美術室でしているからだ。この時期になると美術部も休みになるから、美術室は毎日空いているのだ。カバンを持って教室から出ようとすると、僕を呼ぶ声がするから振り返る。
茅野さんだった。
「乙坂くん、これからみんなでカラオケで勉強するの、よかったら来ない?」
なぜカラオケで勉強するかはよく分からなかったけれど、少しだけ楽しそうだった。
「いいね、行こうかな」 茅野さんはそれを聞くと嬉しそうに笑った。
僕はみんなとカラオケに向かいながら、スマホを見る。通知は0件。
「これからクラスの友達とカラオケで勉強するよ」 結菜にそれだけ送る。
カラオケの部屋に入ると、みんなは次々に飲み物を注文していく。僕はアイス緑茶にした。部屋の中はそこそこ広くて結構綺麗で、少しタバコの匂いがした。
この四人でクラス替え当初によく話した記憶が蘇る。今勉強そっちのけで熱唱しているのが
「莉子、次デュエットな」
「オーケー」 と二人はカラオケに夢中だ。試験が終わった後のようなテンションで二人ははしゃいでる。賑やかなのも悪くない、まだ既読がつかないトーク画面を見ながらそう思った。
「ごめん、集中できない?」 スマホを見ていた僕に気がついて、茅野さんは申し訳なさそうに言う。
「いや、大丈夫」 と僕はノートを広げた。茅野さんもノートを広げる。得意な英語を早々に終わらせて、僕は歴史の勉強に移った。
少し集中し始めた頃、目の前にマイクが降ってきた。
「悠人、次お前の番だぞ」 遼太郎は僕のノートを見て、見たくないものを見てしまったような顔をしている。
「いいの、勉強しなくて?」 僕はマイクを持ちながら言う。
「カラオケ終わってからやんの、ほら曲入れて入れて」 遼太郎に急かされて僕は曲を入れる。あまり曲は知らなかったけれど、結菜にたくさん聞かされていた曲がある。歌詞も全部覚えていた。
「お、結構最近の曲じゃん」 遼太郎は曲にノリノリで乗ってくれている。高嶋さんは次に歌う曲を探している。茅野さんはペンを動かしながらも耳を傾けてくれていることはわかるように、音楽に合わせて体を動かしている。
「悠人、歌、上手いな」 遼太郎はちょっと意外そうにしている。
「ほんと!」 他の二人も褒めてくれた。
「そうかな」 少し照れる。結菜に曲を聞かされていて助かった。僕は改めてノートに目を写す。気がつけば遼太郎と高嶋さんはまた歌っている。彼らは多分、勉強しないだろう。
しばらくして、僕はトイレに行くために部屋を出た。扉を開けると室内は相当クーラーが効いていたのか、外から生暖かい空気が吹き抜けてくる。扉を閉めると一気に声が聞こえなくなる。いきなり違う空間に来たみたいで、不思議な感覚だった。
スマホの画面を開くと既読の文字は、ない。
トイレから出ると、茅野さんがいた。
「ごめんね、あまり勉強できなくて」 気にしているのか、また茅野さんは謝る。
「ほんとに、大丈夫だよ、楽しいし」 本当に気にしてないことが伝わるように、ちょっと大げさに明るく言う。
「あのさ、今週の土日、どっちか一緒に勉強しない? 乙坂くん英語得意でしょ? 教えて欲しいの。今日はあんまりできそうにないし。 いい?」
茅野さんは子犬のような目でこちらを見てくる。断りづらい目だ。土日はバイトも入れてないし、美術の課題は金曜までに終わらせればいい。それに......特に断る理由も、ない。
「いいよ、今度は静かなところでね」 ちょっと冗談交じりに言うと茅野さんは嬉しそうに笑った。
結局その日、遼太郎と高嶋さんは一度もノートを開かなかった。カラオケの帰りにそのことを言うと、「楽しければいいんだ」と自信を持って言われ、何も言えなかった。ある意味、そうかもしれない。
みんなと別れて一人で歩いていると、通知音が鳴る。
「そっか、楽しそうだね」 とだけ書かれた文章。すごくつまらなそうに書かれた彼女の文章は、さっきのカラオケをつまらないものにさせる。そのあとすぐに通知が来る。
「今日は来てくれてありがと! それで土日はどっちがいいかな??」
豚の頭にハテナが浮かんだ可愛いスタンプとともに、茅野さんからのトークが届いていた。結菜の文章を見た後だからだろうか、その文章がすごく暖かいものに見えた。
「土曜日にしよう。その方が一緒にやったところの復習が日曜日にできるでから」 すぐに既読がついた。
「わかった! とりあえず新宿駅で待ち合わせね」
「うん、じゃあまたね」
その日以降、結菜からのトークが来ることはなくなった。
目覚ましの5分前に目が覚める。結菜と手をつないでいる夢を見ていた。目が覚めたことを少し後悔しながら僕はスマホを見る。彼女からのトークはきていない。僕が送れば返信は来る、短いけど。だからとりあえず毎日一回は、何か送る。
SNSで彼女が遊んでいる投稿を見つける。彼女の笑っている顔と、僕のトークでのテンションがずれていることに少し腹が立った。なぜ彼女は僕にメッセージをくれないのだろうか。
今日が土曜日であることを思い出す。茅野さんと勉強会。僕は早めに支度を済ませる。
電車では絵画の動画を見る。芸術の世界も若い人で才能のある人は沢山いる。プロはもちろん、夢を同じくする人たちが描いた絵が見られるのは刺激になる。こんなものが気軽に見ることができるなんて、いい時代だ。
一回だけ、SNSを見る。彼女も試験勉強をしているらしい。いいねだけ押して、動画に戻る。
新宿は相変わらず、人だらけであった。街を歩く人に半袖の人が増えて来た。僕は長袖、スースーする感覚が苦手で、夏でも長袖の時が多い。
茅野さんはもう待ち合わせ場所に来ていた。白のオフショルダーブラウスに、少し緩めのジーンズを履いている、靴はベージュのサンダル。夏を感じさせるいい配色だ。
「ごめん、待った?」
「ちょっとね、でもスマホあるから、全然平気」 僕が着いたのも約束の5分前だったのに、随分早く来ていたのだなと思った。
「どこ行く?」
「私、いいところ知ってる!」そう言うと茅野さんは歩き出したので、ついて行くことにした。
外は、そこまで暑くはなかったけれど、じめじめとした暑さで肌にまとわりつくような感じを覚えながら歩く。
連れて行かれたカフェは、新宿といっても少し喧騒から免れたところだった。中に入ると、大学生、社会人と思われるスーツをかっちり着た人、カップル、他にも色々な人がいた。お昼時ということもあってか、結構店内は混んでいる。
「ここね、充電、Wi-Fi完備なんだ!」
「へえ、って勉強に関係なくない?」
「今って勉強もスマホでするでしょ?」 当たり前のように茅野さんは言う。僕は勉強は紙派だったからそのような発想はなかった。
「確かに」
「もちろん、テキストもやるよ」 そう言うと小さいバックからは想像できない厚さのテキストが数冊出てくる。
「うわ、そんなに持って来たの?」僕は目を丸くする。
「今日はとことんやるからね」 茅野さんは少し自慢げな顔をした。
僕と茅野さんはランチセットを頼む。彼女は料理と飲み物が届くとすぐに写真を撮ろうとする。
「待って」僕はカバンの中から一眼レフカメラを取り出した。
「こっちの方が綺麗に撮れるよ」 僕は茅野さんに一眼レフを渡す。
「どう使うの?」と茅野さんは使い方を困っているようだったので、茅野さんの後ろに回って使い方を説明する。
「なるほど!」 と茅野さんは早速一枚撮る。パシャっと一眼レフ特有の音が聞こえる。僕はこの音が好きだった。
「あ、綺麗に撮れてる! これってどうやってスマホに入れるの?」
「ちょっと待ってね......よし、移せたよ」
彼女は嬉しそうにそれを投稿していた。
「ねえ、見て見て、もうこんなにいいねもらった! 写真効果かも! 私も一眼買おうかな」 とすごく満足そうな茅野さんに僕も少し嬉しくなった。
茅野さんは結菜と同じ反応をした。前に結菜と遊んだ時に彼女に一眼レフカメラを渡したら、同じようにすごく喜んでくれた。僕は無意識に茅野さんと彼女をトレースさせているのかもしれない。
ご飯も食べ終わり、僕たちは勉強を始める。周りもパソコンを操作していたり、読書をしたり、そういう人が多いから、すごく集中できた。
「乙坂くん、ここってなんでこうなるの?」
「ああ、えーっとね。ここがここに繋がっていて......」
「あ、なるほど! じゃあ、ここは?」
「それはさ......」
途中からは英語の質問責めにあって、自分の勉強はあまり進まなかったけど、人に教えることで知識が定着したところもたくさんあった。
茅野さんがお手洗いに行ったので、僕はスマホを開く。結菜からのメッセージはない。SNSの投稿もなし。何してるんだろう......
僕はメッセージを書く。
「今茅野さんと、カフェで勉強してる。そっちは何してる?」
そう打って、送信ボタンを押す。茅野さんの文字を入れたのは、反応して欲しかったから。彼女は嫉妬とかするのかな。
茅野さんが帰ってくる。
「そろそろ行こっか! いやー、結構進んだよ」 茅野さんは満足げに背伸びをする。
「そうだね」 と、言いながら、僕は一人になりたくなかった。一人になると彼女のことが頭に浮かんで来て、何も手につかなくなる。
なんて、思っていたからだろうか、気づいたら僕は会計に向かおうとする茅野さんの腕を掴んでいた。茅野さんは驚いた顔でこちらを見ている。
「あ、もう少しだけ、話さない?」
「う、うん、いいけど」 お互い少しだけ顔が赤くなった。
少し気まずくなって、一度スマホを見る。既読は付いていた。
「さっきからチラチラ何見てるの? 結構気にしてるよね」 茅野さんは僕のスマホを見ながら言う。
「えっと」 と言いながらなんて言おうか迷う。そもそも彼女のことを茅野さんに話すのはちょっと違う気がする。
「宮寺さん?」 そう言われ、背筋が伸びる。
「なんで?」
「やっぱり」 茅野さんは腑に落ちたような顔をしている。
「まだ何も言ってないけど」
「乙坂くんがなんで?って聞くときだいたい図星の時じゃん」 自分にそんな癖があることを初めて知った。だとすると、これまでも結構バレバレの時があったかもしれない。
「なんかあったの?」 茅野さんは少し落ち着いた声でそう言う。
「急に会う約束を全部断られて、トークでのやり取りも冷たい感じがするんだよね」 ははっと笑いながら僕はそう返した。
「男ね」 茅野さんは名探偵のように言った。
「え?」
「男よ、男、転校先で好きな人でもできたんじゃないの?」 僕はそれを聞いて顔が引きつる。
「そ、それはないかな」 僕は笑いながら言ったがうまく笑えていなかった。
「どうして、そんなこと言えるのよ」 彼女はそう言うとカップに口をつけて、残りわずかだった紅茶を飲み干す。
「結菜に限って、そんな......」 でも、恋愛で一番ありそうな理由だけに、僕は自信を持って否定できる言葉が出てこない。
「一番早いのは、本人に聞いてみること! ま、怖いけどね」 茅野さんは最後の言葉だけ急に優しく言うと、遠くを見つめている。僕もそれで後ろを振り向くと、窓の向こうには特に何もなかった。
カフェの音楽が急に耳に入ってくる。落ち着いた曲で、少し物悲しい。すると、カフェの照明が落とされる。そういえば17時からはBARにもなるんだっけ。お酒はまだ飲めないけど、二十歳すぎたら結菜とこういうところに行くのも良いかもしれない。
「ちなみに、さ」 茅野さんはまっすぐ僕を見ていた。その視線にどきりとする。
「な、なに」 目を逸らしそうになるけど、我慢した。少し間が空いたので、見つめ合うような形になる。
「......なんでもない、行こっか」 そう言うと、今度は僕に一度も目を合わさずレジに向かってしまった。
帰り際に茅野さんは「まあ頑張ってね、今日はありがと、また学校で」そう言うと、にっこりと笑った。
スマホを見ると、既読の付いていたそのトークへの返信は、来ていなかった。
今日以降、結菜から返信が来ることは、なかった。
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